2 狸賽②
「何だ、それ?」
「クラブ・ラングーンだよ」
相手の疑問に、与人はそう答える。
しかし、山口の疑問はそれでは解消されなかったようだった。
「クラブ……何?」
「クラブ・ラングーン。カニ入りの揚げワンタン」
「へー、初めて聞いた」
与人の説明に、山口は感心したように相槌を打った。
二人は教室で昼食を取っているところだった。放課後や休み時間は、ポーカーなど何かしらのゲームに興じることの多い与人たちだが、サンドイッチ伯爵ではないのでさすがに食事時にまで持ち込むようなことはしない。
そして、与人がコンお手製の弁当の、とあるおかずに箸をつけた時、山口が冒頭のように尋ねてきたのである。
「アメリカでは、わりとポピュラーな料理みたいだぞ」
「そうなのか」
知らなかったらしい。与人が解説を加えると、山口は再び感心したようなことを言う。もっとも、与人もコンの受け売りをそのまま喋っているだけだったが。
「よかったら、一つやろうか?」
「マジで?」
物欲しそうな顔をするので試しに尋ねてみたが、山口の喜びようは想像以上だった。
ただ、それで舞い上がって、お礼を忘れるほどではなかったようだ。
「じゃあ、代わりに、このマカロニサラダをやろう」
「シャークトレードだろ、これ」
元々あげるつもりだったとはいえ、いまいち釈然としない。与人は渋い顔をする。
しかし、そんな不満も、山口が「おお、美味い、美味い」と言うのを聞いたら気にならなくなってしまった。帰ったらコンに教えてやろうと、与人は密かにそんなことを考える。
クラブ・ラングーンを食べ終えると、山口は改めてこちらの弁当箱に視線を送ってきた。
「でも、与人の弁当、最近豪華だよな」
「そうか?」
「いや、明らかにそうだろ。前はパンの耳とかで簡単に済ませてたじゃねえか」
「…………」
近所のパン屋では、サンドイッチ用のパンから切り落とした耳を、一袋20円で販売している。貧乏な与人はよくそれを主食にしていたのだ。ちなみに、伯爵ではないので、勿論サンドイッチ自体は一度も買ったことはない。
そして、そんな与人が、おかずのたっぷり詰まった手製の弁当を持参するようになったことから、山口はある推論に至ったようだった。
「お前、もしかして……」
確信を持った様子で彼は尋ねてくる。
「彼女でもできたのか?」
「はぁ?」
与人は思わず聞き返していた。
しかし、何も当てずっぽうでそんなことを言い出したわけではないらしい。山口はそう考えた根拠を説明し始める。
「前に女との人間関係で悩んでるって言ってただろ? で、与人の弁当が豪華になりだしたのが、ちょうどそれが解決した頃からなわけだ。だから、その女と付き合うことになって、弁当を作ってもらうようになったんじゃないかと思って」
「いや、全然違うから」
正直に答えるわけにもいかないから与人はそう否定したが、実際には部分的に合っている。普通、化け狐が恩返しに弁当を作ってくれているとは思わないだろうから、なかなかの推理力だと言えるかもしれない。
与人の返答を聞いて、尚更不思議に思ったのだろう。山口は改めて尋ねてきた。
「じゃあ、何で弁当が豪華になったんだ?」
「ああ、それは――」
不摂生で入院したら逆にお金がかかるから。親戚が面倒を見てくれるようになったから。最近になって料理の楽しさに気づいたから…… いくつか嘘を思い浮かべながら、与人は昨夜コンと話したことを思い出していた。
「臨時収入のあてができたからな」
意味深な与人の言葉に、山口は「へー?」と曖昧な相槌を打つのだった。
◇◇◇
山口の疑問に対する、与人の「臨時収入のあてができた」という回答。あれはその場を取り繕う為の嘘ではあるが、しかし全くのでたらめというわけでもなかった。
その部屋に入ると、コンは興味深そうに中を見回していた。
「ここが賭場ですか」
「ああ」
与人ははっきりとそう頷く。
そして、それに続けて、軽い口調で付け加えた。
「まぁ、賭場っていっても、ただの空き教室だけどな」
昨夜計画した通り、与人はこの日、自分の通う高校にコンを連れてきていた。
私立恒正学院高校。
日本トップクラスの進学校で、学校全体の方針として生徒が勉学に集中できるような環境作りが行われている。その為、設備の面においても日本トップクラスだった。
しかし、設備の充実に力を入れるあまり、空回りしているようなところもある。使用頻度が低いどころか、そもそも人があまり寄り付かないような施設が生まれてしまっているのだ。
賭場として使われるこの教室もその内の一つだった。一応は資料室のような扱いを受けているが、実際にはいつ使うとも知れない物が隅の方に雑然と放置されているだけである。
