13 狐士無双②
対局終了後、切子は冷然と言い放った。
「それでは取り決め通り、次の勝負は沢村君が受け持つということでいいな」
「……はい」
内心では忸怩たる思いがあるだろう。それでも、忍はただ静かにそう頷くだけだった。
しかし、そんな忍にも、切子は容赦しない。
「吉田といい、これじゃあ一体何の為に勝負をしたか分からんな」
「…………」
忍はこれにも反論しなかった。ただ、受け入れるように、じっと切子の暴言を聞くだけである。
その様子が、与人の同情を誘った。
「でも、ここまで苦戦するとは思わなかったよ」
山を買う金が必要なので、代打ちの権利を譲る気はない。だから、与人はせめて忍の健闘を讃えることにする。
「牌を伏せる提案を受けてくれなきゃ、どうなってたか分からないしな」
「それでも、基本的にはこちらに有利な状況でゲームが進んでいたことには変わりません。それに能力に応用が利く分、あなたの方が向いているギャンブルもあるでしょう」
与人の言葉を喜ぶどころか、忍はむしろ淡々と謙遜するようにそう答えた。
確かに牌を伏せ始めたのは二回戦の南四局と、忍に有利な状況が長く続いていたのは事実である。しかし、もし種目がポーカーのようにトランプを使うゲームなら、与人には対策の立てようがなかった。運よく種目が麻雀だったから、手牌を伏せても盲牌で把握することができたのである。だから、忍が一方的に有利だったとまでは言えないだろう。
にもかかわらず、忍は言い訳せずに素直に身を引いたのだ。
与人は元々、忍にはシンパシーを感じていた。自分と同じく、親がいないと聞いていたからである。
だから、与人はこの時、忍に対して好感を抱き始めていた。
そして、忍に好感を抱いた分だけ、切子の態度が気になりだしたのだった。
「お嬢も慕われてるんだから、もうちょっと優しくしてやったらどうなんだ?」
「チャンスなら与えたじゃないか」
「そうじゃなくてだな……」
切子の返答に、与人は呆れてしまう。
「女の子相手でも容赦なしかよ。本当にドSだな」
これを聞いて、切子は意外そうに尋ねてくる。
「……いつから忍が女だと気づいていたんだ?」
「最初から」
初めて忍に出会った時のことを思い出しながら与人は答えた。
「ブレザーの合わせだよ。左前になってたから」
ファッションの文化として、洋服は男女で合わせを別にしていることが多い。女物の場合は左前と言って、左身頃(左手側の生地)にボタンがつけられ、左身頃が右身頃の下に来るように作られている。
また、そのような文化を踏襲しない場合でも、右利きがボタンを留めやすいように右前で作られることがほとんどの為、左前の洋服を男が着る機会というのはまずない。それで与人は、忍の性別が女だと気づいたのである。
「目ざといな」
切子は呆れ半分感心半分にそう言うと、残念そうに「あとで驚かせようと思っていたのに」とも続けた。
「忍はうちで代打ちを始める以前から賭場に入り浸っていたんだが、女子中学生のギャンブラーなんて珍しいから、目立ち過ぎて色々とやり辛かったらしい。それで男っぽい格好をし始めたのが、今でも癖になっているんだそうだ」
切子はそういう説明もしたが、与人はそんなものは求めていない。
「誤魔化すなよ。もっと優しくしてやれって話だっただろ」
「いいんだよ、これで」
与人の意見を、切子は一蹴する。
「忍はこういうのに興奮するんだから」
「お前、何言ってんの?」
与人は眉間に皺を寄せる。
だが、これに忍が続いた。
「はい、興奮します」
「お前も何言ってんの?」
真顔で答える忍に、与人はますます眉間の皺を深くしていた。
しかし、そんな与人には構わず、忍は真顔のまま言った。
「何にせよ、代打ちの権利を賭けることは、事前に決めていたことでしょう。それを曲げるつもりはありません。結果は結果です」
