6章5話:蠍の心臓
全体的に胸糞悪い話です。
「向こうはクライマックスのようだ」
「こっちは千日手だってのにね!」
真っ黒な蛇の化け物が青い炎を打ち破りながらなわてに襲い掛かっているのを見たカデンツァは、一度攻撃の手を緩めて距離を取った。このままだと巻き込まれかねない。
「カデンツァ・シルフォルフィル。君のその無類の強さの根源、ずっと気になっていた。だが戦えばすぐ分かる。
悪魔と契約したね?」
「…………………」
そう。木葉や迷路、ロゼがおかしいだけで、通常20歳程度の女性がここまで強くなるというのはおかしい。個人の能力はスキルに左右される面もあるが、基本的には基礎体力や反射神経がものを言う。類まれなる魔法の才能も、使い手の実力が伴わなければ実戦には使えない。
その点ではエレノアも異常ではあったものの、彼女はまだ人の域を超えてはいなかった。
この世界における、明らかに不自然なほどに圧倒的な強者はパターンで言えば3つある。
「1つは勇者か魔王、もしくは魔女含めた転移者。初代から3代目まで、その全てが20歳前後の少年少女だ。彼らは特に何か特別な才能があった訳ではないものもいた」
「………」
「2つ目は亜人族、もしくは魔族。彼らは年齢や見た目に反して強大な力を有していることがある。ロゼ・フルガウドやコード・ヴィートルートが典型例だろうね。特にフルガウドは少々手に余る」
「………」
「そして3つ目、悪魔と契約した人間。これは異端審問官も含まれる。中でも筆頭司祭は悪魔に体を売り渡し、歳を取らないもの、つまり人間をやめたものが多い。
逆に、ただ契約しただけでも強大な力を得ることが出来るのが悪魔」
「……それが私だと?」
「君の不自然なまでの強さは明らかに3つ目だろう。神話級術具:天津殺シの影響もあるだろうが、そもそもただの20代のお嬢様が扱える代物ではないのだ。そうかシルフォルフィル家は五華氏族と血筋の結びつきが強い家だったな。それでか」
巨大な大鎌を興味深そうに眺めるノルヴァード。
一方のカデンツァは珍しく不愉快そうな表情をしている。
「悪魔との契約には代償が必要。ま、顕現させ続けてるわけではないのでそこまで重い代償ではないのだろうけど。それでも君が何を失ったのかは非常に興味がある。ただの貴族の娘さんが、私と互角に渡り合うほど強くなる、など本来はありえない」
「言わないよ絶対、少なくとも君にはねッ!!!」
《時間遅延》で空間ごとその時間を遅らせ、ノルヴァードの動きを止める。そこに向かって天津殺シを振り翳し、時間遅延を解除した。
「ーーーッ!? ガっ!!!」
「ちっ、防ぎきったか」
時間遅延は空間を切り取るある種の空間魔法だが、世界の時間はどこかで帳尻合わせされるものだ。それを利用して直前で時間遅延を解除するとその周辺の時間が元に戻ろうと急激に進み、結果としてノルヴァードの意識を上回る速度の斬撃を与えることができる。
だがそれらをノルヴァードは持ち前の『鏡の羽』で自動迎撃した。
「福音の悪魔。上級悪魔と契約してるやつが代償がないわけない。多かれ少なかれ異端審問官ってのは悪魔と契約しているんだろ? しかも君の場合は悪魔と『融合』か……反吐が出るな」
「故に頭のねじが数本飛んでいるとも言える。だが1番代償になりやすいのは記憶だね。異端審問官が過去を覚えていないのにはそういう理由があるのだよ」
ノルヴァードが後ろに飛ぶと一枚羽が落ち、そこから真っ白のビームが繰り出される。それを弾き返すカデンツァだったが、その直線上にさらに鏡面の羽が散らばり、攻撃は終わらない。
「しつこい! 《天落トシ》!」
地面をかち割るほどの斬撃で漸くビームを破壊したが、こうも遠距離から攻撃されるとキリがない。
「ほんとに千日手だよ。ノルヴァード・ギャレク、君は全力を出してないみたいだけど、その加減の仕方では私を倒しきれないよ?」
