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5章16話:逃げるな

木葉の性格が如何に歪んでいるか、この回で大体わかります。

 シャトンティエリ決戦で磐梯なわての魔法、《幸いを見つけた蠍の心臓》に打ち勝った《酒呑童子》が持つ2つ目の魔法。それが《八岐大蛇の怨讐》だ。

 酒呑童子は一般的に大江山に居を構える鬼とされているが、一方で地方の伝説では八岐大蛇の子とされているケースもある。そして、それはどうやら実話らしい。

 我が子に自身の持つ怨讐の心を託す太古の時代の水神。それが今、異世界で悍ましい姿で蘇ったのだ。


「美味しい美味しい美味し!……………………あぁもう、直ぐ乗っ取ろうとする……。これ私の心が弱いからなのかな」

(まだあいつの影響を受けてるんだね。大丈夫、ちゃんと噛み砕いてすくなが飲み込んだから安心して)

「ありがとすくな。でもやっぱ時間制限はあるし体の負担がエグいからさっさと終わらせよう」


 8つの頭を持つ真っ黒い蛇の化け物は木葉の指揮のもとで深紅に染め上げられていき、再び瑪瑙へと戻っていく。《鬼火》を超える火力。何百キロ先にいようと見えるであろう、天まで届く真っ赤な柱が帝都郊外に聳え立つ。


「ご馳走様でした」


 舞台に幕を下ろすようにそっと、瑪瑙を振り下ろす。静かな所作であった。

 しかしその静けさとは対照的に氷壁の向こうは灼熱の大地と化した。辛うじて残っていた生命は黒い塵、煤と化して消えていく。





 ーーあとには、草木一本残っていなかった。




 誰も何も声をあげない。ただただ目の前の光景を呆然と見つめるだけ。

 木葉は全て終わったことを見届けると瑪瑙を鞘に収め、そして、


「改めて問おうか。……いいや、もう命令だね。




帝国丸ごと私に服従しろ。さすれば魔王は寛大な心で応えよう」


 ひょこひょこと軽快に歩いていき、ランガーフ帝の瞳を覗き込む。野心家の目には、今や畏怖の感情しか残っていない。


「ま、悪いようにはしないよ♪ラン君」


 三日月型に口を歪ませる木葉ーー魔王を見て、ランガーフ帝はただ頭を垂れることしかできなかった。


……


……………


……………………


 ただただ逃げ出した。逃げて逃げて逃げて、それで、


「ぼ、くは……正義の使者だ。化け物だろうが、なんだろうが……ぼくは、ぼくは……」


 踵を返す。このまま逃亡するのは彼女の正義感が許さなかった。

 彼女ーー鶴岡千鳥は正義感の強い人間だ。幼い頃から警察官の父に剣道を叩き込まれてきた。剣の道を志し、やがては人のために正義を為せと言われて生きてきた。

 世の中腐ってると思ってたし、実際に父が閑職に追いやられた時は世の理不尽を呪った。馬鹿ばかりな世界に絶望し、同世代との交流を絶ってひたすら剣道に打ち込んだ。


 だから、高校で初めて同世代に負けた時に、彼女のプライドは崩れ去った。いい意味で、である。


 その子はとても可愛らしい女の子だった。天真爛漫、純粋無垢を体現したような少女で、人の世の穢れなど知らないかのように振舞う姿を見て、自分が如何に視野狭窄であったかを思い知った。

 この世界にはまだこんな子がいたのだ。こんなにも自分に優しくしてくれて、強くて、かっこよくて、正しくて……。

 千鳥は気付けば彼女のことを好いていた。恋愛として好いていた。まさか自分に同性愛の気があったとはと驚いたけれど、その事が気にならないくらいに彼女ーー櫛引木葉は魅力的な人物であった。


 彼女みたいな正しい人間になりたい。心の美しい人間に、清い人間に!


