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01 普通ってどんな〝こと〟? どんな意味?

常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことである

byアインシュタイン


皮肉や辛辣な表現にご注意を


「なあ、おま――」

「うん?」


「あ”?」


「ああ、すまない。呼びかけ単体じゃなく感動詞の「なあ」か。続きを頼む」



 ここは、とある質素な喫茶店。そのテラスでは、風変わりな二人組が雑談を行っていた。

 一人は、ビジネススーツを着ている細身で眼鏡をかけた男性。もう一人は、白い神父服のような服装の、男女どちらとも取れない


 ――――恐ろしく顔の整った存在であった。


 問いかけを行うつもりが、呼びかけの段階で返事を返されてしまった麗人は、やれやれと言いたげに目を閉じながら口を緩め……間を取ってから再度問いかけを行う。


「うん、で――――君にとって、『普通』ってなんだい?」


 そう言いながら、神父服の存在は指を組み、興味気に体を前に出す。そして、「君にとっての普通」という難題を出された男は、ポーカーフェイスかのように表情を崩さず……もとい、張り付けたような無表情のまま思考する。


「ん~~普通か……」


 男のそんな神妙な反応に、神父服の存在は目を閉じながら手にしているティーカップを楽し気に揺らし、解を促すかのように肯定する。


「――そうだ」


「…………ふむ」


 スーツの男はテーブルに片肘をつき、手に顎を乗せ、目を閉じ律義に時間をかけ考える。

 その間にも、紅茶の底に残った氷砂糖は溶ける気配がなく。神父服の存在が手にしているティーカップの、カラン、カラン、という音だけがこの場を支配する。



 …………。 


 …………。


 男はしばらく黙った末、


「世間一般の普通なら分かりやすいんだがなぁ」


 と、苦笑いをした。お手上げだと言いたげに。

 どうやら、自分にとっての普通とは何か考えたものの、答えはすぐに出なかったようである。

 その代わり、人に挨拶をする、物を買う際はお金を払う。そういった世間一般の普通は思いついたのだろう。

 しかし――


「? ああ、ふふっ。なるほど。……別に、そっちでも構わないよ。君の眼に映る世間の普通を聞くのも悪くなさそうだ」


 神父服の存在は、別の思考が視えていたようだ。

 どんな答えが返ってくるか? そんなことを考えながら、神父服の存在はケーキをフォークで小さくカットし、返答を楽し気に待っていた。

 さて、男の解はというと――


「んー『手前にとっての当たり前の押し付け』『多数決集大成』『感染者の脳死』言い換えると、『思い込みと慣性による同意の斡旋』『コンセンサスの無い強要』『改善の放棄』」


 ――なんと世間一般の普通な〝こと〟の例ではなく、どのようなことが普通と呼ばれているかという〝概念〟の例が出てきたようである。


「んん? ふふっ、アハハハハハッ!」


 神父服の存在の手は止まり、ケーキを刺したフォークを握ったままさぞ満足したかのように爆笑した。

 ――笑いのツボだったのだ。


「言い得て妙だろ?」


「ああ、ふふっ、それでお前は『普通じゃない』から、自分にとっての普通とは何かが分からないのか! アハハハハハハ!」


 スーツの男は「俺は普通じゃない」と日ごろの会話で公言していたのだろう。

 故に、神父服の存在は、男の先ほどの回答に一人納得し、再びツボに入ったようである。


「んむ、普通ってのはごく一般のことだと思うんだけど、それって結局そいつらの思い込みの集合体だと思うんだよね」


「うん、っふふ、それで?」


 ひょいぱく、という擬音が聞こえてくるかのように、神父服の存在は楽し気にケーキを片手間にほおぼった。――その手の動きが止まったのを確認し、男もまた、テンポを崩すことなく回答する。


「ある期間、ある地域、そういった場所で普通だとしても、『未来や別の地域では普通じゃない』のが普通、これってつまり普通じゃないよね?」


 男は目を細めながら、処刑人のように冷たく、鋭く、「普通とは普通ではないのだ」、という理由を突き付ける。


「ふ、ふふっ……ああっ、そうなんだよ、ふふ。普通はっ、嫌いだけど、ふふっ――…………――――この矛盾した事実はいつ見ても面白い」


 神父服の存在もまた、スーツの男のように目を鋭くし、先ほどまでの楽しそうな態度から豹変するかのように――――ニヤッ、と微笑んだ。

 その顔は、口に赤いジャムを付けたまま無邪気に笑う様から一変し――口元の赤い液体をゆっくり親指で弾くビジュアルも相まり、猟奇的な印象すら醸し出しているかのようだった。


