第二回 風変りな恋の初峰入 上 峰入って何。
優男と仮に名乗らせた男は、本名を坂本勢一と言ッて、生まれや父親に関してなどは当然に知る由もなく。
受動的を捏ねて人型にしたら私が出来上がる、という程に為すがままな性質の私は、今回も例によってそのまま成り行きに任せ、彼と学食前のカフェテリアの一角に腰掛けていた。
「あのさ……」
「あ、買ってきますね、待ってて下さい」
彼、もとい坂本は人の話を聞かずに動き出してしまう類の人間らしい。一人カフェテリアに残された私は、周囲に何となく目を遣りながら、現状を反芻していた。
授業中とは言え、カフェテリアには幾らか学生が腰掛けている。サークル活動と思しき、六人程で何かの打ち合わせをしている組、課題かレポートか何かを必死に書きなぐっている男子学生、スマートフォンを弄りながら会話している女子学生たち、カードゲームか何かに興じる眼鏡男子の一団、エトセトラ。男女二人で座っている学生は、付き合っているカップルなのだろうか、将又ただの友達なのだろうか。彼が戻ってきたとあらば、私たちも周りからは詳細不明のカップルとして映ることだろう。……そもそも私は何をやっているんだろうか。興味本位で付いてきてしまったものの、この状況は控えめに言っても奇しい。
第一、訳の判らない優男に連れられ、お茶を奢ってもらうだなんて、何だかあんな形であんな告白をしておきながら会話する分には女性慣れしてそうな感じだったし、そもそもお茶を奢りますってこれはあれなのか、俗に言うナンパというやつなのか、いや、それにしては先の告白は鬼気迫るものがあったし、とても軟派な性質の人間には見えないし、でも近頃はロールキャベツ男子だなんていう言葉が巷で流行っているくらいだし、そもそも肉食、草食という区分なのに、食べられるものでは喩えになっていないから言葉の発生として問題があるんじゃないだろうか、それに、
「お待たせしました。聞き忘れてしまったのですが、甘いもの大丈夫でしたか?」
いつの間にやら坂本はトレーを抱えて戻ってきていた。トレーにはペットボトルの紅茶が二本と、ケーキが二つ乗っていた。その片方が私のお気に入りのリンゴのシブーストだったので、途端に先程まで考えていた諸々が飛んでしまうからには、私の機嫌なんてのは安いものだ。
それから坂本は暫く自分のことについて話した。文学部英文科二年坂本勢一、出身は埼玉。好きな作家はウェルズ、現在書いているレポートのテーマはシェイクスピアで、読んでいるのは伊坂幸太郎。インカレの英語サークルに入ったはいいものの、他大学の女学生の圧力に押され幽霊気味。運動は得意ではないが健康の為のランニングは欠かさず、好きな午後ティーはミルクティー。一生懸命話し続ける彼を、何を思ってこんなにも饒舌なのかという眼で見ない様に注意を払いつつ、改めて観察する。
先ずは少し長めの髪。女子が、というか主に私が嫉妬する程の艶髪には天使の輪が浮いている。もしこれで何の手入れもしていないのだったら、三次大戦が起きたとて何ら不思議でない。切れ長の二重瞼は縁無し眼鏡に圧されながらも、尚も主張が強く、高いという程でもないが通った鼻筋に、控えめな唇。堀りの浅い、整った薄い顔を一言で言い表すならば、中性的。血色の良い色白な細身の体躯に、こんな頭部がついているからには私の抱いた優男という印象は、大凡一般的な感想だと言えるだろう。絵に描いたような文学少年、もとい青年である。
「……で、昨日のコンビニの前にいた犬がですね、」
何の話だ。
「あのさ」
「あ、はい」
「何であんな告白の仕方したの?」
坂本は面喰らったような表情を見せ、手元の午後ティーを一口、二口。稍あった後に開いた口からは、
「……助け舟ついでに、向こう岸まで渡らせるお手伝いをしてもらえませんか?」
と。何を言っているのか直ぐには理解出来なかったが、少なくとも彼が私に何かしらの助けを請うていることは雰囲気から掴めたし、多分私はこの言葉を待っていたのだと思う。私の愛すべき透明な日常にぽたりと落ちる一滴の墨を。
「取り敢えず。話を聞かせて」
勿論、この二つ返事に彼の外見の醜美は一切関係はなく、偏に私が優しさに満ち溢れた博愛麗しく慎ましい大和撫子である、ということに所以するのは言うまでもないが。
「えっとですね、あの、その、何から話したらいいか。えっと」
助けを求めたはいいものの、どうにも要領を得ない彼の口振りに私が痺れを切らす形になった。
「さっきも訊いたけれどさ、何であんな目立つ告白したの?」
坂本はきまり悪そうに、フォークでケーキを一掬い。そのチョイスも苺のショートケーキ。服装も綺麗目カジュアル。その方面の男性やらあの方面の女性から喜ばれそうな形である。
「やっぱり……引かれましたかね」
ほう、意外にも普通の感性も持ち合わせてはいるのか。
「引かれたかは判らないけれど、突然だから驚きはしたんじゃないかな」
「実は、その、僕、女性経験が一度もなくて。告白をしたこともされたことも、いや、男子校だったので男性から告白されたことはあるんですが、いや、それはどうでもいいですね。兎も角恋愛経験が皆無なんです」
全然答えになっていないのだけれど。と零れかけたのを飲み込んで、それで? と訊いてあげる私の優しさたるや。
「それで、その、綺麗な方ですし。女性と話すのもあまり得意ではないので、少しばかりインパクトがあった方がいいかと思いまして」
うん、解らない。というのは、多分顔に出て了っていたと思う。
「次は何の手を打てばいいのか、皆目見当がつかないのですが、どうしたらいいと思いますか?」
「振られても直ぐに来週また告白しますって、立ち上がるメンタルには敬意を表したいけれど、何ていうか……君すごいね」
「いえ、きっと彼女こそ、僕の百パーセントの女の子に違いないんです! 生まれて初めてこんな気持ちになったので、どうしてもお付き合いしたいんです!」
臆す様子もなく、堂々とこう宣う彼の立ち居振る舞いに思わず気圧される。彼女にとっての君は百パーセントの男の子じゃないかも知れないという葛藤は、彼には起こらないようだ。
「……というかさ、女性と話すの苦手って、私も女性なんだけれど?」
「あ、何か貴女は、何処となく妹に似てまして。お優しいようですし、何だか大丈夫みたいです」
斯様にも麗しい女学生に、面と向かってこの言い様。「悲しい話だと思いませんか」で終わりたいのは私の方かも知れない。