1章18話:ローマの祭り攻略戦
ギィィィィィィイという大きな音がして、扉が開く。立派なレッドカーペットと、白の柱。そして向こうには黄金の玉座。玉座には男が座っていた。
「ジャニコロさん、かな?」
「正解だ、魔王」
ジャニコロが立ち上がる。黒いローブが、微かに揺れていた。
「貴方はすごい方だ。十月祭、五十年祭、チルチェンセス。全ていとも容易く打ち破った。それだけに残念だ。初代、2代目よりもおそらく強いであろうその芽を、これから摘み取らなくてはならないのだから」
黒フードを被ったジャニコロは、その手を大きく広げて玉座から木葉たちを眺める。最初にあった玉座と間などチャチなものであったかのように、この広間は立派なものだった。
「この地下迷宮はな魔王。1000年前はとある王の住む王城だったのだよ。それが、1000年経って迷宮のようになってしまった。初代魔王:クープランの墓が目をつけたのもそういう理由だろうな。なかなか趣のある場所だとは思わんか? 魔王」
木葉は黙ったままだった。迷路は杖を構えて応戦する態勢をとっている。
「古き王城ではな、様々な音楽が奏でられて毎日が祭のようだったと聞いている。人間族も、魔族も、亜人族も、それこそ異種間で誰もが笑いあって過ごすといった社会だったらしい」
それは素晴らしい世界だったのだろう。元の世界でもグローバル化、ボーダーレス化が進み、文化相対主義が浸透しつつある中でそのような試みは既に世界で起こっている。
が、そんなのは見せかけだ。歴史に見えている光には必ずその裏の闇が存在している。歴史の教科書で見せている闇も所詮は脚色し、緩和された闇。本当の歴史の闇など、現代の私たちの誰が知りうるだろうか? 知り得ないのだ、そんなもの。だからそんな素晴らしい世界なんてないのだと木葉はよく知っている。
「ジャニコロさんは、憧れたの? そんな世界に」
祭りは光だ。祭囃子と、明るい提灯、楽しそうな声に紛れて、そこには闇が存在する。いや、紛れてはいないのか。彼らはその空間から追い出されているのだから。貧しい民草は、奴隷は、果たしてその世界にいなかったのか?
「まさか、吐き気がする」
ジャニコロの言葉は、木葉からすれば予想通りであり予想通りではなかった。だとすれば、彼は何が目的なのだ?
「所詮我々は分かり合えない。一つの種族をして、その大陸を支配することでしか我々のいずれかは安住することができない。古代王国の滅亡の原因を知っているか? 魔王」
木葉は答えない。
「内部崩壊さ。結局人間族は亜人族を奴隷にし、魔族を追放しようとした。人間の王は、魔族を殺戮した。今なおそのような現状が続いている。ならば、今度は魔族の番であろう? 人間は今まで散々この世界の恵みを搾り取ってきたのだ。その搾取する側が変わったところで、なんの問題がある?」
木葉は答えない。
「私はな、魔王。魔族は優れていると確信している。魔族こそこの世界における最も高潔な血を持ち、魔族こそこの世界を司る一族であるに相応しいと。だから、貴方にはその王になって頂くつもりだった」
木葉は答えない。
「人を殺戮し、亜人を従わせる。男は殺し、女は犯してやはり殺す。メルカトル大陸だけでなく、全大陸における魔族の絶対的優位……いや、魔族のみが生存する理想の楽園。その楽園の神の代理人を貴方には勤めて欲しかった」
ジャニコロは憎々しげにそう吐き捨てる。過去に何か大切なものを奪われたのだろう。それはわかる。けれどそれは……。
「私は、魔王だ」
木葉が呟く。
「きっと、人間を滅ぼして亜人を従わせて……っていう役割を、本気で魔族のみんなから期待されているんだと思うよ。魔族がどんな悲劇的な歴史を辿ってきたのかはわからないし、人間がどんな残酷な歴史を作ってきたのかも知らない」
「人間は、悪だ 」
「そうかもしれない。でもね、ジャニコロさん」
木葉は顔を上げてジャニコロをしっかりと見た。
「私は、迷路ちゃんが好きだよ。まだこの世界の人たちにはあんまり出会ってないけど、きっと迷路ちゃんみたいに素敵な人たちもいっぱいいると思うんだ」
「な!? こ、木葉!?」
と、なにやら迷路が赤面しながら顔を背けているが、木葉は苦笑して話を続けた。
「多分偉いことは何一つ言えない。私は魔王だけど、まだ未熟な子供だから。みんな仲良くなんて無責任なことも言えない。それができない悲しさを、私は知っているから。憎むな、なんて言えない。憎しみを、苦しみを溜め込むことの辛さを私は知っているから」
木葉は続ける。ここ2ヶ月で自分が経験してきたことを思い出しながら、それでも続ける。
