2章19話:貴方の血が見たいなぁ
あの子の夢を見るようになってから毎日が楽しかった。あの子が剣を教えてくれるようになってから私はお母さんに頼み込んで剣道教室に通わせてもらえるようになった。
私はどんどん剣道にのめり込んだ。上達していくのが楽しかった。それを夢であの子に実践して、それを褒めてもらえるのが嬉しかった。相変わらずあの子は強かったけど、それでも私は楽しかった。
でもその頃からかな。私はあまり現実での記憶がなくなっていった。お母さんは一層変な像を熱心に拝むようになって度々私に痛いことをするようになったし、私に何か厳しいことを言うようになった(記憶にはあまり残っていないが)。私の居場所は剣道をしている時、そして夢の中だけだった。
学校での記憶はあまりない。でもあんまり人と話さなくなった気がする。楽しくないもん、あんな子達と話してたって。それに、何も言わなければ喧嘩しちゃうこともない。お母さんみたいに私をぶったりする人を作りたくない。
私はこの頃から、自分じゃない自分が学校で過ごしている気分になっていった。なぜかは分からないけど、私じゃない私が色んな子と話している気分になる。ガタリ君と私は話している筈なのにまるで自分が会話しているという意識がない。
それは不思議な感覚だったけど、私は別にそれが嫌だとは感じなかった。何かの悪意が働いてたなら嫌だと感じたと思うけど、寧ろ温かいものが私を守ってくれている心地がしていた。
これで良いんだって思いながら剣を振るう。任せていれば、任せてさえいれば私はお家の嫌な事を体験しなくて済む。ただ何も手のかからない良い子でいれる。誰とも関わらなければ、嫌な子だなんて思われなくて済む。私の、多分本当はとっても良くない『本当の自分』を見せなくて済む。誰にとっても害のない、けれども模範的な良い子。
なんでも出来て、期待されて、そうすればお母さんは私を褒めてくれると思ったから。きっとお父さんだって、帰ってきてくれると思ってたから。
ソンナ事、ナイノニネ。
〜櫛引木葉の独白より〜
…
………
…………………
〜クルクス洞窟地下23層〜
「瑪瑙!」
瑪瑙を素早く抜き、ミノタウロス王の大剣をいなす。バチバチと火花が飛ぶが、それに怯むことなく大剣の下に潜り込み、ミノタウロス王との間合いを詰めていった。だが、
「グォォォおおおおおおおお!!!」
「ッ!?」
あの巨体で圧倒的な跳躍を見せるミノタウロス王。大きく跳ねて後ろに後退する。そして体勢を立て直して再度突撃。疾い!!
「《斬鬼》!」
瑪瑙が空を切ると、ミノタウロス王に3発の斬撃が加えられる。胸部から真っ赤な血が吹き出し洞窟内を赤く染めていく。しかしそれでも勢いを相殺できない。ミノタウロス王は大剣を何度も何度も木葉めがけて振り回してくる。
S級:9ミノタウロス王。先に闘ったゴブリン王よりさらに一段階強いモンスター。その脅威は、巨体に似合わないそのスピードにある。
瑪瑙を上手く使って大剣をいなし、少しずつ後退していく木葉。
ガリッ
(何か踏んじゃった!?)
