4章22話:暴食の悪魔
「さぁ、人の子よ。あちきを喰らうがいい。ヌシがその運命に抗いたいのならばあちきは幾らでもヌシに協力しよう。まずは、そこの痴れ者を殺してもらう」
黒い靄の鬼は、無機質な声で言い放つ。
私は、というと……未だに先程の内容が頭から離れない。でも私は確かに『その運命』を回避したくて、『そんな結末』をすくなに選択して欲しくなくて、それならばやるべきことは……。
「ふふ」
私にはきっともう選択肢なんてない。私は自分に向き合うと決めた。私は王都と戦うと決めた。もう迷っている時間なんてどこにも無いし、迷う云々の議論はもう頭の中で解決している。
「何でも良い。早く喰わせて、お前のこと」
これが、櫛引木葉を櫛引木葉でなくしてしまう儀式だったとしても。これが、東の魔王の期待する魔王への変化だったとしても。
「毒をくらわば皿まで、ってね。徹底的にやってやる。すくなでもお前でも何でも良い、力を頂戴。私が全てを成し遂げるための力を」
「はっ!ヌシがヌシでなくなってもか!あちきを喰わんと欲するか!きひ、きひひひ!ヌシのような器を、主を待っていた!!!」
黒い靄は真っ赤な口を三日月に歪ませて高らかに笑った。
これが悪魔。すくなと同じ存在の上級悪魔。さて、私の大好物は蟹だけど、
「ねぇ?」
「ん、どうした人の子よ?」
「悪魔って、どんな味がするのかなあ?」
「きひっ。いい、良い!酔い!善い!好い!きひ、きひひ!あちきを喰らうが良い!暴食の魔王!」
狂気を帯びて笑う黒い靄。そんな彼女に手を伸ばし、その胴体をゆっくりと此方に近づける。そして、
「御馳走様、美味しかった♪」
…
……
……………
「ゲホッ!ゲホッ!」
「ああ、魔王様!にゃははは!!お帰りなさいませ!これで饗宴は!宴は!!!」
現実に戻ってきてまず思ったのは、私という人間が何かに侵食された感覚。そして、
「あはっ、あはは、あははははは!!!」
溢れ出る高揚感。何だろう、何か美味しいものを食べた気がする。蟹には勝てなかった気がするけど、私はまたこれが食べたいなぁとふと思った。
「なんだろう、なんだろなんだろ。美味しいな、美味しいな美味しいな美味しいな!あは、あはははは!!!」
「魔王様ぁ?」
「美味しい、がはっ!げほっ、げほっ、最悪だこの感覚……」
そして、正気に戻る。集中していないと私の意識が乗っ取られそうになる。
(このは!無事!?)
「けほっ、なんとか、ね。でもこれ、抑えながらは、無理……」
(何があったの!?すくなはそっちの世界に行けなかったんだけど!)
「大丈夫、何もなかった。ちょっとご馳走を頂いただけ」
(で、でも____ッ!)
水溜りに映る自分を見る。
既に髪は元の麗しき銀髪になっており、瞳は真っ赤に、黒いツノが生え、真っ黒の着物に身を包む私の姿。さらに先程の鬼の黒い靄が周囲を包んでいる。
「あはは、これは……」
「お、おい、魔王、大丈夫なのか?」
「うっさい黙ってて勇者。それ以上近寄ると多分一瞬で消し飛ばしちゃう」
「ひっ、物騒!」
「いや良いからさっさととどめさせや」
アリエスを脅して遠ざける。そうでなくては、今の私は目に入った生きとし生けるものを殺し尽くしてしまう自信がある。
「魔王様ぁ?悪魔の味は如何でしたぁ?」
東の魔王がニタニタと笑いながら歩み寄ってくる。
(このは!?もしかして、悪魔を……感情を食べたの!?)
その発言に、すくなは焦ったように語りかける。しかし、私はもうすくながやりたいことは分かっている。だからこそ、すくなには悟られないように行動しなくてはならない。
「ああ、良いね。お前の口付けもなかなかだったけれど」
「にゃはぁ!照れちゃいますぅ。もう一回、しちゃいますぅ?」
「ああ、でもその前に……」
「……?」
「お腹、空いたなぁ♪」
「_______ッ!?」
表情を変えて後ろに飛び退く東の魔王。何か危険なものを全身で察知したのか、その顔には今まで見せたこともないような恐怖と怯えとの表情でいっぱいだった。
警戒態勢をとる東の魔王は、全身に鳥肌が立っていることに気付く。それはアリエスや3人の少女も動揺で、一瞬まるで世界が静止したかのように森に静寂が訪れた。
「ま、魔王様ぁ?」
「怯えないでよ。ほら、にゃははって笑って?にゃははって」
「魔王様、何を……」
瑪瑙を抜き、笑みを浮かべる。そんな私を見てすくなが息を呑む感覚がした。
「《鬼姫》、おいで《酒呑童子》」
詠唱を始める。私の保有していた『大罪の悪魔』は全部で4つ。
・《茨木童子》は傲慢、【シン・プライド】。私が私であるための自尊心を与えてくれた鬼……即ち悪魔。
・《土蜘蛛》は憤怒、【シン・ラース】。ロゼを殺されそうになったことに対して、私に怒るという感情を教えてくれた悪魔。
・《吸血鬼》は強欲、【シン・グリード】。迷路とロゼの両方を選択する自身の欲深さを、執着心を教えてくれた悪魔。
・《橋姫》は嫉妬、【シン・エンヴィー】。迷路とロゼを奪われそうになった時、嫉妬心を与えて自分の『好き』を自覚させてくれた悪魔。
そして、《両面宿儺》。それらの悪魔を取り込み、私の精神を適切に調整してくれていたすくなという存在。すくなが私に与えてくれていた悪魔=罪の感情たちで私は戦う力を得てきた。
けれどそれは元々私がすくなに預けていた『良くない、と思い込んでいた感情』であって、これからは私自身が欲した感情が発露する。
【シン・グラトニー追加に伴い、スキル《鬼姫》で《酒呑童子》の降霊が開放されました】
(きひっ、主よ!あちきの味はどうだ?さぁて、ヌシがすくなにおんぶ抱っこではないところ、見せてやるがいい!)