「問題ない。所詮時間稼ぎ、というか、少し待っていることがあるのでね」
「成る程、益々叩き潰して差し上げないとな!」
……
…………
……………………
現段階でなわてを倒すことは難しい。認める、それは認める。1対1では対人戦闘経験豊富ななわてに勝つのは難しい。だが今のなわては悪魔に支配権を奪われ、理性が保てていない。
《幸いをみつけた蠍の心臓》は高火力の魔法。しかしそれでも彼女は何度も何度もその大技を放ってくる。悪魔の魔力は無尽蔵だが、木葉と違って契約による縛りがあるはずのなわてがそれを無尽蔵に使えるとは限らない。
つまるところいずれエネルギー切れを起こすのは必定。しかしそれでもあの高火力と重力魔法の合わせ技をそう何度も防ぎ切れるものではない。
「くそっ! 八岐大蛇が全部首落とされるとか、酒使わないと倒せなかった須佐之男命もびっくりなんですけど!?」
「あははは! あははははははははは!!!」
八岐大蛇の怨讐。帝都で魔獣の大群を喰らい尽くした最大級の魔法も、なわての驚異的な戦闘力によって首を落とされて無効化された。前話であんだけイキって終わったにも関わらず、である。
理性を無くしたなわては攻撃が単調になった代わりに本能的な攻撃によってリミッターが外れてるというのが恐ろしい。
「くそっ! タイミングが図れない」
なわてを救う。その為になわてを無力化してやる必要がある。本能的に攻撃するなわては、それでもある程度のペース配分を行っており、どこかでその配分を間違えさせることが肝心だ。
そのタイミングを見極める。
木葉1人じゃ勝てない相手、なら知恵を絞り、思考を回す。最高のタイミングと最高のコンディションで最高の一撃を!
「《幸いを見つけた蠍の心臓》ッ!!!」
「今だ子雀ぇええええええええ!!!」
「ちゅん! 《感情変換》、《星屑の唄》ぁぁぁぁぁ! さっさと戻ってきやがれです的な! なわてプロデューサー!!!」
木葉に2重の強化魔法が掛かる。チャンスは一回。大技のペース配分を通常通りにしていたなわての虚をつき、尚且つ未来を予測されないために自身の筋肉の動きに頼らない強化が必要だった。
故に最初から最後まで子雀の存在を隠し、ここ1番のタイミングで強化魔法を発動させる。それにより、
「《八岐大蛇の怨讐》ッ!!!」
鬼火よりも高く、天まで届く赤い炎が王都を照らす。
なわてに強化の暇など与えない。瑪瑙を振り下ろし、アンタレスが放つ青い炎にぶつけた。
「あああああああああああああああああ!!!」
「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!」
周囲を焼き尽くす炎。爆炎によって全てが塵と化していく。互いの全力を出し合い、その結果青い炎と赤い炎が互いを相殺した。
互角。だがその先を木葉は見ている。
「《鬼火》ッ!!!」
「ーーッ!」
温存してあったもう一本の瑪瑙で直後に炎柱をなわてに向かって叩きつける。アンタレスで防ごうとするが子雀がサブマシンガンで腕を銃撃し、腕力が削がれた。
「がああああああああああッ!!!」
弾け飛ぶなわて。そんななわてを追撃し、抱き止めて地面に押し倒す。そして、
「すくな! 蠍の悪魔を食べて! 今すぐに! すくな!?」
すくなは応答しない。代わりに酒呑童子が呼応する。
(何故だか知らんが、あちきが井戸から出てもすくなが反応せん。どうする、人の子よ)
「何してんだよこんな時に!? 酒呑童子、お前食べられる?」
(すくなのフィルターがないということは、ヌシが蠍の悪魔と契約するということ。即ち代償を支払う羽目になるのだぞ?)
「流石にそれはマズイからなわてが主導権を取り戻せる範囲で食べてくれる?」
(難しい注文をするな。やってやれんことはないが…………………ん?)
