第428話 秘匿
2032年6月6日10時
左首筋に違和感を覚え、目が覚めるとそこには予想通りの光景が。
「おはよう。エリー」
俺の左首筋にキスマークを並べるエリーに声をかけると、嬉しそうに覗き込んでくる。
「……おはよう……」
いつもと変わらぬ様子のエリーにホッとし、体を起こそうとすると、右手が何かに挟まれていることに気が付いた。
「先輩。エリー先輩にしか気づかなかったのですか?」
突然右の耳元で息を吹きかけられるように囁かれ、体に電気が走る。
「――――お、おはようアリス」
声の主の方を見ると、俺の右腕を抱きかかえるように丸くなっていたアリスが微笑んでいる。
ん? ということはこの右手は……? これ以前もあったな……万が一に備えそーっと何かに挟まれている右手を引き抜こうとすると、
「――――せ、先輩。くすぐったいですよ」
甘美な声が俺の耳元に響く。やはり俺の右手はアリスの太腿に挟まれていたようだ。
「ご、ごめん。わざとじゃないんだ! そんなつもりじゃなくて!」
慌てて謝罪すると、くすっと笑うアリス。
「知ってますよ。じゃあ着替えて皆さんのところに行きましょう」
良かった。無意識のうちに太腿をまさぐる変態だとは思われてはなさそうだ。
改めて2人を見るともう制服に着替えていた。そして隣のベッドにいたはずのクラリスとカレンの姿はもうなかった。
「あれ? もしかして俺、相当寝てた?」
「先輩にしては寝ていた方だと思いますよ。でも私たちもほんの数十分前に起きたばかりで、クラリス先輩とカレン先輩はダメーズさんのところに向かいました」
そういえば俺は一度起きたのだが、エリーの寝顔を見て安心してしまい、二度寝してしまったのだ。
「分かった。じゃあ俺も着替えるから2人もダメーズさんのところへ向かってくれ」
さすがに2人の前で着替えるのは抵抗がある。いつものように相棒も絶好調だしな。
着替えを済ませ、ダメーズが寝ている部屋に入ると、そこには甲斐甲斐しくダメーズを看病するクラリスの姿が。それを少し離れたところからエリー、カレン、アリスが見守っている。
「おはよう。ダメーズさんはどうだ?」
「……うん。起きないわね。それにうなされているわ。でもカレンに鑑定してもらったら、もうHPは満タンって言っていたから大丈夫だとは思うけど……」
寝ているダメーズの手を握り、心配そうに見つめるクラリス。羨ましすぎるだろ。
「HPは回復したから死ぬことはないと思うのだけれども、問題なのはMPなのよ。MPって寝れば回復するでしょ? でもダメーズのMPは1のまま……」
何かを考えるように腕を組みながらカレンも続くと、それに対しクラリスも、
「MPは精神力ってどこかで聞いた気がするんだけど……」
真面目な顔をして悩む。それって俺も聞いたことあるけど日本時代な気がするんだが……。
俺もクラリスの隣に座り、ベッドに横たわるダメーズの様子を窺うと、ダメーズのうわごとが聞こえてきた。
「……サーシャ……逃げろ……剣聖の魔の手が……」
おい、なんて夢見てやがる。これにはクラリスも苦笑するしかなかった。
「まぁこうやってうなされるというのも生きている証拠だからな。朝ごはん……ブランチにでもしよう」
部屋を後にし、ダイニングに向かうとそこには言い争うブラッドとコディ。どうやらお題は俺が死んだあと、どちらがクラリスを引き取るかという話らしい。
「2人ともおはよう」
「おう! そういえばマルス。アイクに言われてさっきまでハチマルを連れて暗黒蟲の駆除をしていたんだが、もしかしたらまだいるかもしれねぇから、外に出るのであればマルスも気を付けてくれ」
コディと争いながらも報告してくれるブラッド。
「もしかして2人はずっと起きていたのか?」
すると今度はコディが答えてくれる。
「アイク様に頼られたらいつも以上に気合が入るからな。ちなみにアイク様とビートル伯爵は今さっき寝た。ついでに言うと姫様やバロンたちももうすでに寝ている。俺たちも寝ろと言われたんだが、クラリスの顔を見てから寝ようと思ってブラッドとここで待っていたんだ」
こんな2人だが、いまや【暁】にいなくてはならない存在。クラリスにご執心なのが玉に瑕だが。
「ありがとう。このお礼は絶対にするから」
俺の代わりにクラリスが答えると、
「俺と姐さんの仲じゃねぇか! 気にするな! それにもっと頼ってくれてもいいんだぜ!」
「おい! 今クラリスは俺に言ったんだぞ!? 勘違いするな!」
どうやら新たなお題が出たようだ。
でも2人を見ていると羨ましくなることがある。だってそうだろ? こうやって本気で自分の意見を相手にぶつけてもなお良好な関係でいられる相手というのは、なかなか見つからない。
