八十.
厚く立ち込めた雲の隙間から、透けるような陽の光が降り注いでいた。
灰色に澱んだ暗い冬の景色の中で、斜めに光を滲ませたその部分だけが幾分寒さを和らげる。
梢に停まっていた鳥が、光の帯を縫うように重たい空へと羽撃いた。
飛び立って行った細枝からさらさらと雪が零れ、仮宿の根元に小さな白い山を残した。
「見掛けぬ鳥だな」
背後に足を止めた男は、同じ景色を眺めていたのだろう。
飛び行く先を追うように嘉の横に並ぶと、心持ち身を乗り出して空へと視線を流した。
「名を知っているか?」
問いに、嘉は小さく首を振る。
「私が知っている鳥など、雀か烏くらいです。お尋ねになりませんように」
「まさか、それだけということもあるまい」
愉快そうに躰を揺すって君が笑った。
すこぶるご機嫌がよろしいらしい。
口元をほころばせながら、どんよりとした雲を見つめる。
「晴れるわけでもなさそうだな」
どうして、そんな明るい瞳でこの空を映せるのかと、嘉は、今にも降り出しそうな気配を寒々と見上げた。
「まだ降るでしょうか」
「何を思案しているかと思えば、雪の心配か?」
「そうは言っても、こう毎日寒くてはかないません」
「冬とは寒いものだろう」
この人らしい物言いで嘉をからかうと、にやりと視線を向ける。
「それに、冷え込む日もまた良いものだぞ。あれが寒がって甘える」
からからと楽しそうに笑いながら、君が踵を転じた。
――ホント、解り易い人だよな。
零れそうになる笑いをこらえながら、嘉もその後に続く。
寒さに託けて蓮に纏わり附いているのは、実は主公のほうだったりして……
その様がありありと想像出来て、再び笑いが込み上げる。
なんとなく、こちらのほうが有りそうな気がした。
のんびりとした足取りに随って入った公室には、すでに幾人かの謀臣達が集っていた。
挨拶を受けるその様子に君の上機嫌は一目瞭然で、程仲徳などはすぐさまにやついた笑いを浮かべる。
「本日はまた一段とご機嫌麗しく、まさに祝着至極にございますな」
少々意を含んだその物言いにも、君から返ったのは満面の笑みであった。
そこへ、荀文若が入って来た。帝の秘書官ともいえる重責にある彼は忙しい。
「遅くなりまして」
いつもの通り、身分の上下にかかわらず、集った者達と丁寧に挨拶を交わした後、ふと彧は君の傍らへと視線を止めた。
「蓮殿は?」
――それを訊くか?
おおよそを察して口を噤んでいた周囲が顔をひきつらせる。
思わず上がった制止の声にも、ひとり彼だけが、きょとんとしていた。
どうしてあれだけ頭が切れるのに、こういう事には疎いんだよ……
嘉も、くらくらと目眩のする思いだった。
「ん? 蓮か? あれはまだ夢の中で孤に抱かれておるよ」
そんな彧をからかうように、にやりと君が笑った。
ようやく意味を悟ったのだろう。さっと丹精な貌が蒼褪める。
ああ、もう……
嘉は思わず額を押さえた。
文若殿もどうかと思うが、主公も主公だ。相手がようよう蓮を受け入れているのを承知で、この仕打ちである。荒治療のつもりかもしれないが、これでは抵抗を募らせるだけではないのか。
そして、過敏な蓮がそれに傷つかねば良いのだが……
本気で頭が痛かった。
大方の者は素知らぬ振りを決め込んだ様子だが、程仲徳あたりはにやにやと無遠慮な視線を向け、拒絶するように顔を背ける当人との間で、荀公達がはらはらとそれを見守っていた。
それぞれの反応を愉しむように君は視線を巡らせていたが、やがて笑みを残したままのそれを開いた。
「皆を集めよ。これより軍議を行う」
はっとして嘉はおもてを上げた。
君と視線が合う。
嘉は一瞬のそれを受け止めると、他の臣共々、謹んで拝を取った。