1章10話:アタシを信じて
「あ、あぁ、ああぁ……」
「きひひひひ、いひひひひひひひひ」
真っ黒な槍に変形した使い魔の腕が引き抜かれる。だが不思議なことに血は一滴も流れなかった。
木葉の意識はだんだんと深い眠りに落ちていく。それを抱えるように使い魔は木葉を受け止めた。
「いきゃきゃきゃ、いひゃひゃひゃ、あひひひひひひひひ、まおうさま、あははははははははは」
その笑い声で緊張の糸が切れたクラスメイト達は、恐怖で顔を歪めながら叫び出した。
「いや、や、きゃぁぁぁぁぁあ!!」
「あ、ああああああぁぁあああ!!」
「くっ! 近衛、何をしている! 奴を抑えろ!」
憲兵たちが指示を出すも、使い魔のとなりで浮いた状態の男が口を開く。
「近辺の近衛は倒した。もう何もかもが遅い。では撤収だ、帰るぞ『十月祭』」
「きひ、きひひひ、いひひひまおう、さま」
「そうだ、その魔王様を回収して撤退だ。これだけギャラリーが見ていれば十分だろう」
「いひ、いひひひひひひひ」
フードの男は、『十月祭』と呼ばれた使い魔を連れて口笛を吹く。すると近くに待機させていたのか、大鷲が一回り大きくなったような化け物鳥が飛んできて、男はその鳥の足を掴んだ。
「待て! 弓兵隊、奴を射かけよ!」
レガートの指示で矢が放たれるが、それを十月祭が腕を巨大な盾に変形させたことによって全て弾かれた。木葉の亡骸が、フードの男の手に渡る。
「ころした、ころしたころした、あは、あはははははははははは、いひひひひひひ」
「あ、ああ、木葉……」
「櫛引さんッ!」
笹乃と柊が顔を歪めて座り込む。あれだけの大槍に体を貫かれたのだ。もう死んでいてもおかしくはないのに、それでも叫ばずにはいられなかった。
そして、他の生徒たちも同様だ。あれだけ木葉に冷たく当たっていた生徒たちが、まるで別人のように泣き出した。主に、花蓮や樹咲だ。
「あ、ああぁあぁぁぁぁあ!!! 木葉ちゃん!! 木葉ちゃぁぁぁぁん!! 嫌ァァァァァァァァ!!」
「あぁ、あぁ、ああぁぁぁあ」
花蓮たちの絶叫が響く。一方でレガートや憲兵長たちは、大声を張り上げて兵士たちに指示を出していた。
「はやく追え! ワイバーンの使用を許可するッ! 竜騎兵隊を組織し、奴の飛んだ方向へ向けさせろ! 急げ!」
「異端審問官に協力を仰ぎましょう憲兵長殿! 今は面子にこだわってる場合ではありませんッ!」
「しかしそれでは憲兵としての意地がッ!」
「もう遅いですよ」
激しく言い争う憲兵長たちに、黒の装束の青年が声をかける。20代かそこらの男で、顔立ちも良い。その顔にはニコニコと笑みを浮かべていた。
「筆頭異端審問官:ノルヴァード・ギャレクです。階級は一等司祭。あぁ、遅いというのは事実です。相手はあの『十月祭』ですよ? 竜騎兵などすぐに全滅します。そして、こちらも追撃の準備が整っていません。完全にしてやられましたね、憲兵長殿?」
ただただ微笑を浮かべる美青年。それに対して憲兵長は苛立ったように返答した。
「異端審問官様の手を煩わせるつもりはありません。竜騎兵で直ぐに追撃します。ご忠告には感謝しますが、こちらにも意地がありますので。失礼」
「ご武運を」
憲兵長がこの場から立ち去っていく。そのやり取りを、笹乃は呆然と見ているだけだった。
…
…………
……………………
その後の王宮は大混乱だった。まず先ほどの異端審問官の予想通り、竜騎兵たちは壊滅した。そもそも大した戦力が出せていないため、当然の結果といえば当然の結果だ。一方陸上の追撃部隊も途中で敵を見失い、撤退を余儀なくされた。王宮警備に当たった近衛や憲兵、追撃した竜騎兵を含めて多数の死者が出ている。大損害だった。
それより問題なのは生徒たちの精神面の方だ。
「ぁ、あぁ、ああああぁ木葉ちゃん、木葉ちゃん木葉ちゃん木葉ちゃん木葉ちゃん木葉ちゃん!」
「木葉……ごめん、ごめんよぉ、木葉……」
