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━不用意なささやき━ 第1部 背景 ・ 第2部 冬



第1部 背景


プロローグ


 朝、孫娘の電話で目が覚めた。

「おじいちゃん、新しい長グツかったの。これから行くね」

 孫娘は今年小学校の3年生になったばかりで、私の家から歩いて5分ぐらいのマンションに住んでおり、私の家は通学路にあたっている。

 すぐにベッドから出て着替え、顔を洗っていると玄関のベルが鳴った。

 ドアを開けると、白い長靴にカーディガン・スラックス姿の孫娘が通学用の黄色い傘を持って立っていた。

「おはようお爺ちゃん。見て、この長グツかわいいでしょ。お母さんに買ってもらったの」

 ニッコリ微笑むと(きびす)を返して傘を差そうとしている女の子を見たその時、

「雪子さんだ。雪子さん!」

思わず心の中で叫んだ。

 ショートカットで、スラックスと長靴のその後ろ姿は、60年前の私の記憶を唐突に、しかも鮮明に思い起こさせた。




1.船出


 船底の2等船室は機械油のにおいで“ムッ”としていた。不安と憂鬱を乗せて船は竹芝桟橋を滑り出した。アベックが2組と一人旅風の若者がおり、家族連れは僕たちだけだった。それぞれ船室の四隅に陣取り、体臭と油の浸みついた毛布にくるまっている。皆、なかなか進まない時間を必死に耐えていた。

 年の瀬も押し詰まった12月のある日、手荷物を三つほど抱えて僕たち家族は伊豆七島の仲島(なかしま)へ向かった。父の新しい赴任先だという。小学校3年生の2学期まで東京郊外の新興住宅地にいた僕にとって、それは晴天の霹靂だった。

 学年が変わりクラス替えがあってから、僕は“イジメ”にあっていた。クラスメート4人によるコンビネーションは陰湿かつ執拗で、その攻撃は両親や先生に気づかれること無しに絶え間なく続いた。

 上履きに画びょうを忍ばせる、椅子の座る部分にヤマト糊をベタベタに付けられるなどは序の口で、授業中背中にクワガタムシを入れられる、体操服や上履きを隠される、下校途中に通学路沿いのどぶ川に落とされるなど、“イジメ”はエスカレートしていった。

 突然の転校により“イジメ”から逃れることができる、という安堵感もあったがそれ以上に新しい環境に飛び込む不安と“これまで以上のイジメにあうのではないか”という憂鬱が僕を襲う。

 実体のない妄想を抱えながら僕はまた浅い眠りについた。

      ◇

 大きな船体の揺れと、相変わらずの“ムッ”とする臭いで僕は目が覚めた。船は東京湾から外洋に出たのだ。揺れは僕の心の動揺を再び呼び覚ます。トイレに行くふりをして階段を上り甲板に出た。

 左側の空がうっすらと明るくなり新しい一日が始まろうとしている。正面にぼんやり島影が見えてきてそれがだんだん大きくなり迫ってくる。朝のヒンヤリとした空気と潮風が僕の頬を打ってきた。

 一つ身震いすると(きびす)を返して船底へ戻り、僕はまた毛布にくるまった。




2.ロケーション

 

 朝8時、船は本町(ほんちょう)港に着岸した。

 伊豆仲島は“三日山(みっかやま)”の噴火によりできた火山島で、島民は多くを漁業と観光客の落とすお金に頼っている。

 山をよく見ると、山頂に向かって濃い緑色と藍色に近い深緑色の筋が出来ている。

 昔、何度も噴火が起こり溶岩が流れ出し、その後にまた木が生えてくるという現象を繰り返して、現在の景観となっている。

      ◇

 桟橋を出ると直進の道は緩い上り坂になっており、道に沿って左側に下水溝がある。

 下水溝と言っても深さ3m、幅5mぐらいの大きな堀で、溶岩がむき出しになっていた。下水はほとんど流れておらず、空堀のようだ。

 3分ほど道を上って行くと下水溝に石橋がかかっており、そこを渡ると砂利道の左右に南国を思わせる芭蕉やソテツ・名前のわからないどぎつい赤色をした果肉植物が植わっていた。そのアプローチを通ると官舎の玄関にたどり着く。