少しすると2人は気が済んだのか、部屋に戻っていった。
「さて、ごはんも食べたことだし、ちょっと街に出るかな。だいぶ門とかも傷んでいるだろうし」
「そうね。街の人の様子も気になるから行きましょう。本当はブラやコディ、姫にポロンも連れて行きたかったのだけれども仕方ないわね」
激戦の爪痕が残る街に5人で街に繰り出したのは、12時を過ぎたころだった。
2032年6月6日19時
「今回の件、メサリウス伯爵やマルス、並びに【暁】の面々には世話になった。我らの勝利に乾杯!」
ビートル伯爵の音頭でこの場にいる全員がグラスを合わせる。ちなみにここにいるのはビートル伯爵と【暁】、そして姫とポロンだけで、ダメーズはまだ悪夢? にうなされ、騎士団長のブレアは街の復興と治安維持に努めている。
「早速ですが、メサリウス伯爵。私は何をお返しすればよろしいでしょうか? 私が持っているものはすべてメサリウス伯爵もお持ちになられていると思われますが……」
「いや、私はリーガン公爵のクエストを受けただけなので、ビートル伯爵からいただくわけには……どうしてもというのであれば、リーガン公爵にでも……」
遠慮するアイク。でもアイクは知っているのだろうか? もしもリーガン公爵に委ねると、ビートル伯爵は尻の毛まで抜かれかねないことを。
「ははは……分かりました。それでは今回の件をザルカム国王に報告した後にでも、リーガン公爵にお目にかかると致します」
ん? もしかして俺のことも報告するつもりなのか?
「ビートル伯爵。ザルカム国王に報告するときに、僕のことは伏せてもらえませんか。ザルカム国王だけではなく、住民にも僕がディクソン辺境伯を討ったということは内密にしてほしいのですが」
気になってビートル伯爵に聞くと、当然のように答える。
「なぜだ? 私としてはメサリウス伯爵とマルスのことはしっかりと報告させてもらおうと思っているのだが?」
良かった。報告される前に気付いて。
「いくら悪魔族だったとはいえ、ディクソン辺境伯はザルカム王国の上級貴族。それをバルクス王国上級貴族の次男が討ってしまったと分かれば、いい気がしない人もいるかと思います。それで婚約者たちに危害が及ぶ可能性があるのであれば、秘密にしていただければと思った次第です」
これはあくまでも表向きの口実だ。
実際は俺とヨハンがディクソンを殺した。しかしこの事実は【暁】の中だけで共有する。ビートル伯爵には俺が殺したと伝え、ヨハンの存在は明かしていない。もちろん手柄が欲しいからではない。
理由は2つ。
1つはヨハンがディクソンを殺したとザルカム王国内に噂が広がれば、もしかしたらラースはヨハンを殺すかもしれない。ラースを殺すまではヨハンに死なれては困る。
もう1つは、俺の存在をラースに知られないこと。恐らくラースは俺という魔眼が効かないイレギュラーな存在をまだ知らない。ヨハンも俺のことを報告しないはずだしな。ここで俺がディクソンを討ったとの噂が広がれば、それこそクラリスたちに危害が及ぶ可能性がある。
「む……言われてみれば確かに……しかしそうなるとマルスへの褒賞が……それに悪魔族を葬ったということだけは報告しなければ……すると誰が殺したことにすればいいのか……」
俺の言葉に考え込むビートル伯爵。
「ビートル伯爵。ぼくはすでにビートル伯爵からかけがえのないものをいただいております。ですから今回の件はどうか内密に」
クラリスが今こうやって俺の隣にいるのはビートル伯爵のおかげでもある。領内の神聖魔法使いを手放す領主なんてこの世界では考えられない。
改めてビートル伯爵に頭を下げると、なんとかごまかし、俺のことは絶対に他言しないと約束してくれた。
「サーシャ先生。ダメーズさんはどうですか?」
ミーシャと楽しそうに話しているサーシャに声をかけるか迷ったが、ダメーズのことも気になる。2人の会話に割って入ると、少し困った顔をするサーシャ。
「……うん……それが……」
言いづらそうにするサーシャの代わりにミーシャが答える。
「あいつ私がいくら心配しても何の反応もないのに、さっきお母さんが寝ているダメーズの肩を揺らしながら声をかけると、すぐに起きてお母さんの手を握るんだよ!? お母さんが離れるとまた寝るを繰り返すの」
予想はしていたがやっぱりサーシャだと起きるのか。まぁこれで残る心配はあと少し。ブラッドとコディの2人に弄られ、楽しそうなポロンと、今クラリスと2人で席を外した姫の今後。
それが決まったのは、10日後のビラキシル侯爵がグランザムに着いてからだった。