「だけどね、信じて欲しいんだ。苦しみはゼロにはできなくても、減らしていくことはできる。辛さは分けあえる。憎しみは吐き出して少しずつ減らしていける。そんな簡単なことじゃないし、それが出来ないから酷いことをするんだっていうのもわかってるよ」
木葉は続ける。その瞳に揺るぎない意志を灯して。
「でもね? 信じる前に全てを無かったことにして終わらせて欲しくないよ。私は、そうやってなにもかも壊して終わらせるのを黙って見過ごすわけにはいかない。私は魔王だけど、その前に人間なんだ。櫛引木葉は人間なんだよ。だから、貴方の殺戮は絶対に止める」
ジャニコロを見る。彼は「そうか」と呟いて玉座からまっすぐ歩みを進める。
「では、やはり貴方は殺さなくてはならぬ。その亡骸に死霊術をかけ、身体だけ利用させてもらおう。魔王の体ならば、我らが王としては申し分ないだろう」
ジャニコロが手をあげる。その手には黒い杖が握られていた。
「指揮は我、ジャニコロ。古代の王は我らを殺し、葬り去った。王国への道は開け、街道の松はしなやかに歌う。トリトーンの噴水は優雅に水音を奏で、王城は黄昏に沈んでいく」
途端、王の間がグラグラと揺れ始めた。そして、瘴気が杖の先に集まっていく。
「……来るわ」
迷路が呟いたのと同時に、瘴気が具現化を始めた。
「祭りは始まった。血も肉も何もかも、貴方へと捧げましょう。我らが魔女:
ローマの祭り!」
「ジィィィィィィァァァァァァァァ!!!」
木葉の目前に、石の建築物が現れる。
「ゴーレムか何かの類にも見えそうだがな、これが、魔女」
その全長は木葉の何十倍もの大きさ。石像のような真っ白な顔と体。しかしその体は煉瓦造りのようになっており、所々にトランペットやトロンボーンのベルが付いている。その足はローマの水道橋。ダバダバとその水が王の間に流れ込んでいく。大きな巨体が、宙に浮かび上がる。と、同時に様々な煉瓦の建築物が浮かぶ。
「これは、すごいわね……」
「これがローマの祭り……?」
目の前の巨体を前に驚愕する2人。
「さぁ魔女よ! 魔王を殺せ!」
「ジィィィィィィ!!!」
巨体が木葉と迷路の前に立ちはだかる。
「来るわよ!」
「わかってる! 《鬼姫》! おいで、《茨木童子》」
木葉は、その銀の髪をたなびかせて跳躍する。瑪瑙を構えて、宙に浮かぶローマの祭りに向かって抜刀した。
「《斬鬼》ッ!」
空を切る透明の一閃。それは煉瓦の建築物を削っていった……が、浅い。宙に浮かぶ建築物がジャニコロの指揮で木葉へと飛んだ。
ガラガラガラッ!
「くぅぅっ!」
襲い来る建物を一閃し、容赦なく降り注ぐ煉瓦を次々と斬り伏せていく。しかし、水道橋から放水された水がその足場を悪くしていく。
「きゃぁあ!」
足を滑らせる木葉。すかさずそこに多量の煉瓦が降り注ぐ。
「スキル:氷結! 基礎魔法:破砕!」
凍らせて脆くなった煉瓦を、迷路の魔法が打ち砕いていく。砕けた氷の結晶が、パラパラと降り注ぐ。
「迷路ちゃん!」
「ーーッ! 《凍土の願い》!」
続けて降ってきたアーチ状の建物を地面から突出した氷の棘が防ぐ。しかし、
プォォォァォォァォァぉぉォォオオォオオ!
「な!?」
ローマの祭りの体に埋め込まれた金管楽器のベルから大音量が流れる。そしてそれは、氷をボロボロに砕いていった。
「嘘!?」
「迷路ちゃん危ない!」
魔女の拳が横に振り払われ、迷路に直撃寸前まで迫っていた。
「《斬鬼》ッ!」
木葉がそれを斬りふせるも、水位が増していって体制が安定しない。
「部屋は広いのに、なんでこの辺だけ水位が!?」
木葉の黒い着物が水につかる。布がぺったりと肌に張り付いて気持ち悪い。
「迷路ちゃん!」
「くっ、何かしら?」
「パンツまでびしょ濡れだよぉ……」
「知らないわよ! あとで乾かしなさい! それより部屋の隅に移動するわよ。足場が悪くて建物が避けきれない」
「わかった! うぅ、なんかすぅすぅするよぉ」
降り注ぐ煉瓦は時々木葉に当たりそうになるが、防護スキル:障壁がそれをある程度は防いでいる。が、魔力の消耗のことも考えるとずっと張っているわけにもいかない。
「くっ。あの水じゃ動きが取れない」
「迷路ちゃん。あの水、全部凍らせることってできる?」
「ーーッ!? その手があったわね。でもどの道そこから水位が増していけば変わらないのよ?」
「うぅん。表面だけ頑丈に貼って欲しいの。そんでもって、迷路ちゃんはこの水がない地点にいて欲しい」
「な!? ……なるほど、そういうこと。貴方、あながちアホでもないのね」
