七十二.
「韓暹が雒陽を出てから孤に逢うまで時があったはずだ。誰のもとに居た」
操の問いに、蓮は貌を伏せたまま首を振った。
その躰が小さく震えていた。
操が蓮を保護した時、少年の躰には無数の傷痕があった。
どれも小さなものだったが、強い力が加わり変色した痕や、縛された跡、すり傷などが、新旧折り混ぜ点在していた。
蓮がいったいどんな扱いを受けていたのか、悟らせるのには充分だった。
人を手荒く扱う事に躊躇のない者は、言葉の暴力もまた容赦なく浴びせるだろう。少年の経歴を挙げ連ね、穢れと非難し、追い詰めた者がいるはずだ。
何進殺害とのかかわりも、長安が滅びた顛末も、あるいはそんな罵倒の中で、蓮は知り得たのかもしれなかった。
「董承も一行と行動を共にしていたな」
操が廃墟の雒陽に入ったころ、帝の傍近くにいた男である。
彼は、行幸の初期から軍を率いて附き随っていたはずだ。
蓮はその名に触れていない。
それは、かかわりがなかったか、故意に避けたかのどちらかだ。
――後者か。
貌を背けて身を震わせる蓮に、操は思う。
『董将軍は蓮の事が嫌いだった』
蓮はそれだけ記すと、脣を噛み締めた。
「董承は白波の将とは合わなかっただろう」
真偽の程はともかく、董承は今上帝の祖母である董太后の遠縁を名乗っている。
本来同僚であるはずの董卓の部曲上がりの将達を見下し、諍いを起こしていた位だから、盗賊達を自分と同列には扱うまい。一行の内輪揉めも、結局そういった感情が根本にあったのだろう。
操自身が雒陽へ赴くより半年ほど前、一族の者である曹洪に軍を率いらせ、一行の救援に向かわせた事があった。
しかし、それは途半ばで阻まれた。
実際に立ち塞がったのは袁術の兵であるが、裏で糸を引いていたのは董承だ。
そのころから操は彼への心情が悪い。
それは向こうも同じらしく、帝と共に許へ移ってからも、操の影響力を弱めようと、何かと画策を重ねていた。
それが己の権力欲からなのか、帝への忠誠心ゆえなのかは知らないが、そんな調子で董承は、旅の間も覇権争いとかかわった。
李傕と郭汜の争いを仲裁した張済は、当初は帝を守護する側だったが、董承と合わずに一行を離脱。李傕と郭汜と共に襲撃する側へと転じた。
楊奉の要請で援軍に駆けつけた韓暹とも董承は衝突した。
逆に韓暹に追われ、雒陽で一行の到着を待ち受けた董承は、廃墟の地で再びその対立を深めて行く。
闘争となれば韓暹の兵は侮れない。離れているとはいえ、楊奉の軍もある。
曹軍を呼び寄せる事で董承は韓暹に圧力を掛け、雒陽から遠ざけたのである。
もっとも、その企みを利用して彼らを出し抜き、帝を手中にしたのは操だった。
誰かに利用されるほど甘くはない。
合した楊奉と韓暹は、遷都を阻もうとしたが間に合わず、許へ帝を迎えた翌月には操との戦いに敗れて東へ走った。
蓮がまだ、人心地もつかずに臥せっていたころの話である。
韓暹は、ほぼ単身で雒陽から遁走していた。
楊奉から頼まれていたはずの蓮を置いたまま、彼のもとへ逃れたのである。
通常であれば考えにくいこの行動に、蓮を連れ出せなかった状況を操は勘ぐっていた。
もしかしたら、すでに韓暹の手元から、蓮は離されていたのではなかろうかと。
一行を護って来た楊奉も、仮御所を整え迎えた張揚も、雒陽の外に出たが、韓暹と董承は禁裏の近衛として陣を並べて留まっていた。
廃墟の雒陽で蓮を捕らえた者。そして操に供させた者。それが同一人物と考えるのは、ごく当然の思考だろう。
蓮は、操の問いに蒼褪めた貌で俯いているだけだったが、その躰は恐怖に打ち震えていた。
もうその男の名を蓮の前では口にするまい。
少年を抱きしめながら、操は思った。