2.5章3話:天撃の鉾
目が覚めた時、ジメジメした雰囲気を感じた。暗く澱んだ空気があたり一帯に漂っている。
「……くっ……イタ」
足の傷に気づく。手当てはされていたがかなり雑だ。このままでは破傷風になりかねない。もうちょっとまともな救護を……と考えて、自分が罪人になっていたことを思い出す。
途端に恐ろしくなった。嫌だ。死にたくない、死罪だなんて、そんな……俺はまだ生きてやりたいことが沢山あるのに……。
「だれか、誰かいないのか!」
地下牢の格子に捕まってガチャガチャと音を立てながら叫ぶ。なにかの液体でべっとり汚れた格子は掴んでいて気持ちが悪かった。しかし返事はない。どうやらかなり奥の方に閉じ込められたらしい。
「うぅぅ」
「ァァァァァァ」
近くの牢から、うめき声が聞こえてくる。牢の近くの蝋燭を頼りに目を凝らして見るが、どの人も頭が狂ったかのように格子を揺らしていた。
俺も……こうなるのか……?いや、その前に死罪、か……。
「なんで、こんなことに……」
上手く考えがまとまらない。なにがどうしてこうなったのだ……?俺が一体なにをしたというのだ?
「誰か!!俺は無実なんだ!!やってない!!!殺しなんてするわけが!!」
「ウルセェぞ囚人!」
「なっ!?」
鎧を着た男、恐らくここの門番が近づいてくる。蝋燭の火が揺らめいて、男の顔がはっきりと映る。いや、その後ろに数人いる……?ぞろぞろと騎士の後ろに数人の男が立っている。
彼らは周りの囚人には見向きもせずに、真っ直ぐと俺の方に向かってきた。
「大罪人ガタリ・シラタカ。今日はもう遅いゆえ、貴様の死刑執行は明日と決まった。即時執行でないことを有り難く思うがいい」
……は!?あ、明日!?
「ちょ、ま……う、嘘でしょう……?」
「残念だよガタリ君」
唐突に騎士の後ろから声がかかってくる。俺はこの声を知ってる。
お前、お前が、何故ここにいる……?
「船方……荒野」
ニタニタと笑う、醜悪な顔の勇者。その笑みを見て、何か事の一端を理解した。まさかとは思うが、こいつは……。
「お前……の仕業か?」
自分でも間抜けだと思うくらいの掠れた声が漏れ出る。そんな俺の顔を見てよほど面白かったのか、荒野は更に口元を歪めこう言った。
「ガタリ君は昔からちょっと素行に難アリの少年だったから、こうなるんじゃないかって、思ってたんですよ、ははは」
「そうですか、勇者様の証言なら信じましょう。この大罪人が何度か勇者様に楯突いているのを、我々も目撃しております。この者の死刑は、もっとも残虐な方法で行われることでしょう。あぁ、フォルトナ様、どうかこの者を地獄へと」
「地獄へと」
「地獄へと」
「地獄へと」
何を言っているのかわからないまま、周りの男たちが口々に俺を呪うような言葉を発し始めた。恐らく、教会の神官たち。そして騎士たちはその後ろで俺のことを憎々しげに見ていた。勇者とはいえ荒野の言うことをここまで信じるのか!?だとしたらこの国の高官たちは、
「馬鹿げてる……あんたら自分で確かめることもできないのか!?」
「貴様ァ!!大罪人の分際で我らを愚弄するか!!」
「いやいや、待ってくださいよ騎士のみなさぁん」
荒野は相変わらずニタニタするのをやめない。そして格子に手をかけている俺に正面を向いて言った。
「なぁガタリ君、クラスメイトのよしみだ。今ここで罪を全て認めて俺に土下座して謝れば、一番楽な死刑方法を選んでもらえるよう上に頼んであげるよ」
「な、なんとお優しい!!勇者様は慈悲深きお方だ!!」
「勇者様!!この者は王都守護兵団のコモロー上級主幹を殺害した憎き男!!苦しんで死んで貰わねばこちらの気が収まらぬ!!」
「まぁまぁ、俺の顔を立てて。彼には絞首刑あたりを選んでもらうことにしますよ」
こちらが話さない間に色々と話が進んでいた。勇者の慈悲、ね。騎士も神官も勇者にへりくだって……
「反吐がでるな。あとお前、その話し方似合わないぞ?」
「……………………………………うん、こいつは八つ裂きの刑がいいですね。騎士副団長、すっごい人たくさん集めて、公衆の面前でこいつ殺せや。勇者命令な?」
「畏まりました」
「あーあ、ガタリィ?テメェせっかく楽に死なせてやろうと思ったのによぉ?ま、これでバイバイだわ。テメェは昔から俺に指図しまくってて、本当にウザかったよ。じゃあな、大罪人」
次の瞬間、格子に向けて拳が放たれ俺の鼻に直撃した。
「ガァあぁっ!」
「ははっ、いい気味」
痛い……荒野の拳は、本当に重い……。視界が霞む中、荒野は笑いながら地下牢を去っていった。男たちもそれにゾロゾロ続く。
「……くっ。勇者を盲信しすぎると、痛い目に合うぞ!」
こういうと、俺の言葉を鼻で笑うかのように一番後ろにいた男は、
「ふん、お前も明日には勇者の影響力を知ることになる。その時、お前は本当の恐れを知るだろう。それまでせいぜい大人しくしているんだな」
と言って前方の一団とともに地下牢を出ていった。
…
……
………………
どれくらい時間が経っただろう。そして、あとどれくらい生きていられるだろう?
