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恋愛運上昇中

 ちょん


 ああ、ほらまた。

 さっきから、何度も、俺の右手の指先に、少女の指先がぶつかる。


 何か用かな?と思って、そのたびに少女の方を見るけど、俺は眼中にないみたいに、近くの店に視線を泳がしていた。


 気のせいかな。

 そう思うことにするたびに、また、


 ちょん


 指先がぶつかる。


 そういえば、いつもより、少しだけ距離が近い。

 だからぶつかるのか。


 いつもは、俺の右側の一歩手前を歩いてるのに。

 肩上で短く切られた黒い髪が、彼女の元気さを表現するように、ひょこひょこ揺れて、用があるときは、俺の名前を呼びながら振り返る。


 隣を歩いてる今は、視線の中に入らない。


 そう思って、気付かれない程度に歩調を緩めて、いつもの一歩分、間を空ける。


 彼女の手が、つい数秒前まで俺の手があった場所を、空振りする。


 ちょっと驚いた様子で、少女が俺を振り返る。

 いつもみたいに笑顔じゃなく、ジト目になってこっちを見るもんだから、また何かお気に触ることでもやっちゃいましたかね。


「どったの、かなちゃん」 

「…なんでもない」


 ジト目から、眉尻が下がって、目に影が落ちる。

 あ、これはほんとにちょっと失敗したなって思った。


 もっかい声をかけようと思ったところで、かなちゃんはプイと背中を向けて、小走りになった。

 一歩だった距離が、数メートルまで開く。


 そりゃ、後ろ姿を見たいな、とは思ったけど、全身くまなく見えるくらいに距離を置きたいとは思ってないんだけどね。


 俺の歩みも、こころなしか早くなる。

 かなちゃんは、というと、あれからまた数歩進んだところで足を止めた。

 客引きにひっかかったみたい。


 店員の方は、棚の影になって見えないけど、かなちゃんは、自分の手を見つめたあと、店の方に向かって手を差し出す。


 するっ、と、店から伸びた手が、かなちゃんの手を掴んで、店の奥に引っ張っていった。

 なんとなく、胸の奥がザラついたのは、かなちゃんの手を掴んだその手が、骨ばった男のものだったからか。

 いや、男だったら、なんなんだって話だけど。


 ちょっとだけ早まっていた歩みが、大股に地面を蹴っていた。

 かなちゃんの消えた店の中に、俺も入っていくと、奥で声がする。


「かなちゃん、急に店に入るからびっくりしたでしょ。何か欲しいものでもあったの?」


 それも、男の手に引っ張られてホイホイ付いていくなんて。

 もう少し、警戒心ってものがないものかね。

 俺を置いてどこ行くの。

 出かかった本音はすべて飲み込んで、いつもどおりの軽いオニーサンを装う。


 かなちゃんの手は、相変わらず、かなちゃんを店に連れ込んだであろう、男性店員の手に握られている。

 もちろん、オニーサンは、彼女の手を無理やり引き剥がしたり、店員の顔面を急に殴りつけたり、なんて野蛮な真似はしないよ。


「あ、ビートさん。すみません、置いていって」


 かなちゃんがこっちを向いて謝った。

 さっきのジト目も、しょんぼりした雰囲気もなくなって、機嫌が直っているらしい。

 そのきっかけがこの男かなと思うと、また胸の奥がザワザワする。

 なんだろね、コレ。


「今王都で流行ってるお呪いがあるみたいで、こっちではまだ広まってないから、タダで試してみないかって言われて」

「お呪い?」

「爪にね、絵を描くんですよ」


 答えたのはかなちゃんじゃなく、彼女の手を握ってる男。


「魔力を込めた染料がありましてね。それを使って、爪に絵を入れるんです。願い事が叶うって王都にある本店の方で評判になったんですよ」

「へぇ、どんな願いでも叶うの?」

「いやあ、流石にそこまでは。その日の運気を少し上げるだけって感じですけどね。見た目も華やかなんで、女性に人気が出たらしいんですよ」


 俺に答えながら、店員の男は、かなちゃんの爪に、鮮やかな赤を乗せていく。


「ふーん、てことは、いくつか種類がある感じ?」

「そうですね。あ、そちらに一覧がありますよ。良ければご一緒にいかがですか?」

「いや、俺は別に呪いには興味がないから」


 男の示した表には、染料の色、絵柄、(まじな)いの効果なんかが記されていた。

 赤は、…恋愛。


「かなちゃん、恋愛運選んだんだ?」

「……いけませんか?」

「いけなくはないけど、他にも色々面白そうなのがあるのに」


 (まじな)いの種類は豊富で、金運、仕事運、探しものが見つかるかも!とか、料理下手なあなたへ!とか、よくわからないものまで、結構幅広い。

 組み合わせて、独自の(まじな)いを作ることもできそうだ。


「恋愛は、今の恋の成就を願うものから、新しい出会いを求めるものまで、幅広く使われますよ。出会いといえば、実は僕、以前にも御子様にお会いしたことがあるんですが、覚えてますか?」


