第433話 天国から地獄
2032年7月15日12時
「着いたぁ! 私長旅ご苦労さん!」
いつものように勢いよく馬車から飛び降りるミーシャ。
「またそうやって。もうショートパンツ履いてないんでしょう? マルスも絶対に他人に見られたくないと思うから気をつけなさい」
それをいつものように注意するクラリス。
「な、なんじゃここの人の多さは!? 綺麗な建物にごみ1つ落ちてない道……それにこの匂いは……」
初めてリーガンに来た姫が、街の規模に目を丸くすると、食事処の匂いにつられて1人で人ごみの中に消えていく。
「ちょっと姫! 後で私がちゃんと案内してあげるから1人で勝手に行かないで!」
そんな姫をクラリスが追いかけると、クラリス耐性のない住民たちがパニックを起こす。
クラリスを見てフリーズする者。心どころか魂まで奪われた者。中にはクラリスに触れようとする者まで。それを対処するのがこの2人。
「おらおらぁ! 姐さんをなんて目で見てやがる!」
「クラリスに触れたらフレアで焼くぞ!」
うん。いい仲間を持ったな。
そんな人ごみの中をアイクとサーシャを先頭に学校へ向かって歩いていると、街の一角から大勢の黄色い声が聞こえてくる。
その声に過剰に反応するエリー。もしかしたらその黄色い声が俺に向けられているものではないかと警戒しているのかもしれない。
「エリー。大丈夫よ。一般人がマルスに色目を使ってきたら、フレスバルド家の名前を使うから。エリーもセレアンス家の名前を出していいと思うわよ。金獅子のエリーは正当な後継者なのだから」
カレンに言われ、頷くエリー。確かにリスター連合国でこの2人のコンビに逆らえる女性など限られているかもしれない。
しかしその黄色い声は俺やアイクに向けられていたものではなかった。
「キャー! 生ゲイナード様よ!」
「ゲイナード様! こっちを見てください!」
「いつまで滞在なされるのですか!?」
ゲイナード? 聞いたことないな。
「もしかしてマルスはゲイナードを知らない? お義兄様が入学するまでリスター帝国学校の女子たちのアイドル的存在だったのよ」
カレンが説明してくれると、バロンもそれに補足する。
「ビッチ先輩とは違って強さはそこまで兼ね備えていないが、一時期はこのリスター帝国学校の宣伝塔として、ビッチ先輩と共にその顔を広く知らしめていたんだ。マルスは本当にこの学校のことを知らないんだな」
確かにリスター連合国の者たちからすれば、俺はこの学校のことをよく知らないんだよな。入学前にリスター祭とか行ったことがなかったし……もしも来年リーナが入学するようであれば、今年のリスター祭は来てもらった方がいいのか……?
そんなことを思っていると、ミーシャが俺に対し、あるお願いをしてくる。
「ねぇマルス! ちょっとしゃがんでくれない?」
なんで? と思ったが、素直に荷物を下ろしその場にしゃがむ。
俺がしゃがむと首を軽く前に押され、突然俺の両頬に柔らかい何かが触れる。後頭部に熱と重みを感じ、下を向くと綺麗なおみ足が。
「ちょっ!? ミーシャ!? そんなことやったらマルスが目立つじゃない!」
クラリスが慌てると、
「じゃあこうすればいいね! マルス立って!」
ミーシャの濃い匂いと共にふぁさっと視界を布のようなものが塞ぐ。
もしかしてこれって……? 状況を確認すべくミーシャの方を振り向こうとすると、俺の両頬に触れていた柔らかいものが振り向けないように締め付けてくる。
「マルスのエッチ!」
え、エッチって……た、確かに俺が思っている状況で後ろを振り向いたら、エッチどころか捕まってしまう可能性が。
「も、もしかして今俺はミーシャを肩車しているのか?」
恐る恐る聞いてみると、さも当然かのように答えるミーシャ。
「そうだよ! 私もゲイナードって人見たいから! だから早く立って!」
ってことは今目の前にあるのはスカートで……俺はそのスカートの中にいるわけで……俺の両頬にはミーシャの太腿……そして俺の後頭部には……。
いつもよりも濃い青リンゴの匂いと自分の状況に心臓が早鐘を打ち、頭がクラクラし始める。
「早く立ってよ!」
もうすでにたってるよ! なんて言えるわけもなく、腰を引いて立つ俺にようやく助け船が入る。
「こら! ミーシャ! はしたないからやめなさい!」
強制的にサーシャがミーシャを抱きかかえ、俺から降ろすと、
「マルス、嫌だったら断っていいのよ!?」
語気を強める。
「いえ、嫌だなんてそんな……ちょっとびっくりしただけで……」
むしろずっとそうしていたかったなんて言えるわけがない。ミーシャを見ると、特に悪びれた様子もなく、ぴょんぴょん飛び跳ねながら女性たちに囲まれたゲイナードを見ようとしている。
計算か? 天然か? まぁミーシャに限って計算なんてめんどくさいことなんてしないだろうから天然なのだろうが、今のはやばい……心臓が止まるかと思った。
「……マルス……しゃがんで……次……私……」
ミーシャとのやり取りを見ていたエリーが自分もと言うと、エリーの後ろにアリスが並ぶが、それを許すクラリスではない。
「ダメよ! こんなところで!」
え? ここじゃなきゃいいの? という疑問もあったが、クラリスの言葉に逆らえる者などここにはいない。
「「ごめんなさい」」
2人が声を揃えると、そこに小さい白狐がクラリスの肩に飛び乗る。
「安心せい。今見てきたのじゃが、マルスほどではないぞ? 妾としてはお主らがゲイナードに惚れてくれれば1枠空いて昇格できるかもしれんから、願ったり叶ったりじゃが、悪いことは言わぬ。やめておくのじゃ」
姫の言葉にぴょんぴょん跳ねていたミーシャが返す。
「そんなの分かってるよ! でも見たいじゃん! ねぇ?」
ミーシャの言葉にアリスは頷くが、エリーは無関心。きっとエリーはただ俺に触れていたかっただけなのかもしれない。
「でもここにマルスがいるのに、それに気づかずゲイナードばかりキャーキャー言われるのも癪よね。まぁ来たら来たで腹が立つのだけれども」
あれ? さっきはフレスバルド家の名前を出して撃退するみたいなことを言ってなかったっけか? カレンの言葉にクラリス、エリー、ミーシャ、アリスだけでなく、白狐状態の姫も頷く。
「カレン様。ここにゲイナードがいるとなると、近くにはあの方がいらっしゃるのでは? ここは早く学校へ戻った方がいいかと……」
ミネルバがカレンに問いかけると、
「それもそうね……ここでは……というかできることであれば、これからも会いたくないものね……ちょっと嫌な予感がするから急ぎましょう」
不穏な言葉を発するカレン。
誰だ? 誰のことを言っているんだ? しかし誰も俺の疑問には答えてくれず、移動を始めようとしたとき、大声で俺の名前を呼ぶ聞き覚えのある女性の声がした。
「マルス君! マルス君だよね!?」
その声にゲイナードを取り囲んでいた女性たちが一斉に俺の方を振り向き、黄色い声とともに俺の方へ走ってこようとしたが、俺を呼んだ女性が彼女らに警告する。
「止まりなさい! マルスは私の大切な人! 無礼を働こうものならこの私……カストロ公爵家当主レオナ・バルサモが処罰します!」
まるで魔法にかかったかのように、彼女たちの黄色い声と動きが止むと同時に、先ほどまであれほど猛っていた相棒が萎れていくのが分かった。
 