(へ!?なんでお前がいるの!?ちょ、このは!)
暴食の悪魔とすくなが頭の中から声をかけてくる。
「うぅ、頭の中が2倍に煩い……。まぁいいや、やるよ!」
火の柱が立った。
「なっ!?」
再び水溜りに映る自分を見る。そこにいたのは、最早人間と呼べる存在ではない。
靡く銀色の髪、この世の物ではないほど美しい真っ赤な瞳、真っ黒な角。そして、顔の右半分には私の真っ黒い鬼のお面が張り付き、その口からは何枚も禍々しいお札が垂れ下がっている。
服装は加賀友禅のような気品ある真っ黒な着物。だがその背中からは黒い翼が生えており、羽根には無数の瞳が埋め込まれている。
極め付きは私の足元。無数の真っ赤な鳥居、そこから暗闇さんのような真っ黒い蛇の形をした悪魔が出現し、私の周りを動き回っていた。悪魔の表面には無数の目と口が現れており、禍々しさに拍車をかけている。
「あぁ、素晴らしい。これが鬼姫!鬼姫という器でなら、あちきは全盛期の姿を取り戻せるというもの!!!きひっ、きひひ!……ゲホッゲホッ!何気に精神乗っ取ってくるのやめろ」
まさに『化け物』や『魔王』と呼ぶに相応しいのだろう。東の魔王は未だ臨戦態勢を敷いていた。
だから、2本に分裂した禍々しい黒色の瑪瑙を構えて言った。
「私ね、テーブルマナーってあんまり知らないんだ」
「……?」
「未だに気品のある行動っていうか、上品にご飯を食べることが出来なくてね。誰か教えてくれたら嬉しいんだけどね〜」
「……手取り足取り私が教えて差し上げましょうか?魔王陛下」
「ううん。だってお前は……
食糧だもの♪」
先に動いたのは東の魔王。魔獣に指示を出し、私を押さえ込もうとくる。余程恐ろしいのか何かを喚きながら。
「非常食くらいには、なるよね?」
「がァァァァァァ!!!」
襲いかかる1万の獣達。しかし魔獣は私の喉元を掻き切る前に全て消失していった。
足元の鳥居から伸びる黒い影。低級から中級の悪魔達が魔獣を喰らい尽くしていく。
ばりぼり、ばりぼり。
ばりぼり、ばりぼり。
ばりぼり、ばりぼり。
「ぁ、ぁあ、なんか凄い満たされてくかも。これが暴食……この手で殺した者の魔力を喰らい尽くす力。美味しいなぁ、美味しいなぁ、あはははは!!!」
「殺せッ!魔王を、物量で殺しきれッ!!」
「もっと、もぉーっと!あは、あははは!!」
「囲めッ!」
一斉に群がってくる魔獣達。中にはミノタウロスやダークウルフといったA級以上の魔獣さえ襲いかかってくる。
「スキル:《大江山の神隠し》」
詠唱した瞬間、周囲から魔獣が消える____否、周囲の魔獣が私の周囲に浮かぶ鳥居に吸い込まれ、闇へと消えていったのだ。そして、
「はぁああああああああ///やばいやばいやばいやばい、美味しい!美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい!!えへ、あは、あはははは!!!」
満たされる感覚、体験したこともないような感覚に思わず舌舐めずりしてしまう。きっと今私の表情は緩みに緩みきり、頬は真っ赤に染め上がり、蕩けきったような顔になっているに違いない。永久に湧き上がってくる幸福感に思わず身悶えする。
「あ、悪魔……だ」
アリエスは私をみて絶望したように呟く。そんなアリエスを見て、私は涎を垂らした。
「えへ、美味しそう、えへへへ」
「ひぃ!?」
(おい、欲に飲まれすぎだ人の子よ。戻ってこい!)
