4 チョボイチ②
「お嬢?」
「ああ。本名は京極切子」
計画を実行に移す、その前夜のことである。ターゲットについて聞き返してくるコンに、与人は最初に名前を答えた。
次に、彼女の素性について説明する。
「俺のクラスメイトで、京極組の組長の孫娘だ」
確認するように、コンは与人の言葉を繰り返す。
「京極組って……」
「ヤクザだな」
京極組は関東を中心に活動する暴力団である。裏で多額の違法収入を得ているのは勿論、表でも多数の企業舎弟を従えており、その規模は日本でも一、二を争う。
だから、コンも名前くらいは聞いたことがあるようだ。驚いたのか、怖がったのか、「おお……」と曖昧な声を漏らしていた。
与人は説明を続ける。
「表向きはカジノグループの経営者の娘で通してるけど、そのカジノって実際には裏賭博、裏カジノのコネやノウハウを活かしたヤクザのフロント企業なんだよ。
それも、単にヤクザがカジノを経営してるだけじゃなくて、勝ち負けを仕組んだギャンブルを行って、政財界や犯罪組織の人間のマネーロンダリングを請け負ってるって噂だ」
「マネー……?」
「資金洗浄って言った方が分かりやすいか? 簡単に言うと、違法行為で手に入れた汚い金を、一旦別の場所に移すことで出所を分からなくして、綺麗な金に変えるってことだ」
「へー」
とはいえ、いくらヤクザが不法行為を働いていようと、いくら与人がヤクザに嫌悪感を抱いていようと、それはあくまでも親の話である。子供の切子まで非難される謂れはないだろう。
与人が切子をターゲットに選んだのは、彼女自身にも問題があるからだった。
「お嬢自身も校内のギャンブルで、遊びじゃあ済まないような賭け方をするらしい。何人かはそれでかなり毟られたみたいだ」
大金を賭けてプレッシャーを与え、相手を勝負から降ろす。自分に勝負手が来た時に大金を賭けて、一気に相手を潰す。このように、ギャンブルではタネ銭の多い者が有利である。
そして、家が裕福な切子は、このことを利用してかなり悪辣な賭け方をしているようだ。いくら互いの同意の上でのギャンブルと言っても、限度があるのではないか。
「そういう奴が相手なら、イカサマギャンブルで小銭稼ぎくらいしたってバチは当たらないだろ」
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、与人はそう考えていた。
「与人様の命令なら、私は何でもしますけど……」
半ば盲目的にコンはそう答える。与人の方が不安になるくらいの従順ぶりだった。
一方、コンはコンで不安があったらしい。
「でも、そんな簡単に勝負に乗ってきますかね?」
「それなら問題ないよ。家業が家業だからかお嬢はギャンブル好きで、学校での勝負にも何度も参加してるみたいだし」
コンの質問にまずそう答えると、与人は更に続ける。
「何より――」
◇◇◇
「チョボイチか」
賭場で何のギャンブルが行われているのか、切子は一目で察したようだった。
これに「ああ」と頷くと、与人は何気ない風を装って提案する。
「お嬢もどうだ?」
「こういう運の要素が強いゲームはあまり好きじゃあないんだが……」
渋るような態度の切子。しかし、これを聞いても与人の中に焦りは生まれない。
案の定、話はそこで終わらなかった。
「そうだね。久々に遊ぶのもいいかもしれない」
そう言って、切子は口の端で笑った。
(ギャンブル好き……)
切子の性格上、必ず勝負を受ける。コンにも説明したが、与人にはその確信があった。
(何より――)
切子は話を続けながら、口の端を更につり上げて笑う。
「それに、苦学生の君から金を巻き上げるのも面白そうだ」
(何より、生粋の加虐趣味者……!)
