6 チョボイチ④
(まさか心理戦になるとはな……)
出目が分かったあとで賭けた目を発表する。最終戦を迎えて切子のしたこの提案に、与人は改めて焦りを覚えていた。
いくらコンの力で出目を操作できたところで、相手の目が分からないのでは意味がない。だから、勝つには何とか切子が賭けた目を予想するしかないのだ。
手始めに、与人は過去三回の勝負の結果を振り返る。ここまでコンが出した目は5、2、3。対して、切子が選んだ目は1、1、1だった。
(まずお嬢が賭け続けた1。これはまた賭けてくる可能性があるから選び辛い)
1、1、1と来て、もう一度1。普通ならまずこんな賭け方はしないだろうが、切子に限ってはありえないとは言い切れない。
(それから、まだ出ていない4と6。まだ出ていないなら次は出るんじゃないか……と考えてしまうのが人間心理だ。だから、これらもお嬢が賭けてくる可能性があって選び辛い)
サイコロの出目は独立試行だから、実際には過去の結果は無関係である。しかし、わざわざ「ギャンブラーの誤謬」と名前がつけられるほどに、この誤った考え方に陥ってしまうケースは珍しいことではないのだ。
(となると、既に出た2、3、5のどれかってことになるけど……)
そこまで思考が行き着いたところで、与人は対戦相手の方を見る。
(多分、お嬢も同じようなことを考えるだろうな)
与人と目が合っても、切子は視線を逸らすことはなかった。それどころか、堂々と真っ直ぐに、射すくめるような眼差しを返してくる。心中まで見透かされそうだった。
そんな切子の視線を受けながら、与人は目の予想を続ける。
(どうせ普通にやっても当たるのは6分の1の確率。同じ思考を辿ったとしても、まだ3分の1だ。運否天賦でも、こっちが有利なのは違いない)
どれだけ考えたところで、相手の裏、裏の裏、裏の裏の裏と、堂々巡りになるだけである。結局、どこかで割り切ってしまうしかないだろう。
「よし、きっと5ならセーフだ」
コンに聞こえるように言って、与人は壺に手を伸ばす。
「5出ろよ、5」
壺を開けると、出目は注文通りの5。
ここまではいい。あとは切子がどの目に賭けたかである。
「私が選んだのは――」
そう言いながら、切子は伏せたメモを表にする。
この勝負に勝てば、与人は合計2万8000円の収入を得ることができる。逆に、負ければタネ銭の1万5000円を失った上、更に7000円の借金まで残ってしまう。
はたして、勝負の結果は――
「2だ」
切子がそう言ったのを聞いて、与人は安堵の息をついた。
「よし、俺の勝ちだな」
安堵のあとから、遅れて歓喜の感情が湧いてくる。イカサマを疑われ、心理戦を仕掛けられながらも、自分が勝利を収め、金を得たのだ。
切子の手前声は上げないが、ギャラリーの山口たちも、与人の勝利を自分のことのように喜んでいるようだ。
かたや、負けた切子は無表情のまま、ただただ口をつぐんでいた。
与人はそんな彼女の賭けた目について検討を始める。
(やっぱり、既に出た2、3、5の中から選んだのかな。危なかったな)
この三つの数字の内から、与人が運否天賦と割り切って5を選んだのは事実である。だが、ただの偶然に任せたわけでもなかった。
(理論上、一番出やすい目は5。だからこそ、あえて5を出したんだけど正解だったかな)
要するに、いくら無関係と言っても、出やすい目に馬鹿正直に賭けることに対して忌避感が働くのではないか……という、かなり胡乱な理屈である。
ただ、切子が選んだ目は2――与人の選んだ5の裏だった。だから、もしかすると切子は、与人の理屈の裏まで深読みして、あえて一番出にくい2の目に賭けたのかもしれない。
思い起こせば三回戦の際、切子が1にばかり賭けるのを見て、与人は考え込んだことがあった。あれを見て、「与人はそれぞれの目が出る確率を知っている」と、彼女は察したのではないか。
実際のところ、切子が何を考えて2を選んだのかは分からない。単なる気まぐれという可能性もある。しかし、与人には、自分の思考ににじり寄られていたように感じられてしまうのだった。