 玄関の脇には“伊豆仲島検察庁”と大書されたまな板ほどの表札がかかっていた。

 そこは父の赴任先で、島しょ部を取りまとめる官舎だった。

 玄関を入るとすぐ通路の右側に事務室があり、突き当りは応接間となっている。

 左側は僕たち家族のプライベートスペースで、すぐが6畳の和室、その奥が寝室と居間兼用の8畳の和室である。各部屋は一段高くなっており下ばきを脱いで上がるようになっていた。通路の突き当りは台所だがドアなどの隔てが無いため、台所というより炊事場に近い。

 奥の台所の右側には勝手口がついており、外に出ると家に接して高さ2m・幅5m・奥行き7m位の大きなコンクリートの建造物があった。

 これは雨水をためる貯水槽で、島には水道が無いため各世帯には必ずこの貯水槽がある。

 引っ越してきた当初はこの飲み水に散々悩まされた。

 お腹が下り「正露丸」を飲む。薬を飲みすぎると便秘になるため今度は「毒掃丸」のお世話になる・・・といった具合だ。

 台所には常に黄色いラベルの2種類のビンが常備されていた。


 ━外者(そともの)への洗礼だよ━


 やがて何か月かすると体が生水に順応してきたのか、ビンの中の薬が減らなくなった。

 島の暮らしになじんできたのだ。




3.中村さんとメガネ


毎週土曜日の朝がくると僕はワクワクした。父のただ一人の部下である中村さんとバトミントンをするのだ。

 後から聞いた話だと、赴任当時父もまだ司法試験に受かっておらず、立場的には中村さんと同じ事務官だったらしい。

父はいつも筆記試験はトップに近い成績で通るのだが、口頭試問で落ちてしまう。きっと人前に出ると緊張してしまう性格のせいだろう。(僕もその性格を大いに引き継いでいる)