酒呑童子が語りかける。ふっと、思い出したように我に帰った。
「ぁ、な、何?今の」
(怠惰、暴食、色欲の感情は元々はこのはがあまり持たない感情なわけだけど……人間の3大欲求の根幹を占める感情でもある。だから、出来ればすくなを介さないでこのはに悪魔を食べさせたくなかった……)
「すくな……?」
(今その話は後にしよう。まずは東の魔王を!)
「ふ、ふふ、言われなくても、ぜぇーーーーーーーんぶ!食べてあげるよ」
すくなは思わず息を呑んでいたけど、私はそんなこと気にせずに2本の瑪瑙を構えた。
「ねぇ、魔王陛下!?私と、私と一緒に!!!快楽を!」
「要らない」
「……へ?」
「私はねェ、今はお腹いっぱいになりたいんだァ、アハ、ハハハ」
「ヒィッ!?」
私の笑みを見た東の魔王は逃亡を図ったが、一足遅かった。
「ぁ、あし、足足足足足足足足足!!!」
「ご馳走様、えへ♪」
「ま、まって、待って待って!!」
「あは、あははは______ッ!?」
次の瞬間、東の魔王に魔法攻撃が直撃する。光源の方を見ると、アリエスが足の切られた東の魔王に杖を向けていた。
血塗れで、全身ボロボロだったがそれでも彼は一瞬の隙を突いて東の魔王をだし抜くことに成功した。
「《略奪》はランダムだけど、一発で奪えたのはラッキーだったな。これでッ!」
アリエスが詠唱を開始する。すると残っていた数少ない魔獣達が動きを止めた。
「む、無駄ですよにゃはは。いざって時は魔獣の指揮権はジョスランの子守唄に譲渡できるんですから。だから……」
ズドォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
轟音。と同時に断末魔が森に響き渡る。何かがこちらまで降り注いできて、東の魔王の前に落ちてきた。
「なぁ!?」
べちゃっという音を立てて落ちてきたのは、ジョスランの子守唄にひっついていた真っ黒い顔達。それ即ち、
「魔女の反応が……消えた?」
「ぁ、ゲホッゲホッ!!くそ、全然自我が保てない。なわては魔女を殺したってのにさ、情けないな私」
なわては魔女攻略に成功した。つまり残るは東の魔王だけだ。
「にゃ、にゃはは……なんで、なんで魔王様?貴方は、私達の王で」
「………………」
「ああ、でも貴方様のような美しい少女に食べられるなら、それもまた本望ですぅ、にゃはは☆」
これ以上、東の魔王と喋ることはない。
「あはぁ、私の働きで魔王様が完成する。魔王様が漸く本来の力を、本来の役割を、にゃは、にゃはははは、にゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははさ!!!」
狂ったように笑い続ける東の魔王____サキュバスを見下ろし、人差し指で指差して言った。
「頂きます」
…
……
……………
ゴリっ、ベキっ。
パキっ、ボキッ。
何時間くらいこうしていただろうか?
暫く放心状態で東の魔王とその周辺の魔獣を貪り食っていたが、遠く聞こえる声で意識が引き戻された。
「……お、おい、魔王」
「……………」
「おい!!!」
虚な瞳で声のする方に振り返る。そこにはガタガタと震えながら杖を構えるアリエスがいた。
「あぁ、そう言えばあの3人娘はどうなったのかな?」
「……東の魔王が死んで、それでも阿片供給が止まらなくて錯乱して、それで……」
「殺したの?」
「人聞きが悪いこと言うな!!眠らせたんだよ……土の聖女も一緒にな」
土の聖女:ニルヴァ、サマー・オータム・ウィンターの3人娘はアリエスの周辺で死んだようにぐったりとしていたが、アリエスの言う通り死んではいない。
「はぁ。イキリ太郎の癖にやるじゃん」
「そんなことは今はいいんだ。それより、お前自分の状態が分かるか?」
「状態……?」
あぁ。勿論わかってる。私は、
「魔王」
「まさか本当にお前が魔王だとは思わなかった。お前、人間としての自我は保てるのか?」
「月が真っ赤……。あは、あはは、これもうだめだな」
「お、おい……なにを」
「近づくな」
私が手を翳した瞬間、大地にヒビが入り悪魔が周囲の木々を喰らい尽くした。これでもかなり制御できている方ではあるけれど、やっぱり……。
「ごめん勇者。多分今近づいてたらお前のこと100回は殺してる。そのくらい、今の私とお前じゃ戦力差がある」
「……これから、どうするんだよ」
これから、ね。
「く、来るな!」
「行かねーよ。ゲホッ。取り敢えず、私が理性を抑えきれている間にさっさと視界から……あ」
視線の先。青い炎が見えた。さっき魔女を殺したであろう大剣を持ち、私の行手を阻むようにして少女は立っていた。
「ひか、り?」
「こんばんは、なわて」
着実に魔王として完成形に近づいている木葉。今まですくなというフィルターが浄化してくれた『罪の悪魔』とは違い、三大欲求に基づく感情を与えてくれる悪魔:酒呑童子の影響力は、木葉にとっては強すぎるものでした。さて、これからどうなる?




