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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
69/138

六十八.

『あなたは、ちゃんとここにいるよね?』

 奇妙なそれに視線で問い返す。

『時々、触れていても実感がない……』

 蓮は、自分の手をじっと見つめた。

『自分でも変だと思うのだけど……』

 そう前置きして、蓮は途切れ度切れに文字を記した。

 蓮には安邑へ向かっていた時の記憶は、かなり断片的のようだった。ふとしたきっかけでその時の事が蘇るが、ねじ伏せられる痛みや恐怖といった感覚だけで、映像として覚えているのは、黒い(かたまり)に押さえつけられている自分の空洞のような表情。本来ではありえない、自らを上から眺めている景色だった。

『それが夢の中では反転する』 

 宙に浮かぶ己に(さげす)むような表情で見下(みくだ)され、脳裏の中にあらゆる罵詈雑言が響き渡るのだと。

『怖くてたまらない』

 蓮は、蒼褪(あおざ)めた表情でそっと操に触れた。

『本当は蓮はまだあそこにいて、あなたはそこから逃げるために創り出した夢なんじゃないか。そう思う時さえある』

 涙を(たた)える瞳。操を映しながらも、遥か遠くを見ているような空虚。これまでも蓮は、時折そんな表情を浮かべていた。

 操は自分に触れている蓮の手を取ると、かぷりと歯を立てた。

 驚いて蓮が手を引く。

『痛いか? ちゃんと現実であろう?』

 蓮の不安を吹き飛ばすように、笑う。

 だからって噛まなくても……

 愛らしい(かお)に浮かぶ困惑を抱き寄せ、操は続けた。

「そなたがあまりにつれないからだ。(わし)は今もこうしてぬくもりを感じておるぞ。なめらかな頬も、甘やかな髪の匂いも、狂おしいほど愛しいと思うておるに、それは孤だけなのか?」

 冗談めかしてそんな事を言った操は、一度蓮を腕から解き放ち、その瞳を(のぞ)き込んだ。

「蓮。そなたは孤にすまないと思っているのではないか。あるいは、それを知れば、孤が離れて行くとでも思っているのか。どちらにせよ、孤に知られたくなかったのだな」

 静かな声に、蓮は一度瞳を閉じた。

『本当は、もっと早く言わなければいけなかったんだ。蓮は、操に愛してもらえる資格なんて無いくらい(けが)れてて。でも、怖くて言えなかった。ごめんなさい……』

「お前は何も悪くないのに、なぜそう思う」

『蓮が悪くないなんて(うそ)だ。その時だって蓮が誘ったと言われて違うと思ったけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。蓮は嫌だったけれど、殴られるのは怖かったし、逆らわずに従った方がいいって。その時だけじゃない。蓮はずっとそうだった。蓮は全てに嘘をついて、ただやり過ごして来た。罰を受けて当然なんだ』

「それのどこが悪い。だからお前は生き延びた。蓮は間違ってなどいない」

 操は蓮に(あらが)う事を教えた。けれどもそれは諸刃(もろは)の剣である。先へと生を継続(つ な)ぐために必要なそれは、同時にそれが叶わなかった過去を責め立て斬りつける。

 少年の内なる強さと賢さは、ままならならぬ己への怒りへと結びついていた。

 もしあの時こうしていれば。自分がもっと何か出来れば。そうすれば結果は違っていたかもしれない。仕打ちを恨むでも、不当な扱いに怒るでもなく、蓮はそうやって自分を責めているのだ。

 けれど、蓮を生かして来たのは紛れもなくその強さであり賢さだ。操はそれに深く感謝していた。 

「良く、生きていてくれたな」

 万感の思いで抱きしめる。

 蓮は物音や気配に非常に敏感で、近づく者があらば必ず操より先に気がつく。楽に秀でているから、もともと耳は良いのだろうが、常に脅威にさらされ神経を(とが)らせていた名残だろう。

 この子の命など支配者の気持ちひとつで消し飛んだ。この細い首をへし折る事など造作もない。常にそこへ手を掛けられているような心持ちであっただろう。

 生き物には必ず自衛本能がある。己を(まも)るために取った行動を非難する権利など、いったい誰にあると言うのか。

 蓮は少し戸惑ったように身を(ゆだ)ねていたが、そっと操の背に腕を廻した。

『……暖かい』

(うつつ)に感じられたか?」

 こくりと(うなず)く。

「良く話してくれたな。(つら)かっただろう」

 頬に残る涙を拭いながら気遣う操に、蓮は小さく笑った。

『操が聞いてくれて嬉しい』

 きれいに(おとがい)を上げて操を見上げる。その(くちびる)が名を呼んだ。

『楊将軍の話をしてもいい?』

「聞こう」

 全てのきっかけは彼の死の知らせだった。蓮の心に未消化の想いがある事は、とうに察しがついていた。

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