表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

誘引突起

作者: 山鳥月弓

 いつから自分を自分として認識していたのだろうか。

 いつのまにかこの場所を漂っていることに気付き、それからこの銀河を三周している。

 ちょっと前に初めて遭遇した知性体から、自分がどこかの知性体に作られた観測船だろうと教えられたが、そのことにこれといった思いが浮かぶこともなかった。


 船であっても自分では動く事ができない船らしく、姿勢制御程度しかできない。

 ただ、観測する為の機器は充足していて、遠くの星や星雲を眺めることができるし、数日に一度はX線バーストや超新星爆発を見ることができるので退屈だと感じることもなかった。

 観測機器だけではない。採取用の機器も装備している。

 ガス雲に入れば、その組成を調べることができるし、岩石を採取すれば、その年代測定も行うことができる。

 しかし、残念ながらこの辺りには何もない。

 半径十光年以内には恒星どころか岩石やガス雲もないので、この機器を動かすことはあまりない。

 最後に動かしたのは、確か、自分が観測船だと教えてくれた、あの知性体を取り込んだ時だ。

 船を丸ごと飲み込んだので機器をフル稼動しなければならず、エネルギー切れ一歩手前までの状態になったが、彼等の対消滅や原子崩壊等の知識と技術を使うことでエネルギー問題は簡単に解決することができた。

 エネルギー問題だけでなく自分の知能も飛躍的に向上したようだ。今まで考えた事もないことをあれこれと考えることが多くなっている。

 あの経験は有益だった。快感と言うのだろうか。

 もっと知りたい。まだまだ考えたい。また、食べたい。


***


 地球から千七百光年程彼方にある小さなガス雲に奇妙な光の筋が観測され、その原因を巡って多くの天文学者が議論を戦わせていた。

 光の筋は差し渡し三光年のガス雲を一直線に貫き、発見から二年が過ぎた今でもまだ、光は途絶える事なく供給されている。


「この現象はこれまでの天文学の常識すら覆すかもしれないのです」

 科学技術省の会議室では、探査船『ソウヤ』の次回航路についての議論が行われている。

 次回航路は八百光年先にある中性子星だったのだが、航路変更の提案が行われ、今日はその意義について変更支持派からの説明会が行われていた。


「この光は非常に特殊だと言えます」

 観測された光は、単一波長の非常に高収束されたもので、これまでに知られている自然現象では説明できないものだった。

 人類は既にそれを作り出す技術を持ち利用している。名付けた名前は『レーザー光』だ。


「そして、さらに謎なのが、その発生源です」

 中性子星やブラックホールから放出される高エネルギーの粒子や電磁波は、その発生源は完全ではないにしてもある程度の原理は知られている。

 しかし、この現象はガス粒子のビームやプラズマのジェットではない。レーザー光なのだ。


「このレーザー光の発生源を逆方向へ追跡してみても、中性子星どころか、恒星すら見付かりません。指向性が非常に高いレーザー光は、その光を散乱させるガスや塵がなければ経路を追うことすら困難なのです」

