第430話 岐路
2032年6月17日15時
「よし、これでグランザムとヘルメスの和平交渉は終わりとする。もしも何かあって相互努力で解決しない場合、リーガン公爵へまた依頼するといい。次に来るのが我々であるとは限らないが、話が回ってきたときは最大限協力する。何か質問がある者はいるか?」
朝からの和平交渉はつつがなく終わりを迎えようとしていたが、姫がポロンに最後の確認をする。
「ポロン、お主本当にそれでいいんじゃな?」
「むしろこれがいいんだモン! 姫様と別れるのは辛いけど、この街のためにポンゴと尽くすんだモン!」
ポロンが下した決断。それはこのグランザムに残り、街の再興と堅固な街壁を建築、さらには騎士団の特別顧問となり、騎士団の強化を図るというもの。
ポンゴはポロンとは違い自らの野心での行動だったため、ビートル伯爵、ビラキシル侯爵共に死罪を訴えたが、ポロンがどうしても助けてやって欲しいとの願いを聞き入れ、ビートル伯爵と隷属関係を結ぶことで死刑を免れた。
ビラキシル侯爵としては愛娘を殺そうとした者を絶対に許したくはなかったのだろうが、懸命にポロンが頼みこみ、ついにはビラキシル侯爵が折れたのだ。
ちなみにポロンはグランザムを悪魔族から守った【守護神】としてグランザムの住民から、その愛くるしい容姿とキャラクターも相まって人気を博している。
休憩を挟まず、ずっと話し合っていたのでもうお腹はペコペコ。皆でダイニングに行き、食事をいただく。今日は立食のパーティ形式だ。
何も言わないと肉しか食べないエリーに、野菜を食べさせたいクラリスが野菜をたっぷり乗せた皿を持つが、勘のいいエリーはどこかに隠れる。それを見ていたビラキシル侯爵が俺に話しかけてくる。
「マルス。あとで話したいことがある。よろしいか?」
見計らったタイミングで声をかけられたのできっとエリーのことだろう。
「はい。是非お願いします」
ビラキシル侯爵は頷くと、すぐに俺から離れ部屋から出る。
「ねぇ? もしかして……?」
隣で野菜の皿を持つクラリスが俺の表情を窺う。
「ああ。多分……」
「私も一緒に……行っちゃダメかな?」
「分かった。もともとビラキシル侯爵に聞いたことはすべてクラリスだけには打ち明けるつもりだったしな。でもビラキシル侯爵に拒否されたら遠慮してくれ」
クラリスが興味本位で聞くような女性ではないということは分かっている。エリーのことを大切に思うからこそ、知っておきたいはずなのだ。
クラリスの手に持つ野菜の皿を平らげると、すぐに俺たちもビラキシル侯爵の部屋へ向かう。
「マルスです。よろしいでしょうか?」
ビラキシル侯爵が泊まっている部屋の扉をノックすると、すぐに扉が開かれる。
「やはりクラリスも来たか。ちょうど良かった。クラリスにも聞きたいことがあったからな」
クラリスもあっさり部屋に通されると、すぐにビラキシル侯爵が本題に入る。
「あまり時間をかけるとエリーに勘づかれる可能性がある。昨日ポロンからエリーを呪ったことを話したというのは聞いた。だから当時のことをもう少し詳しく話す。それでいいか?」
エリーを気にするということは、もしかしたら昨日のうちに姫かポロンからエリーのことをある程度聞いているのかもしれないな。黙って頷くとビラキシル侯爵が続ける。
「私とポロン、そして狐族の計10名以上でリスター連合国からヘルメスに戻るときだった。セレアンス公爵……いや、元セレアンス公爵、もといバーンズ様が1人の子供を抱えて逃げているのを見たのは」
当時の様子を思い出しながら語るビラキシル侯爵。意外なのはバーンズへの敬称だ。
「その者たちが幼い子供を狙っているのは一目瞭然だった。そしてバーンズ様はその者たちから必死に逃げようとしていたが振り切れなかった。いくら金獅子のバーンズ様でも幼いエリーを庇いながら逃げるのは無理に決まっている」