 さて、この二人は要するに、〝一部の集団か自分本人にしか理解できないのもの〟、つまり、〝それが普通であるということを知らない相手には受け入れてもらえないこと〟、それを世間では普通と呼んでいる、と考えているのだろう。

 なぜなら、もし受け入れてもらえるなら、



 ――――普通という単語以外で説明が可能なのだから。



 普通とは何か? 男は考察を続ける。


「そう考えると、俺が普通と判断するのは『未来の不変』のことかもな。だから俺は『現代の普通』が嫌いだ」


「というと?」


「科学や医療で『昔は普通』だったことが結局『間違いだった』、ということが現代になって解明された事例も多い」


「ああ、押し付けの感染故の結果だね。きちんと検証を行わず靴を舐めているからそんなことになる。――――見てる分には、楽しいがね。ふふ」


 これは、特定の食べ物が〇〇にいい。〇〇をすると△△に効果がある。そういった普通な常識が、科学的研究の進歩により『実は間違っていたと解明され、常識が覆る』。そういったケースの話なのだろう。

 故に、「偉い人が言っていた」「有名な人が言っていた」といった理由でうのみにするのは危険なことであり、確証があるか確かめる際には、研究資料や分母の大きな統計データといった〝エビデンス〟というものが非常に大切なのだろう。


 現代の普通に対し、男は更にメスを刺す。


「逆に「普通はそんな発想をしない」によって助かる命もある」


「確立されてないならばくちともいえるかな?」


「そう考えると『可能性の黙殺』この現象も『現代の普通』と呼べるかもね」


「ああ、だから普通にはうんざりなんだ……。普通な反応など……とうに見飽きた。新鮮味に欠けるということは、味のない砂を味わって食べるかのような苦痛だからね」


 神父服の存在は嫌なことを思い出したかのように斜め上に顔を背け、けだるそうにため息を吐く。

 そんな姿を見て――男はふと気づく。


「そう考えると『現代の普通』とは『つまらない』ということかもしれないな」


「難易度ノーマルとは?」


「「つまらない難易度」」


 互いを指さしながら二人の声がはもる。


「「ハハハ」」


 そして背中を後ろにそらしながら二人は苦笑いした。


「まぁでも、『提供する側が考えるのが楽しい』のか『目の当たりにした側が本当に楽しめる』のかは別じゃねぇかな」


「ふふ、この、匙加減の試行錯誤も醍醐味だよね」


 …………。



 ――――今更であるが、この神父服の存在はニャルラトホテプである。


 人間を異空間に招き、脱出手段を用意してあげながら――――ギリギリのところで帰還できないようなトラップに貶め、絶望させる。と思いきや、賢き者には賛辞を行い、時に叡智を授け、五体満足のまま生還させるケースも多い。

