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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
78/138

七十七.

 翌朝。

 目覚めた蓮は操ににこりと笑い掛けると、愛らしい(くちびる)で朝の挨拶を告げた。

 ひとつ接吻(くちづ)けを残した蓮は、操を置いたまま元気に牀を飛び出し、卓にあった鈴を取り上げてりんりんと鳴らす。人を呼べない蓮に不自由だろうと、婆が用意してくれた物だ。

「そなた。何を始めるのだ?」

 このまま抱こうか、湯殿に連れて行こうか。

 そんな矢先にするりと腕から抜けられて、操は少々ご機嫌斜めだ。

『一緒に府に帰ろう』

 仏頂面で座す操の(てのひら)に、蓮が文字を(つづ)った。

「ああ、心配しているのか。大丈夫だ。文若が(うま)くやっておる。しばらくゆっくりしよう」

 だが、蓮は首を振る。

『ダメだよ。みんな待ってるもの』

「そうか。ならば明日帰ろう。今日一日は良いであろう?』

 髪を絡め、引き寄せようとする腕を、蓮がそっと押し(とど)めた。

「冷たいではないか。(わし)はこれほどまでにそなたを想うておるに」

『嬉しいけど今はダメ。我慢してね』

 蓮は愛らしい仕草で操に腕を廻すと、なだめるつもりなのか、頬にひとつ接吻けを残した。

 たまらずに操は溜め息をつく。

 これではむしろ逆効果ではないかと、つれない想い人へ視線を送る。

「お目覚めかえ?」

 呼ばれた婆が室へと入って来た。

 蓮は操の(そば)から駆け寄ると、おはよう。と言葉を(かたち)取り、にこりと笑った。

『心配掛けてごめんなさい。そしてありがとう。蓮はもう大丈夫』

「……そうか、そうか。今日は良い朝だな」

 婆は少し驚いた様子だったが、嬉しそうに何度も(うなず)いて寄越した。

 その瞳が、少し、潤んでいた。

『蓮はおなかが空いたの』

「おお。それならすぐに整えような」

『ありがとう。それまでに湯へ行って来るね』

 蓮がぱたぱたと駆け出す。

「孟徳様、良かったのお……」

 元気な少年の姿に、婆の瞳から涙が(こぼ)れた。

「いかん、いかん。涙腺が緩い。歳のせいかの」

 慌ててそれを拭う。

「泣きたいのはこっちだ。いきなりそれはないだろう。この想いを、いったいどうしてくれるのだ」

 収まらないのは操だ。

 額に掌をあてたまま、ぶつくさと(つぶや)く。

「くそう。このまま湯殿に追ってくれようか」

 ぎろりとその先を(にら)みつける操に、思わず婆が笑いを零した。

「久々に()がれているお前様を見るのも、また良いものよな」

 笑われて操はますます()ねた。覚えていろよの心境だった。

「婆、しまったぞ。孤は蓮に足の事を訊くのを忘れた」

 突然話題が変わり、婆は驚く。

 が、同時に呆れて、笑いも漏れた。

 ――この方の頭の中は、いったいどうなっているのやら。

 子供のころから何かと手を焼かされて来たものだと、婆は懐かしく瞳を細めた。

「もういまさら良いじゃないか。あんな明るい(かお)して、良く脱したものよなあ。孟徳様は、たいしたお方よ」

「まだまだだよ、婆。蓮はやっとここから始まる。今少し、甘えさせてやってくれ」

「任せておくれ。婆は蓮には大甘だよ」

 凛と澄んだ冬の朝を僅かに暖めて、ふたりの笑みが行き交った。

「さあ、蓮に美味(うま)い物を(そろ)えてやらねば。あの子が自分から食事の催促だ。嬉しやのお」

 許に来た当初からすれば随分回復したものの、蓮は今でも食が細い。

 育ち盛りの身には到底足らぬと心配し、何かと気を配っている婆は嬉しくてならないのだろう。うきうきとした足取りで、いそいそと室を出て行く。

 婆よ。孤も腹を減らしておるのだが……

 ひとり残された操は、自分が忘れ去られているような気がして、やれやれと苦笑を落とすのだった。

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