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こんげーむ!  作者: 我楽太一
第四章 狐憑きに定跡なし
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5 「真剣」勝負③

「クソヤバイって、どどどどういうことですか?」


 与人から現在の状況を聞いたコンは、激しく動揺した様子だった。


 これに対し、与人はけんもほろろに答える。


「どうもこうも、そのまんまの意味だよ。クソがつくほどヤバイってこと」


 すると、この説明を聞いて、コンは語気を強めていた。


「ちょ、ちょっと、話が違うじゃないですか! 〝実力勝負で、さくっと勝ってやるさ〟とかキメ顔で言ってたじゃないですか!」


「わざわざ変化まで使って再現するなよ。恥ずかしいだろ」


 何故あんな格好つけるようなことを言ってしまったのか。思い出すだけでも、体が熱くなってくる。


 与人を責めるばかりでは何も解決しないと思ったのだろう。コンは一度冷静になると、改めて確認してくる。


「……そんなにまずい状況なんですか?」


「ああ、完璧に実力負けしてる」


 相矢倉の対局は、先手が攻めて後手が反撃を狙うという流れになることが多い。この対局でも、新矢倉24手組みから二十五手目に3七銀と指した与人が、一旦は攻めの主導権を握っていた。


 が、しかし、それも長くは続かなかった。与人の攻めは吉田の受けに軽くいなされて、気がつけば攻守が逆転していたのである。


 それからは、一日目が終わるまでの間、ひたすら吉田の攻めが続いていた。二人の間にはそれくらいの実力差が存在しているのだ。


「だから、今はとにかく相手の攻撃をかわして、持ち時間もたっぷり使って、なんとか決着を引き延ばしてるところだ」


「おお……」


 コンは驚いたような、怖気づいたような声を漏らしていた。


 こんな状況でも、自分の能力を信用してくれるらしい。与人を圧倒する吉田について、コンは感心交じりに言った。


「もしかして、あの人ってかなり凄い人なんですかね」


「分からん。昔の真剣師にはプロに匹敵するような実力者もいたらしいけど……」


 実際にプロ入りし、九段昇段まで果たした〝妖刀使い〟花村元司。無頼な生活がたたり、プロの世界と無縁のまま死んだアマ最強の〝プロ殺し〟小池重明。その小池を相手に七勝七敗の互角の勝負をした〝日本一のくすぶり〟加賀敬治…… 時代が時代なら、吉田も彼らの中に名前を連ねるような真剣師になっていたのだろうか。


 与人はまた、種目が将棋に決まった時の切子の笑みを思い出す。吉田の棋力を鑑みると、あれは単にコンの力を使えないことを揶揄しただけではなかったのかもしれない。


 しかし、与人はそこで一旦思考を中断した。


「ま、今考えるべきは、相手が何者かよりも、相手にどうやって勝つかだよな」


「そっ、そうですよ。一体どうするんですか? 変化関係なしに、何かイカサマとかないんですか?」


 敗色濃厚ということを意識したせいだろう。再び不安に駆られたコンが、そんなことを尋ねてきた。


「有名なのは二つかな」


 そう前置きして、与人は具体的な説明を始める。


「一つは盤外戦術。これはイカサマというかマナー違反の範疇だけど」


「何ですか、それ?」


「盤外、つまり将棋を指す以外の部分での戦術のこと――簡単に言えば、対局相手を心理的に追い詰めるような言動を取ることだよ。

 具体的な例で言うなら、上位者が座るのがしきたりの上座にわざと下位者が座ったり、持病のある棋士との対局の時にだけ普段吸わない煙草を吸ったりとかな」


 また盤上においても、あえて最善手を指さずに相手のミスを誘ったり、すぐには詰まさずに敗北感を植えつけたりという盤外戦術が存在している。


 少なくともルールの上では、将棋は盤外戦術に当たるような行為を禁止しているわけではない。だから、マナー違反の範疇に留まっているのである。


 それらの点を踏まえて与人は言う。


「コンの力を使えば、もっと奇抜なことができるかもしれない」


「おおっ」


 自分が役に立てると思ったからだろう。コンの表情には驚きの中に喜びが入り交じっていた。


 だから、水を差すようでしのびないと感じつつ、与人は話を続ける。


「ただ、盤外戦術はあくまで補助的なものだからな。お互いの実力が伯仲しているか、相手が動揺しやすい性格じゃないと、大して有効にならないだろう。だから、ここまでついた差を逆転する手としては弱いな」


