2 予選②
「…………」
「…………」
その日、与人とコンは無言で見つめ合っていた。
部屋の中には、与人たちを邪魔する者は誰もいない。完全に二人きりの空間だった。
そうして二人はしばらく見つめ合いを続けていたが、その内に覚悟を決めたようにコンは言った。
「こっちです!」
そんなコンに、与人は意地悪く答える。
「はい、はずれ」
「そんなー」
カードの絵柄を見て、コンは露骨に落胆していた。
二人はババ抜きで勝負しているところだった。コンが落胆したのは、勿論引いたカードがジョーカーだったからである。
ババ抜きのルールは以下のようなものである。まずジョーカーを1枚だけ加えた、53枚のトランプを参加者に分けて配る。次に参加者同士で順番に手札を引いていき、数字のペアができたら手札からカードを捨てる。これを繰り返して、最後までジョーカーを持っていた参加者が負けになる。
ババ抜きは、発祥国のイギリスでは、オールド・メイドという名前で知られている。ただし、そのルールは日本でいうジジ抜きに近い。
オールド・メイドの基本的なルールでは、クイーンを三枚にした、51枚のトランプを使ってゲームを行う。この状態でペアを作っていくと、最後に女王が一枚だけ余るから、「Old Maid(行き遅れ)」というわけである。日本でのババ抜きという名称も、お婆抜きという訳が念頭にあるようだ。
ただ、ババ抜きをしているとはいえ、二人は遊んでいるつもりはなかった。これもギャンブルで勝つ為の修行の一環である。ババ抜きではお互いに相手の表情を見ながら手札を選ぶため、観察力やポーカーフェイスを鍛えるいい練習になるのだ。
「ああ……」
与人が最後にAのペアを完成させて、コンの負けが決まった。これでコンの何連敗になるだろうか。
「もう、与人様強過ぎます」
「お前が弱過ぎるんだよ。全部顔に出てるじゃねーか」
自分に何かあって、コンがギャンブルをしなければならない時があるかもしれない。また、イカサマを考えたり、逆に見破ったりする時には、一人より二人の方が上手くいく可能性が高いだろう。だから、こうしてババ抜きを始め色々なゲームをするのには、自分だけでなく、コンを鍛えるという意味合いもあった。
しかし、コンはギャンブルをするには、あまりに根が素直過ぎるようだ。ババ抜きをしていても、どれがジョーカーで、どれがそれ以外なのか、表情から丸分かりなくらいだった。
「あ、そうだ」
やはり、はたから見ても分かりやすく、コンは閃いたという顔をする。
「変化はカードに使わなきゃいいんですよね?」
「え? ああ」
「これならどうです?」
与人の許可が出た瞬間、コンは与人の姿に変化していた。
「……まぁ、ルール上は問題ないけど」
ポーカーフェイスの得意な人間に化けたということだろう。最初に禁止したカードに対する変化ではないから、このイカサマは認めざるを得ない。
しかし、与人からすると、あまり面白い展開ではなかった。
「やっぱり、自分と同じ顔のやつがいるのって気持ち悪いなぁ」
「でも、勝負事は自分との戦いだってよく言いますよね」
「そんな高尚な話をされてもな……」
与人は思わず呆れ顔をした。
そうして、コンが変化した状態で、再びババ抜き勝負が始まった。自分の番が来ると、与人はコンの手札を左端から確かめていく。
すると、3枚目のカードに触れた瞬間、コンは笑みを浮かべた。
「結局、顔に出てんじゃねーか!」
自分の顔でマヌケな真似をされたこともあって、与人は声を荒げていた。
そんな風にして、二人がババ抜きしている最中のことだった。
「吉田だけど、ちょっといいかな」
部屋の外から、不意にそんな声が掛かった。
与人はすぐにはこれに答えない。先にやらなければいけないことがあるからだ。
「早く変化を解けよ」
「あだだだ。すみません、アホですみません」
与人は頬を引っ張って、コンを元の姿に戻す。それから、ようやく「どうぞ」と吉田を部屋に招き入れたのだった。
「どうかしましたか?」
「そういえば、勝負の機会をくれたお礼をまだ言ってなかったと思ってね」
どうやらその為にわざわざ部屋まで来たらしい。ヤクザの代打ちをしているわりに、随分お人よしである。
「この前は助かったよ。ありがとう」
「俺は何もしてないですから」