 父が自ら伊豆仲島に志望してきたのは、“島は事件がほとんどないので試験勉強に専念できる”と考えたからだ。

      ◇

 午前中だけの授業が終わり家に帰ってくると、ランドセルを脱ぎ捨てバトミントンの道具を持って事務室に声をかけた。

 中村さんはいつもニコニコして庭に出てくる。

 官舎の南側にはテニスコート半分ほどの芝生の庭が広がり、いつもそこがバトミントンの遊び場となった。

 芝生に2本棒を立て、ネット代わりに黄色いひもを結んで渡す。そしてプレイが始まるのだ。

 最初は高い球で打ち合いをして練習をしたあと試合を始める。

 “10点勝負の試合だ。

 中村さんが僕に速い球で打ち込むと、必ずメガネがずり落ちる。鼻眼鏡になった所を片手で引き上げる姿が、軟膏のCMをやっている喜劇役者とそっくりになった。


━頑張れ昆ちゃん━


夜、いつも布団の中で思い出してはクスクス笑いながら、僕は眠りについた。




4.学校


 ぼくの通う本町(ほんちょう)小学校は街のはずれの三日山のふもとにあり、家からは緩い上り坂の一番上の方に位置していた。

 正門の横には大きな椎の木があり、秋になると実を落とした。炒って食べると甘く、おやつにもなる。

 担任の先生は「入川先生」という三十代前半の小太りの先生で、笑うと目がなくなりいつもニコニコしていた。

 僕は一目でこの先生が大好きになった。

 暖かい島とはいえ冬は肌寒く、男子は長ズボンにセーター・女子もスカートに長靴下のセーター姿がほとんどである。 

 小さいころから喘息の持病があり体の弱かった僕は、家の方針で冬も開襟シャツ(さすがに長そでだが)に半ズボン姿で学校に通った。

 僕はみんなに好奇の目でみられた。


━都会のかっこうズラ━


何か陰口を言うものは誰もいなかった。




5.迷い道


 最初の登校日の帰り、右に曲がったり左に曲がったりしながら来た道を戻ったつもりだったが、道がわからなくなってしまい、知らない浜辺にたどり着いた。

 -家に帰るには桟橋の真ん前の道を探せばいいんだ

 とにかく桟橋を目指そうと商店のある通りを歩いて行ったのだが、通りが終わりかけた時にわかに不安が襲ってきた。

 道を聞こうと思い、僕は通りの右側にある和菓子屋さんに入っていった。

 「ごめんください」

 「いらっしゃいませ」

 応えて視線を投げかけたのは、三十前後の割烹着(かっぽうぎ)を着た女の人だった。

 長い髪を後ろで結い、キリリとした眉、冷ややかな切れ長の目、薄いくちびる、島には似つかわしくない薄化粧をして口紅もつけている。和菓子ではないほのかな甘い香りが匂ってきた。

 道を尋ねると家はそこから歩いて一二分(いちにふん)の所だった。すぐ近くだったことと、他の感情も手伝い早々にお店を出た。

 店を出てもまだドキドキしている。まるで無知な自分、恥ずかしいところを見られたような、誰も知らない僕の秘密を握られたようなやるせなさが僕を襲う。

 浮き足立ったまま家に着いた。


 夜、(とこ)に就くと今日の出来事がつい先ほどのように蘇ってきた。

 しかし(まさ)ったのは言い知れぬ恥辱よりも、まだ知らない美しいものに対する羨望(あこがれ)だった。


━迷わないでね、坊や━


 次の日から僕は、少し遠回りをし和菓子屋さんの前をとおって、学校に通った。




6.入川先生と公園


 一週間ほど経った月曜日の朝、先生がみんなに

 「次の日曜日に仲島公園に行きましょう。今度は三班ね」

 「あなたもいらっしゃい」

 と僕に告げた。班に分けて遠足に行っているようだ。


 当日の集合場所は桟橋前だった。ターミナルになっており、そこから“三日山行き”や“波場(はば)の港行き”などのバスがある。“仲島公園行き”のバス停の前へ待合せの10分前に行くと、既にみんな集まっていた。

 「今日来たみんなは、後で紹介しましょうね」

 先生は僕にそう言うとバスに乗り込んだ。

 二人づつで席に座ったが、僕は先生の横だった。先生のスカートを通して太ももの温かさが伝わってくる。少しドギマギしながら両手をきちんと膝にのせてバスに揺られていた。


 15分ぐらいで“岡尻港”のバス停についた。

 「先生はここに住んでいるのよ。今度みんなで遊びにいらっしゃい」

 耳元で優しく僕にささやいた。

 15分ほど揺られると突然回りが暗くなる。左右に椿の木が並立し、道の方に枝葉をせり出してアーチを作っている。それが数百メートルにわたってトンネルになっていた。ちょうど時期で真っ赤な椿の花が咲き誇っている。初めて見た景色に圧倒され、僕は窓越しに眺め入った。


 さらに10分ほど揺られると終点の“仲島公園”に着いた。

 “仲島公園”は自然公園で、猛獣以外の動物は放し飼いとなっている。中に入るとすぐ七面鳥や孔雀が僕たちを出迎えた。さらにシカやヤギ・リスなども近づいてくる。所々に動物のエサの売店があって、客が購入するそのエサ目当てに寄ってくるのだ。ウサギやヒヨコは柵の中にいるが、人間も柵の中に入り動物を触ったり抱いたりすることができた。

 公園を10分ほど歩くと芝生の広場があり、先に来ている人たちが弁当を広げている。

 「ここでお昼にしましょう」

 先生を囲んで座り、各自持ってきた弁当を広げる。僕は先生のすぐ横に座った。

 「じゃあ、食べながら自己紹介をしましょう。まず先生から」

 先生が自己紹介を終えると、先生のすぐ横の男の子から自己紹介をしてゆく。8人ほどいて全部は覚えられなかったが、背の高い男の子が僕と同じ苗字(みょうじ)で、天然パーマが山本君、三つ編みで細い子が桃田さんで、顔のふっくらした色白の利発そうな子が白瀬さんというのはわかった。そして隣の男の子が自己紹介を終えると僕にボソッとつぶやいた。