 これを聞いても、コンはさほど落胆した様子はなかった。もっとも、相変わらず負けはしないか不安そうではあったが。


「じゃあ、もう一つは?」


「カンニング」


 コンの質問に、与人はそう答えた。


「コンピューターを使った将棋の解析は、近年飛躍的に進んでいてな。今じゃあ、一般人が簡単にネットで手に入れられるようなソフトでも、人間ではもうプロでも手も足も出ないくらいに強いんだ」


 以前のソフトは、プロ棋士の棋譜を参考にした「教師あり学習」だった為に、棋譜に滅多に出ないような珍しい局面を苦手としていた。しかし、現在のものは自分同士で対局する「強化学習」によってそれを克服し、更にこれまでのプロには見られなかったような革新的な手を指せるまでになっていた。


 また、ソフトだけでなくハードの向上によって、短時間で多くの手を検証できるようになったことも、コンピューターが強くなった一因だった。


 そして、そのために、対局中にコンピューターを使用し、指し手をカンニングするという不正行為までもが生まれてしまったのである。


「将棋はまだ疑惑が噂されるくらいで済んでるけど、チェスでは実際にカンニングが発覚したこともあるんだよ」


「へー」


 ただし、チェスでカンニングによる不正が行われ、将棋で行われていないのは、単にプレーヤーのモラルの違いだとは言い切れない。


 コンピューターを使った解析が他のボードゲームより進んでおり、古くからカンニングが有効な手段だったこと。また、競技人口が他のボードゲームと比べてはるかに多いこと。チェスで不正事件が起きたのは、この二点が大きな要因だと考えられる。その為、今後将棋界で不正事件が起こる可能性も否定はできないのだ。


「それで、具体的にはどうやってカンニングするんですか?」


「人目につかないようにトイレかどっかに行って、携帯電話に入れたソフトで指し手を確認する……というのが一般によく知られた方法だな。チェスでは、ボディチェックでバレないようにする為なのか、トイレットペーパーに携帯を隠してた例もある」


 コンの質問にそう答えると、与人は彼女に手を差し出していた。


「俺の携帯は提出しちゃったから、コンのを貸してもらえるか」


「はい」


 プロの棋戦では、カンニングを防止する為にいくつかのルールが定められている。そして、この対局もそのルールに準じて行われていた。


 名人戦や竜王戦のようなタイトル戦の場合、プロのルールでは会場となる建物に入場する前に携帯電話などの電子機器を提出して、金属探知機を使った検査に合格しなければならない。また既に一度述べたが、指し手に関する助言を受けられないように、建物の敷地の外に出ることは禁止されている。


 ただし、こうして電子機器の持ち込みや外出を禁止しているとはいえ、他人との接触まで完全に遮断しているわけではなかった。そのため、棋士やマスコミ、会場の従業員などの関係者を抱き込んでしまえば、カンニングを行うことも不可能ではない。


 関係者が不正にわざわざ手を貸す理由はないから、本来なら彼らを抱き込むことは非常に困難だろう。だが、この対局は京極組の屋敷で行われているため、邸内には対局者に協力的な者も紛れ込んでおり、カンニングの実行が容易になってしまっている。実際、与人はコンから受け取ることであっさり携帯電話を手にしていた。


 そのコンが尋ねてくる。


「やっぱり、与人様もトイレットペーパーに携帯を隠すおつもりなんですか?」


「いや、それは結局発覚したわけだからな」


 例のルール表を見て、おそらく吉田も誰かの携帯電話を借りるという方法を思いついているだろう。だから、優勢な吉田が不正することはないにしても、こちらが不正しないか警戒することは十分考えられるのである。


「そこで、コンの力が役に立つわけだ」


「あっ、そういうことですか」


 与人の言葉で、コンも遅れて作戦を理解したようだった。


「携帯をトイレットペーパーや消臭剤に変化させて、対局前にあらかじめトイレに置いておく。これならボディチェックをされても、トイレを調べられても、カンニングがバレることはまずないだろう」


「なるほど、なるほど」


 与人の説明を聞いて、何度も頷くコン。その顔には、作戦に感心しているような、勝利を予感しているような明るい表情が浮かんでいた。


 その一方で、与人は難しい顔をする。


「ただ、少し気になることがあるんだよな……」


          ◇◇◇


 対局後、吉田は屋敷内の部屋で寛いでいた。


 特に何かをするというわけではない。本も読まないし、音楽も聴かない。ただ横になって、ボーっととりとめもないことを考えるともなしに考えて過ごす。対局のことは一旦忘れ、二日目に備えてリラックスするためである。


 とはいえ、全く意識しないというわけにもいかない。ふとした瞬間に、盤面が吉田の頭をちらついていた。幸いなのは、今日の内容を見る限り、それほど気を張る必要がなさそうなことだろうか。


