8 狐賽②
前夜の、作戦会議の最中のことである。
ターゲットに京極組組長の孫娘を選んだこと。彼女がギャンブル好きのサディストだということ。そして、彼女とは高一の頃からさまざまな勝負をしてきたこと。そういった説明を受けたコンは、与人に聞きたいことができたようだった。
「ところで、さっきの囲碁やポーカーの勝負というのは、一体どっちが勝ってるんですか?」
そう言うと、コンは期待と尊敬のこもった目をこちらに向けてくる。
「勿論、与人様ですよね? テストでも勝ってるんですし」
「当たり前だろ」
与人はそう断言する――ことができなかった。
「って言いたいところなんだけど…… 実際は五分五分くらいだろうな」
「五分五分ですか」
「お嬢はキレるやつだからなぁ、色んな意味で」
『セカンド・ディール』といって、ポーカーなどでカードを配る時に、一番上のカードではなく二枚目を配ることで、手札を操作するイカサマがある。以前山口から聞いた話では、切子は仕掛けられたセカンド・ディールを見抜いたことがあるらしい。しかも、その時、彼女はセカンド・ディールを暴くついでに、相手の指をへし折ったのだという。だから、今回の勝負でも同じことが起こらないとは限らない。
そう心配する与人を、コンは勇気づけるように言った。
「でも、きっと大丈夫ですよ。今度の勝負は私がついてますから!」
「……不安だ」
「えぇっ!?」
コンはショックを受けたようにそう叫んだ。
もっとも、コンの変化を上手く使えば、たとえ切子が相手でもイカサマを隠し通す自信はあった。だから、与人は言動とは裏腹に計画を先へと進める。
「じゃあ、ちょっとリハーサルしてみるか」
「はい」
返事とともに、コンはサイコロに変化する。
しかし、これは与人の本意ではなかった。
「ああ、悪い悪い。説明が足りなかったな」
うっかり言い忘れていたようだ。与人は慌てて補足する。
「サイコロじゃなくて、壺に化けてくれ」
「壺?」
オウム返しにコンはそう言った。
不思議そうな表情を浮かべる彼女に、与人は説明も兼ねて確認する。
「変化を使えば、表は普通の壺に見せつつ、中でこっそりサイコロを動かせるだろ?」
変化したまま素材の竹を動かすなり、変化を指だけ解くなりすれば、壺に化けても出目を操れるはずだろう。そんな与人の見込み通り、「そうですね。サイコロが見えるように、編み目を荒くして光が入るようにすれば大丈夫だと思います」とコンは答えた。
しかし、コンはまだ不思議そうな表情のままだった。
「でも、何で壺なんですか?」
「イカサマしてるとバレた時の為だよ」
与人の返答を受けて、コンは重ねて質問してきた。
「バレますかね?」
「普段ギャンブルを避けてる俺が賭場を開く上に、相手はお嬢だからな。十中八九イカサマを疑ってくるよ」
他ならぬ切子なら、これくらいのことは当然読んでくるだろう。そう考えるほどに、与人は彼女のことを評価していた。
これを聞いて、コンは当然の疑問を口にする。
「でも、それならサイコロじゃなくて、壺の方を疑う可能性もあるんじゃあ……」
「そうだ」
頷いてから、与人は再びいくつかあるサイコロの中から一つを選び取る。それはカジノ用のものではなく、一般によく見られるサイコロだった。
「だから、お嬢の疑いがサイコロに集中するように、あえて中身の透けてない普通のサイコロを使うつもりだ」
「ああっ」
コンは驚いたような感心したような声を上げていた。
また、サイコロに疑いが向くであろう理由は他にもあった。
「それに……」
「それに?」
続きを促してくるコンに、与人はこう答えた。
「そもそも、俺にイカサマのヒントをくれたのは――『狸賽』の話を教えてくれたのはお嬢なんだよ」
◇◇◇
チョボイチ勝負に決着がつき、帰り支度を始めた与人を、切子は「待ちなよ」と言って呼び止めた。
「……四回勝負のはずだろ?」
「ああ、別に延長戦をしようってわけじゃないよ。ただ君と少し話がしたいだけだ」
「話って?」
そう尋ねると、切子は不敵な笑みを浮かべて質問してきた。
「沢村君は『狸賽』を知っているかな?」
与人は思わず息を呑んでいた。鼓動が高鳴る。背中に嫌な汗が滲む。
(大丈夫。ここまではまだ想定済みだ)
『狸賽』を知っている人間なら、似たような状況に出くわせば、まずサイコロを疑うはずである。だから、壺の方まで気が回らないはずだと、与人はそう自分に言い聞かせる。
