第407話 愛娘
「——魔王ってマルスが!?」
ビラキシル侯爵と少し話をした後、魔王の件をクラリスとエリーに報告すると、クラリスが驚く。
「丁重にお断りさせてもらったけどね。俺が魔王になるというのは恐らくそういうことだろうから」
エリーと結婚すればセレアンス公爵になる可能性があると聞かされていたから、魔王になるというのは恐らく姫とそういう関係になるのが条件だろう。
まぁ結婚したからといって魔王になれるわけはないと思うが、最低限の条件であると思う。
それに俺が断りを入れた時のビラキシル侯爵の表情は、どこかほっとしていたようにも見えた。
エリーも俺がどう答えたか不安だったのだろうが、俺の言葉を聞くと安心した様子で、俺に身を委ねてくる。
そのエリーの件については、さすがに今ここでは言わなかった。
あれだけ言うのを躊躇っていたからな。それなりの話だろうし、どういう話をされるのかはなんとなく見当がついた。
「もうそろそろ出ないとポロンの……どうする?」
時計を見るともう10時を過ぎていた。
見送るというのも変だが、ポロンの最後を見届けるかどうか2人に聞くと、エリーは俺が行くならと答え、クラリスはしばらく考えてから言葉を絞り出す。
「行くわ」
ブラッドとコディにも声をかけると、2人とも行くとのことで、5人で北門を目指す。
「なんじゃ! 妾を置いていくつもりか!?」
地下を出るところで姫に出くわすと、姫の近くにいたビラキシル侯爵やコンザも一緒に行くことになった。
地下から地上に上がり、外に出ると、周りには人だかりができていた。
もしかしたら追放されるポロンがここから出てくるのかと思い、待っているのかもしれない。
「ちっ! 趣味が悪ぃな!」
ブラッドが人だかりを睨みながら唾を吐く。いつもは絶対に叱るであろうクラリスも、今回ばかりは何も言わない。
本来であれば俺がブラッドを咎めないといけないのだが、そんな気にはなれなかった。
姫もブラッドに続き何かを言おとしたが、ビラキシル侯爵に制され、何も言わなかったが、どういう内容のことを言いたいのかは表情をみればすぐに分かった。
俺たちが北門に向かうと、人だかりも後をついて来る。
いくらこの世界に娯楽がないとはいえ、嫌な感じだ。
北門に歩いている間もポロンの悪評が聞こえてくる。
元々ポロンは魔物だったとか、ずっと騙されていたとか。
中にはヘルメスの街を魔物が襲うのはポロンがおびき寄せているからで、追放することでもう平和になるとか言っている者もいた。
不穏な空気の中、小一時間程歩き、北門付近へ着くと、隙間を探すのが難しいほどの人が詰め寄せてきていた。
その人込みをかき分け、ビラキシル侯爵が1軒の家に入った。
外で待っていると、ポロンを連れて出てくる。
「今までよくも騙してくれたな!」
「魔物に生きる資格はない!」
「さっさとウルドの餌になりな!」
あらん限りの罵声がポロンに飛ぶ。
ポロンはずっと下を向いていたが、ビラキシル侯爵に何かを言われると、俺たちの方を見て乾いた笑みを浮かべる。
その目は何かを決意し、また諦めたようにも見えた。
「これよりポロン・マラカスの追放を行う! 開門せよ!」
ビラキシル侯爵の声が響くと、住民たちがどっと湧く。
ただ何名かは「ポロン様!」と慕う声も上がったが、すぐに汚い言葉で上書きされてしまう。
北門が開くと門の周辺には魔石が転がっていた。
きっと開門に合わせて予め魔物を倒していたのであろう。
ポロンは1人で前に進むとすぐに北門が閉ざされる。
俺たちは急いで北門の街壁の上に登り、街壁の上からポロンを見下ろす。
ポロンはというと、ただただ北門の前で立っているだけだった。
「ポロン! 何をしておるのじゃ! 早く南門の方へ行くのじゃ! あっちは比較的安全じゃ!」
姫が叫ぶが、ポロンは微動だにしない。そして姫に対してビラキシル侯爵が、
「ヒメリ、ポロンに何か助言を送ることも禁止だ」
と強い口調で叱責すると、姫は悔しそうに唇を噛みしめる。
10分くらい経っただろうか、相変わらずポロンは動かない。
「ねぇ、もしかしたらポロンは……」
クラリスが目に涙を浮かべながら聞いてくる。
「……だろうな」
俺が答えると、クラリスの目から堪えていた涙が零れる。
ポロンはここで果てようとしているのだ。
付き合いの浅いクラリスがポロンの死を悲しみ、付き合いの深いヘルメスの住民たちがポロンの死を望む。