 対局は自分の優勢。それも大差で、である。優勢どころか、勝勢と言ってしまってもいいくらいだった。これなら下手を打たなければ、いや多少下手を打ってもまず負けることはないだろう。


 吉田はまた、対局そのものだけでなく、対局相手についても考えを巡らせていた。


 切子が声を掛けただけのことはあると思う。まだ若いというのに、与人は大した実力の持ち主だった。将棋の才能でいえば自分と同等、いや自分以上のものを持っているかもしれない。


 しかし、自分とは異なり、与人には圧倒的に努力が足りなかった。


 棋士は対局中の閃きだけで手を指しているわけではない。むしろ、手のほとんどは定跡や戦法、対局相手についての事前の研究に基づいたものである。ゆえに、才能は重要だが、それを努力で磨くこともまた重要なのだ。


 その点で、自分と与人では積み重ねてきたものが違う。二人の年齢には一回り以上の差があるのだ。将棋の勉強に費やした時間にも、同様の差があるに決まっている。


 それに、調べた限り、与人は今まで普通の高校生だったようである。だから、これまで趣味として将棋を勉強してきた与人と、職業として将棋を勉強してきた自分では、努力の量だけでなく努力の質でも自分が勝っているに違いなかった。


 それだけに、自分が負ける理由は、何一つ見当たらないのだ。


 と、吉田がそんなことを考えていると、声も掛けずに部屋に入ってくる者があった。


「調子良さそうじゃないか」


「お嬢!」


 切子の突然の来訪に、吉田は思わず跳ねるようにして起き上がる。


 それから、かしこまって言った。


「ま、ポーカーでもブラックジャックでも勝つ自信はありましたけどね。運の入り込む余地のないゲームなら尚更ですよ」


「そうか」


 将棋やチェスのような確定ゲームは技術が物を言う。その点において、吉田は自負するものがあった。


「将棋っていうのはちょっと複雑ですが……」


「そうか」


 同情したのか、切子はやはりそうとだけ答えた。


 吉田和彦――本名・井上慎也は、元々プロ棋士を目指す奨励会員の一人だった。


 奨励会(新進棋士奨励会)とは、プロ棋士の養成機関のことである。奨励会は6級から三段までの会員で成り立っており、会員同士の対局成績で規定の条件を満たすことで昇段することができる。


 最上位の三段になった会員は、三段リーグと呼ばれるリーグ戦に参加できるようになる。この三段リーグで2位までに入ることで、晴れて四段――対局によって収入を得られる、いわゆるプロ棋士――になることができるのだ。


 そして、吉田はその三段リーグに、弱冠十三歳の若さで初参加を果たしていた。


 中学生の内に三段まで昇段した例は、将棋界の歴史上でも数えるほどしかない。当時は天才だ、神童だと周囲に持て囃されたものである。


 しかし、順調だったのはそこまでだった。


 才能が足りなかったのか、努力が足りなかったのか。プロ棋士になる最後の関門を、吉田はなかなか突破することができなかった。気がつけば、いつまでも三段リーグで足踏みを続ける吉田のことを、天才だと呼ぶ者はいなくなっていた。


 だが、そんな日々にも終わりがきた。奨励会には年齢制限が設けられており、二十六歳までに四段になれなければ強制的に退会となる。長年燻り続けた吉田は、とうとうその年齢制限にひっかかってしまったのだ。


 奨励会にこのような年齢制限が設けられているのは、会員の将来を考えてのことである。しかし、幼い頃から将棋を指し続けてきた吉田には、自分に今更他の生き方ができるとは到底思えなかった。


 結局、吉田は奨励会を退会後、定職につかずフラフラしながら、時々町の将棋道場などで真剣をやって小銭を稼ぐという、自堕落な生活を送ることになる。そんな将来、ただ純粋に将棋が好きだった子供の頃には予想もしていなかった。


 とはいえ、小学生の女の子との真剣に勝った結果、ヤクザの代打ちを任されるようになったのは、もっと予想外の出来事だったが……


 考えてみれば、切子との付き合いももう五年近くになる。それだけに、吉田は彼女の行動に驚いていた。


「でも、珍しいですね」


「?」


「だって、わざわざ俺のことを心配して、様子を見に来てくれたんでしょう?」


「違う」


 言下にそう否定すると、切子は本題に入った。


「お前の対局相手についてなんだが――」


          ◇◇◇


 そうして、それぞれの思惑が渦巻く夜が明け――


 二日目の対局再開から、ちょうど一時間が経った時のことだった。


「……驚いたな」


 再開時からずっと唖然としっ放しだった切子だが、この時になって更にその感情を露わにしていた。


「まさか、こんな決着とは」


 これに続くように、与人も宣言する。


「俺の勝ちだな」

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