第一部第二話:今生の家族の肖像その壱と祖父の暴走その弐
「―― では、美味い酒を造るのだぞ、イートよぉっ!!!」
と、デリシャスお祖父様にグルメ子爵領邸の庭へと連れ出された俺は、神法の発動の補助をするであろう大仰な杖を手渡されてそんな事を言われた。
「……いえ、あの、お祖父様、こんな杖を渡されて私にどうしろと?」
「それは、食神の神子たるお前ならば杖で地面を突くだけで極上の美味なる酒の泉が湧いたりするのじゃろう? いや~、神子の御力とは畏ろしくも素晴らしい物じゃのう~」
「……お祖父様、期待に沿えず申し訳ありませんが、杖で地面を突くだけで酒を湧かす事なんで流石に出来ませんよ」
「ぬぅあぁにぃっ!!? …………そ、そうか……そうなのか……そうなんじゃなぁ~」
俺の言葉に、ズーンと言う擬音が背後に見えるくらいに落ち込むデリシャスお祖父様。更にそうかで俯き、そうなのかで膝を付き、そうなんじゃなで四つん這いになってと芸の細かい落ち込みようだ。
「……流石に落ち込みすぎだろう」
「アッハッハッハ、相変わらず酒の事になるとデリシャス様は人が変わるねぇ」
「あれさえなければ非の打ち所が……無い訳ではありませんわね」
そんなお祖父様を俺と一緒に見ている人が3人いる。俺の母方の祖父であるロサンジ・フーズ、母方の祖母であるサヴィラ・フーズ、父方の祖母であるプリア・グルメだ。ロサンジ祖父様は短髪で長身痩躯の精悍な空気を持つ人で、サヴィラ祖母様は明るい赤毛に恰幅の良い田舎の肝っ玉母ちゃんと言った風情、プリアお祖母様は意外に毒を吐いているが落ち着いた雰囲気を持つ貴婦人である。
「それで、イート。お前はどのように酒を造れるのだ?」
落ち込むデリシャスお祖父様の代わりのようにロサンジ祖父様がそう訊いてきた。
「普通に原料を醸造して造ります。ただ、様々な酒の製法等が解っているのと酒造りに関われば品質が最高の物が出来上がるのが神子の力のようです。ところで、グルメ子爵領、いえ帝国ではどういった酒が飲まれているのですか?」
「帝国で流通しているのはエールの他、ワインやシードルと言った果実酒が多い。蜂蜜酒などはたまに見るな。蒸留酒と言うのがあると伝え聞いた事があるが、実物を見たことはない」
「なるほど、蒸留酒は一般的ではないのですね」
「食神の恩寵」により与えられる知識によると、「地球」で蒸留酒が発明されたのが10世紀以前とされており11世紀頃はまだ一部の地域に存在していただけで一般的に普及した物ではなかったらしい。
何故そんな知識を参照したのかと言えば、統一暦1000年の「ジ・アース」の文化は「地球」の西暦1000年頃のそれに近いからだ。と言うか「ジ・アース」は「地球」のパラレルワールド的な世界と推測される。実はこの世界の詳細な世界地図が既に存在している。「神子王」の偉業の一つだ。その地図を見ると違いはいくつか有るが、大陸の数や形が「地球」とほとんど同じなのだ。
違いはアフリカ大陸がスエズで切り離されて南下しつつ、アフリカ大陸と南米大陸を隔てる大西洋の中間辺りでアフリカ大陸の最西端と南米大陸の最東端が地続きになっており、当然それに合わせて北米大陸もヨーロッパへと寄っている事、グレートブリテン島とアイルランドが一つとなりドーバー海峡も地続きとなり巨大な半島と化している事、グリーンランドが南下してアイスランドを吸収し、接近した北米大陸と半島化したイギリスをほぼ繋げた状態になっている事である。
それ以外にも植生も「地球」と変わりないようだし、月もある。違いは確かに有るが俺の前世が過ごした「地球」と似て非なる地球なのだという推測に自分としては納得できるのだ。ちなみに、今俺たちの居るグルメ子爵領は現代地球で言うとスペイン南部辺りに在る。
「では、まずはエールを造ってみます。それでどうですか、お祖父様?」
「………おぉっ、エールか? 良い、良い、美味いエールを造るのじゃぞ、イートよ。では、醸造所に行こうかの」
若干テンションは落ちたものの正気を取り戻したお祖父様と祖父様と一緒に、グルメ子爵領邸の近くにある子爵家お抱えの醸造所に行くことになった。
「――― それは命令ですかい、先代様?」
当然、いきなり連れて来た3歳児にエールを造らせろと言われたら、職人だって反発したくなる。老年の職人モルツ氏が渋い顔になるのも無理は無い。とは言え醸造所への道すがら、祖父様にお祖父様が帝国貴族の間で「酒狂い」「美味い酒を知りたいならグルメ子爵に訊け」等と言われている事を聞かされていたので、平民であるモルツ氏が折れる事になるだろうと思っていたらやっぱりそうなった。
「坊ちゃんにグルートが扱えるとは思えねぇがな」
お祖父様に促されて醸造所の中を見て回る俺に、モルツ氏がそうこぼした。グルートとはハーブや香辛料を混ぜた香味料とも言うべき物で、ホップを使う以前にビールの味付けと防腐剤代わりに使われていた。複雑な調合が必要で、その調合のレシピは醸造家の命と言えるし、使いこなすには長年の経験や勘が要るだろう。