「どったの?」
酒呑童子が訝しげな声を上げる。
(ヌシ、ステータスからすくなを発動させてみよ)
「へ? 《両面宿儺》…………………ん、あれ、なんか機能が使えるようになってる。なんで?」
すくなが担っていたフィルタリング機能を木葉が自由に使えるようになっていた。
本来、悪魔召喚には代償がいる。その代償をすくなが肩代わりし免除することで木葉は悪魔の力を利用していた。しかしその免除するためのフィルターが使えるということはすくなが消えたということで……。
「…………すくな、ガチでどこ行ったの?」
(さぁ。でも好都合さね。あちきが補助してやるからヌシは蠍の悪魔を)
「それは出来ないね」
「ーーッ!? ノルヴァード・ギャレク、なんで!?」
ちらりと向こうを見ると、カデンツァが膝をついて鎌にもたれかかっていた。
「カデンツァでも勝てないのかよ……」
「ええ。中々いい筋だったとも。さて、なわてが負けるのも想定の範囲内だが……魔王、君は蠍の悪魔を食すると?」
「んだよ、奪わせないぞ?」
「いやいや。でも知っているかい?
今、なわての心臓には蠍の悪魔の心臓が移植されていることを」
「……………………やっぱそうか。クズ野郎」
異端審問官はその体を悪魔に与えることで代償を支払っている。なわても例外じゃない。心臓、そして右腕、左目に悪魔の体が移植されている。
つまり悪魔を食べてしまえば、その時点でなわての生命活動に影響が出る、というわけだ。
しかしこのまま放置すればなわてはまた蠍の悪魔に苦しめられ、暴走してしまう。
どうすれば……と思っているところにノルヴァードが意外なことを言い出した。
「取引しないかい?」
胡散臭い笑み。この世界で何度も見た悪意の笑みだ。だが、この状況を脱する手段がないのもまた事実。木葉は黙って耳を傾けることにした。
「私はなわての心臓をもってる。それを移植するのでそのかわり蠍の悪魔の心臓をくれないだろうか」
「……………色々聞きたいことがある。そもそもだけど、最初からなわてを殺して心臓を奪えばそんな取引はせずに済むでしょ?」
「上級悪魔を人間に与え、そして戦力として活用する。それがなわての敗北で運用がむずかしくなった。故に心臓を回収してその悪魔をフォルトナ様に献上する。実に合理的ではないかね?」
「…………………なわての心臓を移植できるの? その心臓にお前が何か仕込んだとかは?」
「その辺は魂魔法の使い手である少女に聞いた方が早いのでは? だが約束はしよう。なわては必ず助ける。これは絶対だよ」
考え込む木葉。ニコニコと微笑むノルヴァード。胡散臭いやつだが、うつ手がない現状ではそれが最善にみえる。確かにフィンベルに頼めば大抵のことは何とかなりそうだが……そのフィンベルは此処には居ない。
「だ、め……この、は……」
「なわて!? 気がついたの!?」
なわてを抱き上げる。なわては苦しそうにしながらも必死に言葉を紡いだ。
「あんたが、あたしを……食べなさい。ノルヴァードに渡したら、フォルトナ復活が、近づく……。あんたになら、食べられてもいい、から……。それにッ! がはっ……」
「……そーゆーことする為に救うって言ったんじゃない。……はぁ、いいよ、取引しようノルヴァード。なわての心臓と蠍の悪魔の心臓、交換だっけ?」
「ええ。なわて、君はよくやってくれたとも」
「ちが、う、このは、こいつを止めて……」
必死に訴えるなわてを見て木葉は警戒する。
「なわてに何かしたら殺す。地の果てまで追いかけて細切れにしてやる」
「なわてをどうこうするつもりはないよ。借りていたものを返すだけだから」
どうも引っかかる。だが今この場に心臓手術が出来そうな人間などいない。それならばノルヴァードを信じるしか……。
「ちがう、このは、あたし、7ねんまえ、あのとき、心臓を…………コイツに、つぶされ、て…………」
「…………………は?」
つぶ、された。それなら、今コイツが持ってるその塊は、なんだ?