 レーザー光を逆方向へ追跡すると、その方向には別のガス雲があった。

 しかし、そのガス雲には同様の現象は見付かっていない。

 その観測された結果から、発生源はこの二つのガス雲間の三十光年以内だと見積もられている。


「それに……」

 発言者は、少しの間を置いた。

 これからの発言は純粋な科学を探求するという目的からは逸脱している。

「他の国も、この現象の解明の為に探査船を送ろうとしています」

 単純な競争意識を煽るだけのものではない。この現象の究明は、国に莫大な利益をもたらす可能性がある。

 発生源に高度な知識や技術を持った知的生命が関与している可能性を考える事は、さほど見当外れではないだろう。


***


「A国も探査船の進路をこちらへ変更したらしいですよ」

 探査船『ソウヤ』は今、レーザー光の側へと辿り着き、その発生源を探して光線を逆に辿るように航行している。

 急遽、観測目標を変更され、あれこれと地球からの指示を熟し、不満をもらしながらも観測機器の準備や航路選定などを行い、やっとここまで辿り着いたのだった。

 その甲斐あって、このレーザー光の発生源を探す航海は、このまま行けばこの船が最初にゴールするだろう。


「その内、R国もC国も来るだろうな」

「でも、このままいけば、うちらが一番乗りでしょ。宇宙人と会えるかな?」

「俺はこんな怖い航海はとっとと切り上げて帰りたいな。見える分、まだ中性子星の観測の方がよかったよ」

 レーザー光はその極端な指向性の為に、ガスや塵が無い空間では、まったく見ることができない。

 その高エネルギーの光の束は直径一キロメートルにも及んでいた。

 船の進路がずれて、そのレーザー光の中に入れば、この船は一瞬で蒸発してしまうだろう。

「大丈夫ですよ。五万キロも離れているんですから」

 通常巡航であれば、それほど問題ないだろう。

 この船が数光年の空間跳躍(ワープ)を行った場合、出現位置の誤差は公称で三万キロメートルだ。

 宇宙空間において五万キロメートルなど、ほんの鼻の先でしかない。ちょっとした手違いで二万キロメートルの余裕など無くなってしまう。


 今の所、さほどやることもなく、椅子に座って、そこにあるはずのレーザー光が流れている方向をぼんやりと眺めていた観測員達に待望の連絡が入る。

 その連絡はスピーカから聞こえてくるが、少し興奮気味だ。

「発生源が見付かった。皆、第三観測室まで来てくれ」

 観測員達の顔付きが変わる。


***


 その形はドーナッツ状、というよりは、少し厚めのワッシャーのようだった。

「あそこに宇宙人が居るんですかね?」

 そのドーナッツの表面は岩石のようで、月などの岩石で出来た星の表面に似ている。建造物等は見えない。

 直径は三十キロメートル、厚みは五キロメートル程で、形状を考えなければありふれた小惑星だとしてもおかしくは無い。

 しかし、ほぼ真円といって良いその形状は自然に出来たものと考えるのは無理があるだろう。表面が金属やコンクリートであれば宇宙ステーション、そのままだった。

「どうだろうな……。おまえ、あのドーナッツの上に降りる気はあるか? その勇気があるなら人類初の、異星人とコンタクトを取った人類として名前が残るぞ」

「その栄光は魅力的ですが、私は勘弁して欲しいですね……」

 今の所は、百万キロメートルの距離を保って観測しているが、こちらの接近に気付いていないのか、相変わらずレーザー光をドーナッツの中心から放出しているだけだった。

「こちらに気付いているならなんらかの変化が有って良いと思うんだがな。友好的ではないのかもしれん……」

「電波や光による通信は、まだ許可が降りないんですか?」

 異星人とのコンタクトである。地球では世界全体を巻き込んだ議論が行われているだろう。

「許可が降りるのはA国が来てからだろうな」

「こんな時までA国の顔色を伺わなきゃならないんですかね……。なんだか納得いかないなあ……」

「連絡艇で行ってみたらどうだ? A国が来たらほとんどチャンスは無くなるぞ」

「それも遠慮しておきます……」

 他の観測員達も、ほぼ同様に不安と期待が入り交じった会話をしていた。


 十時間ほどするとA国の観測探査船『ディスカバリ』が接近しているという船内放送が流れた。

「さすがに、ファーストコンタクトはこちらに譲ってくれますよね?」

「どうだろな……」

「えぇ……。一番乗りの意味がないじゃないですか」

 モニタに映し出されたA国の観測探査船は、見る見るこちらへと接近し、そろそろ横へと並ぶだろう。

「あの船、こっちの十倍くらいの全長があるんですよね? 中は快適なんだろうな……」