「くっ……木葉ちゃん……」
今まで木葉に冷たく当たっていた人たちが、なぜか突然発狂するくらいに泣き出したのだ。それが、柊にとっては不思議かつ不愉快でならなかった。
「こんな、ことなら、木葉ちゃんともっと、おはなし……しとけば……」
尾花花蓮のこの言葉を聞いた途端、柊は自分を抑えきれなくなった。つかつかと花蓮の元に歩いていき、その首根っこを掴む。
「ふざけんな。今更になって友達ごっこかよ!? アンタたちは異世界に来て、木葉に何をしてきた? 木葉を助けてきた? 木葉の支えになっていた?」
「あ、あぁあぁぁ」
「ちがうよな!? それどころか冷たく当たってたでしょ? そんな奴らが今更になって友達面をするな! 気持ち悪い」
「ち、ちが、ちがう……」
「何が違うんだよ! アンタたちに避けられて、木葉がどれだけ傷ついてたか分かってるのか? こう見えてアタシ、アンタたちを殴り殺してやりたいくらい怒ってるんだけど?」
柊は声にドスを効かせて花蓮を脅す。しかし花蓮は涙声で言った。
「ここにきてから、2週間くらいして……だんだんおかしくなって、木葉ちゃんを見るたびに変な声が頭に流れ込んできたの!! 最初はそこまでじゃなかったんだけど、最近は酷い。『殺せ、殺せ』って。それでまるで魔族を見るかのような態度に変わっていって。自分でもおかしいってわかってる!! でも本心と態度が一致しないの!! 私もどうしていいかわかんなくて……」
「は?」
「わたし、だけじゃなくて、みんなもそう。だから木葉ちゃんに辛くあたらないように、みんなで避けた。多分会っちゃったら、木葉ちゃんに辛く当たっちゃう。それがどうしようもなく嫌だったッ!! でも、こんな、ことなら……もっと……」
「何、それ」
生徒たちがみな頷く。木葉に接しようとすると、嫌な感情が巻き起こってきて最後はそれが憎悪に変わっていく、と。嘘、言い訳、どうとでも捉えられる話だけど、柊はその話を聞いてとある結論に至った。
(木葉だけが受けない講義。防護魔術。木葉に接すると聞こえる声。木葉の黒いツノ。そして、アタシのスキルと最上先生のスキルの共通点も考慮すると全部繋がる。これなら、アタシがその声が聞こえない理由が説明できる)
柊がステータス画面を開く。
【真室 柊/15歳/女性】
→役職:錬金術師
→副職:大工
→レベル:32
→タグカラー:
HP:250
物理耐久力:180
魔力保持量:360
魔術耐久力:190
敏速:150
【特殊技能】《錬成》
【通常技能】《言語》《精神汚染耐久》
「やっぱそうか」
「へ?」
「ごめんね。アンタに非がないと言えば嘘になるけど、少なくとも故意的じゃないのは分かった」
(それより問題ができた。これがもし事実なら、これを知った時点でアタシは消される可能性が高い)
「真室、さん」
「だけどね、アタシは個人的な感情でアンタたちが許せない。だから、話しかけてこないで」
花蓮を置いて柊はその場を去った。
他のみんなは嗚咽を漏らしている。それもそうだろう。仲良くしていた、尊敬していた、大好きだった友達が目の前で惨たらしく殺された。しかも直前まで自分たちはその子に辛く当たっていたのだ。メンタルケアがあろうとも彼女らは罪悪感に押しつぶされて自ら命を絶ってしまいかねない。
しかし柊は冷静だった。
(この仮定が正しければ、奴らが木葉をわざわざ持って帰ったことにもある程度の説明がつく……でも、もしそうなら木葉は、一人でずっとそんな重いものを抱えていたのか?)
最近できた大切な友達。そんな木葉との思い出がありありと蘇ってくる。そこには時々、貼り付けたようなツクリモノの笑顔もあった。
(アタシ、馬鹿だ……。アタシが想像していたより、もっと重いものを抱え込んでいたんだ。それに気づかずにいたアタシも、だいぶ最低だよ。でも、今はそれを考えている時じゃない。過去を振り返るよりその先を見つめろ真室柊!)
