第509話 真の聖水
2032年11月2日 9時前
「ねぇ? ちょっとこれを飲んでみて?」
クラリスがコスプレ喫茶特設会場の楽屋で一杯のコップを俺に差し出す。
「ん? いいけど……? これはなに?」
「なんていえばいいのかな……真の聖水というか本物の聖水みたいなもの……だと思う」
し、真の聖水だって!? 注ぎたてなのかコップが少し生暖かい。
「いいのか? 俺が飲んでも?」
「うん、まずはマルスに飲んでもらって感想がほしくて」
昨日眼鏡っ子先輩になにを吹き込まれたんだ? 確かに俺もこういうの嫌いじゃないが……クラリスの顔を見ながらゆっくりと口に含む。
仄かに香るクラリスの匂い。同時にセイキが体中に行き渡り、不思議と高揚感と征服感に包まれる。
「どう? 美味しい?」
不安そうに問いかけるクラリス。
「もちろん! もっともっと溺れるくらいに飲みたいよ!」
「よかった! じゃあもっと作るね!」
え!? まさかライブで聖水を!? 一日でこうも大胆に!?
飛び出すほど目をむいて、その瞬間を眼と脳に刻み込もうと思い、意識をそこに集中する。
「はい、マルス」
が、予想外にも聖水はもっと上の方で作られたようで目の前には、先ほどと同じ水が。
「あれ? 真の聖水って?」
「ん? 水魔法のウォーターに神聖魔法を唱えた水だから真の聖水かなって思ったんだけど、大げさすぎたかな?」
真聖水じゃなくて神聖水ってことね。知ってたけどね!
もし別の聖水を思い浮かべたやつがいれば『転生したら才能があった件 ~異世界行っても努力する~ : 3』を買えば多少マシになるらしいぞ。中にはもっと重症になり中毒となる者もいるらしいが、そこは用法用量を守って購入してほしい。
ま、冗談は抜きにしてこの神聖水。マジで生き返ったかのような活力がみなぎる。胡散臭いユニマルの角を煎じたものよりよっぽど効果がありそうだ。
「凄いことを考えたな。もしかしてこれを義姉さんに?」
「そう、一角獣の成長にも繋がる水でしょ? 悪い物じゃないと思うの。体調を整えるのにどうかなって……」
確かにこれは効くだろうな。それにもう一つの使い道を閃く。
これを栄養が枯渇した土地……つまりリムルガルドに撒けば効くのではないか? さらに枯渇した頭皮にも……まぁ俺の身近に髪の毛に悩む奴はいないから関係ないか。
と、思っていると、扉をノックする音と共にミーシャの声が。
「ちょっと? もうお客さん入れるってよ? いつまでもイチャついてないで早く来いってリーガン公爵が言ってるよ?」
クラリスとの時間を楽しみすぎたようだ。すぐに楽屋を出て持ち場につくと同時に客入りが始まった。
例え生徒が相手でも金だけは取るのがリーガン公爵。会場への入場料が銀貨2枚、クラリス、ミーシャに加え今年はアリスも蛇口係として参加。こちらは去年と同じで1杯銀貨1枚となっている。
キャストはより豪華に。毎年参加しているリーガン公爵にサーシャに眼鏡っ子先輩、ソフィアの他に、今年はカストロ公爵、フラン、フレン、さらにはリーナまでお出迎え。
男性陣もアイク、ドミニクに加えゲイナードも女性客をエスコートしている。
これに不満を持つ者などいないだろう。
と、そこに太客が現れた。どうやらカレンを指名したいらしく、リーガン公爵に白金貨1枚を手渡す。もちろんリーガン公爵は即OK。まぁ相手が相手だしね。これが変な奴だったら1億でも許さないが、指名したのはフレスバルド公爵とスザク。
さすがに白金貨1枚はやりすぎだが、推し活もかねてかもしれない。その席に俺も呼ばれて4人で話すことに。
「ご指名ありがとうございます……にゃん」
まだ少し抵抗があるのか恥ずかしがるカレン。めっちゃ萌える。
「さっきリーガン公爵に聞いたんだが、今日の夜、リーガン公爵の屋敷でパーティを行うという。突然決まったことで、リーガン公爵も急いで準備させているらしいが、フレスバルド家としても大至急でカレンのドレスなどを用意させているところだから安心してほしい」
