視線の先には、
好きになるならクールで無口で、たまに笑う顔が幼くって、そうして無愛想で、でも本当は優しい。
そんな人だと思っていた。
だから、いつもニコニコ笑っているアイツは嫌い。
怒ることも、泣くこともしない。
いつも穏やかで笑ってばかりいる。
だから大嫌い。
気になるのは嫌いだからだ。
文化祭の準備で忙しい放課後。
もう教室には誰もいない。
内藤小夏は教室の真ん中にある自分の机に近づいた。
「やっと帰れる…」
文化祭実行委員も楽じゃない。
来年は受験だから今のうちに学生生活を楽しもう、と実行委員になったはいいが、こんなに大変だとは思わなかった。
自分で選んでおいて、思わずため息が出る。
「あれ、内藤さん?」
教室の後ろの扉が開いて、クラスメイトの井上省吾が顔を見せた。
「まだ残っていたの?」
小夏は眉をひそめて省吾を見た。
教室はもう薄暗くなっていた。
「うん、手伝わされちゃって」
省吾はニコニコと笑う。
「嫌なら断ればいいのに」
「嫌じゃないよ」
そう言って省吾は柔らかく笑った。
こんな笑い顔は嫌だ、と思った。
見たくない。
「どうして、いつもそうやって笑っているの?
無理して笑わなくてもいいじゃない。
いつもバカみたいにヘラヘラして…!」
小夏は思わず叫んでいた。
省吾は驚いた顔をしていた。
そうして俯いた。
「まいったな、笑っていれば誰も文句は言わないと思っていたのに…」
「笑えばいいってもんじゃないのよ!」
小夏の言葉に省吾は顔を上げた。
そうして小夏の目の前に立つ。
「何よ…」
真剣な省吾の顔に、小夏は身構えた。
省吾は小夏の唇に人差し指で軽く触れた。
「口は災いの元だよ。
気をつけなくちゃ」
そう言って意地悪そうに笑った。
どういうこと?
急な態度の豹変に驚いて、小夏は何も言えなかった。
「処世術って知ってる?
集団で暮らすためには必要なんだよ。
皆は素直に騙されてくれるのに、内藤さんは騙されてくれないんだね?」
どうして?と省吾は聞いた。
「…」
小夏は俯いた。
嫌いだから見ていた、なんて言えない。
「いつも俺のこと見ていたでしょう?
俺のこと好きなの?」
省吾はそう言うと小夏を抱き寄せた。
「!」
目の前に省吾の顔がある。
小夏は唇をかみ締めた。
そうして一発、省吾の頬にお見舞いしてやった。
教室に乾いた音が響く。
「最低!」
小夏はそう言うと教室を出て行った。
一人教室に残された省吾は苦笑した。
少し苛めすぎたかもしれない。
小夏がいつもにらんでいることは分かっていた。
嫌われているだろうな、と何となく気付いていた。
愛想笑いに気付いているのも彼女だけだ。
だけど、まさか正面からそれを言ってくるとは思わなかった。
面白い人だ、と省吾は笑った。
小夏に興味がわいた。
もっと彼女のことを知りたい。
省吾は打たれた頬を右手で押さえた。
手形が残っていないといいんだけど。
「明日はもっとにらまれるかもな…」
近寄ることさえ出来ないかもしれない。
案の定、小夏は出来るだけ省吾に近づかないようにしている。
視線を寄越すことさえしない。
省吾はため息をついた。
ちょうど小夏はダンボールを抱え、どこかに行くようだった。
「重いだろう?持つよ」
小夏は省吾を見もしないで答えた。
「結構です!」
「あのね、人の親切は素直に受けるものだよ?」
「…可愛げがないって思ってるんでしょ?」
頬を膨らませ、小夏は言った。
「そうだね。女の子は素直な方が可愛いと思うよ」
そう言うと省吾は小夏からダンボールを取り上げた。
結構重い。
「分かってる。
でも、これが私だもの」
少し悲しくなって小夏は俯いた。
昨日から胸がモヤモヤしている。
原因は分かっている。
俺のこと好きなの?
省吾に言われた言葉が頭の中をグルグル回っているからだ。
私は好きなのだろうか?
だから可愛げのない、と言われて悲しいのだろうか?
まさか…!
ああ、もう分からなくてイライラする。
「まあ、好みは人それぞれだし、内藤さんは今のままでいいんじゃない?」
その言葉に小夏は顔を上げた。
目の前ではいつものように笑っている省吾がいた。
それなのに、その笑顔をちっとも嫌だと思わなかった。
「で、コレはどこに運ぶの?」
省吾が首をかしげて小夏を見ている。
小夏は慌てて視線をそらした。
「実行委員の部屋」
早口でそう答え、省吾に背を向けて歩き出した。
実行委員の部屋は荷物で溢れかえっていた。
この状態は祭りが終わるまで続く。
「どこに何があるか分かるの?」
省吾は疑問に思い、聞いた。
「当たり前でしょう。
分からなかったら意味ないじゃない」
そりゃそうだ、と省吾は笑った。
「ここでいいいわ」
小夏が指を差したのは、部屋の角。
かすかに隙間が開いている場所だった。
省吾はそこにダンボールを置く。
省吾は小夏を振り返った。
小夏は何か言いたそうに視線を泳がせている。
「どうしたの?
何か言いたいことでもあるの?」
省吾の言葉に小夏は唇をかむ。
「…あの、ダンボール運んでくれてありがとう。
それと、昨日はごめんなさい」
もごもごと小夏が告げる。
その様子が愛らしい。
省吾は微笑んだ。
嫌われていると思っていたけれど、そうでもないのか。
省吾は嬉しく思った。
痛かった?と小夏は省吾の頬に触れる。
「平気。痕も残ってないだろう?」
省吾の答えに小夏はホッとしたようだった。
「殴ったことは謝るわ。
でも、嫌なときはきちんと断った方がいいと思うの。
それに人を騙すのは良くないことだと思うし」
ぶはっ、と省吾は笑った。
昨日の続きだ。
きっと彼女はその事をずっと考えていたのだろう。
真面目だな、と思った。
噴出した省吾を見て、小夏は眉をひそめて怒っている。
「人が真剣に言っているのに、何その態度は!」
「ごめん、ごめん。
分かった、そうするよ」
「また可愛げがないと思っているんでしょう?」
可愛いと思うけど。
省吾はそれを言わずに笑ってごまかした。
その笑顔があまりにも自然だったから、小夏は見惚れてしまった。
そんな笑い方も出来るのではないか。
いつもそう笑っていればいいのに。
まだ自分の気持ちが何なのか、分からないけれど、嫌いではないのだ。
少しずつでいい。
今はやることが多くて、自分の気持ちに余裕がないから、後でじっくり考えればいい。
じっと見つめる小夏の視線を不思議に思い、省吾は首をかしげた。
何でもない、と小夏は首を横に振った。
未来はまだ決まっていない。
この視線の先にいる省吾との未来も、まだ始まっていない。
全てはこれからなのだ。