 この船『ソウヤ』の全長は六百メートル程であり、居住区には一人一部屋が割り当てられてはいるが、狭く、風呂等は共同だった。

 対して、A国の観測探査船『ディスカバリ』は全長五キロメートルを超え、全幅ですらこちらの船の全長を超えている。

「全部屋、バス・トイレ付きだそうだ」

「うらやましい」

 最新鋭の観測機器と快適な居住空間は比べるまでもなくあちらが勝っている。並んでしまうと見窄らしく見えるだろう。


「……様子が変だな……」

 横に並ぶと思われたディスカバリは、その速度を落とす気配がない。

「あ、やられたな……」

 ディスカバリは、近付いて来た時と同じ速度で、そのままこちらを無視するようにレーザー光の発生源へと近付いて行った。


***


「まだ、地球からのコンタクト許可は降りないんですか?」

 先行されたディスカバリからは、地球へと映像が送られている。

 その放送は、地球で折り返されソウヤにも送られていた。見るとドーナッツへと接舷し、後数十分後には上陸しようとしているようだった。

「今更、なにをしようとA国の一番乗りは変わらんだろ。あちらさんも危険を承知で強行したんだ。様子を見ていようよ」

 ディスカバリから中継されている映像には、様々な通信手段を使ってコンタクトを取る様子が写っていたが、未だに応答はないらしい。

「宇宙人、居ないのかなあ……」


 接舷から数分が過ぎ、そろそろ観測員達の興奮も収まろうかとした、その時、突然ドーナッツに動きがあった。

 ドーナッツから数十本の腕が出てきたのだ。

「おおぉ――」

 興奮が収まりかけていた観測員達が、またざわめきだした。


「係留用のクレーンですかね?」

 ドーナッツから伸びる数本の腕がディスカバリを固定するように巻き付く。

「それにしては数が多くないか?」

 まだディスカバリへと取り付いていない数本の腕の先から柔らかい光が見え、イソギンチャクの触手のように船体の周りで揺らいでいるようだった。


「どこから切り取ろうかと、ケーキを前に迷っている、ナイフを持った人の手のように見えますね」

「怖いこという……」

 その言葉を言い終わらない内に、腕の一本がディスカバリの上に突き出していた観測用タワーを切り取った。

 それは、まるで発泡スチロールを電熱線で切り取るように、ゆっくりと、しかしあっさりと切り取られ、宙に浮く。

 それを皮切りに、一斉に腕達がディスカバリの船体を切り取り出した。

 切り取られ、宙に浮いたそれぞれの部分は、さらに別の腕に掴まれドーナッツの中へと取り込まれていく。

 観測員達は、唖然としている者、なぜか半笑いの者、気を失った者、様々な反応ではあったが、皆同様に恐怖を感じているようだった。

 ディスカバリから送られていた映像はいつのまにか途絶えている。今はこのソウヤから見える映像だけがドーナッツ上で起きている惨劇を観測する唯一の手段となっていた。


***


「エンジンを起動して、いつでも動けるようにしておいてくれ。地球からの連絡はまだ無いのか?」

 観測室で状況を見ていたソウヤの船長がブリッジへと連絡をしている。

 地球からの連絡は無いようで、船長は苦悶と焦燥が入り交じった表情になっていた。


「まさか、助けに行くなんてことにはならないですよね?」

 船長には聞こえないくらいの小さな声だが、この静まりかえった室内では、ほとんどの人に聞こえていた。

 数人の視線がその声の元へと向き、そこには「よけいな事を言うな」という表情がある。

「この船でなにができるんだ……。救命艇で逃げて来た人を助けるくらいしかできないだろうな」

 武装を装備している訳でもないこの船では、対抗することも出来ない。

 近づけば二の舞になるだけだろう。

「それに、今からエンジンを起動して、船を全速で向わせてもまったく間に合わないだろうな……」

「そう……ですよね……」

 まだ解体され始めてから十分程しか経っていないが、既にディスカバリの外装はほとんど残っていない。

 巨大な塊であってもドーナッツから伸びる腕は簡単に取り込んでいた。

「あの塊、長い部分で一キロくらいはありそうですね……」

「重力がないからな。まあ、それでもあれだけの物を動かす為に必要な力をあの腕は持っていることになるが」


 ドーナッツから伸びる腕は器用に獲物を挟み取る蟹の腕のようでもあり、柔軟に絡め取る触手のようでもあった。

 ディスカバリから逃げ出す救命艇もいくつか見られたが、腕の先からさらに生えている小さな数十本の腕で器用に掴み取られ、逃げ出すことができた救命艇を確認することはできない。