「は、はは、はははははは、あっははははははははははは」
笑いがこみ上げてくる。やっぱり怖い。怖いのだ。あの時、恥も外聞も捨てて荒野に土下座して命乞いをすればよかったと思っている自分がいる。生きたいと本気で願っている自分がいる。白鷹語李は、こんなにも惨めったらしい男だったのだと、今知った。
「……こんな自分、知りたくなかったさ」
怖い。怖い。怖い。死ぬと自覚したことへの恐怖は、じわりじわりと俺を苦しめる。今までの人生を振り返ろうかと思ったけれど、頭の中には何も浮かばない。カチカチと音がうるさいと思ったら、どうやら自分は震えているらしい。
木葉は、こんな苦しい思いを味わったのかな……あぁ、あと数時間もすれば、俺は苦しい死に方で殺される。
「はは、はは……やだよ……助けてくれ……誰でもいい。誰でもいいんだ……死にたく……ないよ……」
鼻から流れ出る血はとうに収まっていたが、恐らく鼻の骨は折れているだろう。だが足の痛みも、頭のグラグラ感も、この痛みは自分がまだ生きていると実感させてくれる大事なものだった。
「誰か…………………助けて……………………」
「生きていますか?ガタリ」
ふと聞こえた声にばっと飛び起きる。ぼやける視界に映ったのは……こんなジメジメした場に似つかない、美しい黄金の髪を持つ12歳くらいの少女だった。
「……れい、ら……様?」
「えぇ、レイラですわ。流石に執行前に殺されることはないとは思ってましたけど、どうやら手酷くやられたようですわね。フィンベルちゃん、手当を」
「か、畏まりましたレイラ様!《恩恵の波動》!」
栗色の髪の少女が、牢の外から俺の足に向かって杖を突きつけて魔法を使用する。すると、途端に俺の足の傷は塞がじくじくとした痛みも消え去っていった。
「す、すごい……」
「super!フィン、君を連れてきたのはやはり正解だね。私の傷も癒してくれないかい?口の中の口内炎なんだが、君が直接その舌でなめてくれれば治りそうなんだ」
「はぁ……カデンツァさんのその煩悩まみれの頭からまず治して差し上げましょうか?」
俺が感嘆の声を上げると同時に、何やら後ろの女性と少女が面白いやり取りをしだした。しかし、この状況が全くわからないんだが……。
だが説明はなく、取り敢えず目の前の少女は俺の頭と鼻にも同じ魔法をかけた。先ほどまで痛かった全身が、今はピンピンしている。凄まじい回復魔法の実力だ。全てが終わったのを見て、レイラ様が口を開く。
「ガタリ。まずは謝ります。わたくしは貴方がこうなることを知っていながら、その上で貴方を見殺しにしました。罵ってくださって結構ですわ」
知って、いた……?
