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Cosmic Rain  作者: 古川絵梨
3/3

秩序

コスモス、という言葉をご存じだろうか。宇宙、とも訳されるが、一方で、秩序という側面も持つ。

コスモスという花が秩序を感じさせる花かどうかは知らないが・・・しかし言葉の出来しゅったいそのものはおなじのようである。


日増しに暖かくなる、冬から春への移り変わりにしてはいつになく穏やかな、日々の自室で紀久は一日を顧みていた。桜のトレイに載せたグリーンティのポットとマグカップが並んで、あたたかな香気を誘っている。このところ、ピアノの時間の中で、紀久は羽留や律のことを思い出すようになっていた。ときにラヴェルのボレロを弾きながら、ラヴェルのクラシック音楽に心頭しているらしい律のしずかで熱っぽい語り口や、彼の薦めていたセリーヌ・ディオンの洋楽アルバム、好きな歌のタイトルなどや、好きな日本の俳優(たしか、どこかの地縁で知り合いとかだったが、)、その俳優は少し前にちょっとした国際恋愛のドラマで引っ張りだこになった、背が高いが貫録のないのが玉にきずだとそのときもいっていたが、そういう感じの、いつまでもどっしりと構えたところのない、軽い身さばきの人物であり、どうやら同胞らしかった。


羽留はあいかわらず節目にならないと連絡をくれないたちで、どうかすると数年単位ですれ違うのだが、おしとやかなのにカラフルな文具関係を好むたちの性格らしく、どうかするととても持ち物のアイテムが浮いて見える。浮ついたところなど一つもない、とても安定した人格なので、いつも安定して会えるのだが、最後に合ったときはさすがに違って見えた。


紀久ちゃん、フィボナッチ数列って知っている。

うん、大学でも習ったよ。1,3、5、7、11,13・・て分岐とか枝分かれが自然界で起こるときの数列だよね。


そう、正序数。序数の一つね。

あれが雪の結晶とか、木の小枝とかで起こるととても神さびて見えるね。


どう思う、そういう整数って?


なんだか数学的話題で神秘的なことを聞くね。


わたしはこう思うの。They has been made to be ordered..


そう確かに言ったかどうかはさだかでないが、羽留はそううたうように、ひくくつぶやいて、そうっと口元に手を当てた。


Do you mean it makes cosmos?


そうね、トップ・シークレットかもね。聖書にも言うじゃない、“とき来りて神来る、秩序は地に満ちしなり、”“神がそのようにあるようにとのたまわれた。”“神に似せて、創られたーこの世と人とは。”違った?



ううん、そう一気に出てこないけど、そういう筋だと思うよ。

“はじめにロゴスがあった、それから日々が創られた、”みたいな感じだよね。このロゴスって、言葉であり、理性なんだよね。自然の中の摂理、というふうに私は解釈してるけど・・


紀久はそういった。うんうん、と羽留もすこしつられてわらった。


自然界の中の数である正序数の世界も、そういった、神の秩序に似せて作られたものじゃないかなって思うの。だからこそ、被造物であるわたくしたちは、数とか世界を美しく感じれるんじゃないかなって。


神に似せて作られたから?世界が?


わたしたちもね。


もしそうなら・・


なんで、苦しみとかあるのかなって思うの。

羽留はふうっと吐息をついた。


Torture…


そうね。なんでそんな、無用の苦しみ、果てのない夢幻のループがこの世に存在するのかしら?生きて生まれること自体が無限の無間地獄よね。


Hell on earth…


そうよね。ループ関数が無限に回っているの。今の私の人生みたい。


フォークでつついていた、しろくてちいさな、レイヤーのチーズケーキをほおばる手を止めつつ、羽留はほうっとほおづえをつく。



ほおづえつくと、あごがかたむいて、顎関節症になるからよしなよ、と思いつつ、紀久はいいかけてやめた。なにかだいじなことを、彼女の口がはなしかけていた。


今手がけているプロジェクトがあるんだけどね・・

羽留の手つきがぴたりと止まる。フォークの先をこつん、とお皿の上に置いた。



サルベージしきれるか未知数だしやってみないと分からないけど、過去に何度も失敗して、そのたびにプロジェクトは要因を失っているのね。サーチしてみたら、わたしはその機動要員の資格が十分にあるわけ。むしろ適役かな。ダークホースが潜んでたみたいでね。ただ、私も・・救いきれるか保証はできないし、もしかしたら数年後、異国の土地で冷たいな亡骸になってるかもしれない。でもやってみる価値はあるよね。目の前で苦しんでいる、同胞―がいて救えないでいるよりは。