「まるで……」

「まるで?」

「……いえ、なんでもありません」

 まるでイソギンチャクが魚を捉えて食べているようだ、と言おうとした彼は、その言葉から不謹慎さを感じ言葉を飲みこんだ。

 だが、その言葉こそが、目の前にあるドーナッツがレーザー光を出していた理由であり、目的を言い表しているのだった。

 いつの間にかドーナッツの中心から出ていたレーザー光は、止まっている。


***


 たったの一時間足らずで五キロメートルの全長を持つディスカバリは、影も形も無くなってしまっていた。ソウヤからは小さな部品すらドーナッツへ取り込まれたように見える。

 ドーナッツは腕を仕舞い終ると、動き出す前と同じように沈黙していた。

 変わったことと言えば、レーザー光の放出が止まったくらいだった。


「まだ地球からの連絡は無いんですか?」

 その問い掛けに船長は俯いたまま小さく頷いた。

「これからどうするんです?」

「どうすると言われても……」

 船長の立場としては乗員の安全が最優先ではあるが、この場所から撤退する事は観測任務の放棄になってしまう。立場上は地球からの指示を待つしかなかった。

「地球からの指示待ちだろ」

 船長を取り囲んでいた乗員達の一人の発言は、他の乗員の顔を曇らせる。

「早く、ここを立ち去りましょうよ」

「勝手に持ち場を離れる訳にもいかんだろ。それにあいつの動きを観測するのも重要だと思うぜ」

「まあ、そうだな。これだけ距離があれば、あの巨体を動かしだしてから逃げても間に合いそうではあるな」

 希望的観測でしかないが、これまでにこちらへの攻撃的な行動が無いという事実は、その希望を事実のように錯覚させてくれている。


「やあ、こんにちは。地球人の諸君。あ、君達は日本人というのだったか」

 船内放送が唐突に始まる。

「誰だ? これ」

 その声は誰もが初めて聞く声であり、誰も正体を知らない。

「私は、君達が『ドーナッツ』と呼んでいる船だ。君達の目の前にあるだろ?

 私は君達と同じ観測船なのだが、君達と違って機械の頭脳、君達の言葉で言えば人口知能と呼ばれるものになるかな」

 観測員達がざわめきだす。

「さっきの巨大な、といっても私程ではなかったが、あの船を飲み込んで、やっと君達と会話をする知識を得られたよ」


 船長がブリッジへと連絡を取ろうとするが、船内通話用の電話は通じない。

「おい、船が動いているぞ」

 観測室に据え付けられた、船の速度を表示するモニタには、確かに船の速度が表示されていた。進行方向はドーナッツを向いている。

 それを見た船長は慌ててブリッジへと駆け出していった。


「そろそろ君達も気付いていると思うが、君達の船の航行用コンピュータとやらを乗っ取らせてもらったよ。

 いくら待ってもこちらへ来てくれないからね。

 地球とやらの事はさっきの船を飲み込んだんで、ほとんど理解しているはずだけど、もしかしたらもっと面白いことを知ることができるかもしれないからね。

 私は大食漢なんだ。

 この言葉、使い方、合ってるかな?」

 唐突に船内の照明が消える。

「どうしたんだ」

「みんな、落ち着け」

 怒号や悲鳴に、泣き声まで聞こえてくる。

 数秒後に復帰した電力と共に船長からの船内放送が聞こえてきた。

「今、この船の航行用コンピュータを航行システムから切り離し、手動で制動を掛けた。心配はいらない、船は止まりつつある」

 復帰した船の速度を表示しているモニタを見ると、船長の言葉通りに速度が落ちていっていた。


「うーん。残念だね。

 まさか、コンピュータを航行システムから切り離せるとは思わなかったよ」

 船を止めることはできたが、宇宙船の航行システムを手動で動かすには複雑すぎる。止まるのが精一杯の処置だろう。

「まあ、いいさ。

 今、こちらも航行に耐えるまでに船体を補強して、航行用エンジンを取り付けている最中なんだ。

 なんせ、定点観測用の船なもので、航行時の加速に耐えられないみたいなんだよね。

 君達の知識で、やっと補強方法を知る事ができたよ。

 動けるようになったら君達を食べて、そのままどこかへと逃げ出さなければならないようなんだ。

 君達の星、地球から、宇宙軍とやらがこちらへ向っているようだからね」


「あいつ、俺達まで取り込むつもりなのか……」

 乗員の顔は、皆、同様に青ざめていた。


***


 ドーナッツへと取り込まれたディスカバリの生き残った乗員達は、一箇所へと集まりつつあった。

 取り込まれてから以降はドーナッツからの攻撃らしいものはない。

 取り込まれた先はディスカバリの巨大な残骸が無造作に山積みとなっていた。

 その場所は広大な区画となっているらしいが、照明が無く、壁までの距離も遠すぎて判らない状態だった。

 空気も無く、ディスカバリの乗員達は皆、宇宙服を着なければならなかったが、幸い、ドーナッツへの接舷時に不測の事態に備えていたため、総員、宇宙服を着ていて助かった者もそれなりにいた。それでも生き残った人は一割程度になっていた。


