第392話 要求
「び、ビラキシル侯爵!? 横になっていて下さい! お体に障ります!」
部屋に入ってきたコンザがベッドから体を起こしているビラキシル侯爵を見ると、慌てて近づいてくる。
「ああ……ヒメリが見舞いに来てくれたからなのか急に元気になってな……この通りもう大丈夫だから心配せずともよい」
そう言ってビラキシル侯爵は力こぶを作るが、当然そんな言い分でコンザが納得する訳がない。
「そんな訳ないじゃないですか!? 体中に毒が回ったら大変です!」
事情を知らないコンザがビラキシル侯爵に横になるように促す。コンザの話を聞いたビサン男爵はやはりビラキシル侯爵が毒に侵されていた事を聞かされていなかったらしく、驚いた表情でビラキシル侯爵を見るが、ビラキシル侯爵は心配するなというような表情をし、頷くだけだった。
そんなやり取りを見て姫がコンザを説得する。
「コンザよ。父上が言ったことは本当で奇跡が起こったのじゃ! 妾が鑑定したから間違いないのじゃ。何かあったら妾が責任を取る」
「ほ、本当ですか? 確かに顔色はとてもよくなったとは思いますが……」
困惑するコンザだったが、コディにも「大丈夫だ」と言われ、渋々納得してくれた。
「して、コンザよ? 随分慌てて部屋に入ってきたが何かあったのか?」
少し落ち着いたコンザに対し、早速ビラキシル侯爵が問うと、用件を思い出したコンザは深刻そうな表情で答える。
「先ほど見張りと称して秘密裏に毒の成分の手がかりを探しに行ったのですが、その時に怪狸族の族長ポコラスがこの区画に入ってきまして……どうやら昨日、今日をかけてずっと南東の区画で我々を探していたようなのですが、姿が見当たらなかったらしく、この南西の区画に乗り込んできたようです」
「ポコラスは何と?」
ビラキシル侯爵がコンザに続きを促すとコンザもビラキシル侯爵の目を真っすぐ見ながら話す。
「体に異変を感じる者がいたらもしかしたらそれは毒に侵されているかもしれない。解毒薬があるから街の中央広場に来いと。解毒薬の数は多くはないから渡すことはできないが、広場に来た者から優先に飲ませると言いまわっておりました。あくまでも狸族は人命救助をすると主張しているようです……もしも我々がのこのこ出向いたら間違いなく殺されるでしょうが……あとビラキシル侯爵にだけどうやって毒攻撃をしたのかと不思議だったのですが、どうやら屋敷を襲った時に毒霧のような物を撒いていたようです。先に我々を逃がすために殿で最後まで抵抗してくださったビラキシル侯爵だけが毒に侵されてしまったようですが……」
申し訳なさそうにコンザが言うと、ビラキシル侯爵はかぶりを振る。
「いや、もしかしたらお前たちもこれから症状が出るのかもしれん……もしそうなったら……」
と、クラリスの方をチラッと見る。恐らく誰かに毒の症状が発症したら治してくれるか? と聞きたいのだろう。
すでにラブラブヒールの効果により、毒素は全て取り除かれているとは思うが、もしもの事がある。クラリスもその意図を読み取り、俺に目で聞いてくる。俺が小さく頷くと、クラリスはホッとした表情でビラキシル侯爵に目でサインを送る。
これにはビラキシル侯爵だけではなく姫もホッとしたようだ。コディに関してはもうクラリスの性格を知っているからな。満足そうにクラリスの事をずっと見続けている。
そしてそのコディがいいタイミングで俺たちに足りない情報を聞いてくれる。俺もいつそのことを聞こうかタイミングを見計らっていたのだが、俺がそれを聞いていいものか迷っていたところにコディのこの質問だ。
「俺たちはまだビラキシル侯爵たちが襲われた時の事がまだ良く分からないのですが、どうやって襲われたのですか? そしてどうやって狸族の奴らに気付かれずにここまで逃げて来られたのですか?」
コディの質問にビラキシル侯爵が答える。
