第434話 交渉人 ヒメリ・クラマ
まさかの人物からの突然の呼びかけに一瞬たじろぐと、先頭を歩いていたアイクがリアクションを取る。
「カストロ公爵! ご無沙汰しております!」
荷物を下ろしたアイクがすぐに右足を引き、右手を体の前に添え、左手を横方向へ水平に差し出す……いわゆるボウアンドスクレープというやつだ。
「あらお久しぶり。アイク……いえ、メサリウス伯爵。あなたとも今度ゆっくり話をしたいのだけれども、今日はマルス君と【黎明】の女の子に用があるの。悪いけど席を外してくれない? 他のみんなもよ?」
カストロ公爵にこう言われてしまってはアイクも引き下がるしかない。俺にアイコンタクトを取ると、荷物を持ちバロンにミネルバ、ブラッド、コディ、そしてサーシャ、ダメーズの6人と足早に学校に向かう。
「挨拶が遅れて申し訳ございません。ご無沙汰しております。カストロ公爵」
俺が頭を下げると、【黎明】の女性陣も俺に倣う。カストロ公爵は護衛と思われる私服姿の近衛兵と共に近づいてくる。
「うん。早速だけど用件を伝えるわね。これから夏の指名クエストの時期よね? そのとき絶対に私の指名クエストを受けなさい」
指名クエスト? みんなのことを考えると少しは休みたい。
「あら? もしかして私のクエストを断るつもりではないわよね?」
そんな思いが伝わってしまったのか、口調こそ柔らかかったが、表情は明らかに不服そうだ。
「できればお受けしたいのですが、僕が決定できるものではありません。リーガン公爵に依頼を出していただければと思うのですが」
ここはリーガン公爵の名前を出して逃げるに限る。実際俺たちにクエストを振るのはリーガン公爵だしな。
「それが嫌だからこうやって何日もここで張り込んでいたんじゃない。マルス君が言えばきっと上手くいくから! ね? ご褒美はいいのあげちゃうよ」
どこか眼鏡っ子先輩を彷彿させる言い方だが、眼鏡っ子先輩からは愛を感じるのに対し、この人からはそんなものを感じない。もっとも眼鏡っ子先輩の愛というのもクラリスたちから発せられるものとは大分違うのだが。
「……分かりました。そのようにしてみます」
リーガン公爵に言ってダメでしたということにしておけば問題ないかなと思い、素直に受け取りこの場を早く去ろうと思ったのだが、カストロ公爵は俺たちを解放する気はないようだ。
「じゃあこれから指名クエストの詳細を伝えるからどこか適当な店を貸し切りに……」
執拗に迫ってくるカストロ公爵にどう断ろうか逡巡した時だった。思いもよらぬ者が口を開く。
「なんじゃお主。妾たちは長旅で疲れておるのじゃ。用件は今度聞いてやるから出直してくるのじゃ」
クラリスの肩の上に乗っていた白狐状態の姫がカストロ公爵に物申すが、カストロ公爵含め近衛兵たちも、まさか狐が喋っているとは思わず辺りをキョロキョロと見回し声を荒らげる。
「誰!? 今の私に対しての言葉!? 隠れてないで出てきなさい!」
姫のまさかの言葉にクラリスの顔も真っ青。しかしその姫はどこ吹く風。平然とクラリスの肩から飛び降り変化を解くと、カストロ公爵の目の前に立ち不敬にも手に持つ芭蕉扇でカストロ公爵を指す。
「隠れるつもりなど毛頭ないわ。妾はヒメリじゃ。当然お主に対しての言葉じゃ」
これには俺たちだけでなく、周囲にいた住民たちみんな口を開けて驚いている。12公爵家当主にこんな態度や口の利き方をしたらどうなるか子供でも知っているからだ。
「――――っ!? 魔族!? 不敬な! 捕えなさい!」
カストロ公爵の言葉に即座に反応する近衛兵たち。どうやら住民にも私服の近衛兵が混ざっていたようで俺たちを取り囲む。
「カストロ公爵申し訳ございません! ヒメリは僕にとって大切な人! しっかりとヒメリには言い聞かせますので……」
婚約者と匂わせれば沙汰が軽くなるかと思い弁明するが、口を開いたのはまたも姫だった。
「マルス。何を言うておる。お主はまだクエスト中じゃろ? それも依頼主はリーガン公爵じゃ。マルスがやるべきことはこやつの依頼を聞くことではなく、まずはリーガン公爵に報告せねばならぬはずじゃ。話はそれからでもよかろう」
姫の思わぬ正論パンチに言葉を失ってしまう。周囲にいた住民たちもそれならばリーガン公爵への報告を先にするべきだという雰囲気を醸し出すが、今日のカストロ公爵はどこかおかしかった。
「私のことをこやつですって!? 久しぶりにこんな侮辱を受けたわ! お前たち早くその化け狐を捕えなさい!」
もっと裏でこそこそ仕掛けてくるイメージだったのだが、こうも感情的になる人だったのか? 確かにリーガン公爵に対してはこうなっていたが……住民の前でバカにされたからなのか? しかしこんな言葉で引き下がる姫ではなかった。
「妾を見くびるのも大概にせい。そんな雑魚が何人かかってこようとも妾に指一本触れることなど出来ぬぞ?」
姫の瞳が妖しく光ると姫を捕えようとした近衛兵が急に怯えだす。
「う、うわぁぁぁあああ!!! 来るな! 来るなぁぁぁあああ!!!」
恐らく幻魔眼で幻を見せられているのだろう。恐怖で腰を抜かした近衛兵が臀部を地面に落としながら両手両足を使って後ずさると、他の近衛兵たちも警戒し、迂闊に手を出せなくなる。
「な、何をしたの!?」
カストロ公爵が姫を睨むが、
「妾は何もしておらんぞ? お主は妾が何かしたとでも?」
シラを切る姫にそうですかと信じるカストロ公爵ではない。しかし得体のしれない力というのは、対峙する者にとっては恐怖だ。カストロ公爵はただ拳を握り、姫を睨みつけるが姫は涼しい顔をして優雅に芭蕉扇を扇ぐ。
しばらく重い空気がこの場を支配したが、知らない男がこの沈黙を破る。
「カストロ公爵。ここは正規の手続きにてリーガン公爵に頼みましょう」
誰だ? この男。
「マルス、あれがゲイナードよ」
背後からカレンの声がした。ゲイナードはカストロ公爵とかなり親密な関係なのか、カストロ公爵の肩を抱きながら宥める。
「……そうね……今日のところはここまでにしておくわ。だけどね……ヒメリ! 覚えていなさい!」
カストロ公爵が啖呵を切るが、それに臆する姫ではない。
「よかろう。ビラキシル侯爵家ヒメリ・クラマ。逃げも隠れもせぬ。先に言っておくが、妾は【呪術王】じゃ。もしも妾や身の回りに異変が起きたらその時はカストロ公爵家や周囲にいる者を未来永劫呪うから覚悟しておくのじゃ!」
むしろこの姫の言葉に近衛兵のみならず、カストロ公爵の表情が引き攣ったのが分かった。










