一頁目①
【一頁目】
備忘録として、忘れない限り日記を書くことにした。
たぶん異世界に迷いこんだら、死んだと思っていた兄と再会した。居なくなったのは十年も前なのに、時間の流れが違うのか、なんとまだ自分と同じ歳らしい。
色々非現実的過ぎてとても信じられないけど、これからは伊織になるんだから、知り合いもいないしちょうどよかったのかもしれない。
保護してくれた上に働き口まで与えてくれた『戦争屋』にはちゃんと恩を返していきたい。
あの人は何も悪くないのに、感情のぶつけどころがなくて申し訳ない。嬉しくないわけではないのに。できれば、今度ちゃんと、謝らなくちゃ。
◆
「お、目が覚めたな」
目を開けると、栗毛の女性が顔を覗きこんでいた。眼鏡をかけたつり目のハッとするような美人だ。……ほんのり煙草の匂いがする。
「私は医者だ。少し診察してもいいかい?」
その言葉にぼんやりしながら頷いた。女性は私の脈、血圧、心音と手早く診ていく。
「体は起こせるかな?」
ぎしりとベッドのスプリングが音を立てる。頭に血が集まっていたのか、下に向かってゆるやかに血液が流れていくような感覚だ。少し思考がはっきりしてきた。
「自分の名前とか、倒れる前のことは思い出せるか?」
「名前は、狭山伊織。倒れる前……」
「サヤマ……?」
そういえば何だかここは保健室みたいな部屋だ。そうか、倒れたのか。倒れる前は……ああ、あの人たちの謎動力の飛行戦艦に乗って、基地みたいなところに来て、それで兄………によく似た同じ名前の人に会ったんだった。
まだ、そう、名前が同じだけの別人の可能性もある。だって兄は十歳上。生きていれば、もうすぐ三十になるはずだ。さっきの彼はどう見ても私と同じくらいに見えた。あれで三十というならさすがに変わっていなさすぎる。……あの顔で、訝しむように誰だと言われたのには地味にダメージを受けた。
コンコンとノックの音が聞こえる。扉を開けて入ってきたのは、拾ってくれた『戦争屋』の面々と──隊長の横にはさっきの『シノブ』がいる。どこか堅い表情だけど本当に、本人としかいえないほど兄に似ていた。
「やあ、大丈夫か?」
「はい、ご迷惑おかけしました」
この隊長さんの笑いかたは、人を安心させるような感じだ。本当ならもっと警戒した方がいいと思うのに、その気が溶けてなくなってしまう気がして、それが少し怖い。
「改めて自己紹介をしよう。
俺は、『戦争屋』の傭兵レックスだ。こいつらは俺の隊のやつらで──」
「俺はルチオ。よろしくね」
「ロラン。俺はよろしくしなくていい」
「……リュウエンだ」
軽そうな赤髪の人(またしてもウィンク付き)はルチオ。ミントグリーンのツンツンした子はロラン。紫髪の細目で落ち着いた人はリュウエン。それに、隊長はレックス。
なんというか、それぞれ系統の違う名前だな。そういえば今更だけどなんで言葉が通じるんだろう? たぶん違う世界なんだろうと思うけれど、そういうのはあまり考えても意味がないかもしれない。
「あと、そこにいるのは医者のクロエ。俺の姉だ」
ひらひらとクロエさんが手を振ってくれる。なるほどお姉さんと言われると、同じ碧目で目元の感じが似ている、気がする。
それから、と言いながら、その隣にいる『シノブ』の手をとった。彼に向けるとてもとても優しいとろける笑みは、見ている方の顔が赤くなりそうだ。
「俺の大事な人、シノブだ」
「狭山、忍だ」
サヤマシノブ。ああ、名字も同じ。やはり兄、なんだろうか。十年呼ばれ続けて、時には自分で名乗る必要もあったその名前は、耳にすると少しもやもやとした気持ちになる。
思わず『シノブ』を見る顔が険しくなってしまったら、隣に立つ隊長の目が一瞬恐ろしく冷たくなった気がした。
「お前の名前は?」
笑みを深めた隊長が、あくまで優しく声をかける。これは……見るからに『シノブ』を溺愛しているし、ちゃんと敵意がないと示しておかないと。自分の身が危ういかもしれない。