 つまり、単に人を虐めているのではなく、感情の変化や隠れた本質を引き出すために〝サプライズを用意している〟。そういった感覚なのではないだろうか。

 そして、〝バランス調整による変化により、招いた人物の結末が変わる〟ということも、楽しみの一つなのだろう。


 そんな超常的存在から出された、匙加減という題材に対し男は――


「そして無理だと思っていたことが覆され、次第にできて当たり前になっていく技術とかも多いよな」


 提供内容や環境の変化によって生じる『普通の変化』について言及した。


「ああ、アスリートやクリエイターとかも見ていると悪くない暇つぶしになるよ。探索者を異空間に招待した際も、時代によって思考や技術に差があるのがまた面白い」


 いわゆる、格ゲー等で規格外な動きが数か月後にはできて当たり前のように扱われたりする現象のことだろう。


 スポーツでも当てはまる。

 フィギュアスケートのジャンプの回転数などは特に顕著である。


 デザイン業界でもニーズの変化はめまぐるしい。

 イラストの塗りの厚さや色彩の見栄えの水準。コマーシャルやゲームの映像技術。そういったものも、年々より高いレベルのものが要求されつつあるといえる。



 『〝かつては困難だったもの〟が、〝出来るのが当たり前〟という常識に塗り替えられてしまう』のだ。



 更に、


「そこに邪魔してくる『現代の普通』」


 〝時代に適応するための改善〟に対し、〝自分が今までしてきたことと違う〟という理由で『次世代の進化を阻害する存在』もいる訳である。


「っあー、あの時アイツが〝経験測で邪魔してなければ、あの子はもっと進化してた〟かもなぁ。罪深いな~~」


「それが『可能性の黙殺』『再現の強要』『経験の押し付け』」


 ――男の話はこう続く。


 普通じゃないとは、「自分の記録にない」「自分の今までと違う」「自分は慣れてない」というだけのことであり。もし確かめて視れば、時代に合った最適、上位互換、不可能を可能にする手段、といった新たな発見があるかもしれない。そんな『可能性を秘めている』事柄でもある。


 これが、次世代の成長が遅く、優秀な人財がなかなか育たない大きな理由の一つ。なぜなら、なぜ適切なのか、なぜ適切ではないのか、なぜ従来通りの方が最適なのか、それらが説明されることはなく、



 ――――〝今までと同じかどうか〟その一点だけが大切にされているのだから……。



 

 そんなプレゼンを聞き、神父服の存在は楽し気にニヤリとする。


「なるほどね……だが、普通じゃないことが推奨されてしまっては――――秩序が、乱れてしまわないかな?」


「いや、普通じゃないことを推奨してるわけじゃない。秩序ってのは、郷に入るは郷に従え、良識、思いやり、独善の反対、モラル、罰則(etc。――〝そんなの普通だろう?〟」


「ああ、いい、その話はつまらない。

 ――もっとも、皆が一律に同じ行動をとるのも――――また、一興だよね。ふふ」


 神父服の存在は不機嫌そうな顔をしながらも、ふと思い出したようにニヤリとする。

 そして男は、齟齬に関しての捕捉を口にする。


「ああ。普通だからという言葉で脳死することが問題の根本なのであり、普通じゃ無くなれと言っている訳じゃない。

 何より、秩序に関しては普通かどうかではなく――良識の問題だろう?」


「……ああ、お前といると楽しいが、たまに違和感を感じるのはその良識とやらが原因か」


 神父服の存在は獲物を狙うように、実験対象を見つけたかのように、目の前の男をニヤニヤと眺める。


「だが、俺のその良識も……」


「「普通じゃない」」


 再び二人の声がはもる。


「ふふふ、だから、居心地の悪さではなく、違和感と表現したのだよ」


「ああ、そういうことか」


「普通なら助けるような対象を放置するし、普通なら裁くべき対象に協力したり。ふふっ、見てて飽きないよ、お前」


「おおきに」



「で、そろそろお前にとっての普通なことが見えて来たんじゃないかな?」


「んー……やはり不変……いや、自己判断の放棄? 改善の停止? ……一番……終点か!?」


 再び顎を手に乗っけていた男は、ハッと顔を上げた。


「……っぷ」


「あ?」


「ははは! やはり、お前は面白い」


「何がだ?」


「お前にとっての『普通なこと』を今聞いたのであって、『普通とはどういう概念か』なんて言ってないだろ?」


「……あっ」


「ハハハ」


「んー、そういえばそうだったな。……あれ? そういえば周りの普通でも構わないとかい――」


「というかお前もうほとんど答え言ってるじゃんか」


 そんなことはいいだろうと言いたげに、神父服の存在は男の発言を遮り答えを催促した。

 のだが……


「なんだっけ?」


「ほんと短期記憶が曖昧だなぁ、『不変』って言ってたろ? 変わってしまうものは普通じゃない、じゃあ変わらなければ普通である、って言いたいんだろ?」


「確かに、これを食べるのが普通という時は、そいつは同じものを変えずに食べてることになり、これをするのが普通と言っている奴は、同じことを変えずに行っていることとなり、筋が通るな」


 ――ガン!


