4 狐存亡の秋②
「落ち着いたか?」
「はい……」
与人が問うと、コンはそう頷いた。
アパートに来たばかりの頃は、コンは随分慌てた様子だった。そのため、与人はとりあえず彼女を部屋に上げて、お茶を出したのである。
詳しい話について尋ねたのはそのあとのことだった。
「で、山がなくなるっていうのは、どういうことなんだ?」
コンたち狐が暮らす、大阪・信太山。それがなくなるとは、一体どういう意味だろうか。
与人はいくつかの想像をしていたが、文字通りの意味だったらしい。
「それがどうも、信太山の山林を切り開いて、ホテルを建設するという計画が持ち上がっているみたいなんです」
「なるほど。リゾート開発か……」
コンの説明に、与人はそう相槌を打った。
それから、渋い顔をする。
「狐だもんな。それはまずいよな」
信太山の山林が開発されれば、当然そこで暮らすコンたちは棲み処を追われることになってしまう。それは自然と共に生きる狐にとっては死活問題だろう。案の定、彼女は「はい」と頷いていた。
コンは説明を続ける。
「それで今、山の狐たちの間では、変化の術を使って権利書を盗み出そうとか、先に偽の売買契約を結ぼうとか、建設業者の邪魔をしようとかいう話になってて……」
「最後のは狸の映画じゃなかったか?」
与人は思わずそう尋ねていた。
そのあとで、コンたちの作戦について真剣に検討を始める。
「でも、変化の術や人化の術を使える奴って、今じゃあ珍しいんだろう?」
「ええ」
であれば、先程の作戦を実行するのは難しいだろう。それこそ狸の映画のように、人間に化けて都会で暮らす手も使えない。
コンはまた、続けてこうも言った。
「それに、人間との間に諍いを起こすと、余計に危険なんじゃないかと」
「ま、そうだろうな」
単に山が開発されるだけでなく、狐狩りまで行われる可能性がある。特にコンのような変化の術まで使える狐については、正体がバレたらどんな扱いを受けるか分かったものではない。
だから、与人はなるべく穏便に済みそうな手段を提案する。
「他の山に移り住むんじゃダメなのか?」
「我々動物は元々縄張り意識が強いですし、開発で住処を追われる者が増えたせいで、今時はどこの山も苦しいですからね。仮に同じ狐が治めている山があったとしても、私たちを受け入れてくれるかどうか……」
この程度の案については、既に検討がなされていたようだ。コンは反対理由を更に続ける。
「それに、仲間内には年を取っていたり、体が弱かったりして、環境が変わるのが不安だという者もいるんです」
それから、コンは心苦しそうに付け加えた。
「うちの親もそうですが……」
そう言われると、与人も言葉に困ってしまう。
「…………」
一体、どうするべきか。自分には何ができるのか。
そうして沈思黙考した末、与人は再び口を開いた。
「……先に偽の売買契約を結ぶ話が出るってことは、山の土地はまだ開発業者のものになったわけじゃないのか?」
「はい。地主のおじいさんは、できたら山として使ってくれる人に売りたいみたいです」
明るい材料かと思いきや、そうでもないらしい。コンは沈んだ顔で、「息子さんはそうでもないみたいですが」と付け加えていた。
しかし、与人には十分いいニュースだった。
「つまり、今からでも正式に契約して、コンたちの物にすることもできるわけだ」
「それはそうですけど。でも、そんな大金なんてないですし……」
これも言い換えれば、金さえあれば問題ないということだ。だから、与人はすぐに尋ねる。
「開発業者はいくら出すって?」
「2000万円です」
コンはそう答えた。
これを聞いて、与人は再び考え込む。
「2000万か…… 最低でも、同じだけの金は欲しいよな……」
地主の発言を鑑みれば、必ずしも業者の出す額を上回る必要はないだろう。だが、地主の息子も納得するレベルの金を積まないと、彼の反対に遭う可能性がある。
2000万。
三十代、四十代の貯蓄の中央値が約200万。五十代以降でも500万ほどである。十代の高校生の上、学費や生活費にも困っているような与人には、2000万はまともな方法ではとても用意できるような額ではない。
「金か……」
与人はポツリとそう漏らす。
2000万のような大金を、与人が稼ぐ方法があるとすればそれは――
◇◇◇
「ダメ元のつもりだったのに、まさか連絡してくるとは思わなかったよ」
珍しく驚いたように切子はそう言った。
彼女があの日置いていった名刺。与人がその番号に電話すると、すぐにアパートまで迎えの車が来た。そして、京極家の――というより、おそらく京極組の――屋敷に上げられ、応接間まで通されたのである。
2000万のような大金を、与人が稼ぐ方法があるとすればそれは――
それは裏賭博で勝つ以外になかった。