あたかも切子の「結果は結果だ」を思わせるような言い草である。好きな人、憧れの人の真似をしたくなる心理だろうか。
案の定、忍は続いて切子のことを話題に上げていた。
「それに、お嬢に言われていたこともありますしね」
「ああ、〝代打ち同士で無用な諍いを起こすな〟ってやつか」
忍は切子にそう命令されたのだという。だから、「うわべだけでも仲良くしてください」と言われたこともあった。
だが、忍は「いえ」とこれを否定する。
彼女の真意は別のところにあった。
「あなたも御両親がいないそうですね」
「……そういうことか」
与人は「お前、意外とおしゃべりだよな」と切子を睨む。しかし、切子はそ知らぬ顔をするばかりだった。
お互いに両親とは既に離別している。だから、与人は元々忍にシンパシーを抱いており、更に勝負を通じて好感を抱くようになっていた。
そして、それは忍も同じだったようである。
「ですから、これからはうわべだけでなく仲良くしてください」
「ああ」
手を差し出してきた忍に、与人がそう答えて、それで二人は握手を交わしたのだった。
「そういえば、お前の能力って結局何なの? そもそも何が憑いてんの?」
「蛙です」
「蛙!?」
予想外の忍の返答に、与人は素っ頓狂な声を上げていた。
ただ、能力やそれを使った作戦については、ほぼ推測した通りだった。将棋の時もやはり憑き物とは別に人間の協力者がいて、それでイカサマしていたようだ。
「ふーん、目借……」
憑依を解いたタマを見ながら、与人はそう相槌を打った。
人化の術で少女の姿になったタマは、どこか狐っぽいコンと同様に、蛙っぽい容姿をしていた。たとえば目。丸く大きな瞳をしているが、無表情で何を考えているのか読み取りづらい。
髪はショートボブのような丸みのあるヘアスタイルで、背はやや小柄。外見だけでいえば、忍と同年代くらいに見える。
タマの正体が予想外だったのは、与人だけではなかったようだ。同じく憑依を解いたコンが驚いたように言う。
「蛇憑きなら聞いたことあるんですけどね」
「!」
無表情のまま、ぴたっと硬直するタマ。それこそ蛇に睨まれた蛙のようだった。
「……その生き物の名前は出さないで欲しい」
「あっ、ごめんなさい」
クールそうな見た目と違って、むしろ気は弱いらしい。天敵の名前を聞いて青ざめるタマに、コンは慌てて謝っていた。
そんな風に憑き物同士がたどたどしく会話をする一方、人間同士の会話は揉め事に発展しそうだった。与人が切子に文句をつけていたのである。
「ていうか、対戦相手の性別はともかく、憑き物が憑いてるってことくらい教えてくれよ」
「それくらいのことは想像がつくじゃないか。むしろ、どうして憑いているのが自分一人だけだと思えるんだい?」
非難に対して、切子は平然とそう返す。それどころか、逆にこちらの不備を指摘してきたくらいだった。
「それに、私がチョボイチの時に、狸がサイコロに化けてるなんて非現実的な可能性を疑ったんだ。知り合いにそういう手合いがいたからこその発想だと推測できそうなものだけどね」
「そういえばそうだな……」
言われてみれば、自分の考えが甘かったかもしれない。今後はもっとさまざまな可能性を疑うようにした方が良さそうだ。
だから、与人は尋ねる。
「で、今度の勝負は大口みたいだけど、やっぱり相手には何か憑いてるのか?」
これを聞いて、切子は不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、どうもそうらしい」
◇◇◇
与人と忍の対局から、数日後のことである。
京極家の屋敷の庭では、来客を迎える為に組員たちが並んでいた。
ほどなくして、屋敷の前にその来客の車が停まる。
そして、付き人がドアを開けると、着物姿の少女が降りてきた。
「ごきげんよう」