 (まじな)いの説明から、ナンパの常套句のような流れで話を続ける男に、思わず眉間に力が入る。

 男の手にはまだしっかり、かなちゃんの手が握られたまま。

 赤く塗られた爪に、今度は花柄を絵付けしていく。

 ピンクの花弁の、小さな花がいくつも、かなちゃんの爪に咲いていく。

 どこかで見たことがあるような気がするけど、今はそれよりも、店の男がかなちゃんに向けてる視線の方が気になった。

 かなちゃんの方は男のことを覚えてないみたいで、うーんうーんと頭を捻ってる。

 男はそれでも余裕のある微笑みを浮かべた。


「御子様にとっては、僕なんてこの花のように取るに足りない男ですから、仕方ないですよ」

「いえ、すみません、覚えてなくて」


 男は少し残念そうに、それでも笑顔を崩さない。

 そんな御大層な御子様の手に、取るに足らない花を描くかね、と意地の悪い考えが浮かんだ。

 黙っておくけど。


 かなちゃんが、花柄を入れ終わった左手の爪を見ながら、満更でもなさそうに頬を緩めたのを見逃さなかった。

 俺も、店員の男も。

 男はかなちゃんの反応に満足そうにさっきよりもいい笑顔を浮べて、今度は彼女の右手を取った。

 花の絵付けの続きなのだろうが、男はかなちゃんの手をしっかりと握り込むと、かなちゃんを見つめた。

 俺も居るんですけどね。


「御子様の手に、そんな取るに足りない花の絵を入れたこと、お許しくださいね」

「いえ、わたし、この花好きですよ」


 初耳。

 俺もどっかで見た気がするけど、そんな印象に残るほど華やかな花でもない。


「ご存知でしたか」

「実物は見たことないんですけど」

「この花は、荒れ地や崖の隙間なんかにひっそりと咲く花なんですよ。小さくて可愛らしいピンクの花弁なので、実物はあまり出回りませんが、女性用のアクセサリーや小物なんかのモチーフにされることが多いんです。でも、買うのは女性じゃないことのほうが多いんですけどね。どうしてか分かりますか?」

「いえ。…女性の物なのに、女性が買わないんですか?」

「この花をモチーフにしたものは、男性が女性へのプレゼントによく買われるんですよ」

「はぁ。そういう風習ですか?」

「いえ、この花の花言葉が、この花がひっそりと佇む様子から「忍ぶ恋」って言われてて。男性が女性に秘めた思いを告げるときに渡す贈り物なんです」

「忍ぶ…こい」


 花言葉を呟きながら、かなちゃんの顔が一気に赤く染まった。


「あ、あの、御子様!オレ 」


 その顔を見た男店員は、いつの間にか一人称が“僕”から“オレ”に変わってた。

 うっかり化けの皮が剥がれてますよ、おにいさん。

 まあ、どうでもいいけど。

 いきなり近寄ってきた男店員に、顔を赤くしたまま目を白黒させているかなちゃんの右手を、男から半ば無理やりもぎ取った。


「え、ちょっ…と…」


 抗議の声を上げてきた男を見返すと、男は一気にシオシオと勢いがしぼんで、ストンと元の椅子の上に腰を落とした。

 なんでだろーね。


「ほい、これ代金ね」

「いや、今回は無料で」

「いーからいーから。あ、お釣りも取っといて」


 俺は作業台の上に、表に書かれていた代金に色を付けた額を置く。

 俺が金を置いて、かなちゃんの手を引っ張って店の出入口に歩き出すと、後ろから、それは御子様への贈り物なのに、とか聞こえた気がした。

 空耳だよね。













「   ん」





「   さん」







「ビートさん!」

「あ、ごめん、かなちゃん。なに?」

「なに?じゃないですよ。酒場の買い出しに行くんじゃなかったんですか?お店通り過ぎちゃいましたよ」


 ああ、そうだった。

 酒場の買い出しついでに、街を少し見て回ろうかって、誘ったんだっけ。

 立ち止まって、ちょっと冷静になったところで、自分の右手がいまだにかなちゃんの右手を掴んだままだったことに気付いた。

 わざとらしくないように、そっと手を離して、そのまま頭をかく。


「ごめんねー、考え事してて」

「……いいですけど」


 いいって言いつつ、全然よくないって顔をして見てくるのはなんでかなー。


「怒ってる?」

「怒ってないです」

「……左手、まだ描いてもらってなかったね」


 男店員が暴走しそうだったから、途中だったけど引っ張って出てきてしまった。

 かなちゃんが、花柄の描かれてない赤い爪を見つめてそっと撫でた。


「…邪魔しちゃったかな」

「そりゃ、右手だけ花柄が入ってて、なんだか不格好ですけど」

「そっちじゃなくて、あの店員の方」

「はぁ」


 そっけない、というか、意味を理解してない顔で首を傾げられた。

 手を握られてあなたに恋をしています、と遠回しに見せかけて結構直球でぶつけられて、顔を真っ赤にしてたのに。


「告白されて、満更でもない顔してたでしょ」

「告白って、誰がです?」

「さっきの男店員が」

「誰に?」

「かなちゃんにでしょ?あの流れで俺にだったらちょっとした恐怖だよ」

「え?は?ええっ!?」


 かなちゃんが、本気で今気付きました!みたいな声を上げる。

 オニーサンのほうがビックリだよ。

 