どう考えてもおかしい。
だが、もうそんなことを考えるのはやめにした。これ以上考えると……。
クラリスが泣いた。
これだけで十分なのだ。
俺が決意を固めた時だった。遠くにウルドの群れを見つけたのは。
ウルドの群れは一直線にこちらに向かって走ってきている。
すると俺の後ろから心無い言葉が飛んでくる。
「よっしゃー! ようやく喰われるところが見られるぜ!」
振り向くと、そこにはポロンにわき腹を撃ち抜かれた狸族の者がいた。
クラリスのラブラブヒールで一命をとりとめ、完治はしていないが、動ける状態にはなっていた。
「な、なんだよお前ら!? まさかあんな魔物のことを擁護しているんじゃないだろうな?」
どうやら振り向いたのは俺だけではなく、クラリス、ブラッド、コディ、そして姫も振り向いたようだ。
「貴様! 誰に物を申しておるのじゃ!?」
姫が掴みかかりそうになると、ビラキシル侯爵がそれを止める。
「ボンビ、今謝罪すれば、お前の発言をなかったことにしてやる。もしも謝罪がなければ、ヒメリに対しての不敬罪でポロンの隣に落とす」
ビラキシル侯爵が、わき腹を撃ち抜かれた男、ボンビに対して怒りを抑えながら言うと、
「す、すみませんでした」
ビラキシル侯爵の迫力に押されたボンビはすぐに謝罪する。
「——マルス……来た……」
唯一振り向かなかったエリーが呟く。
視線を戻すとポロンの100m先くらいにウルドの群れが迫ってきていた。
数は20。以前のポロンであれば、余裕で倒せる数だろう。
そのポロンはというと、すでに反応しており、土弾を連射する。
「土弾!」
「土弾!」
「土弾!」
ポロンの土弾が向かってくるウルドに対して次々と突き刺さるが、急所が外れたウルドが襲い掛かってくる。
「なっ!? ポロンの土弾であれば、どこに当たっても即死だったはずじゃが!?」
ポロンの土弾の威力が弱まっていることに姫が驚く。
無理もない。魔力が以前の半分以下になってしまっているのだ。
討ち漏らしたウルドに土弾を放つが、仕留めきれず、1体に接近を許してしまう。
「ポロン! 土砦じゃ! 土砦を使うのじゃ!」
姫が禁止されていた助言をするが、ポロンは全くそれに応えようとしない。
確かに土砦を使えば、ウルドの攻撃を喰らわないだろう。
しかしポロンは土砦を唱えなかった。
頑なに土弾で応戦しようとするが、ポロンの動きにキレがなく、ウルドの攻撃を必死になって避けるのが精いっぱいだった。
「な、なぜじゃ? なぜポロンは土砦を唱えぬのじゃ!?」
信じられないという表情で姫が呟くと、ブラッドがイラつきながら答える。
「1匹でも多く倒すために、防御にMPを回さねぇんだろうよ!?」
ブラッドの拳は強く握られ、手からは血が流れていた。
「なんと……ということは……ポロンは……」
ようやく姫もポロンの意図に気づいたようだ。
「そうかそうか! じゃあ俺もポロン様を援護しなきゃな! 遠くにまた別の群れが来ているし!」
ブラッドの言葉を聞いたボンビが邪悪な笑みを浮かべながら、右手を前に出し何かをしようとしている。
確かにボンビの言うとおり、また別の群れがこちらに向かって走ってきていた。
しかもその数は先ほどの数の比ではない。数百はいる。中央大陸であれば魔物達の行進と思うくらいの数だ。
「っ! 土弾」
まだボンビも傷が痛むのか、元々魔力が低いのか、はたまたその両方か分からないが、威力の弱い土弾を放つ。
するとボンビの放った土弾が事もあろうか、ポロンの背中に浅く刺さる。
「うわーっ! やっちまった! ポロン様を援護するつもりが、逆にポロン様の足を引っ張っちまった!」
ゲラゲラと笑いながらまた次の土弾の準備をしている。
ボンビの凶行を見た数人が、同調するように土弾を眼下に向かって放とうとしている。
明らかに狙いはポロンだ。
そのポロンはというと、後ろから撃たれる魔法を気にする様子はなく、ただひたすら目の前のウルドを倒す事だけに集中している。
ビラキシル侯爵はその様子を厳しい表情で見ているだけだった。
さすがにもうこれ以上は見ていられない。街壁の上から放たれる凶弾を無詠唱のウィンドで弾き、雷鳴剣を手にしようとした時だった。
ある人物が、優雅に扇を扇ぎ、笑みを浮かべながらこちらに歩いてくる。その笑顔とは対照的に目は怒りに満ち溢れていた。
俺の後ろで足を止めると、力任せにボンビをぶん殴る。