「ええ、だから代わりのものを用意した。ちゃんと君に合う、拒絶反応を起こさない心臓を」
「それ、だれの心臓なんだよ……おい、ノルヴァード・ギャレク」
「いや、だ。やだ、いやだいやだいやだ、そんなのいやだ……」
なわては気付いたようで涙で顔をくしゃくしゃに歪めている。
相変わらずノルヴァードはニコニコ笑ってそして、
「ああ、だから、摘出したばかりの新品。
『双葉春風』の心臓だよ」
その言葉を聞いた途端、木葉は自分の頭に血が昇っていく感覚を覚え、そしてそれを抑えきれないほどの感情が溢れ出した。
「ノルヴァード・ギャレクうううううう!!!」
そんな木葉を羽を展開して払い除けるノルヴァード。鏡の羽が木葉に纏わり付き、その行動を阻害する。
「勘違いしないでくれ。これを移植すればなわては助かるんだ、よかったじゃあないか」
「おまえ、何言ってんのかわかってんのか!? なわてがどんな気持ちで7年間頑張ってきたと思ってる!?」
「そうか、前提条件を知らせていなかったね。なわて、真実を教えてあげよう」
絶望に顔を歪めるなわて。知りたくないと耳を塞ごうとするも、手が動かない。体力的にも精神的にも、なわてはもう指一本動かせなかった。
「あの日、悪魔の心臓を移植したとき、君は暴走して何人ものクラスメイトを傷つけた。そのうちの1人に、双葉春風がいたんだ」
「やだ、やだやだいやだいやだいやだ!!!」
「彼女は治療の甲斐なく脳死状態になってしまってね。一応7年間生かしては置いたんだけど回復の見込みがない。だから私はこう考えた。
なわてが私の枷から解き放たれて真実を求めた時、私はこの心臓をなわてに返してあげようと、ね?」
「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
目に涙を溜め、獣のように慟哭するなわて。
そんななわてを見てノルヴァードはクスクスと笑っていた。
「さあ、7年ぶりに友達との再会だ。双葉春風は君の中で生き続ける。君は双葉春風を生かす為にも生き続けなくてはならない。君の生きる理由が出来たじゃないか」
「いや、あ、あああ、はるかぜ、はるかぜええええ!!!」
あまりに悍ましい行為に吐き気を催す木葉だったが、そんな吐き気を抑えて鏡の羽を切り捨てていく。そのままノルヴァードに斬りかかろうとするが、
「いいのかい、魔王。私を殺せばなわては助からない。この心臓を扱えるのは私だけだよ。今からなわての人体構造と双葉春風の人体構造を熟知して魔術的医療を施せる人間が果たしているだろうか。天撃の鉾の少女にでも頼んでみるかい? まぁ、彼女が来るのを待っている時間にこの心臓は腐り落ちてしまうかもしれないが」
「あ、ぐ、おま、え……」
「なわてを生かしてやりたいんだろう? だったら黙って見ているといい。この感動的な瞬間を!」
嫌がるなわての胸を裂き、心臓を交換するノルヴァード。木葉にはその技術が全くわからない。だからどうする事も出来ない。このままなわてを放置することが正解だったのか、それとも止めてやるべきだったのか、このまま黙って見ているのが正解なのか、木葉にはわからない。
「終わったよ、なわて。さぁ、これで君は自由の身だ。定着までは1週間程度の時間がかかるだろうけど、その後の日常生活に問題はない。7年間ご苦労さま」
「あ、ああ、ううあああああああ、はるかぜ、はるかぜ、はるかぜ、いや、嫌いやいやああああああああ!!!」
「いつか君がしてくれたお話によく似ているよなわて。誰かのために命を燃やせる蠍、誰かのために心臓を差し出した蠍。おめでとう、君はようやく救われたんだ」
「あいづ、くん、はるかぜ、あたし、あたしは、あああ、ああああああああああ!!!!」
自身の心臓を手を当て、鼓動を感じようとするなわて。想い人の命を犠牲にして得た蠍の心臓の代わりに得たものが、大切な友人を犠牲にして得た心臓。この事実を背負ってなわては生きていかなくてはならない。胸糞悪い現実を前に、なわてはただ嗚咽を漏らして泣くことしか出来なかった。
心臓を差し出して誰かの命を救った蠍になりたかったなわては、友人の心臓によって命を救われることとなります。皮肉が過ぎるのです。