そういってきれいな目を彼女は伏せた。



同胞といったか、同僚といったか。

ただひとついえることは、


紀久と羽留とは、十数年あけて逢っても、姉妹とまちがわれるほど(実際そういう場面は数回あった、一度なぞ、澄まして、彼女は、紀久と見比べれられて、“ごきょうだいですか?”ときかれて、“はい、そうです、”といっているから、聴いているこちらが肝を冷やした。そんなにも似ているだろうか、姉妹のように。-同胞ではあるのだろうが。


その時はつゆほども考えなかった、もしかして、-ここにいる人を差しているのかもしれないなどと。


いや、そう考えるのはよそう。



目の前で親しいひとの可能性が摘み取られていると感じると、心苦しいのよね。


いつになく熱いせりふを(いな、感情的か、)彼女は言って、口元をハンケチで拭った。

紀久はティラミスをあがっていたが、その濃厚な味はのどを通らなかった。




いつかのために、よく覚えておかなければならない、もしかするとまた、はるちゃんとずっと逢えなくなるかもしれない、と。





もしも連絡つかなくなったら、共同墓地に来てね。どこかに、墓石が置いてあるから・・




なにげに不吉なことを言って、彼女はいいやんだ。そして、ほんのひとことだけ、ぽつりといった。


・・それが神の思し召しなら。




何が神の思し召しなんだかと思う。

はるちゃんやりょうちゃんや、ともやさんを遠ざけて逢えなくして、ずっと苦しめてきているのが神なら、そんな神なんて神様をやめちまえと思う。



バイブルだけは手元に置いておきたいの。・・わかるわよね?



いうか言わないかのかすかな声で、彼女がそうつぶやいたように思った。いわずとも、ひとつの光景がうかぶ。二人の間で暗黙の裡に浮かぶ聖書は、バイリンガルの聖書でしかありえない。


旅先のホテルで一人の夜、バイブルの英字を追って夜を明かしたのは紀久の大事な記憶だ。誰にも明かしたことはない。


しかし、羽留は、そうしたちいさな、感覚の一つ一つを、理論的にそして丁寧に、つむいでひろげてみせるー特異点というものが人間に存在するなら、存在の仕方は違っても、多分同じ特異点を特徴とするグラフのようになったのではないかと、こんなこわれたうたいかたーでしかもううたえないが、紀久のもとに遺された音符はもうかすかで、プロファイリングをしようにもかすかすぎる。





そうしたこまかな偶然の一致点―おたがいにだいじなものーを、暗黙の了承として、とくにことわらずとも、お互いに興味のあるものとしてつねに話題の俎上にのぼらせてきた同胞が、沈黙を守っているのは実はとても痛いことだ。



なにもいわず、またかつてのように、ハイ!と笑って再会できるとよいのだが。



羽留、そのあでやかさにあずかりたくとも、そのしとやかさにあやかりたくとも、本来本の虫のマイペース派だった紀久は従姉として出会えたこと自体が奇跡だった。いつも熱心に数学か英語を勉強していたし、ちからつきてもお弁当を食べにいくことは、いつも決まった時刻―おひるをとうにすぎるまでーになるまでなかった。思い切って、その頑張り屋さんの背中に声をかけた。

良かったらお昼、ごいっしょしませんか。すごくいま疲れていらっしゃるようにお見かけするので。

めざめて顔を起こした羽留は、うっすらとわらって、手元のお弁当包みを引き寄せた。すべては、神が定めたもうたー運命のように思えた。


いつもひとりで行動している羽留、そして紀久。

その時だけは違った。



運命―の歯車が回り始めたのだろう、そのことにだれも気付かなかった。


ええ、いきましょう、と彼女は気さくに笑っていった。


そうして手を差し伸べてーそのほそいゆびに、かすかな力を込めて、けなげにそっと囁いた、さあ、と。



(第三部終わり)


もっとバッハとか、音楽のこととか盛り込みたかったのですが、紙面が尽きてしまいました。秩序の話題にフォーカスしたつもりです。すこしわかりにくい構成になってしまい、すみません。。

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