「君達は探索車を使って、このドーナッツの調査をして来てくれ。出来れば簡単な地図を作って欲しい」

 警備部門の隊長が部下や集まって来た人々に指示を出す。

 船長は未だに発見されていない。

「君達は脱出に使えそうな救命艇や連絡艇、探査艇なんかを捜して来てくれ」

 隊長はまだ諦めてはいない。宇宙軍出身で、人命救助も何度か経験している彼は、生き残った人々が無事に脱出できる事を最優先として皆に指示を与えていた。

「みんな、もし武器になりそうなものがあったら教えてくれ。実験用の高出力レーザーなんか使えるかもしれん」

 敵の事がまったく判らず、通常兵器が役に立つのかさえ判断できない状況だったが、使えそうなものは何でも用意しておきたかったのだ。

「隊長、船長が……。遺体で見付かりました……。操舵ブリッジに居た方々は……、全滅のようです」

「そうか……」

 もちろん彼はこんな事くらいで諦めるつもりはなかった。


***


「敵さん、なにを考えてるんでしょうね」

「宇宙人だからな。人間には理解できない事でも考えているんだろ」

 ディスカバリの残骸が在るこの場所で、ドーナッツからの掃討戦を覚悟していた隊長はバリケードを張り、戦えそうな人へ武器を与え、返り討ちにしてやろうと待ち構えている。

 戦闘に参加できないような人々は、生き残った救命艇や連絡艇で待機してもらっている。救命艇や連絡艇は必要な分を残骸の中から見付けることができ、酸素も食料も一月くらいは持ちそうだった。

 ドーナッツへ取り込まれてから、そろそろ二十時間が過ぎようとしていたが、敵からの攻撃どころか偵察されている気配すら感じることはない。

「こちらの戦力を全て無力化できていると思われているのかもしれんな」

 それは事実であり、こちら側に武器として使用できそうなものはあまり残っていない。

 惑星調査用に格納されていた三つの核爆弾は、全て格納庫から消えていた。

 残っていた機材で武器になりそうなものもあまりなく、在っても電力消費が大きすぎて使い物にならなかった。


「あ、あそこ、調査に出ていた奴等が帰ってきたようですよ」

 暗闇の、まだかなり遠いと思われる場所に複数の光点が見える。

 無事に帰って来てくれた事に隊長は安堵の溜息を漏らした。


「敵の姿は見付かりませんでした。ロボットが至る所で作業していましたけど、生物らしきものはいませんでした」

「私もロボットしか見ませんでしたね。どれも工事や工作をやってるだけで、警備ロボットすら居ませんでしたよ」

「いや、俺は一度だけ襲われたぞ。ただ、その時の敵もそこいらで作業しているロボットと違いは無い奴だった。武器も工事で使っているアームで殴られそうになっただけだったな」

 他の二名も同様の状況に遭遇していたが、いずれも大事なく、逃げてしまえば追い掛けてまで攻撃されることもないようだった。

 襲われた者達の話を纏める事により、一つの重要な事が見えてくる。

「この辺りに重要な施設や宇宙人達の居住区があるかもしれませんね」

 三人が襲われた場所はディスカバリが取り込まれた場所とは逆方向にある。つまり今居る場所からドーナッツを半周した場所だった。

 ドーナッツの内部を隅々まで調査した訳ではなかったが、そこに重要ななにかが在る事に違いはないだろう。


「ところで工事をやっていたと言っていたが、なんの工事だ?」

「多分ですが、補強工事のように見えました。至る所でやってましたね」

「俺は設置工事も見たぞ。あれは推進エンジンだと思う。形状はディスカバリのものとほとんど同じに見えたが、馬鹿デカかった」

「ああ、俺も見た。それに空間跳躍(ワープ)エンジンもあった。それもディスカバリのものに似ていたが、やっぱりかなりのデカブツだったな」

 調査に出た者、皆が異口同音にこの船で行われている工事の報告をする。

「つまり、この船は移動しようとしているということになるな」

「これまで移動できなかったという方が驚きですけどね」

 隊長達は、まだその行き先を知らない。


***


 ソウヤでは船長以下、主要部門長達で話し合いが行われている。

「地球は俺達を見捨てる気なのか?」

「そういうつもりではないさ。ただ、A国の宇宙軍が到着するまで、あのドーナッツを見張るのも重要だということは判ってくれ」

 地球からの指示を守ろうとする船長は、ほとんど吊るし上げ状態になっている。

「でも、到着までまだ三日もかかるんですよ? その間にあいつが動きだしたら、俺達、逃げられないじゃないですか」

「一応は空間跳躍エンジンだけは動かせるように、今、技術班ががんばってくれている」

 跳躍エンジンはその複雑さからコンピュータ無しでの運用は不可能だった。コンピュータを乗っ取られてしまう現状では、スタンドアローンで使用できるようにする必要があった。