「このは、ちゃん……。僕、は、君に恥じないような人間になる。君の分まで、正義を成すんだ……」


 先程の恐怖を思い出すと脚がすくむ。お付きの異端審問官も焼かれて消失した。あの恐怖は忘れられない。けれど、ここで自分が引いたら帝国に虐げられている亞人族は苦しんだままだ。

 それは正しくない。きっと木葉ならそう言うだろう、と千鳥は断言する。だから、


「残ったものはついてきてくれ。正面からあんな化け物と戦えば勝ち目なんてないけど、僕たちの目的はあの銀髪の化け物じゃないッ!皇帝の首をとるぞ!」

「「「「「「「応」」」」」」」










「あぁ、これは面白いかも」


 ルーチェのとは個別に放っていた視認用の篝火、通称:かがり1号機の情報を見て、木葉はクスッと笑う。

 正直今にも倒れ込みたい程疲れていたけれど、もう一仕事しなくてはいけないらしい。

 戦後処理と言うことでランガーフとアカネ騎士団は合戦……いや、虐殺の舞台となった平原の調査および氷壁の修理作業を行うこととなった。


 アカネ騎士団副団長らは主力部隊を率いて地雷の除去作業や消火作業を、そして亞人族含めたその他の師団は木葉の魔法によって損耗した兵器の修理などを現在行なっている。

 ランガーフや木葉は氷壁の内側に作られた本陣にてその様子を見守っていた。


「報告致します。地雷に関しては全て問題なく発動したとみられ、反応は残っておりません。また、敵主力部隊ですが、索敵の結果周囲に敵影見ずとのことで……恐らく、全滅したものと思われます」

「そう、か。ご苦労。もう戻っていいヨ」


 どこか現実感のない状況に思わずほっぺを抓るアカネ。痛い。間違いなく現実だ。

 そんなアカネを見て微笑む木葉。アカネは思わず表情が強張る。


「は、はは。8万の生物を一掃、か。まさに100年前の再来だな。あの時は人間が10万死んだが、今回は魔獣だったってだけの話……って簡単に済ませられたなら良かったんだがな」

「100年前のは一気に10万じゃなかったヨ。また魔王の伝説記録が塗り替えられたネ」

「まあ記録は塗り替えるためにあるからね、うんうん」


 木葉が頷くと2人は微妙そうな顔をした。敢えて言葉を付けるとしたら、「他人事みたいに言うな」である。

 ショックが大きすぎるということで、この場には月光条約同盟の面々とアカネとランガーフしか居ない。いや、正式には、


「柊にはキツいものがあったでしょうね。彼女、ああ見えて繊細だから」

「んー、ヒイちゃんはこののんが大暴れする姿間近で見たの今回が初めてだしね〜。前回のゴダール山はなんかゴタゴタしてたし」

「そ、それ言ったらちゅんだって初めてなんですけど的な……」

「ほら、ちゅんノ助はこの状態のこののんしか知らないから〜。でもヒイちゃんは今回のでいやでも、昔のこののんとの差を思い知った筈だよ。あとでちゃんと話し合うんだよ、こののん?」

「わかってる」


 柊はこんな木葉を信じて探してくれて、そして受け入れてくれた数少ない友人だ。出来れば今後もちゃんと仲良くしたい。


「おいフルガウド姫、お前らなんでそんなに平気なんだよ。俺ぁまだ平気なフリする演技を再開させられねぇんだが」

「毎回こんなもんだよ〜?常日頃から凄さが更新されるからいちいち驚いてたら身がもたないんよ〜」

「お前らの肝の座りっぷりにはドン引きだぜおい。……で、あんなことをしでかした意図は?まぁ大方予想はついたがよぉ」


 ウンザリしながらランガーフ帝は尋ねる。


「最早帝国内部で私に逆らおうとするものは居ないでしょ?今日の話は尾ひれがついて何十倍も凶悪に語り継がれる。私の要求を帝国に通しやすくなった。一緒に頑張ろうね!」

「おめぇ、最初からそういうつもりで」

「ううん。確信したのはついさっき。世界はね、『必要悪』の存在を常に求めてる。それが出来るのは私しか居ないよ。私を前にすると人間も亞人族も魔族も関係なく矮小な存在なんだって、そう思い知らせられるくらいの存在になって初めて世界は1つに纏まる。ビバ、世界平和!」