「なぜバーンズ様は襲ってくる相手を倒さなかったのでしょうか? バーンズ様であれば逃げ切れないと分かれば、間違いなく倒しにかかると思うのですが……」
当然の疑問を投げかける。あのバーンズだ。誰が相手でも立ち向かうだろう。
「……立ち向かったのだと思う。私たちはたまたまその場を通りかかっただけだが、その者たちの中には大けがをしていたものもいた。それでも倒しきれなかった。吸血鬼とはそういうものだからな」
「「――――吸血鬼!?」」
思わずクラリスと声を揃え見合わせる。カエサル公爵領でも吸血鬼が暗躍していたらしいが、ここでもか……確かにバーンズだと吸血鬼相手に苦戦するな。コウモリに変化され空を飛ばれたら肉弾戦しかできないバーンズはお手上げだ。
「狐族や狸族にとっても金獅子は特別な存在。しかし表立って同じ魔族の吸血鬼と戦うのはさすがに問題となる。だから幼いエリーを呪い逃がしたというわけだ」
やはりビラキシル侯爵たちのおかげでエリーは助かったのだな。その時エリーが捕まっていたらどうなっていたのか……もしかしたらラースやディクソンに渡されて……考えるだけでもおぞましい。
「もう1つお聞かせください。呪うのってそんなに簡単にできるものなのですか? 僕が聞いた限りでは、相当数の人間がそれなりの時間をかけないと呪えないと聞いたのですが」
「うむ。基本的にその認識で合っている。ただ術者の魔力や対象者の実力も考慮しないといけない。呪術が最も長けているのは狐族だからな」
確かにビラキシル侯爵と姫は呪術王だ。当然同行者の中に姫は含まれていないと思うが、もしかしたら他にも呪術王がいるのかもしれない。ブラムの件も聞こうと思ったのだが、先に口を開いたのはビラキシル侯爵だった。
「マルス、それにクラリス。ヒメリのことをよろしく頼む」
突然頭を下げるビラキシル侯爵。
何のこと? と思う者もいるかもしれないが、先程の和平交渉の結果をリーガン公爵に報告する際、姫も同席することになったのだ。
本来であればビラキシル侯爵が直接リーガンに向かうのが筋らしいが、今のヘルメスから長時間離れるのは無理だとのこと。
リスター祭期間中にビートル伯爵と2人でリーガン公爵に謁見するという。
「もちろんです。お任せください」
即答するクラリスに、安堵の表情を浮かべるビラキシル侯爵。
「マルス、少しクラリスと2人で話をさせてもらえないか?」
まさか俺が遠慮してくれと言われるとは思わなかったが、きっと姫のことだろう。
「分かりました。それではこれで」
残された2人の会話が気になりながらも部屋を後にした。
――――その夜。
「クラリス、聞いていいか?」
寝静まる中、久しぶりに俺の右隣で横になるクラリスに問いかける。
「……いいわよ」
俺の右手を恋人握りしながら答えるクラリス。
「さっきビラキシル侯爵と何を話していたんだ?」
大体の見当はつくが敢えて聞いみる。
「うん……これからのこと」
「姫のことか?」
クラリスは俺の言葉に少し意外そうな表情を見せる。
「どうして?」
「なんとなく……な」
自惚れかもしれないが姫の好意を感じる俺はストレートに聞いてみた。
「そう……私の口から言うのはちょっと。でも明日、出発前に姫から話があると思うの。それをちゃんと聞いてあげて」
「……分かった。でも俺はもうこれ以上……」
すると、クラリスが少し体を起こし、手を繋いでいる反対の手で、俺の唇に人差し指を立てる。
「私だってそうよ。でもね。ちょっと違うの……違うということはないんだけど……とにかく明日まで待って」
握っていた手を解き、俺の頭を抱え込むように抱きしめるクラリスに身を委ね、全身で媚香とぬくもりを感じながら眠りについた。










