2 狐の礼②
相手が手札を見せる。
「ツーペア」
これに与人も応じる。
「スリーカード」
この結果を見て、与人の対戦相手は「ちっ」と舌打ちをした。
逆立てた髪。がっしりした体つき。そして、着崩した制服――
「また俺の負けかよ。やっぱり、与人は強えな」
クラスメイトの山口圭介は、そう言って悔しがるのだった。
放課後、二人は教室に残ってポーカーで対戦していた。
ポーカーといっても、テキサス・ホールデムではない。手札として五枚のカードを使う、日本で主流のクローズド・ポーカーである。
また、友達同士でやる気安いゲームで、金は一銭たりとも賭けていない。勿論、イカサマだってしていなかった。
「今日は勝てると思ったんだけどなぁ」
「ポーカーは運だけのゲームじゃないからな。実力通りに結果が出ただけだろ」
負け惜しみを言う山口に、与人はそんな軽口を返す。
しかし、山口はただ負け惜しみを言ったつもりはなかったらしい。
「いや、そうじゃなくて。今日の与人は何かボーっとしてることが多かったから」
「そうか?」
「そうだろ。授業の時も、珍しく注意されてたじゃねーか」
「あー……」
四時間目、数学の授業でのことである。与人が物思いにふけっていると突然教師に指名され、前に出て問題を解かされたのだった。もっとも、与人が正解を答えてしまったので、教師は怒るに怒れないという複雑な顔をしていたが。
「一体、どうしたんだよ? 悩み事か?」
「まぁ、そんなところだ」
与人は曖昧にそう誤魔化す。
ただ悩んでいることを否定しなかったせいで、むしろ心配をかけてしまったようだ。山口が真面目な口調で尋ねてきた。
「……もしかして、金欠か?」
「金は関係ないよ」
そう苦笑交じりに答えてから、与人は今度真剣な顔をする。
「正確に言うと、金のことはいつも悩んでるから」
「そ、そうか」
「金のことはいつも悩んでるから」
「に、二回言った……」
与人の迫力に、山口はたじろいでいた。
しかし、与人の返答を聞いたことで、山口はかえって疑問に思ったようである。
「でも、金の悩みじゃないってんなら、一体何なんだよ?」
「うーん……」
ここ数日の出来事をどう説明するべきか。与人は悩んだ末にこう答えた。
「人間関係、かな」
◇◇◇
昨日のことである。
(今日も疲れたな……)
帰宅途中、与人はそんなことを考えていた。
与人の通う私立恒正学院高校は、都内どころか国内有数の進学校で、授業時間は長く、授業内容も濃密である。
また、与人は授業料免除の学校の特待生制度に加え、いくつかの団体の奨学金制度も利用している為、万に一つも成績を落とすわけにはいかなかった。授業に集中するのは勿論のこと、放課後は学校に残っての自習を欠かしたことがない。
だから、学校から帰る頃には、くたくたになっていることも多いのだ。
その上、今日は余計に疲れの溜まるような出来事が与人を待ち受けていた。
「またか……」
ヤマメに、アミガサタケに、フキノトウ…… 前日に引き続き、今日も玄関前に食材が置かれていた。あれだけ言ったのに、またコンがお礼に持ってきたようだ。
(『ごんぎつね』かよ……)
状況が少し似ていることから、与人は小学生の頃に教科書で読んだ話を連想する。確か、『ごんぎつね』のラストは悲劇で終わったはずだが――
そんな思案を途中で打ち切ると、与人は食材を下の葉っぱの皿ごと持ち上げる。
そして、今度はそれら全てを地面に叩きつけた。
案の定、今日も紛れ込んでいたようだ。散らばる食材に交じって、コンが姿を現す。
「…………」
「…………」
しばらくの間、与人は苛立ちの視線を、コンは気まずそうな視線を、それぞれ無言で交わした。
そのあとで、与人はコンに質問する。
「何か言いたいことはあるか?」
「何で分かったんですか?」
そう聞き返してきた瞬間、与人はコンの頬を引っ張った。
「あだだだ。すみません、また来てすみません」
ようやく質問の意図を正しく理解したらしく、コンはそう謝罪する。
しかし、それで懲りたわけでもないようだった。
「それで、何で分かったんですか?」
「あのな、昨日の今日なんだから、また変化して紛れ込んでないか疑うに決まってんだろ」
与人はそう答えて、再びコンの頬を引っ張る。
「あだだだ。すみません、アホですみません」
コンも再びそう謝罪した。
与人は手を離してやると、散らばってしまった食材を拾い集める。それから、コンに念入りに言い聞かせた。
「本当に、これでもう十分だからな。帰るんだぞ。いいな?」
「はい……」
◇◇◇
与人の返答を聞いて、山口は重ねて尋ねてくる。
「人間関係?」
「ああ」
「女か?」
「まぁ、女といえば女か」
正確には雌だろう。「雌狐」と表現するには幼過ぎる気もするが。
勿論、コンのような化け狐の存在など山口は知る由もない。おかげで、全く見当違いの推理を披露するのだった。
「京極と喧嘩でもしたのか?」
「……何でそこでお嬢が出てくるんだよ」
彼女の名前が挙がった途端、与人は険しい表情をした。
女と聞いて、身近なクラスの女子を思い浮かべるのは仕方ない。しかし、それにしたって、彼女はありえないだろう。見当違いもいいところである。
「喧嘩も何も、そもそもお嬢とは別に仲良いわけじゃないからな」
「お前がそう言うなら、そういうことにしとくか」
含みのある言い方に、与人の顔はますます険しくなる。
そんな与人を無視して、山口は更に質問してきた。
「で、相手は一体誰なんだ?」
「それが説明しづらい奴だから悩んでるんだよなぁ……」
まさか馬鹿正直に化け狐だと言うわけにもいかないだろう。そんな要領を得ない与人の返答に、山口は「はぁ?」と怪訝な顔をするばかりだった。
そうして山口とポーカーで遊んだあと、与人は塾へ行く彼と別れて学校で自習を行い、それからやっとアパートへと帰る。
しかし、家に帰っても、与人は一息つくことができなかった。
「…………」
今日もまた、玄関前に食材が置かれていたのだ。
いや、正確に言えば、全く一緒というわけではない。毎日同じようなものでは悪いと思ったのか、今日はキャベツやニンジンなどスーパーで買ったらしい食材が、ビニール袋ごとドアノブにかけられていたのだ。
だが、食材が変わったところで、与人のやることは変わらない。
(妙な配慮をするくらいなら、言われた通りにさっさと帰れよ)
そんなことを考えながら、今日はビニール袋ごと地面に叩きつける。
が、しかし、――
(何もなし、か……)
衝撃を加えても、コンが姿を現すことはなかった。
念の為、中の食材の一つ一つは勿論、袋まで詳しく調べてみたが、結局何もなかった。今日は紛れ込む為ではなく、純粋にお礼として持ってきたようだ。もしかしたら、家事の手伝いは断られるから、食材の差し入れに切り替えたのかもしれない。
もっとも、そもそもお礼をすること自体、「もう十分だ」とコンには散々言い聞かせたはずである。だから、与人は嘆息するのだった。
(そんなに気を遣わなくてもいいんだけどな……)




