八十九.
蓮はそれに併せて弓を引きながら、しみじみと染み込んで来る大好きな詩に聞き入った。
人生とは朝露の如し。
拭い切れない憂いを払うのは、ただ酒のみだ。
詩の冒頭に含まれる深い哀しみに、操は誰か大切な人を失ったのだろうかと思った。
古い恋の詩を引用して、キミ達のような才能ある者を迎えたいと若い書生達に呼び掛けるくだりは、まさに恋人を待ち焦がれるかのように情熱的でさえある。
そして、蓮はこの後が大好きだった。
“手に取る事が叶わぬ月の光のように、あなたをいつになったら迎えられるのかと憂いていた。ところがあなたのほうから遠い道を厭わず訪ねてくれた。こんなに嬉しいことはない。酒を酌み交わし、おおいに語り合おうではないか”
そして、かつての――
おそらくは、失った人との誼みを思い、新たに訪れたその人との縁が同じように続く予感と願いとを、詩は奥に秘めていた。
明明如月。
操がそう表現した人が誰なのか、蓮はちゃんと知っている。
真っ暗な夜とも思える迷いや苦しみの中でも足元を照らし、その先の道を示し導く。
彼は、操にとってまさにそんな人なのだろう。
その後詩は、カササギが枝を巡り飛ぶ様を描きながら、仕える主人を捜している世の賢人達に呼び掛ける。
食事を中断してでも人に会い、重く用いたと云う周公旦の故事を引き合いに、自分も彼のように諸君らを迎えるだろうと述べているのだ。
これは、広く逸材を求める彼の、人材募集の詩なのである。
山は高いほど良い。
海も深いほど良い。
その突き抜けるような大きさが操らしい。
余談だが、これは後に布告される求賢令に繋がって行く。
“泥棒でも親不孝でもかまわない。但才のみこれを挙げよ”
貪欲に人材を求め、才能を愛した彼は後にそう発するのだが、それはまだまだ先の話である。