5 チョボイチ③
「それじゃあ、親を決めるか」
勝負を始める前に、与人がそう言った。
すると、切子はこれに壺とサイコロを示して答える。
「親権なら、君に全て譲るよ」
「いいのか?」
思いがけない提案に、与人は驚いていた。
チョボイチでは、子は6分の1の勝率に対して、勝っても四倍の配当しか貰えない。その為、期待値的には親が有利なゲームのはずである。普通に考えれば、親権をわざわざ手放す理由はないだろう。しかし、そんな与人の疑問に、切子はただ一言「ああ」と答えるだけで、その具体的な理由までは口にしなかった。
こうして、二人のチョボイチ対決が始められた。
親の与人が、まずは壺を振る。
次は子の切子が出目を予想して金を賭ける。だが、その前に彼女はこんな質問をしてきた。
「君のタネ銭はいくらなんだ?」
「ちょうど1万5000円」
与人の返答を聞いた瞬間にも、切子はブランドものの財布から無造作に金を取り出していた。
「じゃあ、1に4000円賭けよう」
「一発で吹き飛ばす気かよ」
与人は驚き半分呆れ半分で切子を睨んだ。
もしこれで出目が1なら、切子は賭け金の4000円が戻ってくるのに加えて、更に親の与人から4000円×4の1万6000円を受け取ることができる。一方、与人が払える最大額は1万5000円までである。
つまり、1が出れば、与人はタネ銭全てを失ってなお、まだ1000円の借金が残るという計算になってしまう。百円単位の低レートで遊んでいた、先程までの牧歌的な雰囲気が嘘のようだった。
「ちまちま賭けるのは性に合わないからね」
事もなげにそう言ってから、切子は不敵な笑みを浮かべる。
「それに、この方が一勝負の濃さが増して楽しめるじゃないか」
(お前が楽しんでるのは俺を潰すことだろ……)
薄々察してはいたが、与人は切子が親権を譲った理由をこの時はっきりと確信した。賭け金を自由に設定できる分、子の立場の方が相手を潰しやすいと彼女は考えたのだ。
そうして苦々しい顔をする与人に対して、切子は悪びれるでもなく催促してくる。
「そんなことより、張ったんだから早く壺を開いてくれないかな」
「分かったよ」
切子の悪質な賭け方には肝を潰したが、その分だけ勝った時の収入は大きくなった。それに何より、これなら良心が痛まなくて済む。与人はそう考えを切り替えることにした。
「1だな。1以外が出ればいいんだな」
神に祈るような振りをして、与人はコンに指示を出す。
そして、壺を開けると――
出目は5。コンは言われた通りの仕事を果たしてくれたようだ。
「はずれか」
特に残念がる風でもなく、切子は淡々とそう言った。
二度目の勝負も、一度目に引き続き親を譲られた与人が壺を振る。
すると、切子は再び財布からお札を取り出していた。
「それじゃあ、次は1に6000円」
切子は先程と同じ考え方で賭ける額を決めたようだった。もしこれが当たれば、与人は差し引き5000円の借金を残してしまうことになる。
だが、与人にはそれ以上に気になることがあった。
「……当たりが出るまで、そうやって延々賭け金を上げ続けるつもりじゃないだろうな」
マーチンゲール法(倍賭け法)が有名だが、勝った時にこれまで負けた総額を取り戻すように金を賭け続ければ、理論上いつかは必ず勝つことができる。
たとえば、チョボイチなら100円賭けて負けたあと、次に200円賭けて勝てば、-100+200×4で700円の勝ちになる。もし二度目も負けた場合には、今度は400円を賭ければいい。そうすれば次に勝てば、-100-200+400×4で1300円の勝ちになる……と、ごく簡単に説明すればこんな具合である。
実際には、連敗が続くと賭け金が膨らむ為に途中でタネ銭が足りなくなるか、もしくはカジノの設定する賭け金の上限額に引っかかるかするので、これを現実に実行するのはまず不可能である。もっとも、切子のように裕福な人間が、一般人同士の違法なギャンブルで行うのなら可能性はあるが。
しかし、そんな与人の想像を、切子は一笑に付していた。
「まさか。それじゃあ、ギャンブルにならないだろう」
そう言うと、彼女は具体的なルールを提示してくる。
「そうだね。それじゃあ、四回勝負、つまりこの勝負を含めてあと三回の勝負で決着をつけるっていうのはどうだい?」
これを聞いて、与人は計算を始める。
(サイコロを四回振って一度も特定の目が出ない確率は、6分の5の4乗で、0.4822…… だから、俺が勝つ確率は約48%か)
これが三回勝負だと約58%と与人に有利だし、五回勝負だと約40%と今度は切子が有利になってしまう。四回勝負というのはフェアな落としどころだと言えるだろう。
(期待値的には親有利のギャンブルだ。それを考えれば、フェアどころか俺の方が得なくらいかな)
相手を叩き潰したいという欲求があるとはいえ、切子にはやはりギャンブルそのものが好きだという感情もあるようだ。悪評が広まっても挑戦者がいなくならないのも、彼女がこうして対戦相手の勝ち目を保証するからだろう。
