通訳さんは限界です
この光景はなんだろうか。
酒場の中で、一匹の巨大な狼と、セーラー服という珍妙な服を着た少女が、お互いににらみ合い、今にも襲いかかりそうな形相で身構えている。
主に、少女のほうが。
一体、何がどうしてこうなるんだ。
食材の仕入れのために、少しだけ酒場を留守にした。
いつもなら少女を出迎えるために、酒場にいる時間帯だったけど、雨が振りそうな空模様に、天気が崩れる前に少しの間だけ、と店を空けた。
彼女がいつ来てもいいように、出入り口のドアは開けておく。
盗まれて困るようなものは特にないけど、少女が酒場で一人、とう言う状況が、災いの火種にならないとも限らない。
念の為、契約を結んでいる聖獣を留守番においていく。
「かなちゃんが来ると思うから、少しの間留守番を頼めるか?」
『御意』
どこからともなく声がして、俺の影が蝋燭の炎のように揺らめくと、影から銀色の狼が姿を現す。
ふつうの狼の3倍はある体躯に、透けるような銀の毛並み、雄獅子のような鬣をしたそいつは、もちろん、ふつうの狼なんかじゃない。
マーナガルムという聖獣だった。
このモルガディス王国でよく目にする、犬や馬なんかの動物、王国騎士団や高ランクの冒険者が調教し従えている幻獣、そして自然発生する魔力が具現化したと言われている魔物。
それらとは一線を画す、超レアな聖獣。
レアすぎて、神の使い、なんて言われることもある。
俺のマーナガルムも聖獣だが、色々とめんどくさいので、ウルフ系の幻獣だということにしてある。
「すぐ帰るから待っておいてって、かなちゃんに伝えといてね」
聖獣は人語を理解する。
けど、人は基本的に聖獣の言葉を理解できない。
契約者を除いては。
だから、最後のは、まあ、無理なお願いだったんだけど。
『………御意』
不満を孕んだ声が「善処しましょう」とでもいいたげに、背中に届いた。
マーナガルムと対峙しているのは、異世界から”勇者召喚”に巻き込まれてやってきた”かなめ”という、16歳の少女だった。
もしもこの世界で、”勇者召喚”と聞けば、人はだれしも眉をひそめるだろう。
その理由は、”勇者召喚”が、この世界で禁忌とされていることが一つ。
そして、もう一つは、この世界での”勇者”とは、召喚に際し結ばれた、召喚者との強制契約によって、逆らうすべを持たず命さえも惜しまない”デク”に成り下がる被召喚者に対して、”勇敢なるモノ”と皮肉った蔑称であったからだ。
その勇者召喚で召喚されたのに、何故か勇者としての契約を結ばれなかったこの少女。
彼女の持つ特異で超越したスキルを見た俺の主が、彼女を”神の御子”として、モルガディス王国に招いたわけだが。
当の本人は、そのスキル以外、神聖さの欠片も感じさせはしない。
「かなちゃん、いらっしゃい。何してんの?」
マーナガルムと睨み合ったままのかなちゃんに、とりあえず聞いてみる。
「あ、ビートさん!ただいま!」
俺に背中を向けたまま、かなちゃんはいつもの挨拶をする。
酒場に”ただいま”なんて言って入ってくるのはやめなさい。って言ってるんだけど、治らないね。
「それで、何してんの?」
「わかりません?」
「うん」
「マーナガルムに、念を送ってるんです!」
「ごめん、聞いても分からなかった」
「何か伝えたいことがあるみたいで」
「あー、それは、俺が少し出かけてくるから、かなちゃんに、ちょっと待っててね、って伝えといてって言ったからかも」
チラ、と、マーナガルムの方を見ると、
「是」
と声がした。
「ちょっとした冗談のつもりだったんだけど」
「そうなんですか?」
「まあ、聖獣は人の言葉がわかるけど、人は聖獣の言葉は基本理解できないからね」
「そっか。じゃあ、ワウ、とか、グルルルルとかって聞こえてたのは、それを伝えようとしてくれてたのかな」
『是』
「そうだ、ってさ」
人の耳には、小さく唸ったように聞こえるそれを、訳して伝える。
「そっかー。あれ、じゃあ、わたしの言葉は、マーナガルムには分かってたってことですか?」
「そのはずだよ」
「そうなんだ。マーナガルムもわたしの言葉がわからないと思ったから、こう、念話みたいなのが出来ないかと思って」
頭で思ったことを手の先から、ビビビビビって出ないかなーって。
とか、たまにこの子の思考がよくわからない。
「マーナガルムになんて伝えようとしてたの?」
「うーん、最初はこの子がなにか言いたそうだったから、どうしたの?とか」
「うん」
「ビートさんはどこに行ったの?とか」
話してみたかったのになあ。って、すごく残念そうにため息付いてるから、それならって申し出た。
「マーナガルムと話したいなら、直接ではないけど、俺が訳してあげようか」
「ほんと!?」
曇っていた顔が、ぱっと明るくなる。
「いいの?マーナガルムも?」
『是』
「いいってさ」
マーナガルムの了承も取れたので、かなちゃんがマーナガルムに質問して、マーナガルムの答えを俺が通訳する、っていう、ちょっと不思議な会話が始まった。