「冷や冷やしたなぁ。やっぱり、俺みたいな小市民にはギャンブルは向いてないな」
冗談めかした口調だが、半分くらいは本音である。
そして、もう半分はこの場から早く逃げ出す為の方便だった。
「勝ち逃げみたいで悪いけど、キリも良いし俺はこれで帰るよ」
切子や山口たちにそう言って、帰り支度を始める与人。不自然でない程度に、急いでコンを回収しようとする。
しかし、与人がサイコロに手を伸ばした、その時だった。
「待ちなよ」
それまで潔く負けを認めたように黙っていた切子が、突然口を開いた。
自身の正当性を主張するように、与人はわざと非難がましく尋ねる。
「……四回勝負のはずだろ?」
「ああ、別に延長戦をしようってわけじゃないよ。ただ君と少し話がしたいだけだ」
「話って?」
そう尋ねると、切子は不敵な笑みを浮かべて質問してきた。
「沢村君は『狸賽』を知っているかな?」
与人は思わず息を呑んでいた。鼓動が高鳴る。背中に嫌な汗が滲む。
一方、蛇が獲物を絞め殺す時のように、切子はじわじわと話を進めていく。
「確か、君には前に話したような覚えがあるけど」
この発言に、与人ははっきりと焦り始める。
一体、切子はどこまで掴んでいるのか。それが分からないから、与人はひとまずしらばっくれることにした。
「……さぁ、何だったかな?」
「古典落語の演目だよ」
そう答えたあと、切子は詳しい説明に入った。
「助けた狸が恩返しに来るという筋の噺は色々あって、それらはまとめて『狸』などという題で演じられることがある。
たとえば、狸に茶釜に化けてもらってそれを売ったら、坊主に火に掛けられてしまった噺。鯉に化けてもらって差し入れにしたら、危うく食べられそうになってしまった噺。五円札に化けてもらって支払いに使ったら、逃げてくる時ついでに本物の五円札を盗んできた噺……
そして、そんな『狸』に含まれる噺の中で、おそらくもっとも有名なのが『狸賽』だろう」
相変わらず、いきなり本題に入るようなことはせずに、ゆっくりと相手を追い詰めるような話運びだった。
だから、与人は『狸賽』なんて知らないと、イカサマなんてしていないと、そう訴えるように先を急かす。
「どんな話なんだ?」
「ある男が、子供たちにいじめられていた狸を助けたら、その狸がお礼をしたいと家を訪ねてきてね。小僧に化けて、身の回りの世話やなんかをしてくれるようになったんだ。
それで男は、変身できるならちょうどいいと、狸にサイコロに化けてもらって、チョボイチで好きな目を出すというイカサマを思いつく」
そうやってあらすじを喋りながら、切子はきっちり与人への口撃を挟んでくる。
「君、さっきからずっとどんな目が出て欲しいか呟いていただろう? それが、この落語で狸に指示を出す件にそっくりだと思ってね」
与人はこれを無視すると、話を本筋に戻すふりをしながら、別の方向へと逸らしていた。
「……それで肝心のオチは?」
「ああ、オチはね、あまりに男の言う目ばかり出るものだから周りも怪しがって、目を言うのを禁止されてしまうんだ。
で、何とかして5を出したい男は考え抜いた末、5の模様を連想させようと〝梅だ。梅鉢だ。天神様(菅原道真)の家紋だ。天神様だ〟と指示を出すんだ。すると、これを聞いた狸が勘違いして……」
切子はそこで一旦話を区切ると、両手で何か――本来は見立てに扇子を使う――を持つようなポーズを取った。
「『壺を開けると、狸が冠をかぶって勺を持って、天神様の格好で座っていた』……とサゲるわけだ」
これを聞いて、与人はイカサマを誤魔化す為に愛想笑いをする。
「へー、そりゃあ面白いな」
「そうだろう? 本職がやるともっと笑えるよ」
与人に倣うように、切子もそう言って嘘くさい笑みを浮かべる。
だから、二人は笑い合うことになるのだった。
「ハハハハハ」
「ハハハハハ」
そして、そんな風に笑い合う中――
切子は突如として、ドスを真っ直ぐサイコロに振り下ろした。