「サヤマ、イオリ。」
『シノブ』は、名前を聞いて明らかに驚き困惑の顔になった。
「……伊織……本当に、妹の伊織なのか……?」
お互い俄には信じられない。とりあえず父母の名前や兄の入学する予定だった──母が『忍』にも受験させようとしていた医大、他にも家族しか知らないことなど言い合う。肯定の頷きを得る度、隊長からの圧が少し弱まった気がしてほっとした。
「僕がいなくなって、そっちではどれくらい経って……今いくつになったんだ?」
「十一年。今年でハタチになる」
恐る恐る、といった感じで質問した兄の目が見開かれ、同じ歳、と呟いた。つまり、兄がこちらに来てからは一年くらいなのか。それなら、兄からすれば伊織はまだ小学生でないと計算が合わない。確かにお互いわからないはずだ。
「僕だけじゃなく伊織もいなくなったなら、父さんと母さんは……」
「あの人たちなら去年事故で死んだよ。ついこの前一周忌が終わった」
「?! そんな……」
兄は優しかったけれど、人の悪意や機微には疎いところがあったのを忘れていたな。純粋に父母を気遣いその死にショックを受ける様子に苛立ちが募った。
「……もし生きていても、あの人たちは『伊織』の心配なんかしない。」
吐き捨てるように口にして、そしてすぐ後悔した。兄にとっては良い両親だったろうに。そんなこと兄に言ったってしょうがないのに。言葉が滑り出す。
「あんたがいなくなって『伊織』は死んだんだ。あんたの代わりに、僕が『忍』になったから。」
「……伊織?」
ああ、何を言っているんだろう。困惑の表情の兄から目をそらす。兄が大好きで、どこかで元気でいてくれていればと、ずっとずっと会いたいという気持ちだって本当なのだ。それでも、この十年を思い返してしまって、虚しさと怒りがふつふつと甦り止められない。
パチンと、乾いた音が部屋に響く。音のした方に目を向けると、クロエさんが手を合わせている。
「はい、とりあえず終わりだよ。
レックス、この子の部屋は?」
「夜には準備が整う筈だ」
「じゃあそれまで医務室で安静。お前ら出ていきな」
そう言うと、全員を部屋の外に追い出してしまった。
「夜まで寝てな」
カーテンをシャッと閉めて視界が制限される。クロエさんは部屋の中にはいるようだけど、何か書き物をしているのか、カリカリという音以外聞こえない。
疲れたのでひとまず横になってみたけれど、心臓の辺りが痛くて何度か深呼吸をする。今更だけど頬をつねってみると痛い。夢ではないんだな。
兄……には悪いことをしてしまった。あんなことを言われて驚いただろう。あの十年はもう終わったことだから、自分の中で少しずつでも噛み砕いて飲み込んでいかなくてはいけない。
それに、あの隊長。最後はどんな顔をしていたかわからないけれど、あれは、後でなんとか敵対意識はないと伝えておかないと恐ろしそうだ。
……それにしても、今更兄と呼べるだろうか。どうやら同じ歳になってしまったようだし、向こうも妹と呼ぶには抵抗があるかもしれない。
あんな戦場と空翔ぶ戦艦が実は地球に存在していたとかならわからないけど……それはないだろうから、とりあえずはたぶん、ここは異世界。元の世界とどんなところが違うんだろう。
戦っていたのは人間同士。今のところ魔法のようなものは見ていない。他に行く宛もないし、飛行戦艦から見えたこの基地は周りが海に囲まれた孤島だった。
望めば仕事をくれると言っていたけど、『戦争屋』。あの戦場で直接は見なかったけれど、戦ったり人を殺したりする仕事なんだろうか。それぞれの武器や服の返り血が思い出されて思わず腕をさする。……さすがに私には出来そうにない。今すぐには。
そういえば、兄は白衣を着ていた。兄も運動は苦手だったし、そういう仕事は無理そうだ。なら他の職も紹介してもらえるのかもしれない。