 神父服の存在は呆れたように男を蹴る。


「いてっ」


「だからそれはお前にとっての普通の『概念』であって、お前にとって不変な『こと』はなんなのよ」


「……っあーー、『お前にとっての普通』ってそういうことか」


「惜しい!」


「え?」


「お前にとって普通ってなにか、と最初に聞いたんだよ」


「あ、ああ、そうだったか」


「っぷ」


「え?」


「おちょくってんだよバカ!! それで――――君にとって普通なことって――なんだい?」


「…………んーむ……」



 雑談ムードから一変した気配を受け、男は無表情のまま長考する。


 適切な普通とは、恐らく“変わることのない本質的なこと”なはずである。

 どのような状態でも当てはまり、不適切な状況に対しては確実に改善に繋がる内容。――それはいったいどんなことだろうか?

 

 長く、じっくりと、考え、男は回答する。

 


「…………『信頼とはフルセットコンプライアンス』。コンプライアンスを厳守してるにも関わらず、威厳も信頼もない自爆するライバル企業は多いからな」


「――――ふふ。堅苦しい君らしい」



 ――尚、ニャルラトホテプと会話しているビジネススーツの男は“ほしのちえは”の社長兼人事部長である。


 ことの発端は、ひょんなことからニャルラトホテプと意気投合したこの男が『核エネルギーを研究するだけじゃつまらないだろ?』と話を振り、『先進科学で現代のシェア争いに殴り込みしてみないか?』という理由で『星の知恵派を会社として設立しないか?』と話を持ち掛けたのがきっかけである。