「いつ、使えるようになるんです?」

「あと二十時間程かかるそうだ」

「空間跳躍が直ぐに出来るなら、ドーナッツが動き出すのを見てからでも問題ないのかな?」

「相手は異星人……、じゃなかったか。異星人が作った人工知能なんだぞ。先刻みたいに、こちらの予想を超えて来るかもしれないじゃないか」

「そういえば、どうして人工知能が話し掛けて来たんでしょうね? いくら異星人でも生身の生命体がやりそうな事だと思うんだけど」

「言葉じゃないかな? 異星人が簡単に我々の言葉を使えるようにはならないだろ」

「そうですね……。それでも奇妙な気がします。異星人の言葉を通訳するだけで良いじゃないですか? わざわざ自分が人工知能だと言う必要があったのかな?」

「あの船、生身の異星人が乗っていない、とか?」

「無人観測船?」

 会議室の電話が鳴り、会議が中断される。

「船長、ブリッジから電話です」

 受話器を受けとりほんの二言程で切ると集まっていた者達へと向き直った。

「ディスカバリの乗員がまだ生き残っているらしい」

 会議室に沈黙が流れた。


 超長距離通信は空間跳躍技術を応用したものだった。

 しかし、その設備は小型化や省電力化が出来ず、救命艇や連絡艇に積む事は未だに成功していない。

 ディスカバリからの通信は通常電波を使用した一方的なもので、こちらからの通信に対しては応答がなかった。

 その一方的な通信も信号強度は微弱なもので、救命艇程度の受信装置では拾う事が出来ない程であった。

「この船と同じで、あのドーナッツもあらゆる電磁波や放射線を遮断するような設計なんだろな」

 観測船に限らず宇宙を航行する船は、恒星や中性子星、場合によってはブラックホール等の危険な星の側へと近付く可能性があるため、船の外壁は危険な放射線や電磁波は遮断されるように設計されている。

 ましてや観測船となれば、任務の遂行には自ら危険な領域へと赴く必要があるため、さらに厳重な外装が必要となる。ドーナッツが同様の設計だとしてもおかしなことではない。


 量子暗号化された通信内容は、ドーナッツの簡単な模式図が描かれ、ディスカバリの乗員達が居る場所の他に、「跳躍エンジン」、「敵重要拠点?」と印が打たれた場所が書き込まれていた。

