悪い大臣と無能姫
「姫!」
「あらエズメルド、どうかしました?」
勢いに任せてドアを開くと、のんびりとお茶に興じる目的の人。
色素の薄い金の髪が緩やかに揺らす、妖精のように愛らしい姿。父親譲りの柔らかな目元と、母親譲りの整った顔立ち。
とても優雅で美しい姿に……ちょっとイラッとした。
「またお見合い、勝手にお断りしたそうですね」
ひ、と小さな悲鳴が聞こえる。
それはやらかした自覚があるのか。それとも、こちらがよっぽど怖い顔をしていたか。
どちらでもいい。ここで怯えて次に繋がるのなら。
……本当に、繋がればいいのに。
あっさり素に戻って可愛らしくぷくりと頬を膨らませる表情からすると、絶対無理だ。
「だってあなたのことを悪く言うのだもの」
「そんなこと瑣末なことです」
「いいわけないでしょう!悪い大臣だの何だの言われまくっているくせに」
「だったらさっさと結婚して私を追い出すなりしてくださいこの無能姫。
今回の相手王子でしたよ!格好の条件じゃないですか。
あなた本当にもっと外交とかつながりとか付き合いとか体裁とか対外的なこととか考えてくださいよ」
「うぅ……」
琥珀色の瞳にみるみる水の膜が出来ていく。
こういう儚く庇護欲をあおるような様子を見せれば男なんてさっさと捕まえられるだろうに。
そういうことはさっぱり出来ないのだ。
「も、もう、何なのですか!いいじゃない、この国には王子よりもあなたが必要なんだもの」
「そんなこと言ってたらこの国本当に終わります。私のことは放っておいてちゃんと政治の出来る新しい旦那様を探すほうが賢明ですよ」
「大丈夫よ、最終的にはあなたに婿入りしてもらうから!」
「嫌ですよあなたのような無能姫」
「いくらなんでもひどすぎます!」
ぽたぽた泣き出した。
まったくもって、困った姫君だ。
思わず溜息が出た。
……甘やかすとまた今回のようなことを繰り返す。
わかってはいるのだが、どうにもこうなると、弱い。
正面にしゃがみこんで目を合わせる。
「……姫。私はただの大臣です。政治の一切を、それこそ王家の領分にまで手を出した独裁にも近い悪い大臣。
噂はとても正しい。
ですから、貴方が憤りを感じることも、擁護する必要もありません」
「でも、あなたが政治をしているのはお父様が全部押し付けたからではありませんか」
「……それは、そうですが」
本来は否定するところなのだろう。
けれど、残念なことに、事実だ。
そして、この国はそれで順調に回ってしまっている。
多分、それが一番の問題なのだ。
「わたしなりに気にしているのです。お父様の無責任さのせいであなたが悪者にされていることを。
あなたは……この国の財政を建て直した英雄です!」
「大げさです」
何その英雄って。そんな大層なものになった記憶はない。
財政の建て直しは否定しないが。
思いつきで国特産の野菜を品種改良したら世界で大ブーム起こしただけなので。
おかげで贅沢な資金を確保し、財政危機を迎えていたわが国はとても潤った。
小さな三つの村とそれなりの畑しかないような小国にあるまじき国家予算を抱えている。
「大げさではありません。あなたのおかげでこの国どころか小国地帯全体が持ち直したのですから」
「ですから、大げさです」
それもまた、偶然だ。
単純に言えば、収穫が追いつかず、また、野菜泥棒対策もかねて小国地帯全体で助け合うことになった結果だ。
大国の貴族の領地よりも小さな小国の集まりである小国地帯は、極めて仲が良い。
それは、大国の内部崩壊に乗じて勝手に独立した経緯もあるのだろう。
ついでに、管理する土地も小さい上に農業国家ばかりの暢気な気質の人間ばかりというのもあるかもしれない。
とにかく、そんな相手ばかりなので、協力を取り付けるのはとても簡単だった。
そんな経緯で小国地帯全体で盛り上がった結果が、小国に見合わぬ財政ということだ。
こんなことをやらかした元凶なので、悪目立ちしても仕方がない。
「もう、あなたはいつもそうです。謙虚すぎます」
「……そんなことはありませんよ。偶然全てが上手く回っただけですので」
「ほらまた。わたしはあなたの悪評が気に食わないのに、あなたはいつもそうやってなんでもないと言ってしまうのですから」
「事実ですからね。ほら、国王陛下だって肉体労働に従事させられていますし」
「……お父様の畑いじりは趣味です。悪意のある言い方はやめてください」
やはり駄目か。
国王陛下は、日々労働者として汗水を流していらっしゃる。
もちろん、趣味で。
やはりこんなことでは動いてくれるはずはないか。
「……もうどうしていつも悪者になりたがるのですか」
