4 正体②
勝負開始を目前にして、与人は卓に着く。
麻雀は四人制が基本の為、人数合わせに立会人が二人入ることになっていた。だから、与人の上家(左隣)と下家(右隣)に組の人間が座る。
そして、敵同士が相見えるような形で、対面(正面)に忍が座った。
「種目は麻雀。ルールは半荘戦を三回やって、一位を二本先取した方の勝ち。賭けるものは、次の勝負で代打ちを行う権利と現金400万」
そうやって勝負の条件を簡単に確認したあとで、切子が尋ねてくる。
「双方、それでいいな?」
これに、忍は「はい」と答え、与人は「ああ」と頷く。
こうして、対局がスタートした。
麻雀では、表面に絵や文字の彫られた雀牌を使用してゲームを行う。
この雀牌には大きく分けて二種類ある。
一つは数牌。これは一~九までの数字と、萬子・筒子・索子という三種類の絵柄の組み合わせでできた牌(例:一萬、二筒、三索など)のことである。この数牌が9×3で27種類。
もう一つは字牌。これは名前通り数字がなく文字だけが書かれた牌のことで、白・發・中と書かれた三元牌と、東・南・西・北と書かれた風牌に分けられる。この字牌が7種類。
これら34種類の牌が各四枚ずつ、つまり合計で136枚の牌が、ポーカーの山札に相当する山牌(牌山、山とも)として使用されるのである。
一方、ポーカーの手札に相当する手牌は十四枚である。
各プレーヤーにはまず十三枚の牌が配られ、その後、親から順番に山から牌を一枚引く(ツモる)。次に十四枚になった手牌の内から、役を作るのに不要な牌を卓の上(河)に一枚捨てる。
これを繰り返して、十四枚全てが役に必要な牌となれば和了である。この場合を特にツモ和了と呼び、他の三人は分担して得点を支払わなくてはならない。
また麻雀では、ツモった牌以外にも、相手の捨てた牌を手牌として使用することも可能である。捨て牌によって手を進めることを鳴くと呼び、また捨て牌によって和了ることをロン和了と呼ぶ。ロン和了の場合は、牌を捨てた(振り込んだ)プレーヤーが一人で得点を支払うことになる。
ゲーム開始直後の東一局。各プレーヤーがそうしてツモったり鳴いたりしながら手を進める中、憑依中のコンは考え事をしているようだった。
『イカサマ……』
対局前に話したことが引っかかっているらしい。コンが尋ねてくる。
『麻雀でもイカサマしてきますかね?』
『ま、将棋でする奴が麻雀でしない理由はないだろうな』
与人はあっけらかんとそう答えた。
これを聞いて、コンは重ねて尋ねてきた。
『麻雀のイカサマって、どんなものがあるんですか?』
『そうだな。牌の裏に傷や印をつけて種類を特定する『ガン牌』とか、手牌にある不要牌と河にある有効牌をすり替える『拾い』とか』
与人は有名かつ可能そうなイカサマを挙げていく(たとえば、自分に有利な牌が来るように山牌を積む『積み込み』は有名ではあるが、この勝負では内部の機械が自動で山牌を積む自動卓を使用しているので実行は不可能だろう)。
『あとは『壁役』とか言って、協力者が敵の手牌を後ろから覗いて、それを何らかのサインで味方に伝えるとかな』
『協力者、ですか……』
与人の言葉を、コンはそう繰り返していた。
『やっぱり、協力者がいるんですかね』
『可能性はあるな』
斎藤忍は、協力者を使ってイカサマをしている。それが対局前に与人の出した答えだった。
◇◇◇
対局前に、忍の指した手を検討していた時のことである。与人の話を聞いて、コンは言った。
「でも、ソフトとの一致率が異様に高いってことは……」
「ああ、あいつがコンピューター並みの天才か」
考えられる選択肢は二つある。そして、現実的に考えて、もう一つの選択肢の方が可能性が高い。
「もしくはイカサマをしているか、だ」
吉田との対局の時に、既に将棋のイカサマについては説明してある。だから、コンもすぐにピンときたようだった。
「イカサマって、カンニングしていたってことですか?」
「そうだな。電子機器は提出するルールだから、携帯を二台持っていたか、俺がコンから借りたみたいに協力者から借りたか……」
少し考えてから、与人は後者の説を採った。
「可能性が高そうなのは、協力者がいる方かな。必要な時だけ協力者と携帯を受け渡しするようにすれば、あとでトイレを調べられても証拠を掴まれないで済むから」