何も謙遜しているわけではない。予選を行うと決めたのは切子だった。第一、吉田が不戦敗になったのは自分のせいである。
お礼を言い終わると、吉田はコンの方に視線を向けていた。
「……その子は?」
「こいつは俺の親戚です。いろいろ事情があって、今は俺が預かってるんです」
平気な顔で嘘をつく与人。もっとも、コンが「しっ、信太森コンです」と緊張した様子で自己紹介したから、吉田が騙されてくれるかは微妙なところだが。
実際、嘘をついているのはすぐバレてしまったようだった。
「……ま、ヤクザの関係者なんて、みんな大体訳ありだからね。詮索はしないよ」
吉田は察したようにそう言った。
切子によれば、吉田は元奨励会員だという。また、忍には身寄りがなかったのだそうだ。吉田の言うように、「みんな大体訳あり」というのはその通りなのだろう。
吉田はまた、「詮索はしない」と言った通り、話題を変えていた。
「ババ抜きやってたの?」
「ええ、まぁ」
頷くと、与人は続けて言った。
「やります?」
「じゃあ、せっかくだからちょっとだけ」
吉田がそう答えたので、今度は三人でババ抜きをすることになった。
一番に抜けたのは、今回も与人だった。残った二人の手札は、コンが2枚、吉田が1枚。もう決着が間近という状況で、吉田がカードを引く番になる。
はたしてジョーカーは右か、左か。吉田が右のカードを引く素振りを見せると、コンはおろおろと不安げな顔をする。
それを見て、吉田は左のカードを引くのだった。
「やったー、勝ちました!」
自分の番でハートのQを引くと、コンは無邪気にそう喜んだ。
コンもコンだが、吉田も吉田だろう。与人は呆れ交じりに言った。
「吉田さん、甘やかさなくてもいいですよ」
「いやー」
吉田は困ったようにそう笑うばかりだった。やはり、ヤクザの代打ちをしているとは思えないお人よしぶりである。
「それじゃあ、そろそろ行くよ。これから、種目を決めるくじ引きがあるから」
「そうですか」
切子から聞いた話では、京極組のエースは忍だそうである。素直に考えれば、吉田より忍の方が実力は上だということだろう。
だから、与人は言った。
「頑張ってください。応援してますから」
「どうも」
笑顔でそう答えると、吉田は部屋を出て行くのだった。
吉田を見送ったあとで、コンが尋ねてくる。
「応援するって、与人様は吉田様に勝って欲しいんですか?」
「まあな」
これまでのことを思い出して、与人はそう頷く。
「手の内が分かってる相手の方がやりやすいからな」
「よ、容赦なし……」
◇◇◇
代打ちの座を賭けた吉田との予選。その種目を決めるくじ引きのあと、忍は借りている部屋に一度戻る。
すると、突然部屋の襖が開いたという、それだけのことで、中で待機していた少女はひどく驚いたようだった。
「!」
少女は声も上げなければ表情も変えない。ただそれは、単にすくみ上がったように体を硬直させていたからである。
とはいえ、彼女が些細なことで驚くのは珍しいことではない。忍は構わず話を進める。
「種目は将棋に決まりました」
「将棋……」
そう無表情に復唱する。しかし、これでも彼女は残念がっているのだ。
「吉田さんを相手に将棋、ついてない」
「そうですね」
吉田は元奨励会員で、確定ゲームの中でも特に将棋を得意としている。プロはともかくアマチュアなら、実力勝負で吉田に勝てる人間はいないのではないか。くじ引きの結果は最悪だと言えるだろう。
「ポーカーか何かなら良かったのに」
「ええ」
そう一度は少女に同意したあとで、忍はすぐにそれを否定する。
「でも、関係ありませんよ。自分たちなら将棋でも勝てます」
忍はそう断言すると、それから彼女に呼びかけた。
「行きましょう、タマさん」
「うん」
◇◇◇
将棋の勝利条件は、相手の王将を取ることだと説明した。
しかし、実際の対局――特にプロの対局では、王将を取る場面まで手が進むことはまずない。何故なら、プロの実力なら形勢から逆転の可否を判断できる為、逆転できないと悟ったら、その時点で自分から潔く投了を宣言するからである。
そして、吉田と忍の対局もそうなった。
「……負けました」
吉田が投了を宣言する。
通常、終局までかかる手数はおよそ百十手前後。それに対し、わずか五十八手という短手数での決着だった。
「…………」
対局を観戦していた与人は、この結果にさまざまな考えを巡らせていた。