「そのほうが早く隠居できるじゃないですか。私は、品種改良に専念したいのです」
十五で大臣職を父に押し付けられ早十年。
そろそろ趣味に走りたい。
現実は、国王陛下のほうが嬉々として品種改良に励んでいる。理不尽だ。
「……悪者では死んでしまうかもしれないでしょう」
「そうなったときはそうなったときで」
「もう、緊張感がないわ」
むぅ、と先ほど前の泣き顔が、またふくれっ面に戻った。
表情の豊かな方だと、改めて思う。
「わたしは、本当に心配しているのよ。家族みたいなものだと、思っているのだから」
「そう言っていただけるのは、ありがたいですね」
「本当だと思ってないでしょう?」
「いえ。そんなことはありませんよ」
ものすごく、疑われている。
姫だけではなく、国王陛下も女王陛下もそのような感じで受け入れてくださっていることは、知っている。
それがどんなに有難いことか、理解しているつもりだ。
だから途中放棄などせず、大臣などを続けているわけで。
辞めるときは正々堂々、次に引き渡して、と後々のことまで考えるのも、王族の方々のためだ。
だから早く次となる結婚相手を見つけてほしいのだが。
「私も、家族に近い存在だと思っております。
……だから妹のような姫には早く結婚して幸せになってもらいたいのですよ」
「何でそこに戻すの!?」
「とても大切なことなので」
呻き声が聞こえた。
恨めしそうとも言う。
「わかっているわよ。それくらい。
わたしだって別に高望みだってしていないのよ」
「はぁ……?」
「わかってないでしょう。わたしは、あなたの悪口を言わなくて、ちゃんとこの国に婿入りしてくれる人なら誰でもいいのよ。
……なのにみんなどちらか引っかかるんだもの」
むすっと不貞腐れた。
確かに、容姿や性格について文句言っている姿は見たことがない。
どうしても譲れないというだけなのだろう。
けれど、こちらからすると、言い分は一つ。
「……つまり、私のほうを妥協すればまとまる話というわけじゃないですか」
「だから、それはだめなのっ」
また泣きそうだ。
つい、溜息が出てくる。
「姫が婿を取って政治をしてくれるのであれば私は用済みなので問題ありませんよ」
「必要に決まっているでしょう!」
珍しく、本気の声が出た。
涙目で睨んでくるその様子には迫力が伴っている。
この人、たまに、稀に、こうして王族らしさを見せるのだ。
極めて珍しいことではあるが。具体的には、三年に一度程度だ。
もう少し表に出てもいい力強さだと思う。
こういう面を見ると、素直に敬服するので。
「もういいわ!お父様の手伝いに行くから」
「……日焼け対策はちゃんとしてくださいよ」
「わかっているわよ」
「姫」
「……何?」
不貞腐れた顔をしている。
なので、出来るだけ穏やかに微笑むように、心がけた。
「気にかけてくださり、ありがとうございます。ですが、同じくらい姫を心配していることは、ご理解ください」
みるみる眉間に皺が寄る。
「本当、あなたって……ずるいわ」
そうだろうな、と、自分でも思う。
もう十年も大臣としてこの姫を相手にしているのだ。
扱い方だって理解しているし、こういう態度を取られると弱いことも知っている。
知っているからこそ、こういう手段をとるのだから
「……もう、着替えるから、早く行って」
「では、失礼いたします」
頭を下げて、部屋を出る。
とりあえず、勝手に縁談を断ったことへの注意は出来た、はずだ。
それが次に繋がるかは、別として。
とはいえ、今回に関しては姫が断らなくても大丈夫だったと思われるのだが。
執務室への移動の道すがら、思い返す。
清潔に整えられた見目麗しい王子であった。少々作り物めいた部分もあるほどに。
乗ってきた馬車といい、美しいものを愛でる性質なのだろう。
そういう意味では、姫を選んだのは失敗と言えよう。
この国は、王族兼農家が通用する。
例に漏れず、姫も土いじりが趣味だ。見た目で選ぶタイプは何故か嫌がる趣味だ。
だから断るだろうと、最初から思ってはいた。
まったくもって不可解である。
たとえ土に塗れようと、いつだって姫は可愛らしく美しく、楽しそうに輝いているというのに。
それに気付かないような相手など、こちらから願い下げなので本来なら断っているのだが。
今回はさすがに相手が相手だっただけに、受け入れたけれど。
まったくもって、ままならない。
届く婚約の申し込みは姫の見た目や国の金目当てが透けて見えるし。
姫は姫で危機感はないし。
国の収入は何故か増える一方だし。
深く溜息をつく。
……大臣職を辞められるのは、一体いつになるのだろう。