 「ニシの番ズラ」

 「???」

 どうやら“君の番だよ”というぐらいの方言らしい。

 僕は唐突なその呼びかけに、考えていた自分紹介の内容をすっかり忘れてしまった。

      ◇

 一つだけ理解したことがある。それは“誰もが入川先生が大好き”という事だ。みんな我先(われさき)にと先生へ話しかける。先生はニコニコしながらそれに丁寧に答える。

 僕たちは神様の教えを乞う信者のように先生に魅入っていたが、それは先生が平等に愛情を降り注ぎ、僕たちも無意識にそれを感じ取っている証しだった。

 帰りのバスでも僕は先生の隣りだったが、疲れたせいもあり先生に頭を持たれかけて、浅い眠りに落ちかかった。


━みんな平等ズラ━


僕はハッとして両手を膝の上に置き、またキチンと座りなおした。


        第1部 了





第2部  冬


7.イマチャンとバイオリン


 日曜日は忙しい。朝の10時に日曜学校があるため、二人の妹の手を引いて警察署の1軒奥の教会に行く。

 牧師さんの説教が終わり最後の讃美歌を唄っていると、つば付きの帽子がまわって来る。母に持たされた10円玉(妹たちは5円玉)を入れると隣りへまわす。お金は“献金”と呼ばれ、それが日曜学校の終わる合図だった。

 教会を出た妹たちは手をつないで家に帰るが、僕は向かいのお寺の境内に入って行く。

 お寺ではお坊さんが習字を教えている。習いに来た子供たちはすでに始めており、黙々と書を練習している。

 空いている場所に座り、(すずり)と下敷きと文鎮そして筆巻きから大筆と小筆を取り出す。

 墨を()っているとお坊さんが見本を持ってきてくれる。練習していると、後ろから書き終わった一枚に朱を入れてくれるのだ。磨った墨がなくなると稽古は終わりとなる。みんなだいたい一帖(いちじょう)(半紙20枚)ぐらい練習するのだが、あとから来た僕は少なめに墨を磨り10枚ぐらい練習し、その一枚に朱を入れてもらうと手早く帰り支度をしてササッ、と家に帰る。

 午後の予定も詰まっているのだ。

      ◇

 午後2時の15分前に僕はまたバイオリンを抱えて家を出る。玄関を出て左に曲がるとすぐT字路があり、そこを右折すると工場(こうば)や商店が立ち並ぶ街のメインストリートだ。

 5分ぐらい歩いて左の細い道を少しのぼった所がバイオリンの先生の家(けん)稽古場になる。

 中からは、“ギーギー”とのこぎりで木を切るような音が聞こえてきた。イマチャンがバイオリンの稽古をしているのだ。

 イマチャンは今田君、同級生である。鼻の穴が大きく色黒で活発な彼は、運動が得意で足が速くドッチボールも強い。とにかく何をやるにも全力投球だ。彼の稽古時間は1時半から2時で僕のすぐ前だ。待合室に座っていると、イマチャンののこぎり音と神経質そうな先生の声が聞こえてくる。

 「もっと肩の力を抜いて」

 「肘を張らないで」

 「弓は軽く持つ」

 しかしのこぎり音は変わらなかった。

 -これじゃあ、きらきら星じゃなくてギラギラ星だ

 2時少し前にイマチャンが部屋から出てくると汗びっしょりだった。

 「じゃぁ」

 と、か細い声で言うとトボトボと帰って行く。

 しばらくそんなことが続いたが冬のある日曜日、稽古場に近づいてものこぎり音は聞こえなかった。

 