「思ってねぇくせに……」

「思ってる思ってる。その為に神聖王国には犠牲になって貰うけどね。さて、実はもう1つ仕事があるんだけど、話し合いはその後にしようかな」


 首を傾げる面々を置いて木葉は野戦用の陣地から出て行く。

 視界の奥の方では笹乃や柊が集まって何やら話していた。


 皆一様に暗い顔をしている。先程の光景が瞼の裏に張り付いて取れないのだ。


「はぁ」

「笹ちゃん先生もうこれで15回目の溜息」

「真室さん……。今、ここでこうしてることは現実なのでしょうか」

「さぁな。あたしもちょっと、な」


 柊とてショックだ。何があっても木葉を助けたい、支えたいと思ってきた柊だったが、それでもあんな木葉を見てしまったら揺らぐ。柊の助けなんて要らないのではないか、と。


「怖いって、思っちまった。……あたしは、アイツについていく資格があるのかな」

「……それでも、私は……木葉ちゃんは優しい心の持ち主であることを知ってます。だから、だから……」


 暗くなる面々。しかしそこで、


「笹乃、ヒイちゃん」


 木葉が声を掛ける。

 強張る2人。だが木葉の顔も真剣なものであった。


「身構えといて。そろそろ来る」

「へ?」


 既に疲弊しきった木葉だったが、そんな態度はおくびにも出さずに抜刀する。そして、



 どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!