柊はほぼ正解に近づいていた。そして仮定から、木葉が生きている可能性が高いことも気づいた。
(本当にそうならあれはそういうスキルであって、木葉は100パー生きてる。王国に見張られながら木葉を奪還することは不可能……ならアタシのすることはただ一つ)
柊はその目に決意を宿して、講義室へと向かった。
…
…………
………………………
「まずは、謝罪させてほしい。我々の不手際で王宮の警備が突破され、1人の生徒が連れ去られてしまったことを、深く詫びなくてはならない」
講義室で、レガート団長らが頭を下げた。その表情はやはりどこか辛そうなものだった。
「木葉ちゃんは……どうなったんですか?」
とある生徒が恐る恐る尋ねる。
「わからない。だがおそらく連れていかれた先は魔王の所であろうと推測している」
「魔王!? な、なんで!?」
「魔王は、復活した際に若く美しい女子を求めるのだ。過去二回の例では、メルカトル大陸で100人近い女子が拐われている。主に10代から20代前半の女子がだ」
「そん、な」
「正直に言うと、かなり絶望的な状況だ。彼女の安否は保証できない」
「な!? なんで、そんなこと言うんですかっ!! 木葉ちゃんは……まだ……」
花蓮が怒りに任せて叫ぶ。その目には涙を浮かべて。
「過去の例からいえば、連れ去られた少女たちの安否は確認できていない。これを言うのは、お前たちに変な希望を持って欲しくないからだ。酷な話ではあるが、どうか頼む……」
(生き血を吸われるだとか、魔族の慰み者となっているだとか、人体実験に使われているだとか噂はあるが定かではない。こんなこと、絶対に彼らには言えまい)
「……ません」
「花蓮?」
「諦めませんッ! 私は、絶対諦めません! 絶対にごめんなさいって言わなきゃいけないからッ! みんなだって!」
花蓮に呼応するかのようにみんなが顔を上げた。
「俺も諦めない」
「語李くん……」
「要は早く魔王を倒せばいいんだ。木葉のためにも、みんなより一層気を引き締めて訓練しよう。彼女は絶対に奪還する! 俺だって避けてたことを謝らなくちゃいけない! みんなも、同じだよな!?」
白鷹語李がみんなに問いかける。何人かはそれで闘志が湧いてきたようだった。それを見ていてレガートは思う。
(やはり、白鷹語李は勇者に向いている。このままでは上は船形荒野を殺しかねない。どうにかしなくてはならぬ……)
クラスメイトたちは各々の思いを秘めて、魔王討伐を決意した。
…
……………
………………………
「真室さん……」
「最上先生、涙枯れちゃうって」
柊が笹乃の部屋に入った時、ちょうど笹乃は机に突っ伏して泣いている最中だった。笹乃は、先の集会を欠席していた。
「真室さんは、悲しくないのですか? 私は……もう無理です」
「目の前で本当に死んでたら、多分悲しい。自殺する可能性もあるかもな。先生はみんながそうならないように気をくばんなきゃだめだよ?」
「本当に死んだって? どういう意味ですか? だって、櫛引さんは目の前で!!」
「……………………」
「すみません。私取り乱してばかりで……」
「仕方ないって。みんなそうなってる。それに、先生も見たでしょ? 血は一滴も流れてなかった。多分なんかのスキルなんだよあれ。でもどの道『魔王』のもとへと攫われたわけだから、時間はあんまないけど」
「……そうですか。まだ、生きてるかもしれないのですね」
「絶望的だけどな。正直あんま期待しないほうがいいとは言われた。酷い話だよ全く」
それを聞いてまた先生は沈み込む。しばらく沈黙が続くが、笹乃は再び口を開いた。
「失ってから気づく大切さなんて、もう分かっていたはずなのに……私は愚か者です」
「先生」
「私、みんなが入学してからなかなか積極的に話しかけられませんでした。覚えてますか? 四月の時の写真撮影」
「カチコチだったね。木葉にこちょこちょされてすごい顔で写真撮られてたけど」
「あはは。あの時はすごい怒りましたけど、今となってはあれがあったからみんなに私のことを知ってもらえたと思うんです。それからも櫛引さんは私を和ませて、元気付けて、励ましてくれて……私、あの子が大好きでした」
「…………………………」
「なか、なおりも、うぅ、できなくて……うぅぅあぁぁぁぁ!」
話の途中で先生は泣き出してしまった。これも、先生の良いところだと柊は思っている。この人は立派に先生している、と心からそう感じていた。
(この人には話せない。きっと、それをみんなにも言ってしまう。そして、この人は他の生徒のことだって見捨てられないし見捨てない。だから、ごめんなさい先生。アタシがこの人にしてあげられることは……)
「先生」
「……なんですか? 真室さん」
「みんなを支えてあげて。みんなも、きっと先生を支えてくれる。先生が思ってる以上に、みんなは先生を信頼しているよ。アタシを含めて」
「真室さんは、私を信頼していますか?」
「してる」
「やろうとしていることは、話してくれないのですか?」
「あはは、バレてんのかい。うん、これは先生を巻き込めない。先生を信頼しているからこそ、絶対に巻き込んじゃいけない。でも先生、こんなことお願いするのは図々しいとは思うけどさ。アタシを信じてほしい。絶対にやり遂げて、みんなで帰る。約束」
柊が微笑む。笹乃は、一瞬何かを言いかけたがすぐにそれをやめた。そして、微笑む。
「わかりました。生徒がここまで真剣な目をしているんです。先生がそれを止めたら、教師失格です」
「先生それ好きだよね〜、ウケる」
「真室さんはうけすぎです」
「ふ、ふふ」
「あはは」
笹乃の部屋に2人の笑い声が響く。
柊は確信した。この人はきっと大丈夫、と。




