六十七.
蓮は蜜を湛えた稀少の花だった。
甘い香りに群がる虫のように、彼らは蓮を見つけ、触れようとする。珍しい花の正体を、見定めようとするかのように。
その蓮が身を護るには、強い庇護者が必要だった。庇護する者の力が強ければ強いほど、蓮の安全は確かなものとなる。
今の蓮がまさにそうだった。
操の深い愛護を受けている蓮に、危害を加えようとする者はまずいない。
同じ意味で、董卓もまた強い庇護者であった。
絶大な力で他を押さえつけていた董卓のもとに居た時は、蓮は、彼にのみ脅えていれば良かった。
もちろん董卓の側には他に寵を受ける者が数多あり、その訪れがないままに、ゆっくり眠れる夜もあった。
贅沢な衣類と満ち足りた食事。湯も香油も、溢れるほど蓮に使われた。当時はそれを愉しむ余裕もなかったが、栄養面や衛生面に限って言えば、この時代の最高の環境にあったと言っても過言ではない。
董卓の力を蓮が識ったのは、その庇を離れてからだった。
彼の死後、政権を握った呂布も王充も、蓮に関心は寄せたものの、特別な執着は示さなかった。明確な主を持たなかった蓮は、名も知らぬ者達の訪いもまた、受け入れなければならなかった。
李傕のもとに移されて、状況は少し変わったが、庇護者の力が弱まれば、それに代わろうとする者が現れる。
楊奉が良い例だった。
李・郭のように力が均衡していれば、そこに争いが生じる。
では、その庇護者を失えばどうなるのか。
彼らの元から送り出された蓮が、それであった。
董卓の部下だった将達は、あくまでも主の模倣者だった。
絶対的な存在であった董卓の姿を己に重ね、着飾らせた蓮を侍らせ、楽を弾かせ、周囲に誇示した。
それは、蓮への愛情というより董卓への畏怖であり、自己顕示欲の現れだった。
帝が長安で李傕に捕らわれていた時、その扱いはひどいもので、廷臣達は食事にさえ事欠いた。
敗走中に捕らわれた者達の待遇も、やはり捕虜としてのそれであった。
同じ捕らわれ人でありながら、常に贅に包まれていた蓮は、恨みや嫉みといった負の感情もまた、多くの者に懐かせていた。
安邑へ向かう旅は、独りその渦中へ投げ込まれたに等しいものだった。
『ごめんなさい。やっぱりその時の事は言えない』
蓮はやっとそれだけ記すと泣き崩れた。
護り手を失したこの子がどんな扱いを受けたのか。
それを想像するのは、さして難しいことではなかった。
操は蓮を抱き寄せると、その胸で存分に泣かせた。
この子は誰にも言えず、その傷を胸の奥へと封じて来たのだ。
それを吐き出させてやりたかった。
「蓮。こらえずとも良い。全部申してみよ。辛かったであろう? 不当な扱いに怒りも覚えただろう。至極当然のことだ。そなたは怒って良い。恨んで良いのだ」
権力者に投げ与えられ、ただそれに耐え続け、身を捨てて来たこの子を顧みる者はいなかった。
蓮は自ら望んで手に入れたものなどひとつもない。それでも蔑まれ、罵られ、傷つけられた。
戦禍に追われる心は荒む。その憤りはより弱い者へと叩きつけられる。そういう世の中である。けれど、乱世だからと言い捨てるには、あまりにも傷ましいと操は思った。
李・郭のもとから離れた蓮に待っていたのは、陵辱の日々だった。
己の欲望のためでも、もちろん蓮への想いなど欠片もない、ただ蓮を辱め、痛めつけるだけの行為だった。
複数であったことが彼らを大胆にした。
たとえ事が露見しても、蓮にはそれを言い立てる術が無い事も、全て承知の上だった。
衛兵や人夫をけしかけては、蓮を嘲り唾を吐いた。
蓮の世話をしてくれた者もあったが、それが罪滅ぼしなのか、同情ゆえかも解らない。
味を占めて物陰に連れ込んだ腕も、人目を憚るように性急に挿入ったそれも、誰の物であったのか蓮は知らない。
もう、何もかもがどうでも良かった。
どうせ穢れた子供だ。
誰かが言った言葉だけが、いつまでも蓮の中で響り続けていた。
蓮は身も心も病み果てて、楊奉のもとへ戻った。
明らかに残る暴力の痕に彼は異を唱えたが、返って来たのは蓮への侮蔑の言葉だった。
妄りがましく誘ったのは、あの子のほうだと。
朝臣との間に溝を持った楊奉は、やがて政権の中で孤立して行く――