ぶん殴るだけでは飽き足らず、手に持っていた扇で扇ぐと、ボンビは地上10m以上ある街壁の上から、ヘルメスの街の住民がごった返す北門付近へ吹っ飛ぶ。
そして一言。
「父上! 世話になったのじゃ!」
そう言い残すと、ボンビを吹っ飛ばした反対の方向、つまりポロンが戦っている北門の外側に飛び下りる。
「「「姫!」」」
思わず俺たちが叫ぶと、姫は飛び下りた瞬間、変化を使い、小さい狐に化け、着地の衝撃を和らげる。
まさかの行動に俺たちは驚くが、ビラキシル侯爵だけは驚くことなく、ただただ俺を見ている。
「姫様! 俺も!」
姫が飛び下りたのを見たコディも、躊躇うことなく飛び下りる。
コディは着地の瞬間にウィンドを使って衝撃を和らげる。
どうやら成功したらしく、怪我らしい怪我はしなかったようだ。
「コディが行くんだった俺様も行ってやるよ!」
ブラッドも続くが、さすがにこいつはヤバい。
エアリーで運ぼうと思ったが、先に下りていたコディがブラッドにウィンドを放ち衝撃を和らげる。
「マルス! 私も!」
クラリスの言葉に頷くと、ずっと沈痛な表情をしていたクラリスの表情に花が咲く。
すぐにエアリーでクラリスを包むと、クラリスは短いスカートを押さえる。
そのまま北門の外へ運ぶ頃には、すでにポロンが戦っていたウルドは姫によって焼かれていた。
「……迷惑をかけるな」
ビラキシル侯爵がまたも俺に謝罪する。
「いえ、もしかしたら最初から姫が助けると?」
俺の問いに自嘲気味に答える。
「あのバカ娘の親を何年やっていると思う。怖かったのは助けに行くのがヒメリだけだった場合だ」
「僕は姫を助けに行くのではなく、【暁】のコディを助けに行きます。僕が参戦しても何も問題ないですよね?」
姫が動かなった場合は俺だけでも助けに行くつもりだったが、事態は好転した。汚いかもしれないが、これを使わない手はない。
「当然だ。追放する者はポロンに手を貸した者だけだ。コディも無罪だ」
ビラキシル侯爵がそう言うと、今度は俺にではなく、ここにいる全員に聞こえるよう大声で叫ぶ。
「ヒメリ・クラマ! 本日をもってヘルメスの街から追放することとする! もうこの街を跨ぐことは禁止だ!」
その声は下にいた姫やポロンにも届いていた。
街門の上にいた住民たちはビラキシル侯爵の決定に驚いていたが、姫はもう吹っ切れたようですがすがしい表情をしている。
だがビラキシル侯爵の言葉はまだ続いた。
「更にボンビ! ボーク! ボリーム! ボザック! 貴様らもポロンに手を貸した罪で追放処分とする! お前たち4人の追放は今から3時間後だ!」
この決定に周囲にいた住民たちはざわつき、名前を呼ばれた者たちは震える。
3時間後というのは、俺たちについて来られないようにする為かもしれない。
まぁ他の者はともかくボンビに関しては自分でもポロンを援護すると言っていたからな。
俺が無詠唱のウィンドでボンビたちの凶弾を弾いたことには目を瞑ってくれるらしい。
まぁ無詠唱だから誰が放ったかなんて、分からないだろうからな。
「マルス、ここを出たら西門へ行け。西門でビサン男爵とコンザがお前たちの荷物を持って待機している」
どこまでも用意周到なようで。
「——もしかしたら僕に魔王になれと聞いたのは!?」
俺の問いにビラキシル侯爵がにニヤッと笑いながら答える。
「あれは半分本気で半分はマルスを試させてもらった。魔王になるということは当然ヒメリを娶ることになる。手あたり次第手を出す男であれば、考えものだったが……どうだ? うちの娘は?」
「ええ……とても真っすぐでいい娘さんだと思います。ですが前にも言ったように……」
眼下でブラッドと楽しそうにじゃれている姫を見ながら答えると、下からコディが叫んでくる。
「マルス! さすがに俺たちだけじゃあの群れはキツイ!」
数百のウルドの群れがクラリスたちのすぐ先に迫っていた。
「分かった! 今行く! それではビラキシル侯爵。お世話になりました」
急いで階段を作り、エリーと2人で降りようとすると、後ろからビラキシル侯爵の大声が響く。
「ヒメリに伝えてくれ。ヘルメスの街からは追放したが、親子の縁を切ったつもりはない。グランザムで会おうと」
その声は俺を通り越し、直接姫に伝わる。
姫がそれに応えようと、手に持っていた扇を扇ぐと、穏やかで優しい風がヘルメスの北門を包んだ。