「え、それであんなに顔真っ赤にしてたのかと。かなちゃんもあの店員さんのことが気になっちゃったのに、邪魔しちゃったかなーって。違うの?」

「いやいやいやいや、なんでそうなるんですか!」

「だってかなちゃん、顔のきれいな人好きでしょ?イケメンって言うんだっけ?」

「それは、否定はしませんけど。でも、周りにそれこそ美術品かなにかのように整った人たちが多くて見慣れてしまって」

「ああ…」


 五十手前なのにどう見ても三十そこそこにしか見えない金髪碧眼美壮年の、この国の時期王様。

 プラチナブロンドに空色の瞳をした、無邪気さの中に色気が垣間見える悩殺笑顔の美少年。

 赤毛に吊り目がちな気の強そうな目をした、グラマラスボディを惜しげもなくさらす魅惑の美女。

 そんなのに囲まれてちゃ、そこそこ整った顔くらいではイケメンには入れてもらえないようだ。


「でもじゃあ何であんな顔真っ赤にしてたの?あのお店のお兄さん、絶対勘違いしちゃったよ?」

「勘違いって」

「御子様がオレに気があるんだーって」

「ま、まさかぁ」


 でもそうだったらちょっと困るな。

 と呟いて、うーんって口元に左手を当てて唸ってる。

 口元に添えられた、赤い爪に散りばめられた、ピンクの花弁の小さな花。

 やっぱりどこかで見たことがある。

 ひょいっと、かなちゃんの左手を取って、もう少し近くで見つめる。

 ひゃう!とか、変な声が聞こえたけど、意識は目の前の小さな花柄に集中した。

 えーと、そうだ、この柄。


「こないだ買った、ティーカップの柄とおんなじだ」


 そうか、それであれを買ったときに、雑貨屋の店員がしみじみと感慨深く頷いてたのか。

 それはもう、しつこいくらいに、ビートさんにも春がきたんですねぇ。なんて言ってて、何いってんだよって思ってたけど。

 さっきの店の男も言ってたけど、なるほど、男から女にあげる贈り物だったのか。

 あの男店員、他にもなんか言ってたな。

 なんだっけ。

 この花の、花言葉?


「……しのぶこい」


 俺のつぶやきに、ビクッと握ってた左手が揺れて我に返る。

 掴んだ手の向こうには、さっきの店で見たよりも更に顔を真っ赤にしたかなちゃんがいた。

 俺と目が合うと、慌てたように左手を引ったくって、背中を向けると、歩いてきた方向とは反対方向に歩き出す。


「か、かかかか、買い物!行きますよ!」


 足早に離れていく後ろ姿は、首の後ろまで真っ赤になってた。

 俺は、今度はすぐにその背中を追いかけて、左手を俺の右手に捕まえておく。

 またどこぞの店員に持っていかれないように。

 掴むと、ビクッてまた大きく強張ったけど、振りほどかれる様子はなくて安心した。

 普通に手を握ってそのまま歩く。

 繋ぐってよりも、俺がかなちゃんの手を持ってるみたい。


「かーなちゃん」

「な、なんですか」

「今日これからどっかでご飯でも食べて帰ろ?」

「酒場開けないといけないでしょ?そんな時間ないですよ」

「んー、じゃあ、今日は休店ってことで」

「…そんな気まぐれにお店閉めちゃうから、最近じゃ観光客の間では幻の酒場とかって言われちゃうんですよ」

「はは、そんな通り名が付いてるの?」

「楽しみにしてる人だっているんですよ」

「うーん」


 でも、オニーサンは、今日はかなちゃんとゆっくり一緒に居たい気分なんだよねー。


「………え?」

「………え?」


 え?俺、口に出してた?


「あー、あの、あの」


 かなちゃんが立ち止まってこちらを見上げて、口をパクパクしてる。

 いつもなら、ここでまた茶化して終わるんだけどね。

 いつもなら。

 握ってたかなちゃんの左手の指に、スルリと俺の指を絡めた。


「ひうっ」


 変な声出してるかなちゃんをよそに、絡めた指の腹で、花柄が描かれた爪の先を丁寧になぞってみる。

 描いたのはあのお店のお兄さんだけど、お金は俺が払ったし、いいよね。

 俺からのプレゼントってことで。

 そのままかなちゃんの左手をすくい上げ、ちゅっと、爪先に唇を落とす。

 その時にはもう、かなちゃんは首どころか、指の先まで真っ赤にしてた。

 それを見て俺は、どこからが爪かわかんないなあ、なんて他人事のように考えてた。

 完全に硬直したかなちゃんの左手に指を絡め直して、引っ張って歩き出す。


「一回酒場に帰って、閉店しまーすって張り紙しようねー」





「………………………………………………はい」


 長い沈黙のあとに、小さく返事が聞こえた。


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