バランスを崩す木葉にミノタウロス王が水平に大剣を振るう。しかし、
「えいっ!」
一度左手を地面につき、そのままバク転をして後退する木葉。間一髪で大剣をかわしそのまま湖のそばまでバックステップをしていく。
先程木葉が踏んだところを凝視すると、
「人の、骨」
「よく見ると周囲にもね〜。ここは多分、少数でこのルートから挑んだ冒険者たちの墓場、かな」
マジックアイテム:人魚の涙は高価であるゆえ、大パーティーに持たせる訳にはいかない。加えてここまで深く潜っていくとなるとあの入り口から23層に辿り着くのは至難の業。となると少人数でミノタウロス王に挑まざるを得ないと言うことになる。
「なかなか着かないと思ったら、なるほどかなり潜っていたのね。木葉、貴方てっきり適当に泳いでいるんだと思っていたわ」
「テキトーだったよ?でもショートカットはしたいなーって思ってたから、熱探知とロゼちゃんの助言を頼りにしてたら、こんなところに」
「偶然のアンラッキーってことね。いや、あの女と出くわさなかった辺りまだマシね。さぁ、こいつ潰すわよ!」
迷路は凍華の杖を取り出し、術式を展開し始めた。
「スキル《氷結》!」
湖を含め23層のステージに霜が降り始める。
「さて、じゃあロゼちゃん、私は前衛に行くから」
「僕は中距離支援、そしてめーちゃんが遠距離攻撃だね。良いバランスだよ〜」
「うん!さぁ、行くよ。スキル《鬼姫》!おいで、茨木童子!」
木葉の詠唱で、その周辺に風が発生し始めた。その衝撃波で、突進してきたミノタウロス王が後退する。
「綺麗、だね」
木葉の髪は頭頂部からゆっくりと銀色に染まっていきその身には黒い着物、そして、目を見開いた途端燃えるような真っ赤な瞳が姿を現した。そんな木葉の様子をみてロゼは思わず呟く。
神々しいまでの圧倒的なオーラ。小さいのに全く敵を寄せ付けない雰囲気。ミノタウロス王も暫くは動けずにいたが、
「ぎぃぃぃいいいいいいいいいいいいい!!!」
「……?」
突然ミノタウロス王が叫び始める。木葉は周囲を見渡して警戒するが、特に何かが飛び出してくる様子はない。
「び、びっくりしたわね。でも特に何もないようなら、このまま畳み掛け……」
「ストップ、迷路ちゃん」
「この、は?」
「何か聞こえる。遠いけど、何か足音?ロゼちゃんは?」
片目を閉じながら木葉はロゼに尋ねる。
「うん、確実に下の方から何か音が聞こえるね。それに、ミノタウロス王の様子も……」
「な!?あいつ逃げ出したわ!」
迷路の叫びで2人は同時に洞窟の通路を見る。ズシンズシンという地響きと共に、真っ黒な巨体が向こう側へと消えて行くのが見えた。
「追う?迷路ちゃん」
「勿論よ。罠かもしれないけど、追わない選択肢なんてない」
3人は警戒しつつもその暗い通路を進んで行く。先方に灯が点いていないのを見ると、やはりここはまだ未開のステージらしい。
「《点灯》」
「スキル《範囲拡大》」
迷路の杖から漏れ出た光を、ロゼのスキルで広げて行く。これで洞窟の内部が真昼のトンネルくらいには明るくなった。
「便利なスキルだよねそれ!迷路ちゃんと闘った時も使ってたけど」
「魔法の適用される範囲を拡大するスキル、魔法なんて本人の解釈次第だからいくらでも応用できるんよ。本来は魔法が届く範囲を拡大するだけなんだけど、解釈次第では魔法の威力自体を拡大出来たりするんさ〜」
「へぇー!」
目を輝かせる木葉と溜息を吐く迷路。
「木葉、それはロゼが特殊なの。通常魔法の解釈は決まっているわ。その解釈を捻じ曲げるには、組み立てた術式を解読しそれに変化を加えるという小手先の計算が必要になる。それを難なく、それも通常の発動スピードとほぼ同時に使用できるというのは『天才』が出来ること」
魔法というのは術式を組んでから発動する。迷路や木葉はレベルが高いからなかなか比較対象にならないが、通常はもっと魔法発動に時間がかかる。
さらに言えば発動するだけなら、既存の術式をいくつか組むだけで発動できるのだが、それを変化させるとなると緻密な計算をした上でのアレンジが必要となってくる。例えていうなら、魔法の発動スキルの発動は既に大きなパーツのみが用意されている家具。スキルの解釈変更はバラバラの部品を組み立てて家具にするようなもの。
「あはは〜、そんな大袈裟なものでもないんよ〜?ただ、使えるものは何でも使わないと勝ちを手にできないからね。そうやって生きてきたし」
少し目を伏せて寂しそうに笑うロゼ。彼女の覚悟の強さは並大抵のものではないのだ。
「あら、ここは」
「坂道、だね。だいぶ急だけど」
「この下まで行っちゃったのかな〜。ていうかこの深さ見ると、だいぶ水の中潜ってたんだね〜」
「多分知らない間に100メートルくらい潜ったんじゃないかしら?その割に水圧を感じなかったけど」
「そういう素材の水着に仕立てたからな?体全体の防御力を上げるやつ。でもロゼちゃんのは……?」
「僕はまぁ半分人間じゃないし、身体は丈夫なんよ〜」
「貴方の母親って……まさか」
「その話は後後〜。ほら、なんか大っきな部屋に出そうだよ〜」
灯りを消して通路の切れ目から広大なスペースを覗き込む。そこにはミノタウロス王が鎮座していた。
「じゃぁ、やろっか」
「この、は?」
瑪瑙を抜いてゆっくりと歩みを進める木葉。一歩ずつ一歩ずつそのペースを早め、だんだん小走りになり、そして、
「ばいばいっ」
「な!?木葉!?」
ミノタウロス王の死角、左後ろから脇の下へ一太刀浴びせんと斬りかかる。
が、その時。何かが木葉の目の前を横切った。これは、針?