与人は終礼が終わるとすぐにこの空き教室へと向かった。その途中、制服姿に化けて学校への侵入を済ませていたコンと合流する。そして、一番乗りで教室へたどり着いたのだった。
そうして部屋の中を見回したコンは、驚いたように感想を漏らす。
「こんなところで賭け事をするんですね」
「オリンピックを機会に日本でもカジノが合法化されたとはいえ、カジノじゃあ当然年齢制限はあるし、賭けの種目も限られてくる。それにカジノって、結局は胴元が儲かるようにできてるわけだしな。だから、一般人同士がやる違法な賭けがなくなったわけじゃないんだ」
カジノを成立させる為に、賭博の違法性(刑法第一八五条‐第一八七条「賭博及び富くじに関する罪」)を阻却する特別法が制定されたが、それで与人の述べたような欠点まで解消されたわけではない。
結果、小遣いを賭けたお遊びのようなものは勿論、一夜にして何千万何億万という大金の動く裏のものまで、違法なギャンブルは未だに巷に蔓延ったままなのだった。
そして、それはここ恒正学院においても変わらない。
ちょっとした小遣い稼ぎ、日頃のストレス解消、ある種の通過儀礼…… 動機はさまざまだが、放課後になると空き教室に一部の生徒が集まってくる。
「ま、カジノ合法化は経済振興や外貨獲得の為であって、風紀の改善が目的じゃないんだから当然といえば当然の結果なんだけど……」
コンの様子を見て、与人はそこで一旦話を区切った。
「ちゃんと話についてきてるか?」
「だ、大丈夫ですよ」
困惑から一転焦ったような顔で答えるコン。それから、脇道に逸れた与人の話を本筋へと戻した。
「要するに、イカサマギャンブルで小銭稼ぎしようってことですよね」
「……まぁ、そうなんだけど、人聞き悪いな」
そう言われてしまうと、与人も立つ瀬がない。それどころか、今になって罪悪感が湧いてくる始末だった。
もっとも、与人は小市民的な性質である。悪人では決してないが、純粋に善人というわけでもない。だから、その程度の罪悪感で計画を中止しようとは思わなかった。
他の生徒が賭場に来る前に、与人はコンに声を掛ける。
「じゃあ、打ち合わせ通りいくぞ」
「はい、チョボイチですよね」
◇◇◇
「コン、『狸賽』って知ってるか?」
昨夜のことである。与人のこの質問に対して、コンは首を振っていた。
「いえ、聞いたことないです」
「なら、チョボイチは?」
「分かりません」
「じゃあ、まずはそこから説明しよう」
そう言うと、与人は必要な道具の用意を始める。といっても、ルールの関係から、それもすぐに終わったが。
「チョボイチっていうのは、壺を一つ、サイコロを一つ使う、シンプルなギャンブルだよ」
ポーカーもそうだが、こういったギャンブルやゲームの類は、貧乏かつ貧乏性の与人の数少ない趣味の一つだった。だから、部屋には一般的なものからカジノ用のものまで、さまざまな色や大きさのサイコロが取り揃えられている。
与人はその中から一つを選び取ると、「樗蒲っていうのは昔の中国で遊ばれていた博打のことで、だから樗蒲一っていうのは『サイコロを一つ使う博打』っていうような意味らしい」とも説明した。
これを聞いて、コンは先を促す。
「どんなルールなんですか?」
「まず集まったプレーヤーの中から親を一人選んで、親と子の立場に別れる。
次に、親がサイコロの入った壺を振って、そのあと子が1から6のどれかの目に自由に金を賭ける。
で、子が全員賭け終えたら、親が壺を開いてサイコロの目を確かめるんだ。
この時、目を当てた子は、賭け金が戻ってくるのに加えて、賭け金の四倍の配当を親から受け取ることができる。つまり、賭け金が五倍になって戻ってくる。
一方、親は目を外した子の分の金を全て自分のものにできる。それだけ」
この通り、チョボイチは与人も評したように非常にシンプルなギャンブルである。その為か、これを基本にしてさまざまなバリエーションやハウスルールが作られていた。
具体的には、子が貰える額の倍率を出目に応じて変えたり、サイコロの数を増やしたり……といった具合である。中でもサイコロを三つ使うものは、特に狐チョボ(狐、狐チョボイチ)と呼ばれている。
馴染みのないギャンブルに戸惑いつつも、シンプルなルールだけに、コンも要点はすぐに理解したようだった。
「ええと、要するに子は自分の選んだ目が出ると得をして、親は子の選ばなかった目が出ると得をする、ということですよね?」
「そうそう」
頷く与人。続いて、最初にした質問についての説明を行う。
「で、『狸賽』っていうのは、簡単に言えば、狸にサイコロに化けてもらって出目を操作することで、チョボイチで一儲けしようとする……っていう落語だ」
今回も、コンは話の要点をすぐに理解したらしい。
「ということは、つまり……」
「ああ」
与人は悪い笑顔を浮かべる。
「お前の変化を使って、チョボイチで稼ぐぞ」