「むぅ、これでも成績はいい方なんだけどね……」
木葉はそう言って駆け出す。降り注ぐ煉瓦を、次々と斬り伏せていき、神殿の白い柱に刀を刺した。
「爪……痛いだろうなぁ。仕方ない!」
茨木童子を降ろした木葉の爪は物凄く伸びている。その爪を使って、巧みに柱を登っていった。
一方で迷路は、
「《凍土の願い》!」
水の表面に強力な氷を貼っていく。そして木葉が登りきった時、フィールドに変化が起こった。
「これは!?」
ジャニコロが驚く。そうだ、魔女の宝箱は元々レイドを想定して作られたゾーン。故に本来この水浸しのゾーンは、26人という人数に応じて全体に巡らされるべき水だった。
「でも、2人だけだったからその水を撒くゾーンが自動的に制限された。だから狭い部分に水が集中したんだよね。でもそのゾーンから誰一人として人が居なくなったら、それってどうなるのかな?」
迷路の発動した基礎魔法:浮遊。これは迷路の魔力ならではの基礎魔法の中でも高難易度の魔法。
これで地面に足をつけている冒険者はゼロ。
「放水量、減るんじゃないかな?」
「!?」
ローマの祭りの水道橋から、溢れ出る水の量が減っていく。それだけでなく、
「水が……全体に!?」
「人がいないから流れ出る量は減少。加えてゾーンを制限する必要がなくなったから水が均一に行き渡る。これですぐに水かさは増えないから……迷路ちゃん!」
「氷を貼り続けるわ。《凍土の願い》!」
水がだんだんと凍っていく。
ローマの祭り攻略の1番の要所は足場の変化だ。初見で水の恐ろしさに気づいていれば、その水を封じる手立てを講じてその隙に本体に攻撃を仕掛け続けるという戦略が取れる。
だが、レイドでそれほど早く環境の変化に対応できるか、というと答えは否だ。26人で挑めば足場に氷が貼れないが、一人でも欠ければ均一に水が流れない。
ローマの祭りはレイド殺しの魔女。
「ギィィィィア!!」
「させない!」
爆音で柱を破壊しようとするが、その前に木葉の斬鬼がトランペットを破壊する。
「チィィッ! 魔女よ、奴らを落とせ!」
「魔女が全部あんたの指示にしたがってるとしたら大間違いよ。《凍土の願い》!」
「ぐっ!」
ジャニコロに向かって氷の矢が放たれる。ローマの祭りの頭にしがみつくジャニコロは、指示してそれを防がせた。
「固いわね」
「まだ第一段階を突破しただけだからね」
凍土に降り立つ木葉。この水に触れると、すなわちゾーンに降り立った冒険者として探知され、その放水量が増していく。
「木葉の剣じゃ通らないかしら?」
「うーん、固いかな。金管楽器の部分は脆いんだけど、あんまり手応えがない。かといってジャニコロさんを倒しても止まるとは思えないし」
「よそ見している場合か」
煉瓦造の建物がそのまま降ってくる。
「はぁぁぁああ! 《斬鬼》!」
木葉が瑪瑙で建物を受け止める。ボロボロと煉瓦が木葉に当たるが、それを物ともせずに押し返していった。
「だぁぁあっ!」
煉瓦が粉々に砕け、降り注ぐ。それは足場の氷を砕いていき、陥没は目前であった。
木葉も、煉瓦が頭をかち割ったため血を流している。ぬめりとした赤い液体が木葉の頬を伝っていった。
「木葉!」
「だ、大丈夫。それよりどうしよう。これじゃキリがない」
建物は無限に生成され、既に宙に三つのローマ風建築物が浮かんでいた。砕いた金管楽器も、徐々に再生を始めてそのベルをこちらに向けている。宙には無数の煉瓦が浮かび、攻撃のタイミングを見計らっているようだった。
ふと、迷路が決意したように木葉の手を握った。
「私が周りの煉瓦と邪魔な建築物を削る。木葉、まだ魔力はあるかしら?」
「あるけど……そんなことできるの?」
「やるわ。私まだ貴方とやりたいことが沢山あるの。死ぬわけにはいかない」
美しいサファイアのような瞳。けれどそこには青く熱い炎が燻っている。木葉は秒を待たずに頷いた。
「わかった。私も迷路ちゃんと色んなとこ行きたい。友達になったばかりだから、まだまだやりたい事が沢山あるから!」
迷路はローブの裾で木葉の血を拭うと、立ち上がって魔女に向かい合った。
「私は凍土の魔女。たった一人の友達を、絶対に傷つけさせたりなんてしないわ」
そして振り返って言った。
「魔女は嘘と退屈が嫌いなの。約束、守ってね。木葉」
「勿論! 絶対脱出するよ、迷路ちゃん!」
迷路はぶっきらぼうに、でも少し満足げに笑み浮かべて再び魔女を見る。そうして杖を振り上げ、
「特殊スキル《凍れるメロディー》!」
ローマの祭りめっちゃいい曲だから聞いて欲しいな〜。




