八十三.
兵士達の凱帰は、年が明けて間もなくの事だった。
どこか彩りを失った正月を迎えていた都は、一気にその華やぎを取り戻したかのように歓喜に沸いた。
いかな勝ち戦でも犠牲者の出ぬ事はない。
新しい年を涙で迎えた者もあり、また、決して人々が豊かとは言えないこの乱世の為政者として、操は祝い事に対しても極倹しい。
それでも、なんだかんだと躰が空かず、すぐにでも飛んで行きたかった寮へもなかなか足を向けられなかった。
ようやく時間の取れた操は、いつもよりもどかしい思いで寮を訪ねたのだが、駆け出して飛び着いて来ると思った蓮は意外に平静で、にこにこと操を迎えた。
お帰りなさい。
そう脣で告げ、すらりと腕を伸ばす。
愛らしい歓迎を受けながら、操は少々物足りなさもまた感じて蓮を強く抱き締めた。
その傍らに、何やら浮かれたような声が響く。
寮の者達である。
「何を立ち騒いでおる」
『彼らは操がいつ来るか賭けをしていた』
蓮は掌にそう記すと、くすくすと笑った。
いったい何をしているのやらと、操は呆れる思いである。
これも、祝いの季節ならではの娯楽なのだろうか?
「それで、誰が勝ったのだ」
「私が勝ちましたので蓮を肩に乗せまする」
「私は次点でしたので凧を揚げまする」
――はあ?
胸を張って応える彼らに、何の事やらと操は首を傾げた。
『蓮は凧がどんな物なのか知らないの』
それで、皆で揚げて見せようとなったのは想像出来たが、凧とは古くは祈祷、占いの道具であり、測量や通信の手段として軍事的にも利用される物だ。遊具としての認識はない。
『みんなとっても器用なの。蓮も手伝ったけど、とっても難しい』
「自分達で造ったと申すのか?」
「はい。いくつか試作いたしました。主公にもご覧いただきたく」
家人が畏まる。
後は主の許可だけということなのだろう。
その様子を眺めていた操は、良し。と膝を打った。
「おもしろい。揚げてみせよ」
わっと湧き上げる彼らと共に、蓮も嬉しそうにぱちぱちと手を叩いた。
「明日は晴れましょうから、きっとご覧に入れまする」
蓮は楽しみなのだろう。わくわくと胸を躍らせている。
何やら蓮の心を他に奪われたような気がして、操はおもしろくない気がしないでもない。
「なんだ。せっかく息せき切って訪ねたというに、待ち焦がれておったのは孤だけか?」
拗ねてみせる操に蓮が笑った。
家人らと笑みを交し合うのが不思議で、操は蓮へと掌を向ける。
『蓮は操が帰って来るのを見に行ったの』
「なんだと? どういう事だ?」
綴られた文字に、操はキツイ視線を家人達へと投げた。
一転、声音も堅い。
『怒ってはダメ。蓮が頼んだのよ』
蓮が彼らを庇うようにその間へと入る。
「孟徳様。蓮が今か今かと待っておるゆえ、皆が気を利かせて街までお連れ申したのだよ」
傍らに控えていた婆も、そう言い添えた。
咎めを受ける事を覚悟しているのだろう。家人達はしん…と頭を垂れていた。
『操はとっても凛凛しかった』
それを思い出すように、蓮はうっとりと瞳を閉じる。
『蓮は嬉しかったのよ?』
そう記して愛らしい貌で覗き込まれては、操は怒るに怒れない。
仕方なく溜め息をつき、苦言に止める。
「嬉しいのは良いが、護衛も整えずに出掛けては、万にひとつの事もある。今後行きたくば、孤に申せ」
蓮は素直に頷きながらも、文字を続ける。
『街はとても活気があって、みんな楽しそうだった。蓮は初めて見るものばかりでわくわくした』
「そうか。初めてか……」
操はそんな蓮をしばらく見つめていたが、やがて破顔した。
「まったく。そなたには敵わぬわ。その方らも蓮のわがままに付き合うて、大義であったの」
咎めどころか労いを受け、恐縮したのだろう。彼らはますます頭を垂れては縮こまった。
「うん。今後も蓮をよろしく頼む」
君主然としたその笑みが頼もしく映り、蓮もまた操の傍らで愛らしいそれを零した。