「な、なんで……ですか……?こうなることを知っていたって……それなら事前に」
「事前に貴方に伝えられても、結果は同じ。わたくしの力では貴方を根本的に救うことはできませんわ。逃亡に関しても同様、結果は変わらない。わたくしの《未来予知》がそう言っているのだから、間違いないですわ」
「み、未来予知!?」
「まだ話していませんでしたわね。わたくしの特殊スキルは、《未来予知》。それも、幾パターンもの予測し得る未来の選択肢を、ほぼ確実に提示してみせる。相当な魔力と精神力を費やしますが、それを差し引いてもお釣りがくるくらいのスキルですわ」
チート、では?というか確定事項だったってことは、
「……やっぱり俺は、嵌められたのか。レイラ様の未来予知の話が本当だとして、どの選択肢でもこの未来が変わらなかったから、俺を見殺しにするしかなかった。そういうことですね?」
「飲み込みが早くて助かりますわ。えぇ、貴方は嵌められた。貴方が死刑になることは、上の確定事項なので事前に知っていようと手の打ちようがないのですわ。彼らにとっては罪状などどうでもよく、貴方が死刑になるという結果のみが重要だった。コモロー上級主幹とその部下の主幹2人という、彼らの政敵が殺害対象として選ばれたのは完全についでですわね。いや、取引の結果だから両方メインだったのかしら」
政敵の排除、俺の死刑。それらを同時にするいい機会だった、と?でもなんで、なんで俺が……?
「貴方の考えていることはわかりますわ。なんで自分が、そう思っているでしょう?」
「……はい。俺にはこれっぽっちも理由が……」
「勇者が望んだから」
「……………………………………は?」
「貴方は、勇者の影響力を甘く見ています。どれだけ勇者が屑で無能でも、過去2度にわたって魔王を破り世界を救った勇者の存在は大きい。王宮と魔女の宝箱と上が決めたルートで歩く王都くらいしか行かない貴方達は知らないですけれど、勇者は想像している以上に人々の希望になっているのですわ」
勇者が、希望……。あんな奴でもこの世界の人々は勇者に期待している……。
「今このメルカトル大陸は国家間の対立もそうですが、魔族の襲撃に怯える人が多数です。100年前の魔王騒ぎでは出現地点のライン地方近辺の多くの国家が壊滅し10万の民が死にました。未だに魔王の爪痕が色濃く残る中、それを唯一倒せる勇者に期待が集まるのは当然のこと。期待が集まるのならばそれは、盲目的な信仰にもなり得る」
「…………………………」
「つまり、貴方はそんな人々の希望(笑)に盾突き続けた極悪人なのですわ。勿論違和感に思う人もいるけど、大多数の民や王国の騎士、神官たちなんて考える脳のない馬鹿ばっかなのでこんなことになってるわけです」
「口が悪いですな、姫さま」
「事実ですわ」
今度は後ろの方から老人の声が聞こえてくる。一体この場に何人連れてきてるんだろう。というかこの人たちは誰なんだ。そもそもなんでこんなところに……?
「混乱しているようだし、そろそろ説明してあげていいんじゃないかい?私たちが、レイラ姫がここにきた理由。これからのこと」
「これから、のこと……」
「君だってまだ死にたくはないだろう?だが、死ぬ。神聖王国が決めたことは覆せない。明日には死ぬより恐ろしい刑が執行され、無残にも君は命を落とす。確定事項だよ」
「______ッ!……俺は、どうすれば」
目の前の髪が白と黒に左右で別れた、20歳くらいの美女が、淡々とそう告げる。レイラ様は、「言い方っ」といいながら目の前の美女を小突いた。緊張感がない……。
「だから、わたくしが来たのです。ガタリ、これからわたくしが話すことは、この国の根幹……闇の部分です。貴方には、これを聞いた上でわたくしに協力してくれるかどうかを問います。貴方が生きたいのであれは、わたくしたちは貴方を助けます」
「それは、どういう……」
「わたくしはこの国の闇と闘うために、彼女たちの力を借りています。ギルド名は、【天撃の鉾】わたくしは、そのギルドのギルドマスターです」
「て、天撃の鉾!?って……確か銀月級冒険者チームの!?大陸最高峰の冒険者が集う冒険者チーム……」
なんで、レイラ様がそこに……ギルドマスター?じゃあ後ろにいる人たちは、大陸最強の冒険者たち……?
「わたくしの話、聞いてくださいますか?」
驚愕の事実に目を見開く俺と対極的に、落ち着き払った表情で彼女は尋ねた。
夜はまだ明けない。