 そんな非常識な男は『自分にとっての普通』という『現代の普通じゃない』を更に考える。


「……他には」


「へぇ、まだ考えるか」


「んー……『頑張って練習して経験を積むと上手くなる、のではなく、間違いに気づき改善された瞬間が上達と呼ばれる』

 とか……、

 『決まり事を押し付けるから言うことを聞いてもらえないのであり、なぜそう決められたかというエビデンスを提示すればよい』

 と考えると……

 『決まりごとは守る為にあるのではなく、適切に場を治めるために定めるものである』

 んー他は……、

 『偉いと威張れるのではなく、責任義務を負うこととなり、中身のある経験と結果に敬意が払われるのである』

 『ただし、敬意は無条件で全ての人に払うべきモラルでもあり、目下の者に敬意を払えるかで器が測られる』

 とか、このあたりかなぁ」


「普通じゃないわけだ」


 そういいつつも、神父服の存在はどこか満足げに、ふっとため息を吹くのであった。



 そんなほんのりと高揚したニャルラトホテプは、満足げな顔をしつつ問いかける。


「ところで、普通ってどう思う?」


「んー現代の普通は嫌いだし、普通じゃないこともちょっと嫌かな」


「ん? っふふ、私じゃなければ意味が理解できないだろうね」


「……ん? そうか?」


「『未来の普通』、あるいは『普通という単語以外で説明された内容』、それなら問題がなく、『手が加えられてしまった下位互換と普通の押し売りは嫌い』ってことだろう?」


「ああ。『それ以外に最適が存在せずエビデンスも信頼に足る』のであれば、同調することもやぶさかではない」


 そんな柔軟なようで頭の硬い返答を受け、麗人はくすくすと笑う。


「ふふっ、このひねくれ者め」


「おまいう」


「やかましい」


「へぶし!!」


 神父服の存在は、楽し気に男に蹴りを入れる。


 ――男は、現在進行形で普通ではないことを行っていたのだ。



 そんな折、喫茶店の店員がやってくる。


「お待たせ致しました……。後で、と頼まれていたフルーツパイで、す……」


 ふとあるものが店員の目に止まる。


 ――まるで〝残した〟かのように放置されたものに。


 後でと頼まれた料理を運んでくるまでの間に、食べる時間は十分にあったはずなのだ。 



「……あの、アイスが溶けてしまっていますが……お気に、召しませんでしたか? …………別、のものと、お取替え致しましょうか?」


 ――店員さんはとても悲しそうな顔をした。


「ああ、いや、これはぁ、俺が勝手にこうしただけだ。うん。私は〝溶けてる方が好き〟でね。今から頂くところだよ」


「あっ……そういうことでしたか……」


 店員は少しびっくりしたような表情を一瞬しつつも、ほっとしたかのように、ぎこちなく笑う。

 男は誤解が解けたことを確認しつつ、気遣いに対して一礼する。


「お気遣いと御社の過分なご親……もとい――サービス精神に感謝する。ありがとう」


 そして、仕事でもないのに畏まってしまっていたことに気づき、分かりやすい言葉に言い換えるのだった。


 そんな姿を見て、店員は口に拳を近づけながら目を瞑ってくすりと笑う。 


「かしこまりました。それでは、ごゆっくりどうぞ……」


 会社じゃないんだけどなぁ、と思いつつ、店員は丁寧に会釈をし、その場を後にするのだった。


「(アイスを冬に頼んだうえ、更にそのアイスを食べずに放置して溶かすとは、ね。)そういうのは普通じゃないから嫌いなんじゃないのかな?」


 そういいながら、神父服の存在は溶けたアイスの方に向けてひょいっと指を指す。


「ん? ……ふふ、相変わらず意地悪だな(分かった上で言っているのだろうな)」


「ふふっ」


 神父服の存在はニヤリとし、言葉を続ける。


「そのまま食べるのが普通だ、という主張を押し付けてくる人間。親切だろ?っと無許可で同意を取ったつもりになってくる人間。それらが嫌いなのであり……自分好みの味を楽しむ為という理由があるならば――現代の普通じゃなくてもいい。ってことだろ?」


「そうだな」


 そういいながら、男は溶かしたアイスにフルーツパイを程よく浸し――店のメニューにないデザートを楽しむのであった。

 男は返答する際、無表情ながら――どこか満足げであった。



 ――そんな姿をにこやかに眺めつつ、ニャルラトホテプはまとめに入る。


「……で、お前にとって普通ってなんだ?」


「え?」


「え?」


「結局何を聞きたいんだ?」


「ふふ。――――もう、答えてたじゃないか。途中の回答でよかったんだよ?」


「……終点?」


「よろしい!」


「まぁ、『寄り道』もたまにはいいものだがな」


「ふふ、そのようだね」



 そうして二人は会計を済ませたのち、特に有名という訳でもない




 ――――既に潰れてしまった喫茶店を後にするのであった。









「またのお越しを――」



「ああ、そうだ」


「……え!?」


 喫茶店を後にしたはずのスーツの男が踵を返し……半透明の店員に話しかける。


「この〝埋立地〟……昔、大震災で雪崩があって以降――誰も近づいていないようだな」


「――ッ!? な、なにを……言って。…………。きょ、今日も! こうして御来店――して……くれたじゃ、ないですか……」


 そんな涙目の店員の頭を、男の手が――――透過することなく優しく撫でる。

 そして男は少し距離を取り、スーツとネクタイを正し一礼した後、名刺を両手で前に出す。


「わたくし、〝ほちのちえは〟の社長兼人事部兼、営業担当の者なのですが」


「……へ?」


「この度、この土地は弊社が買収し、地主が変わったことをお伝えに参りました」


「え、ええ――っと?」


 ――この人は何を言っているのだろうか? この顔写真の載った紙きれは何なのだろうか? 


 そんなことを考えきょとんとする店員をしり目に、男は続ける。


「つきましては、弊社が当店の引継ぎをすると同時に――――キャンペーンを、行いたいと考えております」


「きゃ、キャンペーン……ですか?」


「ああ。――ええ、簡潔に説明すると、当店の広告を行うと同時に、割引券の発行を行います。費用は弊社が受け持ちますのでご安心を」


「え、ええっと?」


「まあ。――この店がにぎやかになると言うことだ」


「――ッ! わあ! ほんと、ですか!」


「ああ。忙しくなるだろうから君と同年代のスタッフをこちらが派遣しよう」


「た、助かります! こ、これから――ううん。……これからも! 当店をよろしくお願いいたします!」


「ああ。責任をもって維持――活気づけていこう」


「はい!!」





 ――後日、「当時の味をそのまま再現! レトロな喫茶店大復刻!」というコマーシャルがテレビ放映される。


 また、「過去に一体何が!?」「失われた味 どのように再現を?」「1日で家が建つ! ほしのちえはの謎に迫る!」と言ったオカルト記事が多数上がり、いわゆる〝聖地巡礼〟と呼ばれる投稿によりSNSでも賑わいを見せていた。


 何より――――当時行方不明になっていた学生と店員がそっくりだ。――という口コミが話題を呼び、「実は生きていた?」「この子は失踪者の子孫なのでは?」「そんなことより和服割烹着少女サイコー!」といった経路でも喫茶店の話題が上がり、瞬く間にして知名度を確保していくのであった。




