滲む空
紀久の臨む窓からは、今朝の空はやや重かった。
くっきり晴れたり、雪催いになった昨今にくらべれば、創作向けというか落ち着いた空なのだが、多少のやりきれなさは残っていた。
四十の齢ももうすぐすこし増える。髪にたまにしろいものが一本のぞくと、否が応でも歳を感じさせられる。それはそのまま、紀久や智也や律がすごしてきた季節なのだった。そう、いやがうえにでも感じさせられる。
今日はデスクワークのおともに、ズービン・メータ指揮のウィーンフィルで、ラン・ランの奏でるショパンのピアノコンツェルト第一番Op.11 ホ短調をかけている。
第一楽章が一番好きだが、奏でるのは相当難しい。
完走するのに相当覚悟が要る曲である。というか、まだまともに完走できてないが・・
第三楽章は難しすぎるのでおいておいて、すぐ弾ける(練習程度)のは第二楽章、アクロバットのある第一楽章は、さいしょのきかせどころまでなら週に何度か。
・・を目安に練習しているが、気が長く保てないと進歩に愕然とする。
でも、ちいさなステップ、ここのゆびの運びが一か所スムーズになったとか、個々の音の出し方が綺麗になったとか、いままでにない音色でうっとりと弾けたとか、こうかくとすでにナルシシズムであるが、(あとマゾヒズムも入ってそうである、)たまに、のだめカンタービレの千秋先輩とならんでひくラフマのコンツェルトで悠々と弾くのだめさんがまぶたにうつっているのであるが・・
紀久のピアノはまだ聞けるものではないが、最近はいくぶん、音色も整って、リズムもたまにしっかりしている。日常に聞いてもらってもよい程度かもしれない。たぶん、お掃除ソングにはなるだろうと思いつつ・・母がじっさい、窓を拭いたりドアを直したりいろいろ聞きながら家のメンテをしてるそうだが・・(弾いててきこえない。)
メータはもとイスラエル響の指揮者(コンダクタというそうだが、まあ、偉大なる、をつけたほうがよかろう。)もちろん、マエストロといったほうが適切なのだろう。去年化一昨年あたりもたしか、ウィーンフィルのスプリングコンサートを振っていた。あれはあれで味があるのだが、やや地味めな感じもする。もともと地味めな人柄の紀久には、気にならないのだが。
ところで、紀久にはおないどしの従姉の羽留がいる。
ならんでいると姉妹に見えるそうだ。
羽留のほうが綺麗で、品があって、優美で美しいなあ。
と若いころはそうよく思った。
南に来たのも、羽留のすすめがあったからで、智也とはなしていたりしても、ふと、ここに羽留がいたらきっと彼も胸キュンで消えてしまうんだろうな、といつも不安がよぎったりした。
羽留には智也を取られたくない、と、あわせてもいないふたりをならべたりもした。
羽留はみずがめ座の紀久とちがい、火の性とかいうしし座の生れである。
冬や雪を好んでいた引っ込み思案の紀久と違い、ミニスカートやシフォンスカートも履くし、女らしいしとやかさでは仲間内で秀でていた。
はるちゃんにはかなわないね、女の子らしさ。
きえゆくようにはかなげに笑う羽留。精神は男前だった紀久。
いまもどちらを愛してくれるのかわからない。いつか、智也をあわせることになるならと思うと。
オリジナルが好きだ、なら、それははるちゃんだろうか。
きくは、まだオリジナルになれていないのだろうか。
ショパンが終わって、冬ソナのオルゴールが始まった。
この曇天の切れ間から今、うっすらと青い地の空の色が滲み出てきた。
綺麗な、泣きたくなるような空の色だ。
はるちゃんの持っていないものがあるとしたら、
この空みたいな、透明な涙なのかもしれない。
はるちゃんは努力家だ。
翻訳家としても一歩先を行っている。
まだ当分ライバルかもしれない。
でもまだ、あきらめきれない。
智也。あたたかい想いを届けてくれた人。
腕の中であたたかかった、ないてしまいたかった。すべてを預けることが出来たなら。
こだわりはとけて、この碧空のうすい光彩のように、いつしか微笑んでいる。
曲も明るい調子の旋律がながれている。
ふと微笑みをこぼして、あわててマグカップを手に取る。
それはもう十分、冷え切って冷たいのだけれど。
智也、律、羽留、みんな、紀久にとって、なくてはならないかただ。
そして智也。
どう過ごされているか知る由もないのだが、でも、きっとこの音色は届くと思う。
―晴れ間が今のぞいたね。ずっと続いていくよね。
今までの歩みが、やり直しにずっとなっていたのなら、そのまま、あの時からやり直したく思っている。
―そんなのもう傍迷惑だよと彼はすこしきまり悪げに笑うかもしれないけれど。
でもまんざらでもない顔をまた見せて、―まあ、きくちゃんの想いきりの悪さは知ってるからね。
一生付き合ってあげるよ、その旅。
なんだっけ、探し物の旅?
もう見つかったの、あれ、それって僕?
いやだなあ、何年かかって探してるの?
・・とかたわいない繰り言を述べてる様がなぜか浮かぶ。
現実はどうなのか、きっともっとシビアなのだろうが。
智也のくれた愛と、羽留、律のくれた音楽の思い出と友情とで、
何とか生きてこれた。
ほかのかたがたにもお世話になっている。
そろそろご恩を返せなければ、と思う。
かつて一番、苦手だったのが、地道なアップロード(更新)だったので、-知識でも、近況の報告でもー最近はすこしでも近づこうと頑張っているつもりの紀久である。
まだ息切れはしていない。あの夕陽の丘まで駆け上がろう。
桜並木はもう花が付き始めているだろうか。もうすぐ満開になるころだったか。
懐かしい地へ、なぜか心が騒ぐ、冬のとある青空の差し込む午後である。
第二部 続く
羽留ちゃんがあらたに登場しました。書かないでシンプルに過ごそうと思ってたのですけど・・。すこしくややこしくなったかな。今日はうってつけの曇り日で、一気に書き上げました。少し期待の含みを持たせつつ・・次回に続きます^^