8 反撃開始③
「確かめるか?」
一気通貫を和了ったあと、与人はそう言って指でトントンと牌を叩く。変化は使っていないと主張したいのだろう。
「結構です」
忍も変化の使用は特に疑ってはいなかったから、言葉少なにそう答えた。
『分からない……』
タマは困惑したように呟く。
『一体、どうしてあんなことが……』
『落ち着いてください。ただのトリックですから』
『え?』
戸惑うタマに対して、忍は淡々と答える。
『今のは、ただ盲牌で牌を把握していたというだけのことです』
『ああ、そういうこと』
前述した通り、麻雀では、表面に絵や文字の彫られた雀牌を使用してゲームを行う。その為、彫られた跡を指の感触で確かめれば、目で見なくても牌の種類を知ることができる。これを『盲牌』と言い、「何の牌をツモったのかがすぐに分かる為、ツモから不要牌を捨てるまでの時間の短縮になる」などといった理由で習得する者がいる。
そして、与人はこの盲牌を行うことで、配牌やツモ牌を見ないまま全て把握し、忍のリーチを躱したり、自分が和了ったりしたのである。あたかも運任せのように振舞っていたのは、目くらましの為の演技に過ぎなかったのだ。
『言われてみれば、それほど驚くようなことじゃないね。そうと悟られないように、小さな動きで全部の牌を把握してたのが少し凄いってだけで』
手品の種は往々にして単純なものである。タマは先程の困惑などもう忘れたように、そんな感想を漏らしていた。もしかしたら、初めて振り込んだとはいえ、たかだか2600点ぽっちという安心感もあるのかもしれない。
しかし、忍はタマとは別の感想を抱いていた。
『そうです。問題はそこではありません』
『?』
忍は苦々しい気持ちで、与人を睨む。
『問題は、おそらく今の振り込みでこちらの能力がバレたことです』
◇◇◇
『相手の能力のことなんですが……』
忍が振り込んだのを見て、コンが尋ねてくる。
『まず透視はないですよね。透視なら与人様が牌を伏せていようと、手牌がどうなっているか分かるはずだから』
『ああ』
推理に破綻はないだろう。だから、与人は頷いた。
『次に読心ですけど、これもないですよね。与人様は盲牌で牌を全て完璧に把握していたんだから、心が読めるならやっぱり手牌がどうなっているか分かるはずだから』
『そうだな』
与人は再び頷く。
しかし、コンの推理はそこで止まってしまった。
『でも、だったら一体……』
悩み始めたコンを見て、今度は与人が自説を披露する。もっとも、コンの発言がヒントになった節もあるのだが。
『推測になるけど、コンが最初に疑ったカメラ説はいい線行ってたんじゃないかな』
『カメラ?』
『ああ。透視みたいに牌を透かして見ているわけじゃなくて、カメラみたいに俺の後ろから覗き込むような形で牌を見ていたんじゃないかと思う。「自分の視界を自由に移動させる能力」とでも言えばいいのかな』
与人がそう判断した根拠は、以下のようなものである。
『もしこの視界移動説を正しいとするなら、これまでのことにも説明がつく。鳴いてツモ順がずれた結果俺に和了られたのは、伏せられている山牌は見えないから。今まで完璧に躱していたのに突然振り込むようになったのは、俺が伏せたせいで手牌が見えなくなったからだろう』
話を整理しているらしい。少しだけ会話に間が空く。
だが、結局コンは与人の説で納得したようだった。あくまで確認の意味で質問してくる。
『将棋の時は、やっぱり憑き物とは別に協力者がいて、協力者の携帯の画面を能力で覗き込んでいた……ということですか?』
『そうなるな』
たった半荘三回の勝負である。相手の能力を完璧に検証する時間はない。これまでの推理と同様に、ある程度決め打ちしていくしかないだろう。
しかし、それでも与人は忍を見据えてこう言った。
『確証があるわけじゃないけど、十中八九間違いないだろう』
◇◇◇
結論から言えば、与人の読みは今回もほぼ正解だった。
『能力がバレたって……』
忍の発言を受けて、タマが不安げな態度で尋ねてくる。
『私の『目借』が?』
『はい』
忍は静かにそう頷いた。
忍の憑き物の名前は、御多賀タマ。
その正体は蛙である。
古来から、春になると眠くなるのは、蛙に目を借りられたせいだと考えられてきた。たとえば、江戸時代に成立し、落語の種本ともなった『醒睡笑』には、大名の前で居眠りしてしまった座頭が、「私たちのような目の不自由な者からも借りるくらいだから、蛙たちにはよほど目が必要な事情があるのでしょう」と言い訳したという笑い話が残されている。
また現代でも、中村草田男の「怠け教師汽車を目送目借時」の句などに見られるように、春の季語として「蛙の目借時」、あるいは単に「目借時」という言葉が使われることがある。
タマの能力は、この蛙の目借時にちなんだものだった。
タマは『目借』の文字通り、目を借りることができる――周囲にいる人間の視界を一方的に覗き見ることができるのである。
この目借の能力により、麻雀なら相手の手牌を、ポーカーなら相手の手札を覗き見ることで、忍は圧倒的な優位に立つことが可能になった。これが、忍が代打ちのエースとなりえた理由である。
だが、その秘密は、「手牌を伏せて盲牌しながら打つ」という、与人の作戦によって暴かれてしまったのだった。
『――ということです』
『そう……』
与人のしただろう推測を、忍は更に推測して説明する。ようやく事態を理解したようで、タマの声には不安が滲んでいた。
一方、忍は既に先の展開について考えを巡らせていた。
『だから、おそらく次はこういう提案をしてくるはずです』
この忍の予想は、決してただの杞憂で終わらなかった。
続く南三局。与人は相変わらず、目借対策に手牌を伏せて盲牌しながら打つ。
そして、それは対局が始まってから、十巡目のツモを迎えた時のことだった。与人は不意に手を止めると、代わりに口を開く。
話しかけた相手は、立会人の切子だった。
「なあ、お嬢」
「何かな?」
そう聞き返されると、与人は本題に入った。人数合わせに入った組員たちを指して言う。
「この二人はただツモ切りするだけなんだろ? なら、わざわざ手牌を開く必要はないと思うんだが」
(来た……!)
予想していたことではあるが、忍は思わず唇を噛む。
対照的に、与人は飄々と何でもないことのように話を続けた。
「次の局からでいいから、二人の手牌を伏せたままにしておいてくれないか」