「ああ。屋敷がいきなり揺れてな。すぐに分かったよ。これはポロンの地震だと。だがいくら私を本気で殺そうとしても全力の地震を街中で放つことはできない。理由は分かるな? ヘルメスの街壁にまでダメージを与える事はできないからだ。その後はひたすら屋敷に向かって石弾や石槍が撃ちこまれた。なぜ狸族の奴らが近距離戦を仕掛けてこないか疑問に思っていたが、自分たちが撒いた毒霧のせいで近寄れなかったのか……そのおかげで屋敷の地下からここまで来られたのだがな」
ビラキシル侯爵は当時の事を思い出しながら話してくれる。そういえば南東の区画は建物がほぼ損壊していたな。地震で壊れたとしたら相当凄い魔法なのだろう。
「狸族はこの元迷宮の事は知らないのですか?」
ここが安全なのか確かめたくて思わず俺が口を挟むと、予想通りの答えが返ってくる。
「もちろんヘルメスの街の地下に元迷宮がある事を狸族も知っている。狸族だけではなくここの住民なら誰しもが知っている」
「じゃあここにも狸族が!?」
思わずクラリスも割って入ってくる。
「いや、ここは大丈夫だ。マルスはA級冒険者だから迷宮に潜った事はあるだろう? 迷宮の壁を壊す事ができると思うか?」
「いえ、何をやってもびくともしません」
「だろ? 迷宮に潜れば潜るほどこの壁の強靭さが分かる。しかしな、ここはダンジョンコアを失った元迷宮だ。実はここの壁は非常に頑丈だが壊す事ができる。これは私も比較的最近知ったのだが」
「「「っ!?」」」
これには俺とクラリス、ブラッドだけではなくコディも驚いていた。
「ここがヘルメスの街の地下にある元迷宮というのはもう分かっていると思うが、迷宮は3つあったのだ。そしてその全てのダンジョンコアは破壊されている。もちろんこれもこの街の者であれば誰でも知っている事だ。元迷宮は街の北側と南西、そして南東の3つだ。この3つの迷宮は非常に近くにあるが別々の迷宮なので繋がってはいない。3つの迷宮がたまたま近くにあり、その3つの迷宮の上にヘルメスの街が作られたのだ。ここまではいいか?」
俺とクラリス、ブラッドの3人は頷く。エリーはというと、ここに狸族が来るかもしれないと思っているのか神経をビラキシル侯爵の話よりも部屋の外に集中させているようだ。
「普段は地下にある元迷宮は食料や日用品を備蓄するのに使っているのだが、ある時コンザと2人で備蓄品を取りに屋敷から繋がる南東の元迷宮に潜るとある異変が起こっていてな」
異変? 皆がそう思って首を傾げているのを見て満足したビラキシル侯爵が続ける。
「地面から熱湯が湧き出ていたのだ」
「温泉!?」
思わずクラリスが大きな声を出す。そういえばヘルメスには温泉があると言っていたな。
「そうだ。発見したのが早期だったから大事には至らず、私とコンザだけで塞ぐことは出来たのだ。元迷宮の地面も長年間欠泉に晒されればこうなるんだなと、私はそう思っただけだったのだがコンザは違ってな」
そう言ってビラキシル侯爵がコンザの方を見る。どうやら発言を促しているようだ。
「……す、すみません……ちょっと好奇心が勝ってしまいまして元迷宮を掘ればどこか違う場所に行けるのではと……そう思うといても経ってもいられなくなり、ついついずっと屋敷の地下に籠って掘削作業をしてしまい……」
「ビラキシル侯爵に無断で!?」
まさかと思い聞いてみるとコンザは頭を掻きながら答える。
「そのまさかでして……まずこの地面や壁はどこでも壊せるという物ではない……少なくとも私にはそれが出来なく、何日もかけて比較的壊せそうな壁を見つけ出しました。もちろん熱湯が湧き出た所の付近ではないです。そして皆にバレるとまずいと思い、細心の注意を払ってなるべく壁を傷つけないように切り取り、ようやく掘削できると思って少し作業を進めたらすぐに目の前に元迷宮の壁が現れまして……」
「で、ここに繋がったという事ですか……」
途中で言葉を発しなくなったコンザに聞くと気まずそうに頷く。
「それを聞いたのがほんの数か月前でな。だから私たち以外は屋敷の下にあった南東に位置する元迷宮とここの南西の元迷宮が繋がっているのは誰も知らないのだ。まさかこんな形で役に立つとは思わなかったがな」
怪我の功名といった所か。バレないように綺麗に切り取った分、元に戻すのもそこまで苦労しなかったのだな。
