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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
77/138

七十六.

「話疲れたであろう」

 触れられたくない深部に()れ、かつてないほどの感情の起伏に揺られたであろう蓮を操は気遣う。

「根を詰めずと行こう。(わし)はこの先もずっと蓮と共にある。ゆっくりとそなたの話を聞こう」

 今日一日で全てが解決すると思うほど、操は物事を甘く捕らえてはいない。

 蓮が本当の意味でそれらを過去のものとして越えて()くには、まだまだ多くの時間が()るだろう。

 (あせ)りが弊害を生む事は、経験上()っている。

 操は穏やかな口調を保ったまま、ゆったりと蓮の髪を撫でた。

「不安な時は甘えれば良い。(つら)ければ泣いてかまわぬ。そなたが心から納得出来るまで、何度でも話をしよう」

 自分にいつでもその用意がある事を言い聞かせ、操は蓮の瞳を(のぞ)き込む。

 まだ少し潤んだままの黒燿は、(きらめ)きながら(うなず)きを返した。

「もう休むか?」

 しんしんと更けている夜に刻限を思う。

 蓮は少し思案する様子を見せたが、やがて甘えるような仕草で操に指を絡めた。

 愛らしい(くちびる)(うた)(かたち)取る。

 どうやら歌ってくれとねだっているようだ。

『蓮が弦を弾く。操の詩が大好き』

 (つづ)られた言葉に操が破顔(わら)う。

 蓮はその笑みに了承を見たのだろう。嬉しそうに楽器を取りに立ち上がった。

 ――蓮はまだまだ孤の予想を越える。

 操の口元は、自然と笑みを含んでいた。

「何が良い?」

 戻って来た蓮に尋ねる。

 対酒。    

 蓮は脣で象取ると、少し音調を整え弓を引いた。


  対酒歌太平時    酒に(むか)いて太平の時を謳歌しよう

  吏不呼門      役人も取り立てに来ず

  王者賢且明     王者は賢明で

  宰相股肱皆忠良   臣も忠にあつく善良だ

  咸礼譲       みな礼譲をわきまえ

  民無所争訟     民が争訟(あらそ)う事もない 

  三年耕       三年も耕せば

  有九年儲      九年の(たくわ)えが出来

  倉穀満盈      倉の穀は満盈し

  斑白不負載     老人を負載させることもない

  雨沢如此      雨の恵みは()くの如きなれば

  百穀用成      豊かに穀物を実らせ

  劫走馬以糞其土田  軍馬は田の土を耕す

  爵公侯伯子男    人の上に立つ者は

  咸愛其明      みな其の明によって敬愛され

  以黜陟幽明     正しく明らかな人材の登用を行い

  子養有若父与兄   子を養う父や兄の(ごと)く人々を慈しむ

  犯礼法       法礼を犯すものは

  軽重随其刑     その軽重によって刑に(したが)

  路無拾遺之私    (みち)()ちている物を私の物とせず

  囹圄空虚      牢屋は空となり

  冬節不断人     罪人を処刑することもない

  耄耋皆得以寿終   老人は皆長寿を全うし

  恩沢広及草木昆虫  恩恵は広く草木や昆虫にまで及ぶ


 蓮は楽を奏でながら操と一緒に(うた)った。

 声は出ていないが、脣の動きはかなり正確になっている。

 ――きっと蓮は愛らしい声で歌うのだろうな。

 操はそんな蓮を見ていると、まだ聞けぬその声をいつも思った。

『本当に、こんな世の中になると良いね』

 潤ませていた瞳から涙を(こぼ)し、蓮が綴った。

「そうだな。それが叶ったら何をするかな。そなたとこうして日がな一日、歌って暮らすか」

 操の性格では、ずっとバリバリの現役で元気に働いていそうだけれど、まあ、そんな事を考えるのも、たまには良いのかな……

 蓮はそんな事を思い、くすりと笑う。

「疲れたか? 眠いのなら、このまま休んで良いぞ」

 膝に甘える蓮の頭を、操が優しく撫でた。

 ごめんなさい……

 蓮は、太平を願う全ての人々に謝る。

 本当は、この人をこんな事で留めてはいけないのだ。

 でも、今だけだから。

 明日になったらきっと元気になるから。

 もう操を困らせないようにがんばるから。

 だからそれまで、もう少しでいいから操を貸して……

 蓮はひとときの安らぎに心をゆだね、ゆっくりと眠りに落ちて行った。

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