雨もよいの朝
しずかな朝は、無音で始まる。
カーテンを開けると、こまかな小糠雨がガラスに点描を打ち付けていた。
紀久はゆっくりとベッドから起き、朝の光を斜めに見上げる。不透明の空模様だが、冬の雨にしてはあたたかい。ほっとしてスリッパを履き、パソコンを立ち上げる。
いつもサイドのテーブルに置いてあるティーセットに置き水をそそぎ、朝のコーヒーを作り始める。インスタントの粉をえらぶだけだから時間はかかりはしない。今日はアーモンドココアを一、二杯いただこうか。昨晩書き付けた、メモのリングノートをひもといてざっと今日の予定を立てる。いつものSNS,英語の話題はかわりなし。*さん、医学英語について質問。朝のうちに返答可なり。
朝ご飯は食べられるときと、入らない時とある。入らない時は、作業をし続けてあっという間に午後になる。午後も動画のカフェミュージックや洋楽をかけて過ごすから、そんなにおなかはすかない。
お昼の時刻に、ゆで麺をアレンジしたお手軽パスターもみのりだったりかつおぶしだったりしそゆかりだったり、ソースアレンジも和風マヨやだしベースや醤油などあるが、ーとにかくオール炭水化物であって、プラス血液を浄化するいくつかのトッピング、青紫蘇、ねぎ、すりごま、あるいは整腸作用を期待してのオイルなど、一部工夫してメリハリをこれでもつけて胃に負担のない食事を楽しむ。
うまいものにこだわって、いのちをはやめるのはいかがと思うから、とくに美味しくもないが血液学的に良いと思われるのを独断で取り入れて、ひとり分の食事としている。
それで納得して、多少でもうまいと思える自分がうれしい。
ただし、もしも好きな人がそばにいでもしたら、大変遺憾であろう。感動しない食事だ。自分ではこれでよいと納得しているが、彼が、納得しそうにない栄養価だ。
野菜がないだろ。野菜は毎食摂らないと。
彼がいたらきっと言っていた。あやまりたいがどうしようもない。
五色の食事なんて考えられない。白、茶色、ベージュ、あとはすこしだけ黒があればよい。
そんな食事が、執筆、あるいは作業―調べものだったり確認作業だったりーのあいだにはさまれている。
むかしから作業効率優先でいたから苦にならない。
去年の暮あたりから、紀久は大学時代の勉強ペースをとりもどして、ひとりの居室を調えながら暮らしている。ネットで学ぶ素材はいくらでもあるから、焦点を絞って、勉強法をつかんだら、さっそく実践していく積み重ねだった。それが今は軌道に乗りつつある。
数年前まで書いていた日本語の小説も、すこしは乗り気になってきた。
もともと堅めの、硬質な文章を好んだ。理系で硬派な社会系の知識をもちわせているなかのいる、居場所は今までもそうなかったから、ひとりで問題を考え、解答をひねりだす、ブレインストーミングには慣れている。
自分の生活は、のぞまずに、ノマド的になった。のぞむというより、それしかできず、それしか社会とつながるすべがなかったのだ。
ウィンドウというちいさな窓に、自分の想いをうつす。
英語の切り口。教育者というにはまだ浅すぎ、評論をするには非才すぎる。
この歳になり、すこしだけ吹っ切れた。
お賽銭を抛り込みながら、ふと思った。
“自分ももう、自分のもともとやりたかったことをして生きるしか道はないかもしれない。そうでしか、もう人生の道は残されていない気がする”
愛すべき人はとうに去り、もう家庭をあたたかく持っているだろう。
そういうあたたかさはのぞむべくもない。
愛よりも学問を選んだ、当然の罰だろう。
学問的な怜悧さ、理性を紀久は女だてらにのぞむ。
彼は家庭的な女性を愛している。
それはわたしであったはずはないから。
朝のココアはとうにできていて、木製のちいさなスプーンを紀久はおもちゃにする。
ピアノの曲集をかけていると、やりきれない想いもすこしはほぐれる。
彼。来栖智也。
Wisdomって、女神アテナの冠称なんだけど、それをきくと、Mather Maryをなぜかおもいだすの。
なんで?
なぜかな、アテナと聖母マリアってなんかにてるね。
あるときはまた。
こないだ、レジのおばさんと話してたけど何を話してたの?
新入生のもらった雑誌に、カフェのおばさんの写真が載っていますといったら、ぜひ読ませてほしいって頼まれて。智也さんのときは、そんな雑誌なかったですか?
なかったよ。ていうか、そんな気の利いた冊子を自治会が創るなんてありえない。
ありえない?
ありえない、ありえない。
カラオケ店で、
どんなお酒を飲まれます?
僕はいつものビールか酎ハイで。きみは?
いちばんうすいの。この可愛い缶は何?
ピーチフィズだね。あまいよ。
これがいいな。
そういう、たわいないことで、とてもだいじなことをはなせた間柄の友人は、出会って数年のうちに消え失せた。
勉強ばかりしている偏屈者は相手にされないがよろしい。たまに遊びに出ると、すごく変な目で見られる。なにもしてなくても、異常事態だ、何かあったと思われる。智也も、金曜日の夜はアパートにはいつもいなかった。その夜は電話をしないのがお互いの暗黙のルールになっていた。
一度だけ、電話をした。学部の同期の飲み会で、どうしても、智也の声を聴いて安心して眠りたかった。寮に紀久は戻っていた。しかし、あとで留守録をきいた智也は、猜疑の目をかくしはしなかった。
レポートの大量の山に忙殺されていた紀久は、この殺人的な量がわかれば、と思いながら、いいわけをもしずにいた。
いつしかふたりは疎遠になった。いくつかの、心休まるエピソードを抱いたまま、二度と彼は戻ることはなかったのだ。
いくつかのネット上のレポートを順繰りに読み、英語力がもう少しあればと思いつつ、メモをし畳んでいく。
デスクが機能的に使えるようになったのは有難い。一台はパソコンなどの作業用、一台はブロックメモ、ファイリングノートなどを広げる補助用だ。
作業の形が定まってきてから、徐々に、できることも進化してきた。
外枠をつくると、けっこうなかみは工夫を凝らしやすい。
見やすいレイアウトにすると、アイデアが浮かぶのと、似てるのか似てないのか。
智也のことはさておき、ピアノの音色に身をゆだねる。
智也とだぶるひとつの背。
律は最後の夜に、音楽の話をしていった。
長い夜に。
どちらとももう会えない。逢うことはもうない。
これはそんな、ふたり、いな、三人の物語です。
方向性は定まっていますが、詳しい書き込みはこれから作ってまいりたいと思います。久々の創作(日本語)なので、お見苦しいかと思います。英語でこれまで小説を書いてまいりましたが、なかなか芽が出ず、なじんだ日本語に戻った参った所存です。慣れない言葉つき、お許しください。すこしずつ調子を取り戻してまいりたいです。