校内でも一、二を争うほど裕福なはずの切子が、何故他の生徒からギャンブルで金を奪い取るようなことをするのか。それは相手を苦しめたいという、ただそれだけの単純な動機によるものだった。
実際、標的を自分に定めた今、切子は心底愉快そうな表情を浮かべていた。だから、与人は心中で渋い顔をするのだった。
◇◇◇
「サ、サディスト……」
切子が必ず勝負を受ける理由。それを与人から聞かされたコンは、どういうわけか頬を染めていた。
「何赤くなってんだ、お前」
「だ、だって、サディストってあれですよね。ムチとかロウソクとかを使って……」
「いや、そういうことじゃなくて」
どういう意味か聞かれるかと思ったが、コンは意味を知っているどころか、すぐにいかがわしい想像まで始めていたようだった。
(耳年増か、こいつ……)
与人は呆れ顔をする。そういえば、コンは夜伽の意味も知っていた。
気を取り直して、与人は説明を続ける。
「あとはまぁ、お嬢のやつ、どうも俺に対抗意識を持ってるみたいなんだよな」
「そうなんですか?」
「ああ。きっかけは多分、高一の最初のテストで、俺が一位で、お嬢が二位だったことだと思う。俺に負けたのが悔しかったみたいで、それ以来あいつ、勉強に限らず色々と勝負をふっかけてくるようになったんだよ」
これを聞いて、コンが質問してきた。
「色々って?」
「そうだな。囲碁とか、ポーカーとか、クイズとか……」
与人は次々と例を挙げていく。切子とは一年の頃から同じクラスだった為、顔を合わせる機会が多く、それに伴って勝負の機会も多かったのである。
「あとはポケモンとかな」
「ポケモン……」
コンは呆気に取られたようにそう繰り返していた。
そのあとで、彼女はおずおずと尋ねてくる。
「でも、お話を聞いた限り仲がよろしいようですけど、本当にイカサマでハメるおつもりなんですか?」
「いや、別にお嬢とは仲良くないから」
「はぁ……」
与人の返答に、コンは曖昧な相槌を打っていた。本心のつもりだが、彼女はいまいち釈然としなかったようだ。
「ところで、さっきの囲碁やポーカーの勝負というのは、一体どっちが勝ってるんですか?」
そう言うと、コンは期待と尊敬のこもった目を向けてくる。
「勿論、与人様ですよね? テストでも勝ってるんですし」
「当たり前だろ」
与人はそう断言する――ことができなかった。
「って言いたいところなんだけど……」
◇◇◇
切子のチョボイチへの参加。
それを受けて、山口たちは彼女の為に席を空けていた。
「君たちはいいのかい?」
「お、おう」
たじろぎながら切子に答えてから、山口は申し訳なさそうな視線を与人に送る。他の参加者も似たようなものだった。同情はするが、巻き込まれたくはないという、いじめを傍観する心理に近いだろうか。
もっとも、与人の狙いは切子だけだったから、他に参加者がいない方が都合がよかった。むしろ、こういう状況になることまで計算ずくだったくらいである。
「それじゃあ、一対一の勝負だね」
切子は殊更嬉しそうに言うと、まずは壺を手に取った。
「チェックなら、もう圭介たちがしたぞ」
ためつすがめつ念入りに調べる切子を見て、与人は山口の名前を出す。
が、切子は聞く耳を持たない。サイコロを手の平の上で弄びながら講釈を始める。
「樗蒲一という言葉は元のゲームの名前から転じて、いつしか『博打』そのものを意味するようになり、更には『いんちき』や『馬鹿を見る』というような意味合いまで持つようになったそうだよ。
これだけでも、いかにギャンブルにイカサマがつきものかということが分かると思わないかい? ん?」
「…………」
与人は何も答えなかった。表情を殺すのに手いっぱいだったのだ。
切子のことである。ただ一般論を口にしただけとは考えにくい。
彼女は早くもイカサマの可能性を疑っているのだ。
与人が切子に勉強で勝ったといっても、それはあくまで最初のテストの話である。以降は立場が逆転することもあった。コンにも教えたが、囲碁やポーカーといったゲームでも、しばしば彼女に遅れを取っている。
このチョボイチも同じことだろう。コンの力を借りたとはいえ、切子が相手である以上、勝利は決して磐石ではない。
だから、与人は密かに気持ちを引き締め直すのだった。