そして、勝ち目のある勝負ということは、コンの力を使って勝っても不自然ではないということである。
「……いいとも」
切子の提案を、与人はそう請け負った。
「また1か。1は来るなよ……」
コンに指示を出す為にそう呟いてから、与人は壺を開く。
その結果、出た目は2。今回も切子の負けである。
「残り二回か……」
三回戦、早々に壺を振った与人に対し、切子はそう言って少し考える素振りを見せる。それから、財布から8000円を取り出した。
「じゃあ、今回も1だ」
これには、今度は与人が考え込む番だった。
(三連続で1か。誤差レベルとはいえ、一番出やすいのは5のはずなんだがな……)
一般的なサイコロとカジノで使われるサイコロには、大きく分けて二つの違いがある。
一つ目は色。一般的なものは白色だが、カジノ用のものは何も仕込みがないことを示す為に、中身の透けるクリアカラーのプラスチックで作られている。
二つ目は目のつくり。一般的なものは目の部分を彫って作る為に、各面の重さに微妙な違いが存在しており、結果それぞれの目が出る確率にごくわずかながら偏りが発生してしまう。対して、カジノ用のものは精度を上げる為に、目を彫った後の凹みを同じ材料で埋めて重さを均等にしたり、あるいは彫らずに表面に塗料で目をプリントするという製法を取っているのである。
そして、この一般的なサイコロの出目の偏りを計算した時、理論上は5が一番出やすいのだという。
切子はこのことを知らないから5に賭けないのか。それとも、誤差レベルだということまで知っているから5に賭けないのか。それは分からないが、気にしても仕方ないことかと与人はすぐに考え直した。
「よーし、1だな。はずれてくれよ」
与人が指示をする。コンが3の目を出す。だから、今回も切子の負けとなった。
はたして次が四回戦目。勝負は最終局面を迎える。
これまでの勝負で、タネ銭の1万5000円と稼いだ1万8000円を合わせて、与人の所持金は3万3000円までになっていた。それを一発で回収する為、切子はとうとう財布から一万円札を取り出す。
更に、彼女はバッグからペンとメモ帳も取り出していた。
「それじゃあ、最後はこれで」
何かを書き終えると、切子はそう言ってメモ帳のページを一枚ちぎって伏せた。
与人はその意図に気付いていないふりをして尋ねる。
「……何のつもりだ?」
「何に賭けたかは、目が出たあとで答えるよ」
やはり、メモには賭けた目を書いたらしい。そして、切子がわざわざそんなことをする意図とは――
「君がイカサマをしている可能性があるからね」
動揺が与人の心に大きな感情の波を起こす。ペンとメモ帳を見て、事前にこの展開を予想していなければ、表情に出ていたかもしれない。
逆に言えば、この展開を予想していたから、与人には演技をする余裕があった。言いがかりだとばかりに呆れた顔をする。
「道具ならさっき散々調べただろ?」
「そんなものはすり替えればいいだけの話じゃないか」
「そんな器用な真似、俺には無理だし、お嬢が相手じゃあもっと無理だよ」
前半はともかくとして、後半は本音だった。以前に切子がイカサマを見抜いたという話は、山口を通じて与人の耳にも入っていた。また、実際にこうして彼女を目の前にしていると、イカサマをする隙がまるでないということが改めてよく分かる。
しかし、そう弁解しても、切子の口撃は緩むどころかいっそう厳しいものになっていた。
「それなら君は、何の勝算もないのに、わざわざチョボイチなんて運だけのゲームを選んだわけだ」
「…………」
サマ師を揺さぶるように、獲物をいたぶるように、切子はじっくりと与人を追い込んでいく。
「それに、イカサマしていないというのなら、尚更私の申し出を断る理由はないんじゃないかな? ん?」
「……分かったよ」
これ以上、抗弁するのは無理だろう。そう考えて、与人は引き下がることにした。
与人はまたこうも考える。言動からいって、切子はまだイカサマの可能性を疑っている段階である。決してイカサマの手口に気付いたわけではない。勝負は残り一回だけなのだから、それさえ凌げば自分たちの勝利だ。
一方、与人が提案を受けたのを見て、切子は重ねて提案してきた。
「それじゃあ、君のサインを入れるといい」
「?」ペンを受け取ってから、与人は遅れて理解する。「ああ、お嬢が紙をすり替えないようにってことか」
「そうだよ」
頷くと、切子は再び追い込みをかけるように続けた。
「私はイカサマをするつもりはないからね」
君はするんだろうと言わんばかりである。与人はサインを入れる為に顔を下に向けると、切子から見えないのをいいことに苦々しい表情を露わにしていた。
そうしてサインが終わり与人が顔を上げると、切子は挑発しているような、楽しんでいるような、そんな好戦的な笑みを向けてきた。
「さぁ、最後の勝負と行こうじゃないか」