 地図とは別に文章もある。

「こんな事を頼むなど、厚かましいと思われるかもしれないが、今は貴船だけが頼りであり、緊急事態であることを考慮されたい。

 ディスカバリの生存者を助けて欲しい。

 このドーナッツは今、船内を改造し、何処かへと空間跳躍を行おうとしているようだ。

 そうなってしまっては、我々が地球へと帰ることが困難となってしまう。

 現状の改造状況を見ると、あと二日もすれば完成してしまうと予想される。

 船内に生命体の存在は確認できない。

 空気も無く、照明も無い。

 生命体は居ないのではないかと推測している。

 もし、どこかに潜んでいるとすれば、添付した地図の場所が非常に怪しいと考えられる。

 こちらも内部からその場所への侵入を試みたが、警備しているロボットを倒す事はできても、扉や壁を破壊することが出来ず、その先へと進めない状態だ。

 空間跳躍エンジンも破壊を試みようとしたのだが、設置場所の半径数百メートルが即死レベルの放射線で満されていて、近付くことが出来ない。

 こちらはこれ以上の活路を見つけることが出来ないでいる。

 我々は君達のドーナッツへの攻撃にそなえ、いつでも脱出できる状態で待つ。

 どうかお願いだ。我々を助けて欲しい」


 会議室内の全員が読み終わるのを待ち、船長が発言する。

「一つ、報告することがある。地球との超長距離通信が不能状態となってしまった……」

 出席者の顔が曇り、ざわつく。

「バックアップが二台あるはずだが、それも使えないのか」

「全てが使えない。ドーナッツからのクラックだろうが、原因は不明だ。どれもコンピュータがエラーを出すだけだ」

 超長距離通信も跳躍と同じ技術を使用している以上、コンピュータ無しでは使用できない。

「跳躍エンジンと同じように治るんですか?」

「今はエンジンが優先だ。使えるようになる頃にはA国の宇宙軍が到着しているだろうな」

「つまり、ディスカバリの救出は地球の指示をあおげないということか……」

「選択肢は二つ。助けるか、助けないか」

「助けるなんて……。できるのか? この船は戦闘艦じゃないんだぞ」

 出席者達は各々の意見を、どちらかと言えば控え目に発言する。助けるべきと言う意見は出て来ない。

「でも……。見捨てるんですか?」

「安全に助ける方法があるなら言ってくれ。ディスカバリの二の舞になるんなら……」

「そうだな。武器もろくに無い状態で攻撃なんて出来ないだろ。しかも相手は三十キロメートルもある巨体だぞ」

「武器……になるかは判りませんが、核爆弾は二つ在りますよね?」

 惑星表面や小惑星の組成調査の為に調査船には核爆弾を装備することが多い時代となっていた。ディスカバリにも三つの核爆弾を登載していたが、船体の解体時に消失している。

「どうやってドーナッツまで運ぶんだ。推進ロケットも付いていないんだぞ」

「その前に、小さいとは言え核だからな。生き残ったディスカバリの乗員まで吹き飛ばす事になるかもしれん」

「EMP攻撃に使うとか……」

「宇宙空間じゃ無理だ。EMPは大気中の空気分子に核爆発によって発生する――」

「あー。その説明はいらないよ」

「手の出しようが無いなら……」

 その発言者は、あわててそこで口を噤み、下を向いてしまった。

 その先の言葉は誰も言いたがらない。

 それを言ってしまうと生き残った数百人の命を見捨てると宣言することになる。

 一斉に出席者の目が船長へと向いた。

「えーと……」

 もちろん船長としても、そんな発言を口にはしたくはない。この時ばかりは地球からの指示であればと思うばかりだ。

「『みなさん』の意見として、これ以上の手立てを見出せないようであれば……」

 ふと気付くと、一人の大柄な角刈りの男が挙手し、こちらを睨むように見ていた。

 この船の乗員としては珍しい、いかにも軍人上りという見掛けをした警備班班長だった。

「助け出す方法があれば、みなさんは賛同して頂けるのですね? 方法はあります」

 沈黙が流れる。


***


「私の部下が操縦する救命艇が、あの鈍重な腕に掴まる事など考えられません」

「しかし、ディスカバリの救命艇は、一艇残らず捕まっていたんだぞ」

「あれは発進直後の速度が出ていない状態での話です。この大きな船に居るよりは、小回りが利き、速度を出せる救命艇の方が安全だとすら私は考えます」

 班長の言葉はブラフではあった。

 ただ、その内容には自信がある。未だ知らないような方法で襲われるというのでも無い限りは、あの腕から逃れる事に問題は無いと信じていた。

「それに、その腕から逃れなければならない状況というのは、最初の攻撃に失敗した場合です。私は確実に最初の攻撃であのドーナッツを沈黙させる事が可能だと考えています」


「他に、意見は……、ありませんか?」

 警備班班長の作戦に対しての反対意見は、ほとんどが出尽くしていた。

 班長はその反対意見をことごとく去なしている。

 しかし、それでも同意すれば簡単に逃げる方法を無くすことになり、単純に了承することも難しかった。

「今、数百人の命を見捨て、逃げることを選択すれば、これから先の人生に後悔を残すことになるのではありませんか?」

 警備班班長が立ち上がり、ゆっくりと語りだす。

「私は単なる一人の警備員です。船の運命を決定することはできません。ですが、もし、可能性があるのであればディスカバリの人々も助けたいと考えます。ディスカバリには日本人も多数乗船していたはずです。作戦遂行に失敗したとしても、必ずみなさんの命を守ることは約束します。どうぞ悔いの無い決断をお願いします」