「えーっと、マーナガルムは、普段は姿を見ないけど、どこにいるの?」
『主の影に潜んでいるか、街や付近の探索をしております』
「俺の影にいるか、街とか、まあ、近くの森とかの探索をしてるって」
「マーナガルムが街をウロウロしていたら、騒ぎにならないの?」
『異空間を渡れますし、見た目も変えることができます故、問題有りません』
「空間移動と变化ができるから、問題ないって」
「そういえば、街に入ったとき見ましたね。…なんか嫌なことも一緒に思い出しそう」
「あー、次行こうか次」
「ビートさんって、普段何してるの?」
「それは俺に聞いてるの?」
「マーナガルムに聞いてます」
「あ、そう。何で俺のこと」
『主は今朝から、御子様に出すお茶菓子について悩んでおりました』
「…」
「なんて言ったの?」
「かなちゃんが食いしん坊だから、お茶菓子を用意するのが大変そうだったって」
「えー、わたし、そんなに食いしん坊ですか?」
『あとは御子様が来る、一時間くらい前から、落ち着きがなくなって、妙に機嫌がよくなります』
「…そんなことないと思うけど」
「え、何?なんて言ってるの?」
『御子様が来るのが遅くなった日は、ちょっと寂しそうに酒場の入口を見ています』
「おい」
『あとは、御子様が、”ただいま”と言って来られることを、本当は喜んでおられます』
「…お前ってそんなに饒舌だったっけ?いつもは、御意とか、是、とか、否、とかしか言わないじゃん」
「ねえ、ビートさん、マーナガルムさっきからずっと喋ってますけど、なんて言ってるんですか?」
「えーと、かなちゃんはいい加減、御子様らしい慎みを持ったほうがいいと思います。その胸のようにって」
マーナガルムの言葉を伝えられるわけもなく、いつも通り軽く茶化すと、嘘つかないでくださいって、力いっぱいほっぺたを引っ張られた。
いたひ。
「いたひよー」
「ひゃう、ひーとはんはでやはないでくらはい」
あまりに力いっぱい引っ張られるので、お返しとばかりに、俺もかなちゃんのほっぺをぶにーと引っ張った。
軽くだけどね。
これがよく伸びる伸びる。
『御子様に気安く触れるのは、御子様の反応を楽しんでおられるからです。御子様は気付いておられないが、拒絶されたときはそれはもう、見ていられないほど』
ゴン!
なんか、でかい音がしたと思ったら、俺が自分でテーブルに突っ伏して頭突した音だった。
かなちゃんのほっぺから手を離して、顔を伏せたまま頭を抱える。
かなちゃんもいきなりテーブルに突っ込んだ俺にびっくりして手を離して、小さく声をあげた。
あーーー、あーーーーー!
すごい、今、すごい、顔を抱えて足ジタバタさせて身悶えたい衝動に駆られる。
人は恥ずかしすぎると、こうなるらしい。
かなちゃんが、たまにやってるのはこういうことか。
「ビートさん!?どうしたの?」
いつもとは逆の、俺がテーブルに突っ伏して、かなちゃんが不思議そうに尋ねる構図に、居た堪れなさが募る。
『主は今、客観視された自分を見て、恥ずかしさに身悶えておられます。また、極度のストレスに、軽い頭痛も感じられております』
マーナガルムがワフワフとかなちゃんに伝えている。
顔を上げてないので、はっきりは分からないが、かなちゃんもマーナガルムに近寄って、うんうんと頷いているような気配がする。
いや、分かってないでしょ。
『つきましては、御子様が頭を撫でて差し上げれば、復活されるかと思われます」
おっ…まえなぁ。
もうどうにでもしてくれ、といった気分で、頭を伏せたままテーブルの上に手を投げ出した。
まあ、マーナガルムの言葉はかなちゃんには分かんないんだけどね。
ぽふ
頭の上に何か触れた。
ぽふぽふ
確かめるように、頭を軽く何度か叩いたそれは、今度は髪の毛先を弄ぶように、俺の頭を撫で回した。
「…なにしてんの?」
「ビートさんの頭なでてます」
「なんで?」
「だって、マーナガルムがそうしろって」
「………はっ!?今なんて、言葉分かってたの!?」
思わず顔を跳ね上げると、思いの外至近距離にかなちゃんの顔があった。
「えっと、言葉は…分からないですけど……」
かなちゃんの顔が、徐々に赤くなる。
頭の上にかなちゃんの手が乗ったまま、もうちょっと近づいたら、鼻先が触れそうな距離。
耳まで赤くして茹でダコみたいになった、かなちゃんの顔。
「…こう、手を口で咥えられて…、ビートさんの頭に乗せるから…」
「あーうん、そー」
取り乱したのと、今の状態がもうね、なんていうかね。
ああ、居た堪れない。
顔を隠すように、またズルズルとテーブルに伏した。
手が離れるかな?と思ったけど、しばらくするとまた遠慮がちに頭を撫でられた。
いつもは撫でる方だったけど、逆も悪くない。
そんな考えが浮かんで、また静かに身悶える。
ちらっと、かなちゃんにバレないように、自分の獣僕を覗き見た。
そいつは、至極満足そうな顔をして、ワフっと鳴いた。