「______ッ!?」
シュバババッ!!
無数の黒い針が木葉目掛けて発射される。暗がりに対応できてない木葉に黒い凶器が襲いかかる。
「防護スキル《障壁》!」
咄嗟の障壁展開でことなきを得るも、木葉の肩には数本の針が突き刺さっていた。
「っ……いたっ……」
針を抜き取り、確認する。細く黒い針、恐らく毒物も混ぜられてる。
「お返しだよ」
指と指の間に針を挟み、針が飛んできた方向に向かって投げつける。その瞬間、微かに物音がした。
「何かいる」
「木葉ッ!あまり前に出ないで!くっ!」
迷路に気づいたミノタウロス王が跳躍し、その大剣を振り下ろす。
ズザアアアアアァアアアッ!!
洞窟の地面の表面が剥離し、砂塵が舞う。
「なんて馬鹿力!!スキル《氷結》!」
「援護するよ〜!《魔力量向上》!」
ロゼのスキルで迷路の攻撃スキルの能力が桁違いに向上した結果。洞窟内部は急激に冷却されていく。さらに、
「《ノイズキャンセル》だよ〜!」
ロゼのスキルがミノタウロス王の大剣に適用。その直後、ミノタウロス王の腕がガクリと下がるのを見逃さなかった。
「やっぱり、あれ魔法の武器だね〜。おいで、火雷槌!」
ロゼの手に真っ黒な槍が出現。そして先端の刃が割れ、数枚柄のない刃が宙を舞い始めた。
「氷はりおわるまでめーちゃんは下がってて〜、後は
僕がやるから」
ニヤリと口角をあげるロゼ。槍術の構えを取り、ミノタウロス王と対峙する。
「ぶっ殺してあげるんさ〜」
…
…………
…………………
何かおかしい。何故叫びをあげた?何故下まで降りてきた?さっきの黒い針は何?そして、背後黒い針を飛ばした得体の知れない何かの後ろで蠢いている存在は?
「あ、そっか」
瑪瑙から炎を出現させて辺りを照らす。徐々に広がっていく視界。その端っこには巨大な獣。そしてその背後からは、
「おーぐ、だっけ?面白い顔してるよね」
醜い顔面。ゴブリンよりさらに嫌悪感を誘う緑色の二足歩行の豚共。その手には各々鉄製の武具があり、ニヤニヤしながら進軍してくる。気持ち悪い。
「なるほどね。一応罠にかかっちゃったわけ」
木葉が対峙するその獣。犬のような耳と牙、大きな黄色い目。そして真っ黒な巨体は、全身毛が逆立っている。歩くたびにその毛は抜け落ちていたけど、その毛が地面に落ちるとカツーンって音がした。恐らく硬質化。
「ダークウルフ王。そして、後ろから来るのは」
オーグ達は私を見かけたらまるでずっと欲しがってた獲物を見つけたかのように我先にと向かってきた。
(慌てなくていいんだよ?ちゃんと)
「バラバラにしてあげるから♪」
地を蹴って走り出す。向かってきたオーグ。
(ああ、首がガラ空きだよ)
ザシュッ!ザシュザシュザシュッ!!
(ほら、前方にそんな固まってたら)
「みーんな、死んじゃうよ?《斬鬼》ッ!!」
数十体のオーグがバラバラになって崩れていく。やっと見晴らしが良くなった。だから何が近づいてきたのかも、それの姿がよく見える。
「オーグ王」
8メートル以上もの巨体が私を見下ろして、舌なめずりをしている。美味しそうとか思ってるのだろうか?その顔はとっても醜く、緑色の液体が時々口からぼたぼた落ちてきていた。
「完全に誘い込まれちゃったねー、さて、どうしよっか」
特に恐怖は感じない。それよりも、何だろう。この高揚感に似た何か。木葉は思わず舌なめずりをしてしまった。美味しそうでも何でもないのに。血がたぎる、何だか、血液の流れが速くなった気がする。
(アア、ハヤク)
「貴方の血が見たいなぁ」