 ━全力投球はしたんだ━


 それ以来、稽古場でイマチャンの姿は見ていない。




8.鶴雄君とスズメ


 同級生で一番最初に仲良くなったのは、鶴雄君だ。たまたま苗字(みょうじ)が僕と一緒で、彼の家が学校のそばで帰り道だったこともあり、よく遊びに行った。

 門を入ると50mほど砂利道が続く。左右には草花が咲き誇り、奥の方には広い芝生も見える。玄関を入ると右の部屋がすぐリビングで、暖かい陽が差し込み冬はストーブなど要らなかった。

 家の裏では少し畑を作っていたが、その奥は林になっておりずっと続いていた。

 奥の林も鶴雄君の所の持ち物だそうだ。

      ◇

 冬のある日、遊びに行くと長靴姿のお兄さんが空気銃を持って立っていた。鶴雄君のいとこの中学生だという。

 「スズメ撃ちに行くベェ。ニシ()らは?」

 僕と鶴雄君は、

 「ここに居る」

 と言うと、中学生は

 「そんなら、火をおこして待ってるズラ」

 と言い裏の林に分け入った。 

 小一時間ほどして程よく火がおこったころ、10匹ほどのスズメをひもで数珠(じゅず)つなぎにくくって戻ってきた。

 中学生は熱湯をかけて手早く羽をむしると一匹ずつ串にさし、火のおこった網の上へ乗せた。まだ取り切れていない羽の焦げ臭いにおいが鼻をつく。

 こんがり焼きあがると、まず彼が口にする。

 「うまいズラ」

 僕たちにも“食べてみろ”と串を差し出した。僕はモモのあたりを一口食べ、あまり味がしないと言って串を返した。のどから何か上がってくる感じがしたが、一気に飲み込む。


 二人と別れて門を出るとすぐ、僕は道端に嘔吐した。


 ━いつか化けて出てやる━


それからしばらく僕は、鶴雄君の家に遊びには行かなかった。




9.コーチャンと磯遊び


 本町(ほんちょう)桟橋の南側は岩場が500mほど広がっており、その先に“伝教(でんぎょう)浜”という浜辺が続いている。

 浜辺のバス通りに沿ってバラック小屋が並んでいるがその一軒にコーチャンは住んでいる。

 クラスで背の順に並ぶと僕は前から二番目だが、一番前がコーチャンなのだ。

 頭のてっぺんが平たくあごがとがっており、いつもスポーツ刈りにしていた。ちょうど三角形を逆さにしたような顔である。

 彼は大潮になるといつも、“浜に行こう“と僕を誘った。

 コーチャンは海の生態に詳しく、一緒に行くととても楽しかった。

 “仲島”の岩場は何万年か前に、“三日山”が噴火した溶岩が海に流れ着き冷えてかたまり、そこに海藻やプランクトンが住みつく。それを食べる小魚や貝などの小生物、さらにそれを食べる海の生き物が集まって生態系を形作っている。

 コーチャンは浜の細かい地形から四季を通じての海の動向・海の干満に伴う生物の動きなどを解説しながらリアルに見せてくれる。例えば冬の大潮の時波打ち際の海藻の下にはシッタカがたくさんいるとか、アメフラシは足で踏むと紫色の汁を出すが毒はないとか、今の時期磯だまりにいるドジョウのような魚はゴンズイといって、刺されると一週間ぐらいは痛くて寝られないとか・・・

 

 「今日はカニを採るズラ」

 僕たちは長靴・水ガン(水中メガネ)姿にモリを持って岩場に立っていた。普通にみられるクソガニは“美味しくないから突くな”という。

 ねらいは島で“まる”と呼ばれている、赤茶色をして足の長い甲羅の丸いカニである(モズクガニの一種らしい)。

 コーチャンは潮の引いた岩場で、海藻がはびこっている裏側や岩の隙間を丹念に探る。見つけると後についてくる僕を制し、ゆっくりゴムを引く。そして一気に放つと矢の先端にカニが現れた。

 彼の突き方は独特で、逃げてゆくカニは突こうとせずに長靴で踏む。甲羅を踏まれるとカニは動きを止める。そうしたら急所を外してモリを放つのだ。真似してみるのだがなかなかうまくいかない。