「相変わらず――君はやることが、激しいね? ――ふふっ」


「ふっ。やるなら徹底的。――それが俺の普通だよ」


 そんな男の解を聞き、ニャルラトホテプはゆっくり目を閉じ、満足気に笑う。


「IT社会か…………。たった少し、たった少しだけ波紋を立てるだけで――ここまで個を広めてしまうとは。

 ……多くのことが失われ、つまらなくなったけれど。面白い時代にもなった」


「ああ」


「ただ店を紹介するのではなく――味について。それだけじゃなく、土地について、建築について――店員に付いて。まるで、連鎖爆発みたいだね」


「ふふ。セオリーを真似るだけの経営者なんてのは会社のガンさ。どうすれば知名度とシェアを稼げるか、それを〝多角的に〟〝相乗効果〟を上げてプロデュースすることが経営ってもんよ」


「ふふふ。――オカルト×レトロ×スイーツ。要素の組み合わせも、活用したね?」


「当然さ」


「しかし――いいのかい?」


「……ん?」


「店が回ると言うことは、それだけ待ち時間が増える。――違うかな?」


 そんなツッコミに、男は明るげに、無表情な顔を恥ずかし気に崩して笑う。


「この店の味が失われるのは忍びない、と思ってな。三ツ星なんかを梯子する連中には分からんだろうがな。待ち時間など些細な問題さ」


「――ハハハ! うん、そうだね。 建築費、外観の維持費、広告費、材料費、シェフの重ねた賞状。それらの〝質〟はあくまでも質だ。この三つ星〝で〟食事をしたい、ではなく――――〝また食べたい〟と、思ってもらえる〝味〟かどうか。この『好み』というものは、別だからね」


「それで職権乱用させてもらった訳だ」


「ハハハハハハ! うんうん。それくらい的外れなことをしてくれなきゃね。君にほしのちえはをあげた意味が無い。それに――ふふ。その権限と財力がありながら、自らの手で営業するその姿が滑稽で面白い」


「…………気質は治せんさ」


「ハハハ! うん。君のそういうところだよ。――また何か、面白い使い方をするといい」


「――まぁ。気が向いたらな」



 そんな雑談をしている二人の前に、明るげな店員がやってくる。


「お待たせしました。当店新作の、雪解けのフルーツパイセットです」


 そのパイの上には、溶けたバニラアイスが添えられ――チョコクッキーの家が、新たに姿を現しているのであった。

 その横に添えられたミントは、さながら春前の新芽と言ったところだろうか。


 男はそんな新作を眺めつつ、口を開く。


「ああ、紅茶用に氷砂糖を貰ってもいいかな?」


「はい、どうぞ♪」


 男は、少女から受け取った氷砂糖を紅茶に放り込む。

 その横で、ニャルラトホテプはニヤリとする。


「ふふ。この店の砂糖は溶けないのが売りかと思っていたが――今日はよく溶けるようだね」


 そうして、ニャルラトホテプは楽し気にティーカップを揺らし、スッと口にする。

 そんな様を見て、男も紅茶を口にする。


「ああ。こういうのもたまには、悪くない」


 そんな二人の様子を見て、店員はにこやかに笑う。


「それでは、どうぞごゆっくり!」


 男は、立ち去る店員の背中を見送り、ティーカップへと視線を移す。そして氷が解けていく様を見て、満足気に微笑んだ。


ちょっとした裏設定


ニャルさんは固体が多くそれぞれ人格が異なるようですが、このニャルさんは人のことを〝つつくと面白い反応を取る観察対象〟と捉え〝虐殺は目的じゃなく、目の前のバナナを取ろうと頭を使うゴリラを観察しているだけ〟みたいな感覚。という設定になります

頭がずば抜けて優れているならば、アリをかき集めて踏んではしゃぐなんて言うカリスマの欠片もない行動はしないはず。それが闇雲に観察対象を殺さない理由

面白ければOKという訳ではなく〝人の変化を見るのが好き〟〝可能性を見出し成長する瞬間が好き〟〝いろんな顔をする君が好き〟みたいな感じですね

だからこそ、変化のない〝とりとめのない〟相手には関心が薄く、時代に逆らい変化し続ける〝普通じゃない〟相手に関心がある。と自分は解釈しました

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