閑話:忍
レイが会わせたいと言った人物を見ると、同じ年頃の──女の子、かな。僕と同じ黒髪黒目。レイが呼んだ僕の名前を復唱して目を見開いている。こちらに来て一年、この本部の島外に知り合いはいないはずだ。だけど、どこか懐かしい感覚を覚えて首を捻る。
「──おにい、ちゃん?」
「……は?」
色を失ったその掠れた呟きに、びっくりして間の抜けた声が出てしまった。
「お兄ちゃん……てことは、シノブの妹?」
ロランが驚いた顔で女の子と僕を指差し見比べる。
「いや、僕の妹はまだ八……今は九歳のはずだけど……」
「……だが、似ているな」
言われてみれば確かに、目の前の彼女はアルバムで見た母の若い頃に似ているかもしれない。ということは母似と言われていた僕にも似ているのか。
リュウエンの言葉に自分の元いた世界のことを思い出していると、蒼白なままだった女の子が不意にふらついた。
「おっと」
そのまま倒れこんだ体を後ろにいたルチオが支える。どうやら意識を失ってしまったようだ。
「ちょっとみせて」
ぐったりとした彼女の腕をとる。服で隠れていたけれど結構細いな。栄養状態が良くないのかもしれない。
顔は白いが、脈も呼吸もちゃんとしている。先ほどまで自分で立って歩いていた様子だし怪我も特に無さそうだ。
「とりあえずは大丈夫だと思うけど、クロエにも診てもらわなきゃ」
「医務室に連れていこう」
言うが早いが、レイがさっと抱き上げ歩き出した。隣を小走りで進みながら、女の子の顔をもう一度見た。まぶたが閉じられているからか、幾分か幼く見える。記憶の中の妹の顔と少し重なった。他人の空似にしては、似ている、気がする。
「見覚えはあるか?」
「……妹と、若い頃の母さんに似ている、と思う。
そういえば、その子の名前は?」
ふと思いついてそう問うと、皆はそれぞれ顔を見合わせた。
「そういえば、聞いてなかったねぇ」
「興味なかったから」
相変わらずロランは辛辣だ。ともかく、彼女が目を覚まさないことには話が進まない。
◇
クロエにも診察してもらって問題ないだろうとの見立てだったので、ベッドに寝かせて目が覚めるのを待った。彼女は僕と同じように、突然戦場に現れたのをレイ達が保護してきたらしい。
もしかして、彼女は本当に、あの小さかった妹なんだろうか。
異世界に迷いこんだという不思議な体験を、こうして自分はしているのだ。世界を飛び越えるなら、時を越えることもあるかもしれない。そもそも時の流れる速さが違う可能性もある。だとしたら、あの世界で僕はいなくなって結構な年数が経ってしまっているんだろうか。
ベッドの上で、彼女が小さく身じろぎした。
「起きそうだな」
足を組んで座っていたクロエが、カツカツと靴音を鳴らしてこちらに来た。……ふわりと白衣から煙草の匂いがする。
「仕事が終わってから吸えよな」
「今日は疲れたんだよ、堅いこと言うな」
仮にも医者なのだから、というようなことはこの人に言っても無駄なのは知っている。代わりに小さく息をついた。
「レイに声かけてくる」
「んー」
クロエは肯定に手をひらひらと振る。目覚める彼女と何となく顔を合わせづらくて、伝令に走った。
◇
医務室に戻ると、彼女は体を起こしていてクロエが問診しているようだ。扉を開けて入ってきた僕たちを無感動な瞳が見上げた。
「やあ、大丈夫か?」
「はい、ご迷惑おかけしました」
いつもの人好きする笑顔でレイが話しかけると、無表情に彼女は答えた。
「改めて自己紹介をしよう。
俺は、『戦争屋』の傭兵レックスだ。こいつらは俺の隊のやつらで──」
「俺はルチオ。よろしくね」
「ロラン。俺はよろしくしなくていい」
「……リュウエンだ」
レイの視線を受けて、それぞれが名乗る。
「あと、そこにいるのは医者のクロエ。俺の姉だ」
ひらひらとゆるくクロエが手のひらを振る。それから、と言いながらレイが僕の手をとって唇を寄せた。
「俺の大事な人、シノブだ」
「狭山、忍だ」
いつもなら人目の有るところでやめろと言うところだけど、今はそれどころではなかった。僕が名乗ると彼女は一瞬眉を寄せ鋭い目で僕を見た。一度目を瞑り、そして大きく息を吐いた。
「お前の名前は?」
レイに促され、彼女は顔を上げて自分の名前を告げた。
「サヤマ、イオリ。」
いおり。やっぱり、彼女は妹の伊織なのか。
改めて僕を見据えたその目はどこか焦点が合わず、先ほどのような強い感情の色は見られない。自分の中の小さな妹の記憶と比べると、どうしても違和感がある。伊織はよく笑う子だった。最後に会ったのはあの朝家を出るときで、笑っていってらっしゃいと言ってくれていた。自分のいなくなった後経った年月という以外にも、一体何が起きたんだろうか。