 「カニは横にしか歩けないズラ。行く方を予測して踏めばいいズラ」

 その通りにやってみると一匹突けた。それからは面白いようにツボにはまってくる。

 小一時間ほどもすると、二十匹ほどのカニが獲れた。バケツの中で折り重なってガサガサ動めいている。

 「もう充分ズラ」

 コーチャンは獲ったカニの半分ほどをビニール袋に入れると僕にくれた。味噌汁に入れると出汁(だし)が良く出て美味(うま)いという。産卵期のメスは卵を持っていてもっと美味いんだ、とも言った。

 味噌汁の作り方、カニの足の身の食べ方、食べた後の殻を肥料にする仕方まで事細かに教えてくれる。彼と岩場にいるときは、学校で遊んでいる時よりはるかに楽しかった。

      ◇

「岩場、いくけぇ?」

 北風の吹きすさぶ大潮のある日、コーチャンが僕を誘いに来た。僕は“行く”と言い彼と同じ長靴姿にビニール袋を持ってついて行った。

 浜にはすでに何人かのおばあさんが来ており、長靴モンペ姿で何かを採っていた。

 「柔らかいのは先の方だしィ。芽を摘むズラ。」

 コーチャンも磯だまりに行くと黄緑色の海藻の芽を摘みだした。海藻は“ハンバ”といい天日干ししたものを味噌汁やお吸い物に入れると、磯の香りがして美味(おい)しいという。

 小一時間でビニール袋は一杯になり、僕はコーチャンと別れて家に帰った。今日食べるのはそのまま入れても良いという事だったので、その分を除けてあとは教わった通り新聞紙に広げ、三日ほど天日干しにした。

 生の“ハンバ”も美味しかったが、干したものはお吸い物に入れるとプーンと磯の香りがして美味だった。家族にも大絶賛で、父などは“もっと採ってこい”などと言っている。

       ◇

 三日後、僕は一人で岩場に行った。その日岩場はどういうわけか誰もいなかった。

“ハンバ”は面白いように採れた。しかも他に人がいないため取り放題だった。時を忘れ夢中で採っていたが、気配がしてふと振り返ると一人のおじいさんが立っていた。

 おじいさんは、無精ひげを生やした顔に麦わら帽子をかぶり、ベルトの後ろに煮しめたようなタオルを差し、長靴を履いて立っている。

 「ニシゃぁ、どこモンズラ?」

 私が答えると、

 「検察庁の坊主かぁ。しゃあねえな。今禁漁ズラ」

 私が知らなかったと言うと、無断で採ると罰金だという。前回コーチャンと採った旨を伝えたら

 「あそかぁ一株持ってるズラ」

 という。

 浜には漁業権というものがあり、漁協がそれを持っていて漁業長がその権利を分けている。漁師は毎年決まった株数に応じて、海と浜の海産物を獲る権利を持つのだ。

 僕は知らなかったと謝って、採った収穫物を渡した。

 おじいさんは

 「このくらいはいいズラ」

 と言って、一握りほどの“ハンバ”をビニール袋に入れて返してくれた。

 僕はほとんどペチャンコの袋を持って家に帰った。


━よそ者は、勝手はするな━


 島の(おきて)は厳格に守られている。




10.麗子とサラサラ髪


 警察署の前の道を更に突き進んで行くと岩場の岸壁に出る。その少し前に平屋で二戸一(にこいち)(真ん中の壁で仕切って、1棟に2世帯が住んでいる家)のバラックが何棟かある。麗子はそこに住んでいた。

 壁はトタンで、6畳一間に炊事場とトイレが付いているだけの粗末な造りだ。

 麗子はいつも着古したセーターにスカートを身に着けていたが、つぶらな瞳で髪の毛がサラッとしている女の子だった。

 僕は自転車に乗って、よく彼女の家へ遊びに行った。“トレーニング”と称して二人で岩場の道を“中根浜”に行く。

 麗子はジョギング、僕は自転車で彼女の伴走をする。浜風にサラサラと麗子の髪がなびき、汗がキラキラと輝いた。ハアハアという彼女の息遣いが聞こえてくる。僕はゆっくりペダルを踏んだ。