「なるほど……」
与人の唱える協力者説に、コンは納得したようにそう相槌を打った。
「それに、代打ちのエースだっていう忍なら、対局室に出入りして部屋自体に細工する機会もあっただろうしな」
「どういうことですか?」
「たとえば、隠しカメラだよ。カメラの中継映像を見て、協力者が携帯で最善手を検索。忍が部屋から出てきたら、サインか何かでその最善手を伝える……とかな」
「ああ!」
コンが声を上げる。そこには驚いたような、感心したような感情がこもっていた。
だが、それもすぐに不安に取って代わられたようだった。
「麻雀でもカンニングをしてきますかね?」
「それはどうかな」
完全に否定はできない。しかし、その可能性は低いのではないかと与人は見ていた。
「将棋は完全情報ゲームっていって、盤面に全ての情報が開示されてる。だから、盤面の状態が同じなら、最善手も必ず同じ手になる。
でも、麻雀は不完全情報ゲームだからな。自分の手牌が以前と同じでも、山牌や相手の手牌まで以前と同じかは分からない。だから、以前は最善手だった手が、今回も最善手だとは限らないんだ」
もちろん、確率論から考えられるいい手はある。ただ、場合によっては、それが悪手になってしまうこともありうるのだ。
「そのせいなのか、そもそも麻雀の解析自体行っている人が少なくてな。ソフトじゃあ、まだプロに勝てないって話もある。だから、麻雀では、将棋ほどカンニングは有効じゃないんだよ」
「そうなんですか」
コンがホッとした顔をする。
しかし、そんな彼女に与人は言った。
「ただ、組のエースを張るような代打ちが、たった一つのイカサマしかできないってことはないだろうけどな」
◇◇◇
コンに教えたように、麻雀には『ガン牌』や『拾い』などいくつかのイカサマがある。そして、忍がそれらを実行してくる可能性は高い。
とはいえ、与人はコンと違って楽観的だった。
『ま、どんなイカサマが来ても関係ないよ。その点で言えば、こっちの方がはるかに上なんだから』
話を聞いて、コンも明るいトーンで尋ねてくる。
『じゃあ、早速やりますか?』
『ああ、様子見はなしだ。出し惜しみせずに行く』
麻雀は不完全情報ゲームであるとともに、ランダムに積まれた牌を引いてくる不確定ゲーム――運の要素の混ざるゲームでもある。その為、半荘三回勝負のような短期決戦では、実力で劣るはずの者が勝ち越す可能性も十分ありえる。
だから、勝利を確実なものとする為に、与人はいきなり変化を使うことに決めていた。
ツモってきた二萬が九索に変わる。
手牌から不要な八索を捨てる。
そして、与人は宣言した。
「リーチ!」
あと一牌で和了れる状態を聴牌、そうでない状態をノーテンと言い、一度も鳴かずにテンパイした時には、リーチを宣言することができる。
仮にリーチをした場合、それ以降はツモやロンで和了るか、ツモった牌を捨てるかしかできなくなってしまう。その為、リーチには「手を変えられないせいで、今より得点の高い役が作れなくなる」「捨て牌を選べないせいで、相手がテンパイした時に振込みやすくなる」というデメリットがある。
しかし、麻雀の役にはそれぞれ難易度などに応じて翻数と呼ばれるものが設定されており、最終的な点数の高さは手牌の内でできている全ての役の翻数の合計で決まる。その点で、リーチはそれだけで一翻の役がつく上に、更にリーチに絡んで他の役までつく可能性が生まれる、というメリットがある。よって、多くの場面で、リーチは有効な戦略となるのだ。
今回、与人が掛けたリーチでも、そのメリットが発揮された。
「ツモ。リーチ、一発、ツモ、三色同順」
一発は、リーチしたあとの一巡目のツモまでに和了った場合につく役である(一翻)。
この一発の一翻に加えて、リーチが一翻、ツモが一翻、三色同順が二翻。これで合計五翻だから――
「2000・4000」
子の二人が各2000点、親が4000点払い。つまり、与人は8000点を獲得したことになる。
麻雀では、8000点のことを満貫、1万2000点のことを跳満という具合に、高い得点に対して特別な呼び方をする。だから、いきなり満貫手を和了れたのは、幸先のいいスタートだと言えるだろう。
が、そうして与人が和了を宣言した直後のことだった。
対面から、手が伸びてくる。