「お祖父様、祖父様と外に出ても良いですか? 欲しい物がありますので」
「良いぞ。お前の思うとおりにすると良い。ロサンジ、イートを頼むぞ」
「承った。行くか、イートよ」
「はい、祖父様」
しかし、「食神の恩寵」が有る俺は彼らと同じ土俵に立つ必要が無いのだ。祖父様と共にグルメ子爵家領都「グルメピア」の商店を巡ると、探し物が見つかった。薬草の一種として出回っていたのだ。俺の探し物、それはホップ、もっと言えばホップの雌株に咲く球花の中にある黄金色の粉状の物質「ルプリン」だ。
「よし、これで準備は出来ました。戻りましょう、祖父様」
必要量のルプリンを確保した俺は祖父様と共に醸造所に戻る。そして、エールの作成に入る。ここで3歳児の俺にそんな作業が出来るはずが無いと思うだろう。しかし、俺は神子なのだ。食神のだが。神子として「神法」を使えば作業は問題無く行えると自覚している。
そう、「ジ・アース」には「神法」と呼ばれる魔法の如き力がある。ただ人族の神法は「神子王」により体系化されているのだが、主に戦闘用として確立している。その理由には邪神が関わっている。神話の中で討ち倒されたとされる邪神であるが、死の間際に「ジ・アース」へ呪いを残した。その呪いに塗れた邪気が地の底に堕ちたとされる邪神の死体から漏れ出し、生ける物を侵して「モンスター」へ変えるとされている。
「モンスター」は「ジ・アース」に生きる物全ての敵である。その力は凶悪で「神子王」が顕れるまで人族はろくに対抗できずにいたが、「神子王」が神法を戦いの力として体系化、確立する事で「モンスター」と渡り合えるようになる。しかし、そのせいか人族の使う神法はRPGゲームの魔法に代表されるような戦闘特化な物になってしまったのだ。
とは言え神子である俺は、普通の人族の括りに入らず神法をかなり自由自在に使えるようで、神法を様々に応用しながら作業を行っていく。風と地の神法を活用して大麦麦芽を粉砕したり、水と火の神法を活用して麦汁用の適温の温水を作ったり。
『は、ははぁ―――、み、神子様ぁっ―――っ!!!』
ただ調子に乗り過ぎて、モルツ氏を始めとした職人たちに土下座で平伏されてしまったが。俺の不在の間にお祖父様が俺が神子である事を職人たちに伝えたらしい。まあ、おかけでこの後の作業を積極的に手伝ってくれたので助かった。神子の、ひいては神の威光って凄いね!
「――― それでこれが出来上がったエールなのじゃな」
それから1週間後、食神の神子謹製エールが出来上がった。材料である大麦とホップは在来の物を使用しているものの、水とエールビール酵母は「食神の恩寵」を使って手を入れている。水は硬度とph(水素イオン指数)をエールの醸造に合う様に調節して、エールビール酵母は既存の酵母を現代地球の研究の進んだ最適な酵母に培養し直した。その上で火と風と水の神法を活用して、醸造中の温度・湿度管理を徹底したのだ。現代地球の最高品質には大麦とホップの品質で及ばないが、現状の最高品質である事は間違いない。
「……くっ、くはぁぁぁ~~~っ!!! うっ、美っ味ぁぁぁいっ!!! 芳醇な香りに深いコク、果実のような甘みを爽やかな苦味が引きしめておる。エールでありながらエールを超えた、まさにスゥゥゥパァァァ、エェェェルじゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「……美味いのは判るが興奮し過ぎだろう」
「み、神子様、このモルツめを弟子に、弟子にしてくださいませぇ~~~!!!」
なので、お祖父様たちには満足してもらえた。テンションが激しかったけど。そして話は次の酒造り、お祖父様の熱望する蒸留酒造りへと移ったのだが。
「………つまり、蒸留器とやらを造るには時間が掛かるのか?」
「ええ。人族の金属加工技術からすれば年単位の開発期間が必要になると思います」
「食神の恩寵」で蒸留器の詳細な知識は得られるものの、蒸留器自体は食品ではないので製作に補正が全く掛からない。子爵領内の腕利きと言われる鍛冶工房も蒸留器の概要を聞いて、開発の困難さを認めている。
「………良し、分かったっ!! 儂が行ってくる!! ロサンジ、留守は任せるぞっ!! 誰か、儂の馬を曳けいっ!!」
そう言って、馬に乗りどこかへ行ってしまうお祖父様。慌ててそのお祖父様の後を追うグルメ子爵領の私兵団。その様子を呆気に取られて見送る俺と頭痛を堪える様に額を押さえる祖父様が取り残されるのだった。
それから1ヶ月後、お祖父様が帰ってきた。200人位の、俺が初めて見る異種族を引き連れて。
「イートよぉぉっ、ドワーフたちを連れて来たぞぉぉっ!! これで、蒸留酒がっ、造れるぞぉぉぉっ!!!」
お祖父様が「酒狂い」と噂される理由が実感を伴って解った瞬間であった。