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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
93/138

九十二.

「まずは、我々の居る(ところ)だな」

 示された許に蓮が(うなず)く。

主公(との)の郷里は沛国(ショウ)県。そして(ラク)陽がここ。解るか? どちらも許からは街道一本。主公がこの地へ拠点を置かれた理由は様々あるが、地の利によるところが大きい」

 雒陽から東南へ街道を下ると許の地があり、そこからさらに東へ行くと譙。地方豪族である曹一族の本拠地となる。

「ちなみに(わし)はな、ここ東阿の出だ」

「誰も仲徳殿の郷里など訊いておりませんぞ」

「むむ?」

 その様子にひとつ笑い、蓮は嘉を見上げた。

「奉孝か? 奉孝は陽(テキ)だったな。この公達や文若殿は潁陰県。みな潁川の者だな」

 都とも便が良く、複数の街道が交わる潁川は、文化の交流地点という事もあり、(かね)てから賢者が多いと言われた土地である。ここ許県もまた、その潁川郡に属する。

 蓮はそこからほど近い、かつての都を指差した。

「そうか。蓮は都の子だな」

 この子が自ら語るのは珍しいと、周囲は妨げずに見守った。

 蓮の白い指はそのまま長安を指し、弘濃、安邑を辿(たど)り、雒陽へ戻った。

 そして、新都へと進む。

 自分の辿った長い旅路をようやく飲み込んだのだろう。少年は、(かお)を上げるとにこりと笑った。

 話を促すようなそれを受け、謀臣達は現在の勢力分布をひととおり説明してみせる。

 東の徐州に呂布。

 北の冀洲が袁紹。その奥、幽州は公孫(サン)

 西南には張繍があり、その向うの荊州には劉表。

 江東では孫策が勢力を伸ばしている――

 操が蓮に話してくれた通りであるが、地図を前に説明を受けるとより解り(やす)い。

 じっとそれを見つめながら話に聞き入っていた蓮は、やがて穰を指さした。

「そうだ。主公が兵を進めようとしているのはこの地だ」

 先の戦で張繍を滅ぼすまでは至らなかったが、それを討つのを諦めたわけではない。

 再び君は兵を起こそうとしていた。

 急ぐ理由がある。

 最大の勢力を持つ袁紹が、公孫瓚への攻撃を進めていた。

 彼らの争いは今に始まったことではないが、どうやら袁紹側に本腰を入れた気配が(うかが)える。河北平定を目指すという事は、天下を狙う目論見有と見なければならない。

 公孫瓚とてこの戦乱に一勢力を築いた男である。堀を巡らせ要害を築くかの地を攻め落とすには、それなりの時間と動力が必要となるだろう。

 だが、北に憂いがなくなれば、袁紹の目は間違いなく許へと向けられる。

 ただでさえ兵力に差があるのだ。袁紹とぶつかる前に、前後の敵を始末しておく必要があった。

 許の東には猛将呂布が在る。軍神(いくさがみ)たるこの将と腰を据えて戦うには、張繍を叩いて置かなければならない。それは同時に、張繍と同盟を結ぶ劉表への牽制でもあった。

 戦とは、こうして何手も先の事を考えて行うものなのか……

 蓮は、彼らの話に驚きを隠せなかった。


「子供に、そう戦の話ばかりなさるのも……」

 遠巻きにその()り取りを眺めていた荀文若が、ためらいを見せながらも見かねた様子で口を挟んだ。

 戦の話をするより先に、教えてやるべきことは山程あるはずだ。

 彼のその気遣いは、至極まっとうである。

「子供、子供と言うが、蓮は冠を着けてもおかしくない歳だろう」

 なあ? と同意を求められ、蓮は戸惑う。

「愛らしい稚児姿を主公が惜しんでおられるのさ」

 笑う彼らに嘉はまずいなと思う。

 蓮の元服には様々な問題が絡んで来る。一人前の大人として独り立ちするからには、それなりの生活基盤が用意されると考えられるからだ。

 人相見が貧困と飢え苦しむと見立てた(トウ)通を案じ、銅山を与えた文帝。

 愛する董賢を高位に据えただけでなく、死に際してその御璽(ぎょじ)まで託した哀帝。

 そこまでの事をする君ではないのは誰もが解っていたが、それでもかなりの禄を与えるのではないか、あるいは然るべき位に就けるのではないかと、気に懸けている者も多かった。

 寵愛も一時のきまぐれと、美童もトウが立てば捨てられるものだと高を括っている連中も、ある意味正念場とばかりにその成り行きを見守っている。

 君もそれが解っているのだろう。人知れず思案を重ねている事も、嘉は察していた。

「蓮、何を見ている」

 地図に視線を落とす傍らに、嘉が(かが)みこんだ。

 蓮の指がそっとそれを示す。

「ああ、そこは海だよ」

 驚いて、蓮が貌を上げた。

 ここは?

 ここも?

「うん。全部海だ」

『河は?』

 刻まれた文字に、すっと彼の指が地図をなぞる。

 安邑と雒陽の間にあるそれを、実際に蓮は船で渡った。

 あの、広い広い河がこれで、海と謂うものはこれほど大きいのか……

 その広大さに、蓮は気が遠のく思いだった。

 海不厭深。

 詩の一節に、海とは何かと操に尋ねた。

 すると、河の水がどんどん流れて行くと海に注ぐのだと教えてくれた。

 あんなにたくさんの水が流れても(あふ)れないのかと不思議に思う蓮に、操はそれもそうだな。と笑った。

「海とは、幾筋もの河が注いでも溢れぬほど広大なものなのだ」

 それを、巨大な水溜りくらいにしか思い描けなかった蓮は、想像の限界を超えて固まった。

 そんな蓮を操は笑い、一緒に見に行こうと抱き締めてくれた。

 そうか。あの河の果てには、こんなに広くて大きなものがあったのか……

 ずっとその先に何があるのだろうと思っていた。叶うなら、いつか見てみたいと、まだ見ぬそれに思いを()せ、そっと指先で地図の海を辿る。

「ううむ。ここはやはり呂布を破って徐州を()るのが近道か。どうするよ、奉孝」

「は?」

 腕を組む程仲徳の横で、荀公達もしきりに首を(ひね)っては何やら思い巡らせていた。

 嘉はその様子におかしくなって笑う。

 蓮に海を見せてやりたい。その思いは、皆一緒のようだった。

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