そんな話初めて聞いたな。まぁ俺たち生徒には話さなくてもいい内容か。
「ありがとうございます、お父様。でもドレスはいりませんわ……にゃん」
「なんでだ? 一着白金貨1枚はくだらない最高のものだぞ?」
そんなドレスがあるなら見てみたい。なんとなくドレスに宝石とか鏤めたようなものとは予想できるが。
「どれほど高いドレスよりも、3年Sクラスの制服の方が私を着飾るには最高のドレスかと……にゃん」
「むむむ……言われてみれば……」
「それに制服の価値はもっともっと上がるかと思います。マルスが着続ければ着続けるほど……にゃん」
相槌を打っていたフレスバルド公爵が、ポンと膝を叩き勢いよく立ち上がる。
「カレンの言う通り。危うく選択肢を間違えるところだった。スザク、今すぐキャンセルの早馬を飛ばせ。カレン、成長しているようで嬉しいぞ」
踵を返し満足そうに帰っていくフレスバルド公爵にその背中を追いかけるスザク。5分で白金貨1枚の売り上げ……時給12億とは恐れ入る。
俺もカレンの手を取り定位置……聖水を販売するクラリスたちの背後に向かう。クラリスたちのMPがいつ枯渇してもいいようにというのもあるが、セキュリティの問題もある。
クラリスたちに何かをするような客が現れたら、俺の判断で殺してもいいとリーガン公爵やカストロ公爵、フレスバルド公爵にセレアンス公爵のお墨付きをもらっている。
言ってみれば2年前にやらかしたドアーホのような奴がいたら即殺せということだ。まぁ殺すことはしないが、死んだほうがマシと思えるくらいの罰は与えようと思う。ここには百獄刑マスターもいることだし。
カレンと一緒にクラリスたちの近くに来ると、
「カレン先輩! 最高の言葉でした! それに私はドレスとか持ってないから助かりました!」
蛇口としての役割をやめ、カレンに抱き着くアリス。
「私もマルスが高めた制服の価値を損ねないように頑張るわ」
クラリスも聖水を作るのをやめ、愛おしそうにカレンを抱きしめる。
「ちょっと!? ずるいよ! 私も入れて!」
何のことか分かってないミーシャも加わると、
「うわぁ……すげぇいいもん見られた」
「たまんねぇ……」
「私もいつかあの輪に加わりたいなぁ」
生徒たちの注目が4人に集まる。
が、ずっとそれを許すリーガン公爵ではない。
すぐに解かれそれぞれが持ち場に戻ると、メイド服姿のリーガン公爵が俺の座る椅子付近に近づいてくる。
「マルス、フレスバルド公爵が言っていたように、今日の夜パーティを行います。どうやらラインハルト伯爵家やゼビウス子爵家もこちらに向かっているとの早馬が届きましたので。周辺の貴族たちにも早馬を飛ばし、来られる者には来てもらいます。そこであなたたちを紹介するのでそのつもりで」
ラインハルト伯爵家というのはバロンの実家、ゼビウス子爵家というのはミネルバの実家だ。
となると、【暁】の関係者がほとんど揃うということか。
「分かりました。リーガン公爵の顔に泥を塗るようなことだけはしないように努力いたしますので、気づいたことがあればなんでも仰ってください」
俺の言葉に満足したのか、リーガン公爵は微笑みを残して商売に向かう。
パーティか。身内だけのパーティは何度かしたことがあるけど、大きなのは初めてだ。
そこに休憩と称したクラリスが俺の座る椅子のひじ掛けに腰を下ろし振り向きながら呟く。
「パーティかぁ……あまり得意じゃないのよね」
「俺もだよ。でもこれからこういう機会が増えるかもしれないから今の内に慣れておこう。今であれば振る舞いに失敗してもある程度は許してくれる歳だと思うし」
大人になってから失敗すると責任が伴うかもしれないからな。今は何かやらかしてもリーガン公爵がフォローしてくるはずだ。
「そうね。訓練と思って参加することにしてみるわ」
それが策略渦巻くパーティだとは、俺もクラリスも知らなかったのである。