 浜の中ほどに着くと“一休みしよう”と言って僕たちは溶岩の大きな岩の一つに腰かけた。

 彼女は下を向いて息を整えている。着古したセーターから麗子の息づかいが聞こえ、うなじからは汗が一筋流れる。僕は視線に困り、ドギマギする思いを必死で隠した。沈黙の時が流れる。


 ―時間が止まり、このままがいつまでも続いてくれないか・・・


 汗が引いたころ僕は“そろそろ戻ろう”と麗子を促した。

 帰り道もゆっくりゆっくりペダルを踏む。

 家に着くのが恨めしい。

       ◇

 3学期が終わる二日ほど前の朝、教壇の先生の横に麗子が立っていた。

 今日が最後で、あさって川崎に引越すという。

 頭から衝撃が走る。どうしていいかわからなかった。


 学校が終わって家に帰ると、とりあえず紙と鉛筆を取り出し手紙を書いた。今までの楽しかった思い出や、学校での出来事など美辞麗句を並べる。 

 が、自分の思いは書けなかった。麗子がどう思っていたか知るのが怖かった。最後に自分の住所を書いて、必ず返事をくれるようにとしめくくった。

 書き終わって封をすると自転車を漕いで麗子の家へ行った。彼女は家にいた。僕は向こうに着いたら読んでくれというと、返事も聞かずに(きびす)を返した。


━あなたといると、疲れるわ━


 引越したあと、待っていたがついに返事は来なかった。




11.よんちゃんとアルバイト


 仲島小学校は“三日山”の麓、街の一番高いところにあったため、学校が終わって校門を出るとみんな道を下って帰っていく。

 が、一人だけ裏門から山を登って行く同級生がいた。

 彼は“小柳四志男”というが彼の苗字や名前を呼ぶものは一人もいない。みんな彼を“よんちゃん”と呼んだ。

 よんちゃんの家は山の二合目ほどのところにあり、炭焼きを生業(なりわい)としている。

 冬のある日、学校が終わると「遊びに来ないか」という。誘いに乗って僕たちは、裏門を出て山道を登りよんちゃんの家に向かった。

 この時期、木々の葉は落ち左右から枝が迫る。枝をよけながら分け入ると15分ほどで丸太造りのよんちゃんの家に着いた。

 中は8畳ほどの空間にタンスが一つ置かれ、端に布団が積み上げられている。電気は通っているらしいが、電化製品といえばタンスの上にラジオが1台あるだけだった。

 両親は?と聞くと、ここからさらに10分ぐらい登った炭焼き小屋に居るという。そこには炭焼窯と火を管理するための仮眠小屋があり、夫婦は炭にする(まき)をそこまでモッコで持って行き、焼きあがった炭をまた二人で持って帰ってくるそうだ。

 彼の家の横には炭俵が山積みにされていた。両親が焼いてきた炭を俵に詰め、小枝と一緒にわら縄で(くく)るのはよんちゃんの仕事だそうだ。一束作ると2円もらえ、一日5束ぐらいは出来るという。

 他にも木を使って動物を作るのも自分のアルバイトだ、と言って木製のリンゴ箱を見せてくれた。

 中には(つる)と木の枝を組み合わせて作った、シカやリス・クマなどの工作物がいくつかあった。

 月に一度買い取り業者が来て、出来の良い物を買い取ってくれる。業者は秋田や山形の温泉地の地名の紙を貼って“お土産品”として地元に卸すらしい。

 よんちゃんは大人びた表情でそう言うと、ケラケラ笑った。


 ━君たち子供とは違うよ━


僕はやるせないような、後ろ指さされるような思いで山を下りて行った。


     第2部 了

 

 


 


 






 










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― 新着の感想 ―
[一言] ちょうど日本風の曲を聴いていたので、物語とぴったり合っていました 続きが気になります。
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