「経緯は分かったのじゃ! 問題はこれからの事じゃ! 父上はどうするおつもりなのか?」
姫が話をポコラスの要求についてに戻すと、当然のようにビラキシル侯爵が答える。
「もちろん明日10時に指定された場所に向かう」
「それはダメじゃ! きっと罠なのじゃ!」
「だとしても行く。どうしてこのような事をしたのかをポロンの口から聞かずにはいられぬ!」
即座に姫が否定するがビラキシル侯爵の意志は揺るがない。
「ここにはビサン男爵やコディのように魔人と呼ばれる者たちも沢山いると聞きました。この者たちはビラキシル侯爵についてくれるのでは?」
俺の疑問にはコンザが答えてくれる。
「ああ、ヘルメスの街の大半はビサン男爵たちの種族で戦闘員も一番多い。だがその戦闘員は皆北東の区画にいるのだ。その者たちがこの騒ぎでも全く北東の区画から出てこないからもしかしたら情報封鎖とかしているのかもしれない。街の中心は毒霧で溢れているから地下に隠れていろとか……」
まぁ理由はどうにしろ援護は期待できないという事か
「そう悲観するな。狸族全員が敵という訳ではない。少し前の話にはなるが、私にタレコミをした者曰く、狸族の若い衆たちは謀反に反対らしい。私と戦う事に抵抗があるというよりも、ヒメリの敵にはなりたくないとの事だ」
そういえば姫はこの街ではアイドルと言われていたな。ビラキシル侯爵の話を聞いていた姫がしがみついていたビラキシル侯爵から離れ、どうだ? と言わんばかりに両手を腰に当て、胸を張りながら俺を見てくる。
その姫を横目にコディが決意表明をする。
「俺もビラキシル侯爵と行くぞ!」
「コディが行くのであれば当然俺も行く!」
ブラッドもコディに続くと、2人はグータッチをし、同時に俺を見てくる。それはブラッドとコディだけではなく、クラリス、エリー、そして姫もだった。
「僕も一緒に連れて行ってください」
当然行かないという選択肢はない。何しろビラキシル侯爵が討たれると狸族はグランザムを襲うだろうからな。ここはなんとしても狐族に勝ってもらわないといけないからな。
「恩に着るのじゃ! マルスがいれば千人力なのじゃ!」
姫が飛び跳ねて喜ぶと、クラリスとエリーも俺に続く。
「マルスが行くところには私も行くからね! 危ないから同行させないなんて事は言わないでね!」
「……私も行く……」
本当は連れて行きたくはないのだが、今回もラブラブヒールは必須な気がするし、エリーの索敵能力も必ず役に立つ。俺が渋々頷くと2人も満足そうに頷くが、俺たちのやり取りを見ていたビラキシル侯爵が
「いや、マルスの参戦は嬉しいが、2人は……エリーは金獅子という事で戦闘能力は高いのは分かるが……」
と、クラリスとエリーの参戦を遠回しに遠慮する。
「父上! この2人も規格外なのじゃ! 驚くことに妾よりも強いから手伝ってもらうといいのじゃ!」
「っ!? まさか!? エリーはともかくクラリスは神せ……」
姫の言葉に思わずビラキシル侯爵がクラリスの事を神聖魔法使いと口走りそうになるが、慌てて口をつぐむ。やはりビラキシル侯爵にクラリスが神聖魔法使いという事はバレているようだ。
「姫の言うとおりクラリスとエリーはかなり強いです。僕も近くに居ますので2人の同行の許可を頂ければ……」
「……そうか……分かった。ではよろしく頼む」
ベッドの上でビラキシル侯爵が頭を下げると、クラリスとエリーの「「はい」」という言葉と共に大きな腹鳴が聞こえてきた。
「わ、私じゃないわよ!?」
クラリスが言うとエリーも自分じゃないと首を振る。
「わ、わりぃ……朝から何も食べてないから腹が鳴っちまって……」
ブラッドが少し照れながら言うと、
「そうか、それは悪い事をしたな。それではまずヒメリに湯所に案内してもらってくれ。その間に何かを用意させよう。ただあまり期待はしないでくれ。ここには備蓄用の食料しかない。この騒ぎが終わったらしっかりと接待させてもらう」
ビラキシル侯爵が申し訳なさそうに話す。こんな状況だから仕方ないよな。ビラキシル侯爵の言うとおり姫に湯所まで案内してもらい、体を休める事にした。