一方、蛇が獲物を絞め殺す時のように、切子はじわじわと話を進めていく。
「確か、君には前に話したような覚えがあるけど」
この発言に、与人ははっきりと焦り始める。
(お嬢も覚えてたのか……)
切子が『狸賽』を知っているのは織り込み済みだが、それを自分に話したことまで覚えているのは想定外だった。これはまずいことになったかもしれない。
(少なくとも、「知ってる」「覚えてる」とは言えないよな。そうしたら、お嬢がこっちの手を読んで、壺の方を疑う可能性が出てくるから)
一体、切子はどこまで掴んでいるのか。それが分からないから、与人はひとまずしらばっくれることにした。
「……さぁ、何だったかな?」
◇◇◇
「しかし、お嬢もやるなぁ。あそこまで肉薄してくるなんて」
公園からアパートへの帰り道、与人は今日のチョボイチを振り返ってそう反省していた。
壺にまで辿り着けなかっただけで、切子はたった四回の勝負でイカサマの本質にほぼ迫っていた。
また、そのイカサマを封じる為に、彼女は紙に賭ける目を書くという作戦も思いついている。目の選択で外したとはいえ、発想そのものは大したものである。
ただ、切子が鋭かったのは確かだが、与人に失策がなかったとは言えない。
「出したい目は暗号で伝えるなりして、もっとイカサマに気付かれにくくするべきだったかもしれないな」
馬鹿正直に目を呟いたのは失敗だったのではないか。切子もあれのおかげで、イカサマの方法に勘づいたようなことを言っていた。
難しい顔をしながら、与人は勝敗因の検討を続ける。
「『狸賽』まで行き着けたなら、こっちがその先の展開を考えてくるのも予想できなくはないはずだからな。お嬢の詰めの甘さに助けられたかな」
狸(狐)がサイコロに化けているという、非現実的な可能性を疑えというのは酷かもしれない。だが、そこに一度たどりついた以上は、その先――狸(狐)が壺の方に化けているということまで予想してしかるべきだろう。その点で、与人は幸運だったと言える。
しかし、これにコンが反論してきた。
「後づけでなら何とでも言えますよ」
そう言ってから、賞賛の言葉を続ける。
「最終的に勝ったのは与人様です。それが全てですよ」
「それはそうかもしれないけど、でも失敗していた可能性についてもきちんと考えるようにしておかないとな。幸運に甘えているようじゃあ、いつか自分が出し抜かれる側に回ることにもなりかねないから」
「なるほど」
「なるほどて……」
一体どっちが化け狐なのか。感心した様子のコンに、与人は呆れてしまう。
そんな話をしている内に、二人はアパートに到着した。
そして同時に、与人はそれを発見する。
「お嬢!」
二人を待ち構えるように、部屋の前に切子が立っていた。
「なるほどね」
直前の与人たちの話を聞いていたかのように、切子は何故かそう強調して言う。
それから、彼女は続けて何に納得したかを説明した。
「サイコロじゃなくて壺で、狸じゃなくて狐だったのか」
驚く与人とコン。一体どこからその情報が漏れたのか。二人しか知らない秘密のはずだが……
切子は穏やかな口調で、しかし皮肉のこもった言葉を口にする。
「やっぱり君は、私のした『狸賽』の話を覚えていたんだね。いや、それとも、あんな雑談を覚えてもらっていて光栄と考えるべきなのかな」
やはり、イカサマの手口はバレてしまっているようだった。
だが、それを掴んだ方法が分からない。何故切子は二人しか知らないはずのことを知っているのか。何故切子は「なるほどね」と二人の会話を踏まえたようなことを言えたのか。
そこまで考えて、与人はようやく気付く。
自分たちの秘密を切子に教えたのは、自分たちだったのだ。
与人は勝負のあとに切子から受け取った封筒を取り出す。
外見は今見ても、ただの札束の入った封筒にしか見えない。しかし、実際に封を開いて中を見てみると、札束の中間部分に不自然な隙間ができていた。
紙幣に挟む形で、小型の盗聴器が仕込んであったのである。
「君のことだ。〝さすがにこんな大金は受け取れない。明日にでも返そう〟とでも考えて、ろくに中身を改めないだろうと思っていたよ」
長い髪をかき上げる優雅な仕草で、彼女は悪意たっぷりに盗聴に使ったイヤホンを示す。
そして、切子は意趣返しするように攻撃的な笑みを浮かべた。
「君も詰めが甘いな」