「ば、爆発!?」

「違う、こっちは陽動だ。いくよ」

「い、行くってどこにーーッ!」

「事の顛末を見届けに。魔獣操作のスキルを使って帝都を滅ぼそうとした人間が誰なのか、気になるでしょ?」

「…………………」


 無言の笹乃らを連れて本陣へと戻る。既に臨戦態勢の騎士たちの合間を縫うように通り抜けていく。

 野営陣地には煙幕が焚かれ、彼らもその対応に必死になっていた。そんな明らかに作られた混乱の中、あからさまに人員が少ないルートを集団が駆けていくのが見えた。


「木葉、これは……」

「パフォーマンスだよ。膿は出し切りたいし、罠を仕掛けさせて貰った。さ、リルヴィーツェ皇帝の力を見せてもらおうか」


 瞬間、本陣に武器を構えた集団が突入して戦闘状態に入る。集団は帝国騎士たちに襲いかかったが、彼らはそれを待っていたかのように各個撃破していく。

 それらに構うことなく一直線に皇帝へと向かう影。それを、


「万死ヨ」


 アカネが剣で両断。しかしそれを囮としてもう1人がランガーフ帝に迫る。


「正義の鉄槌をッ!!!《刺突》ッ!!」


 透き通るような透明の剣を皇帝の胸に向けて突き出す少女。それを、


「おせぇよ」


 バキッ。

 へし折って少女の小さな体躯に蹴りを入れる。吹き飛ばされ地面に叩きつけられる少女を囲むように帝国兵が集まり、剣を首筋にあてた。


「ストップ。客人はもてなさないと」


 煙幕の中でもクリアに響く声。銀髪の魔王、真っ黒な鬼のお面を被った木葉が姿を表す。そして、


「こんにちは、暗殺者さん。気分は如何かな?」

「くっ!!!正義を……」

「《居合》」


 木葉の居合抜きの風圧が周囲の煙幕を晴らす。帝国兵に組み伏せられた亞人族の兵士達と、そして、


「つるおか、さん……」


 笹乃が絶句する。

 地面に叩きつけられて蹲る少女ーー鶴岡千鳥はそんな笹乃を睨みつけた。


「最上笹乃、お前も同罪だ!亞人族を虐げる帝国に味方する極悪人め!」

「な、何を言っているんですか鶴岡さん!」

「信じてたのに!お前はいい教師だって、木葉ちゃんが認めた良い教師だって!なのに、なのにぃ!!」

「お、落ち着いてください!なんで、こんな……」

「黙れ!!僕を見捨てて逃げた癖に!!!」

「ーーーーッ!!あ、そ、れ……は……」

「くそ、離せ!離せぇぇぇ!こいつだけでも殺す、神の裁きを、あああああ!!!」


 暴れる千鳥。そんな千鳥を見て木葉は嘆息する。

 千鳥は木葉にとって友人だった女の子だ。いつも木葉についてきて、慕ってくれていた剣道部の部活仲間。だが、それ以上でもそれ以下でもない。

 今こうして木葉の大切なものを含め帝国にいる全ての人々を殺そうとした少女に対してかける情けなど1つもなかった。それが例え洗脳の結果であろうとも。

 千鳥に問う。


「私は魔王:月の光。ねぇ、私の正体、ちゃんと王都政府から聞いてる?」

「黙れ悪魔め!!!お前は、お前だけは絶対に許さない!殺してやる、殺してやるぅぅぅぅ!!!」

「会話が通じないな。あなたも船形荒野と同じ目に会いたいのかな」

「僕は屈しない!よくも、よくも船形を殺したな!!他のみんなだって、お前のせいで、お前のせいで!!!」



「……………………え」



 笹乃の掠れた声が聞こえる。木葉はそれを無視した。


「私の手下になってくれるなら命くらいは奪わないでいてあげるけど」

「誰がッ!!お前のような悪には負けない、屈しない!木葉ちゃんならそうする!僕は木葉ちゃんのためにも、正義を成すんだ!!だから」

「え、あ、あは、あははは、え、まじ?あは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

「な、何がおかしいんだ!?」


 静まり返る本陣にて木葉は笑う。あまりに滑稽な発言だったからだ。まさか、まさか彼女の正義の執行の理由付けが、まさかまさかの……。




「そっかあ、でもね、『木葉ちゃん』は貴方の正義を叩き潰すためにここに来たんだよ」


「…………………………ぁ、な、え、なん、で」




 面を取り、歪み切った表情で笑う木葉。よく一緒にいたからこそ、彼女が櫛引木葉であることが分かる。千鳥にとって天真爛漫な笑みを浮かべる天使のような少女は、今目の前で悪魔のような歪んだ笑みを浮かべていた。


「久しぶりだね、千鳥ちゃん!……こんな感じだっけ?えっと、何か言いたいことあるかな?」


 木葉は昔のような声音で千鳥の名を呼んだ。千鳥の理想を、完膚なきまでに破壊する為に。

 そしてやはりそれが心壊の合図となった。


「あ、あは、あははは、正義、僕の、正義……木葉ちゃん、あは、あれ、正義って何だっけ、あは、あはははは……」


 虚な表情で涙を流しながら、壊れたラジオのようにつぶやき続ける千鳥。彼女にとって正義の象徴であった木葉のイメージが粉々に破壊され、同時に千鳥の抱いてきた正義の価値観も崩壊した。それは、千鳥の軸とも言える部分であり、精神崩壊は必然と言える。


「咎人には死を。ばいばい、鶴岡千鳥ちゃん♪」


 彼女の首目掛けて刀を振り下ろす木葉。しかし、




「それは、ダメです」




 直前で千鳥の前に躍り出る笹乃。

 そして、


 パンッ!!


 木葉の頬を叩いた。

 木葉は叩かれてじんじんと痛む頬を撫で、無表情のまま笹乃を見た。


「貴方は、これからもそうやって生きていくのですか」

「……退いてくれるかな」

「退きませんよ。木葉ちゃんは旅の中で大切なものを見つけたと思います。『優しくなれる心』、でしたっけ。私もそう言った方と同意見です。貴方に化け物になって欲しくない」

「退いて」

「退きません。私に免じて許してあげてください。貴方は大切なものを守る為に戦っている。私もそうです。そして、私にとっては貴方も鶴岡さんも大切な、守るべき対象なんですよ」

「…………………」

「簡単な方に逃げないでください。人を殺すのは貴方にとってきっと容易い。……船形くんも、きっとそうだったのでしょう?故に教師として教え子にいいます。


逃げるな、櫛引木葉!」


 か弱いパンチが木葉の胸に当たる。痛くも痒くもない拳。けれど、何故か心がじくじくと痛む。

 しっかりと彼女の顔をみると、笹乃はいつのまにか涙を溜めて木葉を睨みつけていた。


「私は何度だって諭しますよ。貴方が間違えるのなら何度だって。その殺しは、きっと貴方にとって必要なものじゃない。何度だってそう言います」

「…………………………教師ってめんどくさい」

「教師はそう言われる為に生徒と向き合ってるんです。鶴岡さんは私が責任を持って預かります。貴方は自分の成すべきことを貫いてください。間違ってたらちゃんと叱りに行きます。何度も、何度も叱りに行きます」


 真剣な顔で言う笹乃の見て、木葉はふっと息を吐いて瑪瑙を鞘に収める。そして、


「首謀者は確保。目的は果たした。でもこっからだよ、ラン君」

「ああ。わかってるさ」


 そう言って木葉は本陣を出て行った。その表情は、迷路やロゼから見てとても穏やかでスッキリしたように見えた。

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