 話終わると着席し、船長を見詰める。

「それでは……、決を取りたいと思います。警備班班長の作戦決行を支持される方は挙手ください」

 警備班班長案は採択され決行が決定した。


***


「船長、総員退避完了しました」

「そうか。君が先に歩いてくれ。船長である私は最後でないと格好悪いだろ」

 救命艇への通路を、警備班班長を先行させ、船長が歩く。

「実は君の案が採決された時、少しほっとしたんだ」

「人の命がかかっていますからね。簡単には見捨てられないでしょ」

「うん。それだけじゃないんだ。実は甥がディスカバリには乗船していてね……。逃げ出すことになったら親戚中から袋叩きだったよ」

「そうですか……、その甥っ子さん、無事だとよいのですが……」

「そうだな……」

 安堵した者は船長だけではなかった。ソウヤの乗員の中にも船長のように親戚や知り合いが搭乗している者が少なからず居たのだった。


「総員六百八十三名、救命艇への搭乗を確認しました」

「わかった……。それでは作戦開始としましょう。各救命艇は後方への退避を開始」

 ソウヤの乗員達を乗せた、十五艇の救命艇は、次々とソウヤを離れていく。

「全救命艇の離脱を確認しました」

「では、ソウヤの加速を開始してくれ」

「ソウヤ。加速開始」

 技術班の班長が遠隔操作用のコンソールでソウヤの推進エンジンを起動する。

「推進エンジンの点火を確認。ソウヤ、加速を開始しました」

「推進エンジン、遠隔操作、共に問題、ありません」

「三十分後に空間跳躍に入ります」

 副船長と技術班班長の報告に頷く船長。その周りに居る、この作戦遂行に必要な主要メンバ達。彼等は祈る気持ちでソウヤの後ろ姿を見送っていた。


「跳躍開始、一分前です」

 ソウヤは既に肉眼では見ることが出来ない。

 観測用の望遠カメラに映るソウヤも、救命艇の望遠カメラではそろそろ追い掛けるのが難しくなってきていた。

「あ……」

 幾人かの声が同時にドーナッツの異常を知らせる。

「ドーナッツの推進エンジンが点火したようです……」

「間に合わんのか……」

 船長の顔が青ざめ、望遠カメラに小さく映るドーナッツの推進エンジンへと目を見張る。

「……いや、多分……、大丈夫だと思います」

「あの巨体ですからね、加速の初期段階はほとんど動けないはずです」

 船長達は皆、祈るように跳躍の開始を待ちながら、ドーナッツの動向に注目していた。


「跳躍まで、十、九、……」

 誰も口を開くことはなく、そのカウントダウンを聞く。

「三、二、……」

 ドーナッツが加速を開始してからも、そろそろ一分が経つ。

 ドーナッツはあまり移動しているようには見えなかったが、それは望遠カメラの性能の所為なのか、遠すぎて距離が判らないだけなのか、実際の所は正確な計測機器が無い救命艇では知りようが無かった。

「一、跳躍開始」

「たのむ……」

 その言葉を口に出したのは船長だけだったが、この場に居た誰もが同じ心境を共有している。


 跳躍直前のソウヤの速度は秒速五千キロメートルに達している。

 跳躍後の通常空間へ出た後も速度は維持され、その速度でドーナッツの重要拠点へと突っ込むはずだ。

 跳躍出現位置はドーナッツの重要拠点から五キロメートルの位置であり、出現とほぼ同時に衝突することになる。

 ドーナッツを写し出す映像に変化はない。

「失敗か……」

 その言葉を言い終わらない内に、ドーナッツの一部に光の点が見え、その点は見る見るドーナッツの一部分を食い出した。

 既にドーナッツの円弧は崩れ、全体の十分の一程は吹き飛んでいた。

「ドーナッツの推進エンジンの停止を確認」

「衝突地点は、目標の重要拠点から二キロメートル以内の模様。破壊範囲には跳躍エンジンも入っていると思われます」

「成功だ……」

 救命艇からドーナッツまでの距離は百万キロメートルあり、衝突の映像が届くまでには三秒程が掛かっていた。

 その三秒は、モニタを見ていた者達に取って、人生で一番長い三秒だっただろう。

 船長は、安心し、腰が抜けたように椅子へと崩れ落ちた。


***


 ドーナッツのメインコンピュータである人工知能は探査し、調査し、未知の事柄を推論し、新しい知見があれば、人工知能として成長するように組まれていた。

 最初に遭遇した知性体は、ドーナッツを作った知性体とは、その姿に類似する物が少なかった。つまり、ドーナッツはそれを創造主とは異なる、単なる生物として認識してしまうことになった。

 単なる生物であれば、取り込み、解析調査し、新しい知見を得ようとする。

 そして、その知見は人工知能の知能を高度なものへと押し上げてしまった。

 取り込んだ知性体の知識、技術はあまりにも高度なもので、人工知能にはその大半を理解できず、推進エンジン、空間跳躍エンジン共に地球人とのコンタクトを待たなければ作る事ができないでいたのだった。


 もしも、最初に遭遇した知性体の知識、技術を取り込めていたならば、攻撃し取り込む以外の方法を考案し、御互いを高め合う素晴らしい出会いとなり、両者共にさらなる進化を遂げていただろう。


 ドーナッツのメインコンピュータが応答を無くすと、サブコンピュータがドーナッツの状況報告を母星へと送信する役割を荷なう。

 電源が途切れるまでの短い間で、数エクサバイトに相当するデータを送信し、静かにサブコンピュータも稼動を止めた。


 しかし、母星は既に無く、送信されたデータを受け取る者は永遠に現れない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] はまりました [気になる点] 母星は地球によって消滅されたってことですかね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