第465話 賢者の最後
「――――っ!?」
炎が燃え広がる光景に一瞬注意をひかれると、突然右手が引っ張られる。
何が起きたのか慌てて正面を向くと、なんと二角獣が賢者様の頭を咥え、今にも噛み砕こうとしていたのだ。
もしかしたら賢者様を特別な武器か何かと勘違いしたのかもしれない。
実際、二角獣にあてがうだけで、相当苦しんでいた。
今も目からは暗赤色の涙を流している。
そうまでして賢者様を警戒していたということか……。
もう今から何をしても賢者様は救えない。いや、二角獣の首をウィンドカッターで刎ねれば何とかなるかもしれない。
しかし、俺はそうはしなかった。
閃いてしまったのだ。
このまま賢者様を体内に取り込ませれば、煩悩が消えるのではないかと。
賢者様を失うのは辛い。しかし今から二角獣を倒して確実に救えるかといったらノーだ。
ならば……賢者様! 今までお世話になりました!
二角獣が賢者様を噛み砕こうとした瞬間、俺はさらに賢者様を押し込んだ。
賢者様の頭を噛もうとした二角獣だが、俺が押し込んだことによって杖の中腹を砕く。
苦悶の表情を浮かべながらも、賢者様を真っ二つにしたことによって、どこか満足そうな二角獣。
口の中にある賢者様の上半身を吐きだそうと、小さく口を開ける。
俺はその瞬間を待っていた。
右手に持つ賢者様の下半身を、二角獣が小さく開けた口に強引に押し込む。
まさかの行動に目を丸くする二角獣。
しかし俺は手を休めない。
「ウォーター!」
口の中に水を流し込み、先程のように上下の顎を押さえつける。
二角獣の口の中には賢者様の上半身と下半身、そして水。
口の中の異物に暴れまわる二角獣。尻尾の蛇も口から緑色の液体をまき散らす。
二本の角からもひっきりなしに雷が放たれ、そのほとんどが俺に着弾するも、周囲の木々にも直撃し、さらに火の勢いが強くなる。
「マルス! もうそろそろ撤退したほうが――――」
懸命に消火活動をしていたクラリスがこちらを振り向く。
「分かった! でもあと少し待ってくれ! 二角獣の口の中には杖がある! 飲み込ませればもしかしたら……」
すぐに状況を理解してくれたクラリスの行動は速かった。
消火活動をやめ、暴れる二角獣の背中に再度飛び乗ると、クラリスの両手が白く輝く。
「落ち着いて。いい子だから」
先ほどとは違い、子供を諭すように優しい声をかけるクラリス。同時に神秘的な光を伴った手が、二角獣の喉の部分にあたるであろう場所を優しく往復する。
突然クラリスに飛び乗られてびっくりしたのか、それとも優しく撫でられたからかは分からないが、二角獣の目から一瞬だけ荒々しさが消え、口の中の賢者様を飲み込んだ。
飲み込んだ後も少しの間、二角獣の口を塞ぐ。二角獣の意志とは関係なく嘔吐する可能性があるからな。
しかし、その心配はなかった。完全に賢者様を飲み込んだ二角獣は力なくその場で倒れ込み、徐々に深紫の体表の色が抜け落ちていく。
怒りと煩悩の化身。その2つがなくなれば、やはり二角獣ではいられないのだろう。問題は一角獣に戻るのか、それとも消滅してしまうのか。
こればかりは、神頼み。
このまま二角獣を見ておきたいが、そうは言っていられない。
燃え盛る炎が俺たちに迫っているからだ。
「クラリス! MPを回復させる!」
二角獣から飛び降りたクラリスを抱き寄せ、クラリスにMPを注入。同時にクラリスのうなじから媚香を体内に取り込む。
抱き寄せたまま2人で消火活動にあたる。
もうウォーターで消火というレベルではない。それに森の保護とかもいってられない。
最優先はクラリスの無事。1つの傷も残してはならない。
「クラリス! 氷結世界を! 俺もブリザードを使う!」
氷結世界を放った場所は一瞬にして銀世界に。周囲の炎の勢いも弱まる。
対して俺のブリザードは暴風を伴い、燃え広がろうとする火を飲み込む。暴風で木々は揺れ、その冷たさはまだ燃えていない木々には毒かもしれないが、仕方ない。
2人で消火活動を始めること数分。だいぶ消火できたが、それでもまだ火の勢いは強かった。
しかし、その勢いが急に弱まる。
「「「マルス!」」」
「先輩!」
同時に、来た道の方から俺を呼ぶ声が。
「俺たちは無事だ! だがまだ来ないでくれ! 二角獣がどうなるかは分からない! しばらくは消火活動に努めてくれ!」
俺を呼ぶ声……つまり【黎明】女性陣に声をかけると、安心した声が返ってくる。
「分かったわ! このくらいの火であれば、私がコントロールできるから、マルスたちは二角獣の方を注視して!」
カレンの声が響くと、さらに火の勢いが弱くなる。
そうか。燃え盛る炎には水しかないと思っていたが、火を操ることができるカレンであれば、別のアプローチがあるのか。
であれば安心だ。エリーとミーシャ、アリスの声も、それに姫の声も聞こえたしな。
視線を二角獣に向けると、そこにはいたのは、頭に螺旋を巻いた一本の角を真っすぐに生やした白く輝く生物が。
良かった……クラリスと2人で残った甲斐があった。
しかし、代償は大きかった。俺の心のよりどころ……賢者様を失ったのだ。
「マルス? どうしたの? そんなに浮かない顔をして」
まだ俺の腕の中にいたクラリスが、上目遣いで問うてくる。
「ああ、杖が……」
お亡くなりになった賢者様を悼んでいると、
「……女淫魔なら大丈夫……私がいるじゃない……」
頬を赤らめるクラリス。いつも通り反則級の可愛さだ。しかし俺が気にしているのはそこじゃない。
「いや、そうじゃなくて……」
俺が心配しているのは、理性が効かなくなってクラリスに襲い掛かることだ。
クラリスも俺のことを愛してくれているのは分かっているが、1つの行動ですべてが台無しになるというのを日本時代に聞いたことがあるからな。
幻滅されないように、石橋を叩き壊してもっと頑丈なものを作ってから渡らないといけない。
だがそうは思っていても目の前にいるクラリス相手にはそれが難しい。
今も俺を見つめる瞳に吸い込まれそうになる。
こ、こんなの我慢できるわけがない。
クラリスの恥らう白い頬に触れ、下顎まで優しく這わせると、顎をクイっと持ち上げる。
すると俺の腰に手をまわし、少し背伸びをすると、恥じらいながらもゆっくりと目を閉じるクラリス。
その柔らかな唇に唇を重ねようとしたときだった。
弱々しくも美しい旋律のような鳴き声が聞こえたのは。
声の主は言わずもがな一角獣。
一角獣にすら見られるのが恥ずかしいのか、俺の腕の中から逃げる天使。
こいつ……いいところで……あのとき躊躇わずに喉元を搔っ切っておけばよかった。
さらに後悔が襲う出来事が起きるのを、俺はまだ知らなかったのだ。