「ノーテンでしょう」
そう言って、忍は指で九索を叩く。
その瞬間、変化が解けて、牌は元の二萬に戻った。
「見間違いではありませんか?」
「……失礼」
冷ややかに言い渡す忍に、与人はなんとかそう答える。一体、何が起こったのか。内心の動揺を、表に出さないようにするのにせいいっぱいだった。
「錯和は満貫払いだったな」
麻雀の反則行為は、その程度の大きさによって罰の大きさも変わってくる。たとえば、和了れない状況で和了を宣言するチョンボ――誤ロン、誤ツモは満貫払いをした上で、その局を最初からやり直すことになる。
これで与人は8000点のプラスから一転して、8000点のマイナスを背負うことになってしまった。
しかも、それだけではない。
『よ、与人様、今のは……』
『ああ、こっちの能力がバレてるな』
不安げに言うコンに、与人はそう答えた。
コンの変化のことを、忍は知っている。今の行動を見れば、そうとしか考えようがなかった。
『切子様が話した……ってことはないですよね?』
『ないな。この勝負は俺が言い出したことで、お嬢にそのつもりはなかったんだから。今更斎藤に肩入れして勝たせようとするのは不自然だ』
与人はコンの推測をあっさり否定すると、更に続けて言った。
『それに、お嬢はどう考えても人格破綻者だけど、ギャンブルに関しては一種の信念というか哲学めいたものを持ってるみたいだからな』
切子は以前、「フェアな勝負を紹介する」と言っていた。その言葉通り、彼女はこれまでに変化のことを口外して、与人をはめるような真似はしていない。だから、その点についてだけは、切子のことを信用してもいいだろう。
『じゃあ、吉田様あたりから話を聞いて、それで推測したとかですかね?』
『その可能性もないとは言わないけど、多分イカサマで知ったんだろうな』
そう答えたあと、与人はすましたような顔の忍を睨む。
『少なくとも、今イカサマをしたのは間違いないだろう』
すると、コンは驚いたように尋ねてくる。
『今の、向こうもイカサマしてたんですか?』
これに、与人は尋ね返した。
『仮にイカサマしてないとしたら、何であいつは十四枚もある牌の内から、変化させたたった一牌をピンポイントで特定できたんだ?』
『あっ』
コンは短く声を上げていた。
与人は更にイカサマを疑った根拠について説明を続ける。
『しかも、さっきの俺の和了は一発ツモだった。麻雀が役を作る速度を競うゲームであることや、一発ツモには役がつくことを考えたら、普通まず疑うのは手牌じゃなくてツモ牌だろう。ただ変化のことを知ってるってだけじゃあ、今の行動は説明がつかないんだよ』
強いて言えば、忍が九索を既に四枚とも持っていた為、与人の五枚目の九索が変化の産物だと気づいたという可能性はある。しかし、同じ牌が四枚揃うことは珍しいし、四枚とも手牌で使うことも珍しい。忍がサマ師らしいということを考えても、この可能性を検証するのは後回しでいいだろう。
では、忍は一体どんなイカサマで変化させた牌を把握したのか。二人はその具体的な方法について相談を始める。
『さっき言ってた壁役ですかね? 隠しカメラでこっちの牌を覗き見してたとか』
『それだと、斎藤がどうやってカメラの映像を見たのかが分からない。携帯をチェックするような不審な動きはなかったからな』
また与人は、忍が将棋でカンニングした時に、部屋に仕掛けたカメラを使った可能性を疑っていた。その為、カメラで手牌を覗かれることのないよう、対局の前にあらかじめ部屋中をチェックしておいたのだった。
『なら、ガン牌はどうです? 自分の把握しているはずの牌と違ったから気付いたんじゃないですか』
『ガン牌するにはまず牌に傷をつけなきゃいけないんだから、一局目の相手の手牌を把握するなんてことは無理だよ。この牌は新品だから、以前つけた傷を再利用してる可能性もないしな』
更に念の為、忍からノーテンを指摘されたあと、与人は牌に問題がないかを確かめていた。だから、自分が傷を見逃しているだけ、という可能性もないだろう。
次々に候補が消えていって、コンは怪訝そうに言う。
『じゃあ、一体どうやって?』
『……これはまだ憶測の域を出ないんだが――』
そう前置きして、与人は答えた。
『多分、向こうにも何か憑いてるな』




